湯屋「憩い湯」奇談

さち

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未来は明るいです②

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 目覚めた徨葵はまず湯浴みをしてから食事をした。いくら鬼とはいえ150年も眠っていたのだ。最初は体を慣らすためにと粥が用意され、徨葵はそれをゆっくり食べた。
 その日は玉城の計らいで伊織は憩い湯の仕事を休んだ。常磐も玉城と赤鬼、青鬼が世話をすると言って、伊織と徨葵は久しぶりにふたりきりの時間を過ごし、たくさんのことを話した。

 徨葵が目覚めたことはすぐに憩い湯の従業員に周知され、客たちも勘の鋭いものはすぐに気づいた。徨葵の知己の客たちは祝いだと言って酒を持ってきてくれて、とりあえずの置場所にした執務室はあっという間に酒樽や酒瓶、酒甕だらけになった。
「ずいぶんいただきましたね」
徨葵が目覚めた翌日、執務室にきた伊織はその光景を見て苦笑しながら呟いた。
「徨葵殿が酒が強いのは知っているが、これだけ一気に寄越されてもな」
「ふふ、毎日酒宴が開けそうですね」
呆れたような玉城の言葉に伊織が笑う。その表情からは長年の憂いが消えていた。
「伊織、徨葵殿は今日は?」
「常磐と遊んでくれるそうですよ。まだ体が鈍っているから、しばらくここで養生すると」
「そうか。では、徨葵殿がいる間に日取りを決めてしまうか」
そう言われて伊織は思わず頬を染めた。先送りにしていた祝言。徨葵が目覚めたらと言っていたもの。徨葵が目覚めた今、先送りにする理由はなくなった。
「伊織の白無垢を用意するのに少し時間がかかるだろうな」
「あ、それなら、ぜひ母のものを使いたいのですが」
「雪音殿のものを?」
伊織の言葉に玉城は驚いたように首をかしげた。徨葵と雪音は夫婦ではあったが、鬼と人間であること、すでに伊織を身籠っており、悪阻がひどかったことから祝言はあげていないと聞いていたのだ。
「祝言はあげなかったそうですが、お父さんはお母さんに白無垢を贈ったのだそうです。昔、一度だけお母さんが見せてくれました」
「そうか。それは手元にあるのか?」
「ええ。お母さんのものは全て遺してありますから。白無垢も箪笥にしまってありました」
「では出して袖を通してみないとな。直しが必要かもしれないし」
母の白無垢を着たいと言う伊織に玉城は異論を唱えなかった。愛しい女が着ることは叶わなくとも、我が子が代わりに着てくれるなら、徨葵も嬉しかろうと思ったのだ。
「徨葵殿には内密に、赤霧か青霧に言って白無垢を俺たちの部屋に移しておいたほうがいいな」
「はい。そうします。あの、稲荷神さまや、他の参号館のお客さまたちから祝言にはぜひ呼んでほしいと言われているのですが」
「それは俺も同じだ。いっそ参号館をその日は通常営業は取り止めて会場にしたらいいかと思っている」
近頃は特に参号館に顔を出すたび呼び止められて催促されていた玉城が苦笑しながら言うと、伊織もそれもありかもしれないと困ったように笑ってうなずいた。
 そうして、桜が咲き乱れる満月の夜、湯屋憩い湯参号館で玉城と伊織の祝言が執り行われることとなった。

 当日、参号館の大広間にはたくさんの神や妖が集まっていた。皆憩い湯の常連で伊織や玉城を特に気に入っている客たちだった。
 最前列には伊織の父である徨葵と伊織と玉城の子である常磐、そして各館の主任たちが並んだ。
 厳かに雅楽が奏される中、紋付き羽織袴を着た玉城と、白無垢を着た伊織が大広間に入る。参列者たちは伊織の白無垢姿にため息をついたり感嘆の声をもらしたりと様々だったが、徨葵はその白無垢を見た瞬間息をするのも忘れて目を見張った。かつて愛した女に贈った白無垢。残念ながら、それはふたりきりの時に一度しか着てもらえなかったが、まさかまだ取ってあり、まして伊織が祝言で着るとは思ってもいなかった。
「お父さん、勝手に着てしまってすみません。でも、どうしても祝言ではこの白無垢を着たかったんです」
「よく、似合っているよ。雪音も、母さんもきっと喜んでいる。ありがとう」
普段それほど大きく表情を変えることのない徨葵が伊織の白無垢姿を見て微笑みながら涙を流している。徨葵を知る参列者たちはその様子を見て感極まった表情になっていた。
 三三九度の杯を交わしてふたりで正式に夫婦になったことを宣言する。そして、伊織に最も強い加護を与えている稲荷神が参列者を代表してふたりが夫婦になることを認め、さらなる繁栄を願い祝の杯を交わす。こうしてふたりは力あるものたちの前で晴れて正式に夫婦となった。

 伊織と玉城の祝言の祝いは三日三晩行われた。参号館の営業を休んだのは祝言の当日だけだったが、客たちは酒を飲んでは風呂に入り、また酒を飲んでは歌い躍りと久方ぶりの祝い事を多いに楽しんでいた。祝言に参列しなかった客たちも次々にやってきては祝いをおいて行く。預かる弐号館と参号館の詰所はあっという間にいっぱいになってしまうありさまだった。

 祝言の祝いの祝宴も終わった晩、伊織と玉城は早々に仕事を切り上げてふたりで酒を酌み交わしていた。仕事柄夜は遅くなるので常磐はいつも赤鬼青鬼と寝ていたが、徨葵が目覚めてからは徨葵と一緒に寝るようになっていた。
「やっと明日から少し静かになるな」
「そうですね。あんなにたくさんお祝いをいただいてしまって、お返しを考えなくてはいけませんね」
ゆっくりと酒を飲みながら伊織がクスクス笑う。玉城は苦笑しながらうなずくと酒をぐいっとあおった。
「人間は祝言をあげたら新婚旅行というものに行くのだろう?お前も行きたいか?」
「急にどうしたんです?ふたりしてここを長く開けるわけにはいかないでしょう?常磐もいますし、新婚旅行なんて考えてもいませんでしたよ」
玉城の言葉に伊織が驚きながらも笑って返す。玉城はその様子に少し考えてから、懐から封筒を取り出した。
「実はな。九郎から渡されたんだが、天狗が営んでいる温泉宿があるそうだ。そこの予約をとったからふたりで行ってこいと」
「え、でも…」
突然のことに伊織が固まる。玉城は苦笑すると伊織の手を握った。
「これは従業員全員からの祝いだそうだ。俺たちがいない間は徨葵殿も手伝ってくれるらしい。今までふたりで出掛けたことなどなかったし、次はいつになるかわからない。ちょうどいい機会だと思って行ってみないか?」
玉城の言葉に伊織の頬がみるみる赤く染まる。伊織は杯をおくとぎゅっと玉城に抱きついた。
「ありがとうございます。みんなに感謝しなくてはいけませんね。あなたとふたりで旅行に行けるなんて、夢のようです」
「では決まりだな。明後日から三泊だが、ふたりでゆっくりしてこよう」
安心したように抱き締めてくる玉城に伊織は「はい!」と嬉しそうにうなずいた。

 湯屋憩い湯は長い年月が経っても変わらずそこにある。鬼と狐の夫婦の幸せの時間は始まったばかりだ。


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