上 下
146 / 240

誰が見ても

しおりを挟む
 
 テオドールは執務室に居た。書類とにらめっこしながら目を細めていたところだ。
 それは何の前触れもなしに訪れた。

 ブレスレットが光った。誰かが合図を送っている。
 ちょうどフランクも席を外していた。

 ふぅっと一息ついて、宝石をトントンと二回叩いた。

「殿下!!」
「うわっ!」

 突然、ハリーがテオドールの机の上に膝をついて現れた。
「おい!ハリー!机に参上する奴がいるか!!この書類の量が見えねーのか!」
「殿下!大変です!!」
「はっ・・・・?」

「リリィベル様がお倒れになりましたっ!!!!」
「なんだと!!」
 思わずハリーの胸倉を掴んだ。テオドールの顔が一気に青ざめて血の気が引いた。
「説明している暇はありません!ですが瞬間移動はまずいので高速でお連れします!!」

 胸倉を掴まれたままハリーが人差し指を自分の口元に当てた。

 シュンッ!!シュンッ!!っと場所は点々とした。

 それでなくても、廊下の外ではリリィベルが倒れた事により大騒ぎだ。
 部屋の曲がり角、誰にも見えない死角にハリーはテオドールと着地した。

 テオドールはそこから全力疾走で扉へ向かった。リリィベルの部屋だ。
 部屋の扉の前でイーノクとアレックス、そしてグレンもその場に居た。

「殿下!」
「話はあとで聞く。」
 イーノクの顔も見ずに3人を押しのけて部屋の扉を開けた。

 熱で火照った顔で浅い呼吸をしたリリィベルがベッドに横たわっている。
「リリィ!」
「あっ!殿下!!近付いては‥‥」
 主治医がテオドールの前に立ちふさがった。
「邪魔だ!どけっ!俺の婚約者だ。」
 主治医を乱暴に払いのけて、リリィベルの側に駆け寄り、ベッドに腰かけてリリィベルの頬に触れた。
「リリィ・・・・。」

 苦しそうなその顔に、テオドールの顔も歪む。まるで自分の事のように・・・。


「・・・・・・。」

 開けっ放しの扉の外から、その光景をグレンは見つめた。


 テオドールの手の感触に、リリィベルはうっすら目を開いた。
「っ・・・テ・・・・オ・・・・?」
「あぁ・・・俺だよ?大丈夫か・・・?」

「テオ・・・っ・・・。」

 熱に侵された熱い手・・・。リリィベルは震える手をテオドールに伸ばした。
「テオ・・・っ・・・ごめんなさいっ・・・・身体が・・・・。」
「あぁ・・・つらいんだろ?大丈夫だ。すぐ治してやる・・・。」

 伸ばされたリリィベルの熱い手をぎゅっと握り、テオドールはリリィベルの身体を優しく抱き寄せた。

 テオドールの肩に顔を乗せたリリィベルは、苦しい中、安堵の笑みを浮かべた。




「・・・・・・・・・・。」
 グレンは、その笑みに衝撃を受けた。

 熱に侵されながら、テオドールが来た事でリリィベルの安心しきった笑み。
 小さな呼吸、下がった眉・・・。


 リリィベルは、身体が弱かったから・・・何度も見ている。
 苦しそうなその顔を。

 けれど、テオドールに抱かれて、あんな苦しい中・・・あんな幸せそうな笑みを浮かべる。

 グッと拳を握りしめて、グレンはただ見つめていた。

 リリィベルが発作を起こした時は、ダニエルの許しを得てそばで出来る範囲の看病をした。
 でも・・・あんな顔は、見たことない・・・。ダニエルですら見たことないだろう・・・。


 何が嬉しくて・・・そんな顔をしているのか・・・。

 苦しいはずなのに・・・・。


「テオ・・・っお仕事の・・・邪魔をして・・・しまいましたか・・・・?」
 クタっとテオドールの肩でリリィベルは呟いた。

「お前以外に大事なものなんてない。分かり切った事聞くな・・・。」
「ふぅ・・・っ・・・お会い・・したかった・・・です・・・・。」
「お前は・・・っ無理するなよ・・・っ・・・。」
「気付かなかったのです・・・ちょっと・・・疲れたなって・・・思って・・・。」

