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赤じゃない糸で結ばれた二人
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「こゆ、なんだか元気いっぱいだね。ヒート終わったんだ?」
休日だというのに朝からちまきを蒸している小雪に、都は困ったように微笑みかけた。
「うん。今回も三日くらいで済んだよ。……なんだか急に中華ちまきが食べたくなっちゃって。この間みんなで中華食べたからかな」
三段の蒸し器を火から下ろし、中を覗き込む。顔にかかった湯気さえ香ばしくて、小雪は満面の笑みでちまきを取り出した。
「今日の朝ご飯は焼きおにぎりだよ。ちまきが食べたかったらちまきでもいいし!理人君もそろそろ起きるかな?」
「……そうだね」
「焼きおにぎりって美味しいけど、タイミングがなぁ~。焼き立てを食べて欲しいんだけど」
理人を思い浮かべせっせとおにぎりを握っていると、都は「こんなに早くにこうなってしまうなんて……。誤算だった」と呟いて深い溜息を吐いた。
「誤算?なにが?嬉しい誤算?悔しい誤算?」
「その両方」
都の気落ちした声の後にリビングのドアが開く。小雪は飛び上がって理人を歓迎した。
「理人君おはよう!焼きおにぎりと中華ちまき、どっちがいい?」
「……ちまき?小雪さん、朝からそんなもの作ってるんですか?」
「うん。食べたくなっちゃって!蒸し立てだよ、おいしいよ」
「ふ。小雪さんがそこまで言うなら、ちまきにしようかな」
「焼きおにぎりも焼くよ!味噌がいい?醤油がいい?それともバター醤油?」
飛びつく勢いで理人に纏わりつけば、理人は小雪を眩しそうに見つめた。
「小雪さんも蒸し立て食べたいでしょう?焼きおにぎりは後でいいんじゃないですか」
「え、でも、」
「握り立ては崩れやすいし、冷ましておいた方がいいですよ」
「そっか!そうだよね!」
二人のΩは仲睦まじく食卓を整え、αの夫を招いた。
「都君、なにボーッとしてるの?早く食べよう!」
「せっかく小雪さんが朝から作ってくれたのに。蒸し器出すだけでも大変なんですから」
理人にまでチクリと言われ、都は眉を歪めた。小雪は都の機嫌が下降気味なのに気付き、「都君、モチモチしたもの好きでしょう」とちまきをよそってあげた。
自惚れではないと思う、というのは自惚れだろうか。
都に着いて来たはずなのに、ここ最近の理人はやけに小雪にくっついている。多分、おそらく、十中八九、小雪は理人に懐かれている。
「小雪さん、僕も行きます」
家を出ようとすると、理人が慌てた様子で駆けて来た。
「産直市に行くだけだよ?つまんないかもしれないよ?」
首を傾げて問えば理人はムッとして、「僕が邪魔ですか」なんて言い始めた。なんだか可笑しくて、小雪は「邪魔なんかじゃないよ。一緒に行こう」と言って自転車の鍵を車の鍵に持ち変えた。
「小雪さん、信号青になってますよ」
「小雪さん、こっちのキュウリの方が安いです」
「そういえば、小雪さんがいつも食べてるヨーグルト、切れてましたよ」
行きの車内でも、産直市でも、帰りの車内でも、何度も名前を呼ばれ、小雪は目尻を蕩けさせた。理人がムッとしてしまう前に「教えてくれてありがとう。この後スーパーにも寄ろうか」と返せば、理人は満足そうに頷いた。
「小雪さんの好きなコーヒーゼリー安くなってますよ。これでしょう?」
理人が得意気に差し出したのは小雪が好んで食べているコーヒーゼリーで、小雪は「よく分かったね」と理人の頭を撫でてやった。
小雪ははたとした。これは十九歳の取り扱いとして正しいのだろうか。けれど対・理人としては正しいらしかった。理人はおずおずと小雪の手のひらを受け止め、はにかんでいた。
「小雪さん」
