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ヴィランの幕引き
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なんてカッコつけてみたのはいいのだが、まぁ普通にピンチ状態である。『俺』は怒りだか恥辱だかに顔を歪めた後、どろりと目端から黒い何かを流す。
──涙のようだった。だが、悲しくて泣いているわけではない。徐に男ががぱりと開けた口には異臭のする液体が溜まっており、強い酸で溶けて腐りかけた歯には液体が絡まり糸を引く。
人間が内側から腐り落ちた時のような、異様な光景。
「魔神……!」
男がえづく。鼻から泥人形の体には魔神の魔力は重かったのだ。唯一『アーノルド』の性質が付与されていたからこそ耐え切れたようなもの。
ねちゃねちゃと不愉快な音を立てながら男の皮膚、穴という穴からどぷりとコールタールが溢れ出た。
魔力を練って燃やそうと試みるが当然失敗。変身シーンで攻撃しないのは相応の理由があるし、力そのものである魔神の魔力はその他ただの魔法も腐食させる。
「ルース! 聖女の力を!」
鼻が曲がりそうな臭いに顔を顰めて振り返れば可憐な青年はすでに戦闘態勢に移っていた。判断が早い、喧嘩慣れしている。
魔神の魔力は聖女の力で完封できるが問題はその扱い方だ。
「ゔっ……酷い匂い! アーノルド様、セリオンが!」
「セリオン? 治療したんじゃないのか」
男の体は、いつの間にか粘液に覆われている。
地面に溶けるように、黒く滲んだ泥の溜まり場に砕けかけの人形がグシャリと体を沈ませる。関節はあらぬ方向に曲がり皮膚は変色しとても生きているとは思えないが、生きている。
生きているのだ。生きながら媒体にされている。
なんのため? 顕現の。魔神の魔力は意志を持たない。使用者を常に探している。俺の特性を付与された男は、その器に相応しい。
花嫁のような聖女の魔力を纏ったルースが飛んでくる。その手には華やかな両手剣。清らかな乙女を思わせる姿は誰もがハッと息を呑むだろう。
「感じないのですが、この……魔力。とてもセリオンが耐えられるようなものでは……」
魔力?
くわん、と脳が揺れたような感覚。
どこから? 隣から。正面から。真後ろから。
腐食の魔神。あらゆるものを腐らせるなにか。思わず大仰に剣を振った頃には遅く、その先は溶けて消えていた。
「なっ……」
「アーノルド様!」
魔力が器を得た。変身が完了したのだ。
目の前の生き物は到底、人間とも思えず果てには人型ですら無い。
一言で言えばただの泥だった。
大きな大きな、巨大で山さえ飲み込むような泥。ヘドロと言っても過言では無い。とてつもない異臭がする。流石の俺も腐りかけた心がやさぐれるのを止められない。
(魔力。そうか、もう封印は)
思考が追いつく前に悪寒が駆け巡って思わず後ろへ己を跳ね飛ばす。カウンター防御膜の応用でバインと間抜けな音を当てて後ろへ転がった瞬間生み出した防御膜が飲み込まれるのが確かに見えた。
溶ける。溶ける、何もかもが腐り果てやわらかくなって人生の終着を迎える。
(“夢”は、アーノルド=フィレンツェという男の器の維持にも使われていた。俺が夢を壊した以上あの泥人形に制御できる自我は期待できない)
だから魔神には魔力と自我、双方が必要なのだ。自我のない魔力は世界を飲み込むほどに暴走し、成長のしない自我は魔力がなければこの世の何よりもか弱い物体だり
喉が一気に乾燥しへばりつく。
たとえ宿主の心や体さえも簡単に腐り落ちらせることができる原初の魔神だ、魔力のみとはいえ……。
ルースの様子を確認すれば、顔は歪めているが無理やり汚染されたような雰囲気はなく、聖なる力で攻撃をいなしていた。
鞭のようにしなやかな長い触手が襲いくる。ルースの作る剣とは違い腐食の性質に抗える剣など錬成ができないので壊れた瞬間に武器を構築し直して利用。
「クソッ、厄介な置き土産を──!」