「いや・・・すまない・・・。俺が気に掛けるべきだったな・・・・。」
 リリィベルの顔をぐっと引き寄せてテオドールはそのままその唇に優しく唇で触れた。

「・・・すぐ・・・治してやる・・・・。」
「・・はい・・・・。」

 そして、2人はまた唇を重ねた。

「・・・・・・・・・・。」
 バタンっと扉は閉じられた。

 扉を閉じたのは、イーノクだった。
 グレンはそのまま吸い寄せられるように、その光景を見ていた。
 リリィベルがした・・・あの女の顔を・・・・。

「・・・殿下が来られた。俺たちはここで待機する。いずれ皇帝陛下もいらっしゃる。
 ハーニッシュ卿、ここは皇太子宮の皇太子妃の部屋だ。そろそろ下がった方がいい。」


「ぁ・・・・・はい・・・・・・。」

 グレンは、少し後退りして、グッと唇を噛んでその部屋から離れた。
 皇太子宮の扉を開く前に外から扉が開かれ、皇帝陛下と鉢合わせした。

「あぁ・・・ハーニッシュ卿・・・・。そうか、リリィベルが倒れた時に居合わせたそうだな?」
「はい・・・申し訳御座いません。このような場所まで足を踏み入れてしまいました。
 失礼致します。陛下。」

「あ・・あぁ・・・。」
 グレンが足早に立ち去った。
 その後ろ姿を皇帝が見送る。色々と察しはついた。
 勢いでここまで来たものの、話を聞いたテオドールが駆けつけ、当てられたに違いない。

「・・・ふぅ・・・・。」
 救いようがないため息が漏れた。彼が不憫でならなかった。
 けれど、リリィベルはすでに婚約者としてここにいる。皇太子妃の部屋を与えられた女性。


 ここで何を見ようとも・・・・。彼にはどうする事もできない・・・・。


 皇帝は、足をそのまま進めた。


「感冒症状でしょう・・・。最近寒くなりましたので。」
「そうか・・・。」

 主治医の話を聞きながら、テオドールはベッドに横たわったリリィベルの脈を密かに測っていた。
 持ってこられた氷水とタオルを自ら濡らしクーリングしてやる。

「殿下っ・・・私共がやりますからっ・・・。」
 ベリーとカタリナが側でオロオロとしている。
「いいんだ。俺がする。」
 だが、テオドールは頑なに譲らずにいた。その手際は手慣れたものだ。冷やす場所も心得ている。

「殿下、薬草を煎じて参りますので・・・。」
「あ?・・・あぁ・・・。」
 あまり聞いていなかった。人目がなくなったら、ハリー達を呼んで治癒魔術をするつもりでいた。
 それまでの看病だった。主治医が下がると共に、皇帝が現れた。

「テオ、リリィの様子は?」
「陛下・・・主治医の見立ては風邪だそうです。まぁ視察帰りで疲れもあったのでしょう。
 疲労が引き起こしたおかげで発症したようです。」

「あ・・・あぁ・・・。」

 冷静なテオドールにオリヴァーは少し驚いてた。
 真剣にテオドールはリリィベルの側を離れずいた。
 テオドールは、ベリーとカタリナに声を掛けた。

「薬草が来たら、汗を拭いて着替えをしてくれ。」
「はいっもちろんでございます。」

 そう言って、ただテオドールはリリィベルの手を握りしめた。

「あ、そうだ・・・。イーノクに話を・・・・。」
「あ・・俺から話そうテオ。」

 オリヴァーはリリィベルが倒れた時の話を、すでにリコーから報告を受けていた。


 妃教育からの帰り、いつもより疲れた様子があった。
 そんな時、グレンがリリィベルとの時間を願い出て、イーノクが付きそうと言ったが、
 リリィベルが困惑し、テオドールに話をしてからと言ってから間もなく倒れたとの事。


「・・・・はっ・・・・あいつ・・・・・・。」

 テオドールは眉を顰めたが、その口元は笑っていた。
「・・・テオ、昨日ハーニッシュ卿と試合をしたそうだな?」
「えぇ・・・本人がリリィベルの護衛騎士になりたいと言ったので、手合わせをしました。
 イーノクとアレックスの腕を確かめたかったようでしたが、俺がやれば一回で終わります。」