理人に名前を呼ばれるたび、胸がくすぐったくなる。都に呼ばれるのとはまた違った温もりが心に灯り、この子にならなんでもしてあげたいと思ってしまう。
この気持ちは分類もできないのに際限なく胸の奥から立ち昇り、止まることを知らない。例えば理人が食事を終え一息ついている時、小雪はその満たされた横顔を見て、ホッとしたようなうっとりしたような妙な心地になる。理人が満たされると、小雪もまた満たされる。もしかしたら、本人以上に。
こんな気持ち、知らなかった。
小雪は理人に出会って、新しい感情を知った。
「小雪さん、手作りジェラートだって」
「あ、ほんとだ、おいしそ~!」
買い物袋を下げた小雪は理人の隣で声を弾ませた。
「ピオーネとスイカのジェラートは期間限定だって!」
「ああ、小雪さん、ブドウ好きですもんね」
小雪は食卓に季節の果物を欠かさない。モモやスイカ、ブドウにマンゴーまで、色々なものを出していたつもりだったのに、そんなことまで気付かれてしまうなんて。
この子、他人のことをよく見てる。
小雪は移動販売車の前でソワソワしている理人に頬を緩め、財布を取り出した。
「ねえ。見てたら食べたくなっちゃった。二つ買って分けっこしようよ」
「……まあ、いいですけど」
買ったばかりのTシャツを着た男の子がツンとしてそんなことを言う。小雪は胸をむずむずさせて「何にする?おれはもう決まっちゃった」と理人の腕を引いた。
小雪はピオーネとレモンのダブル、理人はカフェラテとミルクのダブルを注文し、二人はジェラート片手にスーパーのベンチで隣り合った。
「ん~!ほっぺたがキュンとする!理人君もどうぞ」
匙で紫色を掬い差し出せば、理人は躊躇なく匙を食んだ。それでも甘え慣れているという印象はなく、小雪は理人という男の子を不思議に思った。
「お兄ちゃんともこうやって分けっこした?」
「……兄ですか」
理人の声がかすかに強張る。
「そんなこともあったかもしれません」
理人は焦香色を匙に取り小雪へ向けた。「小雪さんもどうぞ」平然とそうする理人に小雪の方が狼狽えてしまう。けれどおそらく、理人がカフェラテ味を選んだのは小雪がコーヒーを好んでいるからで、小雪は黙って匙を食んだ。
「小雪さんは都さんと長いんですよね?お二人はどこで出会ったんですか?」
「都君とはね、おれが新米看護師の頃に出会ったの。ハンガーストライキって分かる?」
「相手が要求を飲むまで断食するやつですよね?」
「そう。それをね、都君は政府相手に起こして、熱中症でころっと倒れて。おれの勤めてた病院に運ばれて来たの」
当時大学院生だった都は、ある法案に反対して大学の中庭でハンガーストライキを決行した。通常、ハンガーストライキは医師や看護師の見守りのもと行われるが、都はたった一人で政府に向かっていった。炎天下のテントの中、静寂と空腹に包まれ、けれど彼の瞳は狂ったように燃えていたのだと思う。
――この真夏日に……。アホか。んなので政府がどうにかなるわけねぇだろ。
小雪が働いていたのは地域医療の中核を担う県立病院で、玉突き事故の負傷者と同時刻に運ばれて来た都は集中砲火的に医師の苛立ちを浴びた。
救命救急センターは患者で溢れ、それでも都は適切な医療へ繋がり、その日の内に大部屋へ移された。小雪が病棟の看護師に申し送りを済ませ病室を出ようとしたその時、都がぽつりと呟いた。
――アホなのは、おれじゃない、あいつらだ。
振り返ると、都は天井を睨み言葉を投げていた。まるで、そこから言霊が跳ね返って自分へ返り、挫かれた意志がまた戻って来るのだという顔をして。
都は断食六日目にして身体を挫かれ、黄色のテントを退いた。それは彼にとって紛れもない敗北だった。