溶けた鉄の塊を打ち捨てて中空へ飛び上がった。巨きな山のような泥たちはどこに隠れていたのだと呆れるほど。隠れてはいないのだろうか。“これ”こそがノアであり、普段の姿は封印された銀の指輪しか知らない。
戦闘能力自体は問題のないルースが腐食に対抗しながら周囲の確認を行うが空間魔法を壊したので決壊もなく、次第にその泥の量を増やす怪物は人里へ降りていくだろう。
ただし、剣も魔法も効かず。アーノルドがしばらくはこれを抑えられていたのは入念に用意しこの空間に張り巡らされた“ゆめ”さえあったからだろう。ゆめを壊さなければ俺たちはジリ貧だが、壊した後もこうして暴走する魔力によってまとめて潰される。なんともはや人間にはどれも真似できない保険である。
「ッ、チ……」
「アーノルド様!! お怪我は、」
「いいから前向け!」
ぐちゅりと音のしたと思えば片腕が腐り果てて落ちたらしい。酷い痛みと臭いにぎゃあと悲鳴をあげたくなるのを押さえ、脳が痺れる激痛をやり過ごした。
──やり過ごした間に攻撃をやめてくれる優しい敵であれば、苦労はしないのだが。
二度、三度と楽しげに鞭が振るわれる。肋が腐り頬が腐りもう片方が腐り落ち。
膝小僧を吹き飛ばされ地に膝をついたのと、腐り落ちたヘドロの周囲に岩の柱を立てるのとは同時だった。
(……鼻から、俺一人で全部どうにかしようなんて思っちゃいない。物語のヒーローじゃあるまいし)
ぐらり、と血が足りず世界が回る。反転する。
気がついた頃には倒れ伏していた。
ヘドロは何の感慨もなく、感情もなく、化け物らしく無意味に俺を殺し飲み込もうとしているようだった。
変化もしない、進化もしない、化け物。ルースの悲鳴が聞こえる。痛みに叫ぶ。俺の名を呼ぶ。殺されかけた俺を見て我慢ならなくなったのだろう。
残念ながらもう視界が聞かない。徐々に五感が体から引っ張られていき、猛烈な痛みが体に走る。
──最初から、俺一人どうにかしようなんて思っちゃいない。
ただ。
本当に、うまくいったので。
今体が自分の意思で動かせたら、大爆笑でもかましていただろう。
「兄さん…………?」
史上最強の魔法使いが、底知れぬ声をポツンとこぼした。
──涙のようだった。だが、悲しくて泣いているわけではない。徐に男ががぱりと開けた口には異臭のする液体が溜まっており、強い酸で溶けて腐りかけた歯には液体が絡まり糸を引く。
人間が内側から腐り落ちた時のような、異様な光景。
「魔神……!」
男がえづく。鼻から泥人形の体には魔神の魔力は重かったのだ。唯一『アーノルド』の性質が付与されていたからこそ耐え切れたようなもの。
ねちゃねちゃと不愉快な音を立てながら男の皮膚、穴という穴からどぷりとコールタールが溢れ出た。
魔力を練って燃やそうと試みるが当然失敗。変身シーンで攻撃しないのは相応の理由があるし、力そのものである魔神の魔力はその他ただの魔法も腐食させる。
「ルース! 聖女の力を!」
鼻が曲がりそうな臭いに顔を顰めて振り返れば可憐な青年はすでに戦闘態勢に移っていた。判断が早い、喧嘩慣れしている。
魔神の魔力は聖女の力で完封できるが問題はその扱い方だ。
「ゔっ……酷い匂い! アーノルド様、セリオンが!」
「セリオン? 治療したんじゃないのか」
男の体は、いつの間にか粘液に覆われている。
地面に溶けるように、黒く滲んだ泥の溜まり場に砕けかけの人形がグシャリと体を沈ませる。関節はあらぬ方向に曲がり皮膚は変色しとても生きているとは思えないが、生きている。
生きているのだ。生きながら媒体にされている。
なんのため? 顕現の。魔神の魔力は意志を持たない。使用者を常に探している。俺の特性を付与された男は、その器に相応しい。
花嫁のような聖女の魔力を纏ったルースが飛んでくる。その手には華やかな両手剣。清らかな乙女を思わせる姿は誰もがハッと息を呑むだろう。
「感じないのですが、この……魔力。とてもセリオンが耐えられるようなものでは……」
魔力?
