竜の財宝

伊月乃鏡

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「、はなして! はなせよ!」
ふらふらと、光に誘われるように屋敷へ近づけば、何かが崩れる音と口論する声が聞こえてくる。周囲はざわざわと喧騒に呑まれていたのに、ゲオルクは目の前のそれから目が離せなかった。
焼け爛れた端から、男の傷は治っていた。炎に巻かれながら、泣き喚く子どもの口を押さえ煙を吸わせず、身体中からダラダラと血液を流しながら、崩れ落ちた木材をどかして、姿を現す。
まだ玄関にしか入っていなかったのだろう。
子どもの手足は焼けて爛れていたけれど、肺に炎が入ることなく、全身を火傷によって切り刻まれることもなく、暴れる体を男に押さえつけられながらも無事な様子で。
子どもはしかし、手足の爛れを気にも止めず目の前の邪魔な男を叩いて引っ掻いて噛みついて、兎に角逃げようと暴れていた。お母さん、と叫びながら。父親の名が呼ばれることはなく。
「離せ、離せよ! 関係ないだろ、お前!」
「そうだな」
屋敷から不格好に、急いで出てきた男はすっかり息を切らして、暴れるがままにされていた。
「俺は君の人生に、一つも関係がないかもしれない」
男はただ綺麗に笑った。
思わず目を奪われる、決意と誠意と慈愛と、兎に角美しい感情の込められた笑顔で。
「だが俺は今目の前で死ぬ君を、助ける義務がある」
屋敷の上につけられた宿屋の看板が、つなぎを失って傾く。もうすっかり疲れ切ったらしい男は、子どもを離すまいと抱きしめて崩れ落ちた。
同時に、燃え盛る看板ががこん、と落下する。周囲のざわめきが強くなり、ゲオルクが一歩踏み出しかけて。
男はためらいもなく子どもを突き飛ばし、看板に押し潰された。
「……っ、あ」
ぐしゃりと嫌な音。同時に入り口が塞がれて、屋敷にはもはや入れなくなる。
誰もが息を呑んだ。勇敢な青年が非業の死を遂げたその事実を、夢見がちな冒険者たちはまだ受け入れられていない。
「……おに、い、ちゃん?」
ただふたり。子どもとゲオルクだけは、何が起こったのかよく知っていた。目の前で火だるまになった魔術師が、選ばれたのはお前だと怨嗟の声を上げる。違う、これはかつての記憶で。
では、今は。
「いっ……でぇ……!」
何かが軋む音。燃え続ける看板が唐突に盛り上がる。みしみし、と古い木造のような音をさせ。
次の瞬間には、音を立てて看板はへし折れていた。
“──えらばれ、たのは”
「ああ、よかった」
“お まえ か”
「無事だったんだな……」
コルヌがそうして笑った瞬間、子どもの大きな目から、涙が溢れた。
何もかもが込められた涙だった。置いていった母親への怨嗟だとか、こうなるまで助けてくれなかった周囲への恨みだとか、生への執着だとか、そう思う自分への恥だとか、そういうものだと、ゲオルクはよく知っていた。
わあああ、と泣き喚いて子どもがコルヌに駆け寄る。炎がうつってはまずいのかと思ったようで、コルヌも立ち上がって駆け寄り、子どもを受け止めた。
「おかあさん、おかあさん、おかあさん!」
狂ったように母親を呼ぶ子どもはしかし、コルヌに抱き止められたままシャツを握り締め、離れようとはしない。そりゃあそうだ、死ぬのは怖い。一度それを邪魔されてしまえば、子どもに二度も死ぬ勇気はない──
そうして、それだけではないのだろう。
「大丈夫だ。大丈夫……ちゃんと俺が、助けるから。失ったぶんだけ、他のものを手に入れよう。その手助けなら、俺でもできるよ」
だからどうか生きてくれ、とコルヌは願っていた。出会って、言葉を交わしたことのない相手のために、こうして祈れる人間はどれほど居たのだろうか。
ゲオルクは目を伏せた。子どもの泣き声が頭の中に反響して、それに伴うコルヌの声が、痛み出す心臓を撫でたような心地になる。
目の奥で火花が舞う。竜の鳴く音がよく聞こえていて、それと同時に自分が駆けずり回るあの無意味さと惨めさも炎に照らされてよく影が出来ていた。
駆けずり回ってボロボロになって、それでもゲオルクは死ぬことさえできなかった。朝が来て炎がなくなり、立ち上がったあの無力は忘れたことがない。
後ろでは消火活動が行われていた。コルヌが泣いている子どもを抱き上げ、こちらに近づいてくる。揺らめく炎が陰影を濃くして、夢と現実の境目をわからなくさせる。
「ゲオルク」
テゾーロは前を見た。
「綺麗事だって笑うか?」
回復魔法を使ったのか、子どもの焼け爛れた手はすっかり治っている。体力を奪われて眠る子どもは、それでもコルヌのシャツから手を離していない。
「……綺麗事で、エゴだ」
「だな」
ゲオルクの言葉にも、コルヌはただ困ったふうに笑って肯定した。自覚はあるのだとまた続ける。
「でも、子どもの前で綺麗事を言えなきゃ、俺は大人じゃないと思うんだ」
そうしてゲオルクの頭をポンと撫でるので、その暖かさに眩暈がした。なまぬるくて、あたたかくて、あの炎とはまた違った熱さの。
「俺はお前も、生きていてくれて良かったと思う。そんな顔しないでくれよ」
そんな顔とはどんな顔なのだろうか。ゆさゆさと頭を揺らされる。撫でているつもりらしい。
その振動が気持ち悪くて、ゲオルクが唇を噛み締めたのは、ただそれだけの理由だ。
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