――声を上げないと。上げても届かないのに、上げなければ絶対に届かない。Ωに貞操帯の着用を義務付けるなんて間違ってる。法案を通したいのならαにも口枷の装着を義務付けたらどうだ。あいつらは間違ってる。絶対に間違ってる。
その怒りは、ともすれば独りよがりで幼稚だった。なのに、小雪の心の襞に染み入るように馴染んだ。
当時、Ωを巡る性犯罪が後を絶たず、未成年者の被害拡大を受けて『未成年のΩに貞操帯の着用を義務付ける』という法案が打ち出されていた。
Ωである小雪はゾッとした。貞操帯を着用することで守られるのは未来の番の椅子のみ。“しるし”があることでΩが可視化され、当事者が望まない視線を浴びることになる。それも、未成年の多感な時期に。Ωの立場に立った法案だとはとても思えなかった。
――東神田さん。
小雪は気付くと彼の名前を呼んでいた。
――あなたは、ア……アホなんかじゃない。先生の代わりに謝ります。ごめんなさい。
小雪は頭を下げた。ごめんなさい、でない気持ちも伝えたくて、深く、長く。
小雪の周囲では話題にもならなかった法案を彼が知っていて、当事者以上に怒り、行動してくれたこと。小雪にはそれが心が震えるほど嬉しかった。
都は瞳を歪め布団に潜った。小雪は彼が彼自身の悲しみや悔しさの為に泣けるように、そっと席を外した。
結局、法案は通らなかった。都のストライキが実ったのではなく、よく考えれば誰もが疑問を抱く法案だったからだ。けれど、そういう考えが法案として成り立つ、そのこと自体が、小雪には苦しかった。
「都さん、昔はもっと繊細だったんですね。……じゃあ、都さんは入院先の看護師さんをナンパしちゃったんだ?」
「やだ。違うよ。病院ではちゃんと看護師と患者さんだったよ」
にやついてしまう口元に匙を押し込めば、理人は「でも、連絡先は交換したんでしょう?」と片頬を上げた。
「ううん。してない。……してなかったけど、偶然再会して」
都の退院から少しして、二人は駅構内のコンビニというなんとも色気のない場所で再会した。話しかけてくれたのは都だけれど、小雪だってコンビニのドアをくぐった瞬間から都の存在に気付いていた。昼時だったから、二人で喫茶店に入り軽食をとって、ついでのように連絡先を交換して、デートを繰り返して、やっとの思いで結ばれた。
その頃、小雪は自身がΩだということを都に明かしていなかったし、都がαであることにも気付いていなかった。
――あのね。おれ、Ωなの。
付き合って三か月が経ち、不安定なヒートの為にデートをキャンセルすることが増えΩであることを打ち明けると、都はしばし言葉を失った。
多くのβは本能的にΩを避ける。生物として秀でたαたちに奪い合うように愛されているΩは、平穏を愛するβにとって忌避すべき存在だ。
小雪は都の心変わりの可能性に気が付き、心を凍りつかせた。
都君と別れるなんていや。どうしても傍にいたい。
そこまで思って小雪ははたとした。いや、なんて、どうしても、なんて、今まで思ったことがあっただろうか。
――こゆ。
都は小雪の瞳を覗き込んだ。
――こゆ、おれ、αなんだ。……こんなことってあるのか。
互いのフェロモンに気付けなかった二人は、間違いなく運命の番ではなかった。他人から言わせれば、都と小雪の出会いは運命というより偶然で、けれど小雪にとっては、かけがえのない運命だった。自分がΩとして欠けていればこそ、互いの素性を知らずに出会えたからこそ、ありのままの都とありのままの自分で結ばれることができた。これを運命と言わずして、何を運命と言うのだろう。
嬉しかった。Ωであることを抜きにして、都とただ気持ちだけで結ばれたことが、自分そのものを都に愛してもらえたことが。
「恥ずかしい。運命の番の理人君の前でこんな話。つまんないでしょう。普通過ぎるよね」
肩を竦めて笑えば、理人は首を振った。
「つまらなくなんてないです」
