二人静

幻夜

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一、

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 「斎藤、ちょっと来い」
 
 その呼び声に、読んでいた本から斎藤は顔を上げた。
 見ると先程から庭先に佇んでいた沖田が手招きしている。
 
 読みかけの頁へしおりを挟み、斎藤は立ち上がった。
 「何だ」
 縁側に立ち、沖田の視線の先を仰ぎみようとした。
 
 「降りてこいよ。そこからじゃ見えない」
 
 言われたとおり庭下駄をつっかけ降り立つ。
 沖田の隣へと移り、再び空を見上げた瞬間、斎藤は息を呑んだ。
 
 「見事だと思わないか」
 立ち尽くした斎藤の横顔を、沖田が満足そうに上から覗き込んでくる。

 「ああ・・すごい」
 見上げたまま答えた斎藤の上、桜の枝がさわさわと揺れ。
 そのふちどりの向こうに、まさに満ち時を迎えた月が、空高くそびえていた。
 
 「そうだ、豊玉さんに見せよう」
 「・・は?」
 斎藤は月から目を離した。
 沖田が向こう側の部屋連へと向かってゆく。

 (豊玉・・?)
 訝る斎藤の視線の先、沖田は庭下駄を捨てると副長の部屋の前に立った。
 「土方さん、入りますよ」
 声をかけるなり、沖田はもう障子を開けている。
 「総司っ!許可を聞いてから開けろと何回言わすつもりだ!」
 案の定、土方の怒鳴り声が続いた。
 沖田のほうはけろりとして、
 「仕事の一休みに月見でもいかがです?」
 言いながら提案とは思えない強引さで、机前に座していた土方の腕を引き上げた。

 斎藤はつくづく、副長の土方にああいう行動をとれ得るのは沖田だけだと思う。
 新選組をここ京に結成する前の、まだ江戸に居た頃より長いつきあいの二人は、はたからみると兄弟よりも近しい。
 なかにはあの二人を色仲だと噂する者もいるほどだ。真偽のほどは分からないが、 二人にはそれぞれ深い仲の女が遊里にいる以上、恋愛関係のない、本当に義兄弟といった仲なのではないか。
 そんなことを斎藤が考えているうちに、沖田に引っ張られて土方が庭へ降りてきた。
 
 「なんだ、斎藤も居たのか」
 斎藤の姿を見つけると土方は沖田から腕を振り解き、自分で歩きだした。
 そんな土方を可笑しそうに見やり、沖田が再び斎藤の隣に立つ。
 その沖田の隣へ土方は来ると、沖田の見上げる空へと己も視線を馳せた。
 「すげえ・・!」
 とたん、溜息まじりの歓声が土方から漏れ出た。
 
 「できます?一句」
 沖田がにこにこと微笑んで土方を向く。
 土方はぎょっとした顔で沖田の腕をつねった。

 「痛ててっ、いいじゃないですか斎藤になら知られても」

 (副長は句を練るのか・・!?)

 唖然とした表情で己を見やる斎藤の視線に、土方は顔を赤らめる。
 「ほんのたまに詠んでみたくなるだけだっ」
 斎藤のもとに、聞いてもないのに言い訳めいた台詞が飛んできた。
 「はあ・・しかし、」
 (副長のことだ、さぞ旨い句を詠まれるのだろう)
 「できれば、聞かせてもらえませんか」
 「えっ」
 さらにぎょっとした様子で声を上ずらせた土方に、だが斎藤のほうが慌てた。
 「いえ、もしよろしければというだけで・・」
 二人の間に立ったまま沖田が愉しげに、くっと喉を鳴らす。

 「で、では旧作だが一句」
 こほん、と土方は前置きをおいた。

 「山門を、見こして見ゆる、春の月・・かな」
 
 沖田が突然、斎藤のほうを向いた。
 土方から見えないように背を向けながら、目尻を下げて今にも噴き出しそうな顔になっている。
 斎藤はその顔にも驚いたが、何より土方が今詠んだ句に目を丸くしてしまった。
 今のは本当に土方の句なのだろうか。
 ひねりも何もあったもんではない、そのまんまの句ではないか。
 
 「か・・佳句でした」
 醜聞では、同副長であった山南と権力闘争をし彼をおとしめたとさえ叩かれている土方が、これほどに一直線な句を詠むと、誰が想像し得るだろう。

 「佳句・・そ、そうか?」

 斎藤のあからさまな世辞に気づかないのか、土方が目を輝かせている。
 「今度俺の発句集も見てもらいたい」

 (発句集・・・)
 発句集ができるほどにやはり土方は句を詠んでいるらしい。
 とすれば豊玉というのが雅号だろうか。
 
 ますます丸くなったままの目が戻らない斎藤の前では、沖田が今にもこみ上げる笑いに苦しんでいた。
 「・・総司、斎藤のほうばっか見て、どうしたんだ」
 土方が心なしか剥れたような顔をした。

 「いや、斎藤の頭に何か虫が乗っかってるようなんで」

 「「は?」」
 斎藤と土方の声が重なった。
 沖田がなおも土方を向かずに、これ見よがしに斎藤の頭上に視線を這わせるふりをする。だがどう見てもその目は何かを追っているようではない。
 
 斎藤より少し小さい背丈の土方は、一際背の高い沖田の視線位置に届くよう爪先立つと、斎藤の頭上を覗こうとした。
 「おっと、飛んでってしまいましたよ」
 すでに笑みに包まれていた顔を、まるで今ちょうど笑ませたように見せかけて沖田はようやく土方のほうを向いた。
 「虫もあの月を鑑賞していたのでしょうね」
 狐につままれたような顔をしてその言葉に土方が、ふん、と頷いた。



 「沖田、さっきのは・・」
 部屋に戻ってすぐ、斎藤は問うた。
 「ああ、虫?」
 「あれ嘘だろう」

 沖田は声もなく笑った。

 「ほんと可愛いひとだ」

 「かっ・・」
 憤然とした斎藤に、沖田は一瞬驚いたような顔をした。がすぐに、ああ、と微笑い、
 「土方さんがな」
 付け足した。

 (なんだ副長のことか)

 沖田は面白いものでも見るような目を斎藤に向けた。
 「自分のことだと思ったのか?」
 「五月蝿い、」
 からかう沖田に斎藤は睨みをくれた。
 「気色悪いこと聞くな」
 が、
 「そうか?」
 沖田は意外そうな声を出した。
 「おまえも ”可愛い” には違いないよ」
 「・・・!?」
 思わず襟元を押さえて後退さった斎藤に、沖田は人の悪い笑みを浮かべる。
 「冗談だ」
 言い置いて布団へ潜り込むと、一気に顎まで引き上げ、
 「そういや、明日非番だろおまえ。つきあってもらいたい所があるんだが、いいか?」
 「今の、万死に値する台詞を二度と吐かないと約束したらな・・ッ」
 鳥肌を立てている斎藤を沖田は一瞥すると、はいはい、とばかりに笑って頷く。
 「明日つきあってくれりゃ吐かないと約束するよ」

 その返事に憤慨した斎藤が背を向けて布団をかぶったところで、二人の同室一夜目は幕を下ろした。
        




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