白に焦がれる紅き誓い

永江寧々

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瑞成ルイチェンさん、二十万ってのはさすがに高すぎやしませんか?」
「金用意するって言ったのは向こう」
「で、でも、もし杏儿シンアル雪儿シュエアルにチクったらやばくないっすか?」
「かもね」
「かもねって……いいんですか?」
「どうかな」

 先程までの業火はどこへやら、雨で鎮火されたように感情が大人しくなった瑞成が何を考えているのか読めない雷真ライシンはできるだけ地雷を踏まないように頭の中で会話の選択肢を並べる。

「俺さ、心のどこかで雪儿に嫌われたいって思ってんのかもしんない」
「ええっ!? な、なんでそう思うんですか?」
「嫌われるのって楽じゃん。好かれるほうがしんどいじゃん?」
「え、そうですか?」
「好感度保つのって努力がいるけど、嫌われれば終わりで関係は続かないから努力する必要もないし、嫌悪を露わにする相手に媚びる必要もない。考えなくて済むもんね」
「はあ……まあ、そうですね」

 雪儿のことを考えない日がないと最近気付いた瑞成にとって杏儿を邪魔だと思う瞬間も増えている。言いたいこと、やりたいことがあっても杏儿のことを気にして踏み出せない雪儿を見ていると可哀想で、杏儿に腹が立つ。
 雪儿が受け入れている以上はその怒りを腹の奥底に隠していたのだが、面と向かって本人に雪儿を理由とされると抑えきれなくなってしまった。

「雪儿の中で杏儿が一番なことは変わらない」
「一番になりたいんですか?」
「そうじゃない。俺は雪儿が一番に考えるのは自分であってほしいんだよ。自分の人生の主役は自分なのに、なんで脇役みたいに生きようとすんのか理解できない」

 雷真は自分の耳より目を疑っていた。雨で視界が悪いせいではない。この距離で見間違うはずがない。眉を寄せて嫌悪感露わにしているわけではなく、怪訝さを滲ませているわけでもなく、どこか寂しげに見える表情は初めて見る。誰かのことを思ってそんな顔ができるのかと信じられないものを見ている気分だった。

「でも、少し距離を置いたほうがいいのかもしれないなぁ」
「杏儿に従うんですか?」
「俺の意思でするんだよ」
「そうですよね! すみません!」

 瑞成はいつも急に声を変えるため機嫌がわかりやすい。まだ部下になったばかりの頃は怖かったが、今は謝罪するチャンスを与えてくれているのだろうとポジティブに捉えている。

「杏儿は考えを譲るつもりはないし、俺が勝手することによって束縛が強くなってくかもしんないじゃん? 雪儿はそういうことに愚痴はこぼさない。杏儿に従うべきだって思い込むから。俺が距離を取ればさ、雪儿が束縛されることもなく、いつもどおりの日常を送れるわけで」
「瑞成さんはそれでいいんですか?」
「そりゃ癒しの時間がなくなるのはやだけどさ~、しょーがないじゃん。俺が雪儿苦しめるのはもっと嫌だし」
「愛ですね」

 足を止めた瑞成がキョトンとした顔を向ける。彼のこんな顔を見るのは初めてで、今日は珍しいものばかり見る日だと目を瞬かせる。

「あ、えっと……違いました?」
「え、違うでしょ。なんで愛? どこに愛があんの? お前、変なこと言うね」
「あ、す、すみません。愛なのかなぁって思って」
「俺と雪儿の間に愛なんてないよ。人の幸せを願うのは別に愛なんかなくてもできることじゃん」
「いやまあ、それはそうなんですけどね……」

 龍瑞成という男は自分が一番大切で、他人はどうだっていいと思っている。だからこそ冷酷になれるし、残酷にもなれる。彼が優しさを見せるのは子供にだけ。外で元気に走り回っている子供を見ると「いいねぇ」と言う。毎年、孤児院に多額の寄付をするのも子供が好きだから。差し入れも月に何度か大量に持っていく。でもそれは特定の誰か、にではなく、子供という存在に対して行っていたこと。
 しかし今回は違う。雪儿という一人の少女にのみ向けられる優しさと願い。あの少女が穏やかに生きるためなら自分の欲望はひた隠すという、それが愛でなければなんなのかと雷真は思った。

「せめて梅雨の間だけでも顔出すのはやめるよ。瑞鳳ズイホウにもそう言っといて。どうせ紅蓮コウレン抱きに行くんでしょ?」
「会いに行くって言ってくださいよ」
「事実じゃん」

 梅雨はまだ一ヶ月続く。長ければもう少し。会いたいと何度も思うだろう。顔を見たいと。話がしたいと。だが、その欲望を叶えることで雪儿が苦しむ日があるなら我慢しよう。
 幸いにも多忙である。紫雫楼ししつろうに長居していた時間を他に回せば自由時間もできる。久しぶりに遊ぶ時間を作ってもいい。

「今年は雷多いですね」

 近くなってきた雷が空に稲妻を走らせる。黒い雲が広がり、雨も強まってきた。ザーッと鳴っていたのがバチバチと叩きつける音に変わるまでそれほど時間はかからず、視界も悪くなる。

「大丈夫だよ」
「え?」

 瑞成の呟きは雨音によって掻き消され聞き取れなかった雷真にもう一度繰り返すことはしなかった。

「えー! 瑞成来ぇへんの?」
「瑞成さんは忙しいんだよ。香月街こうげつがい全体があの人のシノギなんだから」
「紫雫楼かて香月街の一部やんかぁ」
「俺だけじゃ不満かよ」
「顔がちゃうやん。雷真は身体は最高やけど顔はイマイチやし」
「ハッキリ言うなぁ」

 剃り上げているつるつるの頭を掻きながら苦笑する雷真も訪れるたびに残念な顔をする香姫こうきたちに会うのは楽じゃない。
 あれから瑞成は紫雫楼に顔を出さなくなった。雪儿の名を口にすることもなければ紫雫楼について何か聞いてくることもない。いつもどおりの飄々とした感じで香月街を回って金の動きを確認している。
 力で支配する兄二人と違って、瑞成は知恵を働かせる。黒龍白虎ヘイロンバイシーの金の流れを作っているのは瑞成で、その多くは香月街から出ていた。
 娼館が立ち並ぶ香月街は一見すると単なる欲望の満たし場所だが、その裏には金が回る仕組みが作られている。権力、金、情報の全てが集まることを証明しているため、兄たちのように武力を必要としない日々を送れている。
 マフィアにとって金は生命線。人を動かすにも武器を揃えるにも裏で政治家や警察を抱き込むにも金がいる。成人を迎え、仕事を任されるようになった瑞成は『こんな非効率的なやり方は時代遅れだよ』と言い、短期間で金の流れを一本化して利益を倍増させた。
 瑞成は常に『頭を使えば身体はそれほど動かさなくてもいい』と言う。兄たちはあまり賛成していないが、父親は金を稼げる間は認めると口出しはしないようにしている。
 彼は賢い人間を好む。媚びる香姫たちではなく雪儿を特別視するのもそのせいだと雷真は思っている。
 しかし、今の瑞成は意識的に雪儿の名を口にしないように見えて仕方ない。見ているほうが辛くなるぐらいには仕事に生きている。そういうタイプではないのに。

「なあ、瑞成が最近翡翠楼ひすいろうに通っとるってホンマ?」
「通ってるっつーか、まあ、仕事だし」
「でも長居しとるって聞いたけど」
「誰に?」
「あそこで働いとる性悪女にや! 瑞成に指名されたとか自慢しよってからにあの売女!」

 娼婦が娼婦を罵るのかと注意はしないものの、詳しくは話さなかった。

「なんやちょっとガッカリやわ。瑞成も所詮は男ってことやな。忙しい忙しい言うても女は抱くんやから」
「そういう言い方はやめろ」
「別に誰の男でもないんやから好きにしたらええけど、ここには来んのに翡翠楼には足繁く通っとるんが気に食わん。しかもあの性悪女を指名するとか趣味悪すぎ」
「こうやって差し入れ持たせてくれてんだろ」
「どうせ向こうには蜜華坊のお菓子やろ。前はこっちにも蜜華坊のお菓子持ってきてくれとったのに」

 瑞成が来ていたことが彼女たちのステータスでもあったのだろうと雷真は悟った。どこの娼館でもそうだ。瑞成が来ると女たちは歓喜の声を上げ、大勢で盛大にもてなす。紫雫楼も高級娼館といえど結局は同じかと雷真こそ少しガッカリしていた。
 小さな溜息を吐いてかぶりを振ると出されていたお茶を一気に飲み干して立ち上がる。

「楼主なんだからたまには顔出せって言っときな」
「ああ、わかった」

 瑞鳳の一言に返事をし、紅蓮からの抱擁を受け止めて館を出た。

「雷真!」

 振り返ると雪儿が駆け寄ってきた。

「これ、肉饅頭。ジエちゃんと作ってん。お昼まだやろ?」
「いいのか?」
「ええよ。これやったら歩きながらでも食べれるやろうから」

 紙に包まれた手のひら大の肉饅頭を受け取った雷真は思わず呟きが漏れた。

「こういうのなんだろうなぁ……」
「ん?」
「ああ、いや、なんでもない。腹減ってたから助かる。まだ寄るとこあるしな」
ニャンの肉饅頭食べたら夜まで夢中で働けるから大丈夫」
「夜には家に帰りてぇよ」
「夜はまた紫雫楼に遊びに来てもええよ」
「金なくなるわ」
「ふふっ、頑張って稼ぐんやで」

 笑いながら手を振る雪儿に片手を上げてその場を離れた雷真は肉饅頭を見ながら苦笑へと変える。
 あれだけ人がいる中で、誰も雷真が空腹かどうか聞かなかった。瑞成が来ないことに文句を言うばかり。金を持っているとわかっている相手に高級でもなんでもない手作りの肉饅頭を差し出されたとき、心がほわっとした。
 余計なことは言わない。ポンッと背中を押すような励まし方が瑞成の心に響いたのだとようやく理解できた。
 翡翠楼の話を雪儿の前でさせるべきではなかったかと今になって気付いた後悔に苦笑を深めながら歩みを再開させた。
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