理人は小雪の手に触れ、そっと握った。顔の半面に視線を感じ、小雪はおずおずと理人を見やった。
「理人君は?理人君と都君の馴れ初めも聞かせてよ」
「……それはまた今度。おうちで都さんが待っていますよ」
はぐらかされ、「えーっ!」とむくれた声を上げると、理人は涼しく微笑み、「僕が持ちます」と言って買い物袋を持ってくれた。
都と出会えていなければ、理人とも出会えなかった。そう気付くとやはり、都との出会いは運命だったのだと思えてならなかった。
「おかえり。二人きりのデートはどうだった?」
リビングでノートパソコンを広げていた都はいたずらっぽく小雪を揶揄った。
「楽しかったよ。ねえ、理人君」
「まあそうですね。退屈はしませんでした」
すました顔の理人に、都と小雪は顔を見合わせて微笑んだ。
「お昼は冷やし中華ですか?」
「あ、うん、そのつもりだけど」
野菜を下処理するものとそうでないものに分けていると、理人の手が小雪の腕に触れた。
「僕が作りますから、小雪さんは休んで。クマできてますよ」
目の下を指先でなぞられ、小雪は固まった。庇護下にあるとばかり思っていた男の子が年上の小雪を気にかけそんなことを言う。小雪はむずがゆさを隠しきれずに目尻を下げた。
「じゃあ、料理はお願いしようかな」
野菜の仕分けに戻り、小雪は産直市で購入したはずの小玉スイカがないことに気付いた。
「スイカ、車に入れっぱなしにしてるかも。取って来るね」
急いで廊下に出れば、スイカは上がり框のきわに転がっていた。肩を撫で下ろしスイカに手を伸ばすと、リビングのドアが開き、昼間でも暗い廊下に一筋の光が伸びた。
「小雪さん?」
理人の声に背を叩かれ、小雪はスイカを抱えて理人を振り返った。
「こんなところに一人ぼっちにしちゃってたみたい」
スイカを撫でながらそう言えば、小雪の肩に理人の手が触れた。
甘い香りのする唇が、小雪の唇の形を崩した。都の唇とは全く違うその感触に、小雪は胸の中のスイカを抱きしめた。
理人の口づけは優しかった。優しかったからこそ、小雪の心は火がついたように掻き乱された。
おれ、理人君と、キスして――。
「小雪さん、冷やし中華のタレ、ラー油入れていいですか」
「え、あ、うん、理人君がいいなら……」
理人は「分かりました」と言い、小雪の腕からスイカを抜いてリビングへ戻って行った。クーラーの冷気が届かないこの場所は、ひどく蒸し暑かった。
休日だというのに朝からちまきを蒸している小雪に、都は困ったように微笑みかけた。
「うん。今回も三日くらいで済んだよ。……なんだか急に中華ちまきが食べたくなっちゃって。この間みんなで中華食べたからかな」
三段の蒸し器を火から下ろし、中を覗き込む。顔にかかった湯気さえ香ばしくて、小雪は満面の笑みでちまきを取り出した。
「今日の朝ご飯は焼きおにぎりだよ。ちまきが食べたかったらちまきでもいいし!理人君もそろそろ起きるかな?」
「……そうだね」
「焼きおにぎりって美味しいけど、タイミングがなぁ~。焼き立てを食べて欲しいんだけど」
理人を思い浮かべせっせとおにぎりを握っていると、都は「こんなに早くにこうなってしまうなんて……。誤算だった」と呟いて深い溜息を吐いた。
「誤算?なにが?嬉しい誤算?悔しい誤算?」
「その両方」
都の気落ちした声の後にリビングのドアが開く。小雪は飛び上がって理人を歓迎した。
「理人君おはよう!焼きおにぎりと中華ちまき、どっちがいい?」
「……ちまき?小雪さん、朝からそんなもの作ってるんですか?」
「うん。食べたくなっちゃって!蒸し立てだよ、おいしいよ」
「ふ。小雪さんがそこまで言うなら、ちまきにしようかな」
「焼きおにぎりも焼くよ!味噌がいい?醤油がいい?それともバター醤油?」
飛びつく勢いで理人に纏わりつけば、理人は小雪を眩しそうに見つめた。
「小雪さんも蒸し立て食べたいでしょう?焼きおにぎりは後でいいんじゃないですか」
「え、でも、」
「握り立ては崩れやすいし、冷ましておいた方がいいですよ」
「そっか!そうだよね!」
二人のΩは仲睦まじく食卓を整え、αの夫を招いた。
「都君、なにボーッとしてるの?早く食べよう!」
「せっかく小雪さんが朝から作ってくれたのに。蒸し器出すだけでも大変なんですから」
理人にまでチクリと言われ、都は眉を歪めた。小雪は都の機嫌が下降気味なのに気付き、「都君、モチモチしたもの好きでしょう」とちまきをよそってあげた。
自惚れではないと思う、というのは自惚れだろうか。
都に着いて来たはずなのに、ここ最近の理人はやけに小雪にくっついている。多分、おそらく、十中八九、小雪は理人に懐かれている。
「小雪さん、僕も行きます」
家を出ようとすると、理人が慌てた様子で駆けて来た。
「産直市に行くだけだよ?つまんないかもしれないよ?」
首を傾げて問えば理人はムッとして、「僕が邪魔ですか」なんて言い始めた。なんだか可笑しくて、小雪は「邪魔なんかじゃないよ。一緒に行こう」と言って自転車の鍵を車の鍵に持ち変えた。
「小雪さん、信号青になってますよ」
「小雪さん、こっちのキュウリの方が安いです」
「そういえば、小雪さんがいつも食べてるヨーグルト、切れてましたよ」
行きの車内でも、産直市でも、帰りの車内でも、何度も名前を呼ばれ、小雪は目尻を蕩けさせた。理人がムッとしてしまう前に「教えてくれてありがとう。この後スーパーにも寄ろうか」と返せば、理人は満足そうに頷いた。
「小雪さんの好きなコーヒーゼリー安くなってますよ。これでしょう?」
理人が得意気に差し出したのは小雪が好んで食べているコーヒーゼリーで、小雪は「よく分かったね」と理人の頭を撫でてやった。
小雪ははたとした。これは十九歳の取り扱いとして正しいのだろうか。けれど対・理人としては正しいらしかった。理人はおずおずと小雪の手のひらを受け止め、はにかんでいた。
「小雪さん」
理人に名前を呼ばれるたび、胸がくすぐったくなる。都に呼ばれるのとはまた違った温もりが心に灯り、この子にならなんでもしてあげたいと思ってしまう。
この気持ちは分類もできないのに際限なく胸の奥から立ち昇り、止まることを知らない。例えば理人が食事を終え一息ついている時、小雪はその満たされた横顔を見て、ホッとしたようなうっとりしたような妙な心地になる。理人が満たされると、小雪もまた満たされる。もしかしたら、本人以上に。
こんな気持ち、知らなかった。
小雪は理人に出会って、新しい感情を知った。
「小雪さん、手作りジェラートだって」
「あ、ほんとだ、おいしそ~!」
買い物袋を下げた小雪は理人の隣で声を弾ませた。
「ピオーネとスイカのジェラートは期間限定だって!」
「ああ、小雪さん、ブドウ好きですもんね」
小雪は食卓に季節の果物を欠かさない。モモやスイカ、ブドウにマンゴーまで、色々なものを出していたつもりだったのに、そんなことまで気付かれてしまうなんて。
この子、他人のことをよく見てる。
小雪は移動販売車の前でソワソワしている理人に頬を緩め、財布を取り出した。
「ねえ。見てたら食べたくなっちゃった。二つ買って分けっこしようよ」
「……まあ、いいですけど」
買ったばかりのTシャツを着た男の子がツンとしてそんなことを言う。小雪は胸をむずむずさせて「何にする?おれはもう決まっちゃった」と理人の腕を引いた。
小雪はピオーネとレモンのダブル、理人はカフェラテとミルクのダブルを注文し、二人はジェラート片手にスーパーのベンチで隣り合った。
「ん~!ほっぺたがキュンとする!理人君もどうぞ」
匙で紫色を掬い差し出せば、理人は躊躇なく匙を食んだ。それでも甘え慣れているという印象はなく、小雪は理人という男の子を不思議に思った。