 オリヴァーはガシガシっと頭を掻いた。
「・・・なるほど・・・。それは、さぞ心労がかかっただろうな。」

「・・・・そうですね・・・・。そうかもしれません・・・・。」
 テオドールはまだ熱いリリィベルの隣に横たわった。そしてその手の甲に口付けた。
 その目はうつろだった。

「・・・早く熱を下げてやらないと・・・早く・・・。」
「・・・・今はまだ・・・。」

「分かってます・・・・だから・・・苦しいのです・・・・。」

 真っ赤な顔をして、苦しそうなリリィベルを見るテオドールはそのつらさを分かち合っているようだった。
 眉間にしわを寄せて、苦しそうに唇を噛みしめていた。

 ガチャっと音を立てて入ってきたのはマーガレットだった。
「リリィは大丈夫?」
「しー・・・今眠っている・・・。」
 オリヴァーにそう言われてマーガレットはふぅっと息をついた。
 そして、リリィベルの隣に横たわるテオドールを見た。

「「・・・・・・・。」」

 こんな時は、本当に不思議に思うばかりだ。
 確かに愛する者が倒れたら、苦しい。だが、2人から感じるのは・・・・

 共鳴・・・・。


 オリヴァーにも額に汗が浮かぶ程だった。

 この不思議な感覚はなんなのかと・・・・。


 やがて主治医が薬草を持ってくると、頼んだ通り、天幕の中でベリーとカタリナがリリィベルの汗を拭き、
 清潔なナイトドレスに着替えさせる。

 それを待っていたとばかりにテオドールは2人を下がらせた。

 オリヴァーとマーガレット、テオドールだけになると、オリヴァーはロスウェルを呼んだ。

「陛下、話は聞いております。」
 真面目な顔つきのロスウェルだった。
「あぁ、もう下がらせたから、早くなんとかさせないとテオドールまで熱が出るぞ。」
「・・・・?」
 ロスウェルは天幕の中の2人の影を見た。
そして、苦笑いを浮かべた。

「あぁ・・・・そのようですね。」
「お前がリリィの」

 オリヴァーがロスウェルに頼もうとした時だった。
 天幕の中からテオドールが手を出した。

「ロスウェル。俺に血を寄越せ。」


「・・・・殿下?」
「いいから早くしろ。俺の手に血を寄越せ。」

 天幕から差し出された紋様のある手だ。

 オリヴァーはため息をついた。
「だそうだ。自分で治癒魔術をすると。言う通りにしてくれ。」

「畏まりました。」
 ロスウェルは少し笑ってテオドールの手に近づき、小瓶から一滴の血をテオドールの手の甲に垂らした。


 眩い光がテオドールの手の甲から放たれる。
 スッと天幕の中に下がったテオドールの手。


 天幕の中で、黄金の光が溢れる。

「リリィ・・・今楽になるからな・・・・。」
 テオドールが、リリィベルの唇に口付けた。


 その病のすべてを吸い取るように・・・深い眠りから覚まさせるように
 愛しい姫に口付けた。




 やがて、リリィベルの浅かった呼吸が落ち着いていく。
 熱く赤く火照っていた顔色もいつもの健康的な肌を取り戻した。ただ眠っているだけのリリィベルがそこにいる。

「・・・・・・・よかった・・・・・・。」
 テオドールはリリィベルをぎゅっと抱きしめた。


 治癒魔術をハリーと研究して本当に良かったと思っている。
 もちろん、万病に効くわけではない。魔術師ではない自分ではなおの事。

 寿命には逆らえない・・・・。けれど、こうして救う事が出来る。


 そのまま、リリィベルの正常な呼吸と脈拍を確認して、テオドールは天幕から出てきた。

「もう大丈夫です・・・。」

「あぁ・・・良かった。」
 オリヴァーもほっと息をついた。この魔術が魔術師ではない皇太子が行う事はまだ試験段階にも近い。
 何かあってはといつもハラハラする。

「・・・リリィの病は治ったと言うの?」
 ただ一人、マーガレットだけがぽかんとしていた。マーガレットにはまだ説明していなかった。

「あぁ、マーガレット、それは後で私が話そう。」
「ん?ん?ん?」
 マーガレットは不思議そうだったが、ロスウェルはニコリと笑った。

「皇后陛下、大丈夫ですよ。害はありませんから。」


「あ、ちょっと俺、シャワー浴びてくるからその間リリィの側にいて下さい母上。」
「えっ、あ、わかったわ!任せて!!」
 マーガレットは、ぎゅっと意気込んでいたが、治癒魔術でリリィベルは正常だ。
 だが、ひと時でも、テオドールはリリィベルを一人にしたくはなかった。

