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しおりを挟む日が落ちるのが早くなったなあと思いながら、夕暮れに染まる見慣れた町を歩く。
結婚して実家を出たら、この道を帰ることはなくなるのだなあ。そう思うと、少し寂しい。感傷的なのは、ガラじゃないけれど。
大通りから住宅街に続く小道へ入ると、少し先によく知る背中を見つけた。
ご近所さんのヨータだ。
小走りで近づき、高い位置にある肩を叩く。鬱陶しそうに、ヨータは振り向いた。
「……みゃー姉ちゃん」
「久しぶり。最近うちに来ないじゃん。お母さんが寂しがってるよ」
母は日々、「ご飯が余ってしょうがない」と嘆いている。そう伝えても、ヨータは「ああ」とか「うん」とか、曖昧な返事をするばかりだった。
「ちょうどいいから、今から寄っていきなよ。ヨータんとこのおばさんたち、今日もお店でしょ?」
「……………………」
返事をしないヨータの腕を強引に引っ張って、私は彼を自宅に連れ帰った。
家に着き、玄関の鍵を開けて入るが、しかし室内は静まり返っている。人の気配はなかった。
「お母さん?」
だいたいこの時間、母は台所に立っているか、その奥のリビングでテレビを見ているのだが、今日は姿が見えない。不思議に思ってスマートフォンを確認すると、母からのメッセージが届いていた。
「ありゃ……。知り合いに急な不幸があったとかで、今日はうちの両親、お通夜に行ってるみたい。晩御飯は自分でなんとかしろってさ」
「もっと早く読んでやれよ……」
「メッセージの通知はオフにしてるからさあ」
「親不孝な娘だな」
いや、だって、最近になってようやくスマートフォンを手に入れた母はすっかりはしゃぎ、本当にくだらないことでメッセージを送ってくるのだ。
「テレビで体にいいと言っていたから、あれを買ってこい」とか、お父さんとの惚気とか。
いちいちつき合っていられないので、私は家に帰ってきてから、送信元である当の母親の前で彼女からのメッセージを読むことにしている。
「まあ、しょうがない。なにかあるかな」
冷蔵庫を漁ると、なかなか立派な豚の薄切り肉が冷凍されていた。野菜やその他も、一食ぶんなら十分な量がある。
「よし、私が作るよ。座ってて」
自分から誘ったのに、このまま帰すわけにはいかない。帰ろうとしていたヨータを引き止めておいて、私は一旦自室に戻った。
だるだるのロンTにジャージといういつもの部屋着に着替えると、その上にエプロンを着けて、台所に戻る。
「ええと、豚肉の生姜焼きと、あとは昨日作った煮物があるから、それでいい?」
「うん。あ、手伝う」
ダイニングの椅子に座ってスマホをいじっていたヨータは、のっそり立ち上がり、私の隣に来た。
「そんじゃ、味噌汁用の具を切って。豆腐と油揚げとネギね」
「ん」
冷蔵庫から出した食材をまとめて渡すと、ヨータはまな板と包丁を取り出し、切り始めた。素早さはないが、丁寧な仕事ぶりだ。それを眺めつつ、私は生姜焼きのタレを作る。
ヨータは切り終えた具を水と共に小鍋に入れ、火にかけた。私はその横の五徳に肉を焼くためのフライパンを置いて、次の指示を出す。
「味噌汁の仕上げと、肉を焼くから適当に見張ってて。焦げないように」
「ん」
短く返事をすると、ヨータは早速お玉で味噌をすくい、小鍋の中に溶き始めた。
「手際いいね」
「叩き込まれたからな。鬼軍曹に」
私はヨータの背中を軽く叩いた。彼に味噌汁の作り方を教えたのは、この私なのだ。
「ご飯と味噌汁さえあれば、立派なご馳走である」というのが、上月家のモットーである。だからそのご飯の炊き方と味噌汁の作り方を、母は私に教えて、私は弟とヨータに伝授したのだった。
「あんとき、俺、小ニか小三だったっけ? あのあと、家でも作ってやったんだよ。そんで、店から帰ってきた親に出したら、母ちゃん泣いた」
「そりゃ泣くよー。疲れて帰ってきたら、可愛い息子がご飯作って待っててくれるなんて、感動もひとしおってもんよ。でもあんた、味噌汁以外、なんか作れるようになった?」
「チャーハンは作れるようになった。あとはまあ、ラーメンくらいかな、インスタントの」
「ほほう、さすが中華屋の息子だね」
「いや、そういうわけじゃないんだが」
二人でどうでもいい話をしながら、夕飯作りを進めていく。
「あ、ご飯さあ、冷凍のでいい? お客さんに対して、失礼ですけども」
母はだいぶ炊く量を減らしたと言うが、弟のいない食卓ではどうしてもご飯が余るという。それを冷凍したものが、だいぶストックされていた。
「客だなんて思ってないくせに……。いいよ、別に。味、変わらないじゃん」
「ありがとう。どんくらい食べる? お茶碗五杯くらいかな?」
「そんなに食えねーよ! 四杯くらいかな」
「たいして変わらないじゃん……」
おにぎりにしてあった余ったご飯を、ヨータのリクエストどおり四つぶん冷凍庫から出して、電子レンジに入れた。
味噌汁を完成させたヨータは、大きめの皿を二つ出し、私が切っておいたつけ合わせの野菜を盛りつけている。
「いっくぞ~」