「お兄ちゃんともこうやって分けっこした?」
「……兄ですか」
理人の声がかすかに強張る。
「そんなこともあったかもしれません」
理人は焦香色を匙に取り小雪へ向けた。「小雪さんもどうぞ」平然とそうする理人に小雪の方が狼狽えてしまう。けれどおそらく、理人がカフェラテ味を選んだのは小雪がコーヒーを好んでいるからで、小雪は黙って匙を食んだ。
「小雪さんは都さんと長いんですよね?お二人はどこで出会ったんですか?」
「都君とはね、おれが新米看護師の頃に出会ったの。ハンガーストライキって分かる?」
「相手が要求を飲むまで断食するやつですよね?」
「そう。それをね、都君は政府相手に起こして、熱中症でころっと倒れて。おれの勤めてた病院に運ばれて来たの」
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振り返ると、都は天井を睨み言葉を投げていた。まるで、そこから言霊が跳ね返って自分へ返り、挫かれた意志がまた戻って来るのだという顔をして。
都は断食六日目にして身体を挫かれ、黄色のテントを退いた。それは彼にとって紛れもない敗北だった。
――声を上げないと。上げても届かないのに、上げなければ絶対に届かない。Ωに貞操帯の着用を義務付けるなんて間違ってる。法案を通したいのならαにも口枷の装着を義務付けたらどうだ。あいつらは間違ってる。絶対に間違ってる。
その怒りは、ともすれば独りよがりで幼稚だった。なのに、小雪の心の襞に染み入るように馴染んだ。
当時、Ωを巡る性犯罪が後を絶たず、未成年者の被害拡大を受けて『未成年のΩに貞操帯の着用を義務付ける』という法案が打ち出されていた。
Ωである小雪はゾッとした。貞操帯を着用することで守られるのは未来の番の椅子のみ。“しるし”があることでΩが可視化され、当事者が望まない視線を浴びることになる。それも、未成年の多感な時期に。Ωの立場に立った法案だとはとても思えなかった。
――東神田さん。
小雪は気付くと彼の名前を呼んでいた。
――あなたは、ア……アホなんかじゃない。先生の代わりに謝ります。ごめんなさい。
小雪は頭を下げた。ごめんなさい、でない気持ちも伝えたくて、深く、長く。
小雪の周囲では話題にもならなかった法案を彼が知っていて、当事者以上に怒り、行動してくれたこと。小雪にはそれが心が震えるほど嬉しかった。
都は瞳を歪め布団に潜った。小雪は彼が彼自身の悲しみや悔しさの為に泣けるように、そっと席を外した。
結局、法案は通らなかった。都のストライキが実ったのではなく、よく考えれば誰もが疑問を抱く法案だったからだ。けれど、そういう考えが法案として成り立つ、そのこと自体が、小雪には苦しかった。
「都さん、昔はもっと繊細だったんですね。……じゃあ、都さんは入院先の看護師さんをナンパしちゃったんだ?」
「やだ。違うよ。病院ではちゃんと看護師と患者さんだったよ」
にやついてしまう口元に匙を押し込めば、理人は「でも、連絡先は交換したんでしょう?」と片頬を上げた。
「ううん。してない。……してなかったけど、偶然再会して」
都の退院から少しして、二人は駅構内のコンビニというなんとも色気のない場所で再会した。話しかけてくれたのは都だけれど、小雪だってコンビニのドアをくぐった瞬間から都の存在に気付いていた。昼時だったから、二人で喫茶店に入り軽食をとって、ついでのように連絡先を交換して、デートを繰り返して、やっとの思いで結ばれた。
その頃、小雪は自身がΩだということを都に明かしていなかったし、都がαであることにも気付いていなかった。
――あのね。おれ、Ωなの。
付き合って三か月が経ち、不安定なヒートの為にデートをキャンセルすることが増えΩであることを打ち明けると、都はしばし言葉を失った。