 バスルームに移動して、熱いシャワーを浴びて、テオドールは目を閉じた。


 ・・・・もっと気を遣ってやるべきだった・・・・・。


 グレンが来た事で・・・・心身ともに余裕がなかった・・・。

 きっと、それはリリィベルも一緒だっただろう・・・・。


 俺が、張り合ったり・・・泣かせたり・・・寒くなるこの時期に試合なんかで外に居させた事。


 いろんな後悔が駆け巡った。



 落ち着いてくれ・・・と。自分に言い聞かせた。


 ただの風邪・・・・。けれど風邪とはいえ安心できない・・・・。


 リリィベルのつらそうな顔を見ると、心臓が抉り取らそうな気持ちになる。


 だが・・・治った・・・。治せたじゃないか・・・・・。



「・・・早く、リリィのところへ・・・。」
 キュッと蛇口をひねり湯を止めた。

 バスローブに身を包み、濡れた髪をそのままに部屋に戻った。

「母上、ありがとう御座いました。」
「テオ・・・もういいの?まだ髪が濡れているわ?あなたも風邪を・・。」
「俺はリリィと違って鍛えてますから大丈夫です。風邪などひきません。

 ・・・・もう俺だけで大丈夫ですから・・・・。」


 バサリと線を引く様にテオドールはそう言った。

「・・・・まぁ・・もう大丈夫だろうし・・・・戻るか、マーガレット・・・。」
「え・・・えぇ・・テオ、無理しちゃダメよ?」

「はい、母上。父上、ロスウェルもありがとう。」
 テオドールはニコリと笑って見送った。

 後ろ髪を引かれながら、三人は部屋を出た。

「・・・・・・・。」
 扉を閉めた後、マーガレットはぼーっとしていた。
「マーガレット?」
 オリヴァーが声を掛けた。
 マーガレットがオリヴァーを見つめて一言呟いた。

「・・・オリヴァー様・・・テオったらいつの間にあんなにいい男になったのかしら・・・。
 ・・・・オリヴァー様みたい・・・。」

「・・・・・・・褒めてくれているんだね?」

 オリヴァーは複雑な気持ちで笑みを浮かべた。

「・・・やっぱり・・・婚約者がいると・・・いい男になるのね・・・・。
 テオったら男っぷりが上がった気がするわ・・・・。オリヴァー様みたい・・・・。」

 ブツブツと言いながらマーガレットは歩き出した。

 その後ろ姿をむずむずした気持ちでオリヴァーは見ていた。
 隣でロスウェルが吹き出しそうな顔をしている。

「んふっ・・・良かったですね。陛下。」
「・・・・褒められてるよな?そうだよな?」
「もちろん・・・そうでしょう?とってつけたみたいとは言いませんよ。」

 ガシッっとロスウェルのわき腹を小突こうとした。
 だが案の定、守りの盾がロスウェルを守る。

「・・・・ちっ・・・・・。」
 悔しそうにオリヴァーはロスウェルを睨み舌打ちした。
「ふっ・・・・・。」
 勝ち誇った様にロスウェルは笑い、指をパチンっと鳴らして姿を消した。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

健気な美少年は大富豪に愛される

BL / 完結 24h.ポイント:3,564pt お気に入り:2,052

明日は明日の夢がある

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:44

男の娘チート転生者

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:22

賭けに負けた王太子

恋愛 / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:133

公爵様、これが夢なら醒めたくありません!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:126

付く枝と見つ

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

殿下、そんなつもりではなかったんです!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:660pt お気に入り:726

第4王子は中途半端だから探偵することにした(の続き)

経済・企業 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:3

処理中です...