絶妙な焼き加減の豚肉に、生姜焼きのタレを絡める。煙と共に香ばしい匂いが湧き立ち、よだれが垂れそうだった。
ああ、お腹が減った……。
「姉ちゃん、あれ、うまくいってんの? あの、婚活ってやつ」
脳みそを食欲に支配されている私に、ヨータがおずおずと尋ねてくる。
「あ! 聞いてよ!」
不破さんと、言うなれば「品定め」のおつき合いを初めて、もうじき二週間だ。休日はたいてい二人で過ごし、既に四回ほど会っている。
不破さんと一緒にいても、結婚という現実的な目標があるからか、心躍ることはない。それは向こうも同様だろう。ただひたすら互いが互いに相応しいかどうか、見定めているだけだ。
私の目から見た不破さんは、当初の予想どおり完璧な男性だった。夫としても、まだ見ぬ我が子の父親としても。
私はそんなことを、ヨータに自慢してみた。ヨータはむすっとしながら、皿のトマトの位置を整えている。
「なんかやっぱり……。そういうのは不自然だ。結婚のためだけにつき合うって」
まだ言うのか、こいつは。
私は少し苛立ちながら、反論した。
「はー? 恋だの愛だの、そういう時期はもう過ぎたのだよ」
「なにかっこつけてるんだよ……」
ヨータの横顔に、呆れと失望が浮かぶ。
しかし、本当のところ、そうなのだ。恋愛と結婚は違う。
学生時代から今まで何人かの男性とつき合ったが、私にとって恋愛は刹那の楽しみだった。
しかし、結婚は人生だ。
恋は一瞬で終わるが、結婚生活はずーっと長く続く。
だから、失敗しないようにしなければ。
「ま、ヨータはさ、ふつーに恋をして、好きな女の子と結婚すればいいんだよ。大事にしなよ。なんだっけ、あのショートカットの子」
「あの子とはとっくに別れたよ」
「え!? 一ヶ月くらい前に、イチャコラ一緒に歩いてたじゃん」
「別にイチャコラしてねー」
私は非難の視線を送るが、ヨータは表情を変えなかった。
「あんた、ほんと長続きしないね~。その前のリョーコちゃんだっけ? あの子とは二ヶ月? その前の子は――」
「うるせーな。俺のことはいーんだよ、別に」
ヨータは背も高いし、顔も整っているし、ちょっとなに考えているか分からないけど、性格だって悪くない。だから、モテるのは分かる。しかし、そんな遊び人だったとは。
女心を弄ぶ軽薄な男。――段々、腹が立ってきた。
「ほんと何様なのよ。味噌汁とチャーハンとラーメンしか作れないくせに! 姉ちゃんは悲しいわ!」
「……本当の姉ちゃんじゃないくせに」
なんだその言い草は。あんなに世話してやったのに。
まあ、ちょっとだけ、いじめたりもしたけど。ちょっとだけね。
私はヨータの足をぐりっと踏んだ。教育的指導である。
「今更そんなことを言うわけ?」
「いまさら……。本当に、今更だよな……」
ヨータのつぶやきは、妙に悲しげな響きを伴っていた。
私とのつき合いに、実はうんざりしてたってことか、このヤロウ……。
まあ、ご不満が多々あったとしても、それもあとちょっとだけ辛抱してくださればいいのだ。
私が結婚して実家を出たら、ヨータと会う機会は格段に減るはずなのだから。
不破さんとのおつき合いがもうじき二ヶ月になろうという今日は、不破さんがよく行くという和風の居酒屋に連れて行ってもらった。魚料理が美味しく、気取らない雰囲気の、とてもくつろげるお店だった。
「ごちそうさまでした。すごく美味しかったです」
「お口にあったなら、良かった」
私が礼を言うと、不破さんは嬉しそうに微笑んでくれた。
「次は私がご馳走しますね」
「お気遣いなく。でも、上月さんの行きつけのお店に行けるのは、楽しみです」
「どんなお店がお好みですか? やっぱり和風? イタリアンとか、それとも思い切って、ネパール料理屋さんに行ってみます?」
次の約束について相談しながら、私は別のことを考えていた。
次の約束。次の――。そろそろ、次のステップに進む頃合いだ。
厳密に決められているわけではないけれど、私たちのように結婚相談所で知り合ったカップルは、二ヶ月ほどをめどに、結婚するか否かの意志を確定させなければならない。
一生の問題を、出会ってからたった二ヶ月で決めなければならないなんて、あまりに過酷なスケジュールだ。
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「あの……。不破さん」
「はい?」
横を歩く不破さんは、ニコニコしながら首を傾けた。その無垢な笑みを見ると、緊張してしまう。そして自分が、ひどく汚れた女のようにも思えてくるのだ……。
しかしここは、勇気を出さなければ。
「そ、その……。こういうお誘いは、軽蔑されるかもしれませんが……。このあと、もし良かったら……」
「え?」
不破さんのジャケットの袖をつまむと、彼は不思議そうに私を見下ろした。
心臓の鼓動が早まり、お腹の辺りが熱くなる。
お酒を、少しだけ飲んでいて良かったかもしれない。蛮行へ踏み出すための、燃料になってくれたから――。
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