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16、旦那さまが格好よく見えてしまう不思議
しおりを挟むそれから数日間。
アリアは別荘のテラスで森の風景を楽しみながら紅茶を飲み、読書をしながら静かに過ごすという計画が、一度も果たされなかった。
なぜならずっと、フィリクスと一緒にいたからである。
この日は町で祭りがあり、ふたりは日が暮れるまで屋台の並ぶ人の多い場所にいた。祭りでは酒や食事が振る舞われ、市場の中心では楽団による演奏会や、観劇が披露され、町の人々で賑わっていた。
はしゃぎ過ぎたせいだろう。
アリアは足を痛めてしまった。
「少しここで待ってて。何か冷たい飲み物をもらってこよう」
「ありがとうございます」
フィリクスが離れると、アリアは噴水のそばに腰を下ろした。
周囲は酒に酔った大人たちと、騒ぐ子供たちで溢れている。
日が沈み、空に星が見え始める。
夜を迎えようとしても今日ばかりは町は賑やかで、人々が家路につく様子は見られない。
フィリクスはどこまで飲み物を探しに行ったのか戻ってこない。
アリアはぼんやりと目の前を通り過ぎていく人々を眺めて、ふと思った。
これからも、フィリクスとこんなふうに過ごしても、悪くないかなあなんて。
そんなとき、顔だちの整った若い男がアリアに声をかけた。
「お嬢さん、おひとりですか? よかったらこれから食事でもいかがですか?」
アリアは初めて町で見知らぬ男性に声をかけられた。
きちんとした身なりをしているところを見ると、貴族のようである。
だが、パーティでは見かけなかったので下級貴族かもしれない。
そういう貴族が声をかける相手というのは、平民である場合は遊び目的、令嬢であれば金目的と聞いたことがある。
「あなたが声をかけてきたのは遊びが目的? それともお金?」
「いや、君に一目惚れしたんだよ」
男の返答にアリアはもやっとした。
男ってこんな簡単に一目惚れする生き物なのかしら?
おそらくきっとフィリクスもこんなふうに一目惚れしたのでしょうね。
考えてみたらイライラする。
「せっかくですが、待っている相手がおりますので」
「え? でも君、結構待たされているよね? それに、少しよそよそしい雰囲気だったし、恋人と上手くいっていないんじゃない?」
「あなた……まさか、ずっと見て……?」
どうやらこの男、フィリクスがアリアと離れる前からずっと監視していたようだ。
アリアはぞっとした。
「と、とにかく、私はあなたに興味ありませんので」
そう言うと、男はアリアの腕をつかんだ。
「俺は君に興味を持ったよ。あんな弱そうな男はやめてさ。俺にしときなよ。楽しませてやるぜ」
「は? バカじゃないの。女に声をかけるときはまず家門と名前を言いなさいよ」
「ふたりきりになったら名前を教えてやるよ。足が痛いんだろ? 近くに休めるところがあるからさ」
「やめてって言ってるでしょ」
男の腕力に勝てるわけがなく、アリアはその手を振り払おうにもびくともせず、そのまま引っ張られて連れ去られそうになったときだった。
男の頭のてっぺんから赤い液体がどろどろと流れていったのだ。
「うわっ、何だこれは!?」
驚いた男が振り返ると、そこにはフィリクスがいた。
彼は木製の洋盃を男の頭の上でひっくり返していた。
「我が妻に何をしている?」
呆気にとられるアリアの目の前で、フィリクスは男に詰め寄る。
男はぶち切れた。
「お前こそ何してんだー! ふざけんなよ、この野郎!」
すると、フィリクスは動揺することもなく、男の胸ぐらをつかみ、睨みつけた。
「ふざけているのはどちらだ? その汚い手で妻の手を触っただろう。それだけで君は罪を犯している」
「な、なんだてめ……」
「僕はアトラーシュ侯爵家の当主だ。文句があるなら正式に文書で訴えるがいい。どこの家門か知らないが、いつでも受けて立つ」
「へっ……? 侯爵?」
男が急に大人しくなったので、フィリクスは彼を解放した。
「な、何だよ……侯爵なら侯爵らしくしておけよ。身なりが貧相なんだよ、くそっ!」
男は逃げるように走り去ってしまった。
しばらくして、フィリクスは怒りの形相から急に困惑の表情に変わった。
「僕はそんなに貧相なのだろうか?」
「え? そこ? いや……今日は目立たないように控えめにしているので。というより、あんな奴のことなんて気にしなくていいですわ」
「そうだな。それよりアリア、君は無事か? どこか怪我をしてはいないか?」
「平気ですわ。ありがとうございます」
「遅くなってすまなかった。珍しい果実酒が手に入ったんだ。ぜひ、君にと思っていたんだけど、全部無駄にしてしまった。ああ、つい心の底から腹が立ってしまって、冷静さを欠いてしまったんだ。許してくれるかい?」
あからさまに落ち込むフィリクスを見て、アリアはおかしくなって笑った。
本当に、なんて素直な人。
相手の脅しに怯むどころか、目の前の妻を全力で助けるなんて。
「許すも何も、あなたは最高ですわ。旦那さま」
本心から出た言葉だった。
けれど、それが彼を好きだという感情かどうかは、まだわからない。
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