多くのβは本能的にΩを避ける。生物として秀でたαたちに奪い合うように愛されているΩは、平穏を愛するβにとって忌避すべき存在だ。
小雪は都の心変わりの可能性に気が付き、心を凍りつかせた。
都君と別れるなんていや。どうしても傍にいたい。
そこまで思って小雪ははたとした。いや、なんて、どうしても、なんて、今まで思ったことがあっただろうか。
――こゆ。
都は小雪の瞳を覗き込んだ。
――こゆ、おれ、αなんだ。……こんなことってあるのか。
互いのフェロモンに気付けなかった二人は、間違いなく運命の番ではなかった。他人から言わせれば、都と小雪の出会いは運命というより偶然で、けれど小雪にとっては、かけがえのない運命だった。自分がΩとして欠けていればこそ、互いの素性を知らずに出会えたからこそ、ありのままの都とありのままの自分で結ばれることができた。これを運命と言わずして、何を運命と言うのだろう。
嬉しかった。Ωであることを抜きにして、都とただ気持ちだけで結ばれたことが、自分そのものを都に愛してもらえたことが。
「恥ずかしい。運命の番の理人君の前でこんな話。つまんないでしょう。普通過ぎるよね」
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「つまらなくなんてないです」
理人は小雪の手に触れ、そっと握った。顔の半面に視線を感じ、小雪はおずおずと理人を見やった。
「理人君は?理人君と都君の馴れ初めも聞かせてよ」
「……それはまた今度。おうちで都さんが待っていますよ」
はぐらかされ、「えーっ!」とむくれた声を上げると、理人は涼しく微笑み、「僕が持ちます」と言って買い物袋を持ってくれた。
都と出会えていなければ、理人とも出会えなかった。そう気付くとやはり、都との出会いは運命だったのだと思えてならなかった。
「おかえり。二人きりのデートはどうだった?」
リビングでノートパソコンを広げていた都はいたずらっぽく小雪を揶揄った。
「楽しかったよ。ねえ、理人君」
「まあそうですね。退屈はしませんでした」
すました顔の理人に、都と小雪は顔を見合わせて微笑んだ。
「お昼は冷やし中華ですか?」
「あ、うん、そのつもりだけど」
野菜を下処理するものとそうでないものに分けていると、理人の手が小雪の腕に触れた。
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目の下を指先でなぞられ、小雪は固まった。庇護下にあるとばかり思っていた男の子が年上の小雪を気にかけそんなことを言う。小雪はむずがゆさを隠しきれずに目尻を下げた。
「じゃあ、料理はお願いしようかな」
野菜の仕分けに戻り、小雪は産直市で購入したはずの小玉スイカがないことに気付いた。
「スイカ、車に入れっぱなしにしてるかも。取って来るね」
急いで廊下に出れば、スイカは上がり框のきわに転がっていた。肩を撫で下ろしスイカに手を伸ばすと、リビングのドアが開き、昼間でも暗い廊下に一筋の光が伸びた。
「小雪さん?」
理人の声に背を叩かれ、小雪はスイカを抱えて理人を振り返った。
「こんなところに一人ぼっちにしちゃってたみたい」
スイカを撫でながらそう言えば、小雪の肩に理人の手が触れた。
甘い香りのする唇が、小雪の唇の形を崩した。都の唇とは全く違うその感触に、小雪は胸の中のスイカを抱きしめた。
理人の口づけは優しかった。優しかったからこそ、小雪の心は火がついたように掻き乱された。
おれ、理人君と、キスして――。
「小雪さん、冷やし中華のタレ、ラー油入れていいですか」
「え、あ、うん、理人君がいいなら……」
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