くわん、と脳が揺れたような感覚。
どこから? 隣から。正面から。真後ろから。
腐食の魔神。あらゆるものを腐らせるなにか。思わず大仰に剣を振った頃には遅く、その先は溶けて消えていた。
「なっ……」
「アーノルド様!」
魔力が器を得た。変身が完了したのだ。
目の前の生き物は到底、人間とも思えず果てには人型ですら無い。
一言で言えばただの泥だった。
大きな大きな、巨大で山さえ飲み込むような泥。ヘドロと言っても過言では無い。とてつもない異臭がする。流石の俺も腐りかけた心がやさぐれるのを止められない。
(魔力。そうか、もう封印は)
思考が追いつく前に悪寒が駆け巡って思わず後ろへ己を跳ね飛ばす。カウンター防御膜の応用でバインと間抜けな音を当てて後ろへ転がった瞬間生み出した防御膜が飲み込まれるのが確かに見えた。
溶ける。溶ける、何もかもが腐り果てやわらかくなって人生の終着を迎える。
(“夢”は、アーノルド=フィレンツェという男の器の維持にも使われていた。俺が夢を壊した以上あの泥人形に制御できる自我は期待できない)
だから魔神には魔力と自我、双方が必要なのだ。自我のない魔力は世界を飲み込むほどに暴走し、成長のしない自我は魔力がなければこの世の何よりもか弱い物体だり
喉が一気に乾燥しへばりつく。
たとえ宿主の心や体さえも簡単に腐り落ちらせることができる原初の魔神だ、魔力のみとはいえ……。
ルースの様子を確認すれば、顔は歪めているが無理やり汚染されたような雰囲気はなく、聖なる力で攻撃をいなしていた。
鞭のようにしなやかな長い触手が襲いくる。ルースの作る剣とは違い腐食の性質に抗える剣など錬成ができないので壊れた瞬間に武器を構築し直して利用。
「クソッ、厄介な置き土産を──!」
溶けた鉄の塊を打ち捨てて中空へ飛び上がった。巨きな山のような泥たちはどこに隠れていたのだと呆れるほど。隠れてはいないのだろうか。“これ”こそがノアであり、普段の姿は封印された銀の指輪しか知らない。
戦闘能力自体は問題のないルースが腐食に対抗しながら周囲の確認を行うが空間魔法を壊したので決壊もなく、次第にその泥の量を増やす怪物は人里へ降りていくだろう。
ただし、剣も魔法も効かず。アーノルドがしばらくはこれを抑えられていたのは入念に用意しこの空間に張り巡らされた“ゆめ”さえあったからだろう。ゆめを壊さなければ俺たちはジリ貧だが、壊した後もこうして暴走する魔力によってまとめて潰される。なんともはや人間にはどれも真似できない保険である。
「ッ、チ……」
「アーノルド様!! お怪我は、」
「いいから前向け!」
ぐちゅりと音のしたと思えば片腕が腐り果てて落ちたらしい。酷い痛みと臭いにぎゃあと悲鳴をあげたくなるのを押さえ、脳が痺れる激痛をやり過ごした。
──やり過ごした間に攻撃をやめてくれる優しい敵であれば、苦労はしないのだが。
二度、三度と楽しげに鞭が振るわれる。肋が腐り頬が腐りもう片方が腐り落ち。
膝小僧を吹き飛ばされ地に膝をついたのと、腐り落ちたヘドロの周囲に岩の柱を立てるのとは同時だった。
(……鼻から、俺一人で全部どうにかしようなんて思っちゃいない。物語のヒーローじゃあるまいし)
ぐらり、と血が足りず世界が回る。反転する。
気がついた頃には倒れ伏していた。
ヘドロは何の感慨もなく、感情もなく、化け物らしく無意味に俺を殺し飲み込もうとしているようだった。
変化もしない、進化もしない、化け物。ルースの悲鳴が聞こえる。痛みに叫ぶ。俺の名を呼ぶ。殺されかけた俺を見て我慢ならなくなったのだろう。
残念ながらもう視界が聞かない。徐々に五感が体から引っ張られていき、猛烈な痛みが体に走る。
──最初から、俺一人どうにかしようなんて思っちゃいない。
ただ。
本当に、うまくいったので。
今体が自分の意思で動かせたら、大爆笑でもかましていただろう。
「兄さん…………?」
史上最強の魔法使いが、底知れぬ声をポツンとこぼした。
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