14 / 50
第二章
6.
しおりを挟む
「赤洟熱……。東の方で聞いたことがあるね。ルクサナ。おまえ、詳しいのかい」
シャイマにそう問われ、ルクサナは一瞬迷ってから、しかし恐る恐る頷いた。
「お医者様のような知識はないのよ。ただ、その、……わたくしが知っている未来でも、赤洟熱が流行ったから、耳にすることはよくあったの。ええと、確か熱が上がるのと同時に、鼻の奥や喉が真っ赤に腫れ上がって、酷く苦しむのが特徴で……、とても伝染りやすいから気をつけなきゃいけないわ。栄養状態が良くなかったり、元々身体が弱かったりすると、死に至ることもある……。だけどよく効く薬があるから、それを早めに飲めば良くなるはずよ。薬があれば、怖い病気ではないの」
「未来って」と口をはさんだのはイブラヒムだ。
「まだその設定で話を進めるつもりか? おまえの戯言に付き合っている暇なんて、もう──」
「その薬ってのは、どこへ行けば手に入る?」
シャイマの発したその問いが、イブラヒムの言葉を遮った。きっぱりとした彼女の物言いに驚いて、ルクサナは数回まばたきしてから、「施療院に」となんとか言葉をひねり出す。
「施療院へ行けば、少しは蓄えがあるはずよ。それでも足りなければ、わたくしが入手してきます」
その薬の在り処なら、ルクサナはよく心得ている。
(お母様のご実家、クラバトのナフラ家は薬学の長。都で赤洟熱が流行り始めた頃、お父様はクラバトから大量に薬を仕入れて、町人達の手にも届くよう、それを安価に卸していたわ。数人分の薬なら、宰相家の邸宅にだって蓄えがあったはず)
「おいおい、こいつの言うことを真に受けたのか?」
正気を疑うような口調でイブラヒムが問うたが、シャイマはもはや取り合うふうもない。
「ハサン、あんたは今すぐ一座へ戻り、他にも体調を崩している者がいないか、徹底的に調べるんだ。症状が出ている者達を連れて、すぐ施療院へ向かうよ。イブリ、道案内を頼めるかい」
「わかった」と答えるイブラヒムは、躊躇う様子を見せながらも、既に席を立っている。次いでシャイマはルクサナへ視線を向け、「あんたもおいで」と声をかけた。
「あんたの事情をすべて信じたわけじゃあないが、長く旅の暮らしをしていれば、世の不可思議にも時々出会うものさ。あんたのこともひとまずは、そういう不可思議のうちのひとつだとでも思っておこうかね」
シャイマの言葉は温かい。ルクサナはひとつ頷くと、「きっとお役に立ってみせるわ」と張り切った。
(病人がいると聞けば、お父様もお母様も、快く薬を譲ってくださるはず)
ルクサナの身の上に起きた、夢物語のような出来事を、両親が信じてくれるかどうかはわからない。けれど、それとこれとは話が別だ。民が苦しんでいるとなれば、きっと助けてくれるはず。
そう思う。それなのに。
──本当なのかな。旦那様が民に配られるべき物資を着服して、私腹を肥やしていたって話は。
あの春の日の夜。兇刃に倒れ伏す直前に耳にしたその言葉を、何故だか今、思い出す。
(そんなわけがない。きっと何かの間違いよ。お父様もお母様も、誠実で優しい人達だもの──)
胸に手を当て、ルクサナは、深く大きく息を吐いた。
シャイマにそう問われ、ルクサナは一瞬迷ってから、しかし恐る恐る頷いた。
「お医者様のような知識はないのよ。ただ、その、……わたくしが知っている未来でも、赤洟熱が流行ったから、耳にすることはよくあったの。ええと、確か熱が上がるのと同時に、鼻の奥や喉が真っ赤に腫れ上がって、酷く苦しむのが特徴で……、とても伝染りやすいから気をつけなきゃいけないわ。栄養状態が良くなかったり、元々身体が弱かったりすると、死に至ることもある……。だけどよく効く薬があるから、それを早めに飲めば良くなるはずよ。薬があれば、怖い病気ではないの」
「未来って」と口をはさんだのはイブラヒムだ。
「まだその設定で話を進めるつもりか? おまえの戯言に付き合っている暇なんて、もう──」
「その薬ってのは、どこへ行けば手に入る?」
シャイマの発したその問いが、イブラヒムの言葉を遮った。きっぱりとした彼女の物言いに驚いて、ルクサナは数回まばたきしてから、「施療院に」となんとか言葉をひねり出す。
「施療院へ行けば、少しは蓄えがあるはずよ。それでも足りなければ、わたくしが入手してきます」
その薬の在り処なら、ルクサナはよく心得ている。
(お母様のご実家、クラバトのナフラ家は薬学の長。都で赤洟熱が流行り始めた頃、お父様はクラバトから大量に薬を仕入れて、町人達の手にも届くよう、それを安価に卸していたわ。数人分の薬なら、宰相家の邸宅にだって蓄えがあったはず)
「おいおい、こいつの言うことを真に受けたのか?」
正気を疑うような口調でイブラヒムが問うたが、シャイマはもはや取り合うふうもない。
「ハサン、あんたは今すぐ一座へ戻り、他にも体調を崩している者がいないか、徹底的に調べるんだ。症状が出ている者達を連れて、すぐ施療院へ向かうよ。イブリ、道案内を頼めるかい」
「わかった」と答えるイブラヒムは、躊躇う様子を見せながらも、既に席を立っている。次いでシャイマはルクサナへ視線を向け、「あんたもおいで」と声をかけた。
「あんたの事情をすべて信じたわけじゃあないが、長く旅の暮らしをしていれば、世の不可思議にも時々出会うものさ。あんたのこともひとまずは、そういう不可思議のうちのひとつだとでも思っておこうかね」
シャイマの言葉は温かい。ルクサナはひとつ頷くと、「きっとお役に立ってみせるわ」と張り切った。
(病人がいると聞けば、お父様もお母様も、快く薬を譲ってくださるはず)
ルクサナの身の上に起きた、夢物語のような出来事を、両親が信じてくれるかどうかはわからない。けれど、それとこれとは話が別だ。民が苦しんでいるとなれば、きっと助けてくれるはず。
そう思う。それなのに。
──本当なのかな。旦那様が民に配られるべき物資を着服して、私腹を肥やしていたって話は。
あの春の日の夜。兇刃に倒れ伏す直前に耳にしたその言葉を、何故だか今、思い出す。
(そんなわけがない。きっと何かの間違いよ。お父様もお母様も、誠実で優しい人達だもの──)
胸に手を当て、ルクサナは、深く大きく息を吐いた。
20
あなたにおすすめの小説
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
芙蓉は後宮で花開く
速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。
借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー
カクヨムでも連載しております。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ
凜
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます!
貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。
前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる