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十九、
しおりを挟む次の朝。斎藤たちは伊東と落ち合い、藤堂が根回ししておいた道場をいくつか回った。
かつて江戸に居たころ、斎藤が修行に回って歩いた道場もあり。胸に膨らむ感慨に浸るのは、だが斎藤だけではないようだった。土方もまた、同じように修行に回ったことがあるのだろう。其々の道場の看板を見上げる目が、なにかを物語っていた。
「では、また」
夕暮れも間近、昨日と同じように、家に帰る伊東と別れ斎藤たちは常宿へと足先を向けた。
明日は土方だけ一人、故郷の日野へ挨拶に戻る。その間は、伊東がなにか勝手に事を起さぬよう彼についてまわるようにと、斎藤は土方に言い含められている。
「じゃ、俺もこれで・・」
道の途中で、藤堂は立ち止まり、二人を見やった。
藤堂のほうは明日、江戸外れの道場をひとり訪ねて回るため、別の宿に移ることになっていた。土方が休みの間に、根回しが未だ終えていない道場を改めてしらみつぶしに回る為だ。
「ああ、お疲れ」
・・・昨夜から。
藤堂とのやりとりは、言葉少なだった。
「・・・・」
去ってゆく背を見送りながら、斎藤は小さく溜息を零し。土方を見やった。
「斎藤・・行くぞ」
どうしようもない。
分かっていても。時が解決するような事ではないだろうに、このまますれ違うままでいくのかと、斎藤はどうにもならない憤りをおぼえていた。
「藤堂のことは・・いつか。伊東を葬ったその時に・・」
土方は語尾を濁し、斎藤から目を逸らした。
(その時に・・・何だ)
藤堂は伊東を師として心酔しているというのに。
その伊東を暗殺した後に、じつはこうこうこうだったと告げる気なのか。
(そんな馬鹿な)
「副長・・」
「今日はゆっくり休もう」
「・・・」
宿へと入ってゆく土方の、言葉の向こうが分からず。
部屋に戻るなり風呂の支度を始める土方の横で、斎藤は黙したまま居たたまれなさに窓の外を見やった。
(・・・分かっている)
「おまえは入らないのか」
こうして心を囚われていても仕方が無いと。
分かっているのだ。
「・・入ります」
斎藤は念を払うように、ゆっくりと窓へ背を向け。己の荷物の口に手をかけた。
取り出した手ぬぐいの端に絡まるように引っかかっていた矢立に、土方が気づいたのはその直後だった。
「斎藤」
手ぬぐいの端から転がり落ちた矢立に、土方が手を伸ばし。
はっとして同じく手を伸ばした斎藤の指先で、さっと矢立は土方の手に攫われた。
「これ、・・誰からもらった」
土方の眼が鋭く締まり、その細い手に握られた矢立がまるで軋んだような気がした。
土方がなにを訴えようとしているのか。
「沖田からですが」
分かるからこそ、その馬鹿馬鹿しさを感じて斎藤はぶっきらぼうに答えていた。
「そいつは奇遇だな。俺も総司から矢立をもらったぜ」
土方の中で燻っていたものなら。
「そうですか」
すでに斎藤は、感じている。
土方が、沖田の斎藤へ対する深い信頼を知った頃から。
土方の中で燻っていたその悋気が。時折斎藤に向かって揺れていたのを。
「・・・斎藤」
声を落として斎藤の前に膝をついた土方を、斎藤は静かに見あげた。
どんな非難も、不当なものだと言い返す自信があった。
「おまえは俺が抱けるか」
「・・・え?」
突然。
だが予想もしなかった言葉を耳に、斎藤の思考は途絶えた。
(いま、なんと?)
「斎藤」
どこか思い詰めたような表情を口元に浮かべ、
細く白い指が斎藤の襟もとを開いて。
「副長・・なにを」
声が掠れ。斎藤は後退さるように背後に両手をついた。
「抱いて、くれ」
「副長・・!」
斎藤の肌を這ってゆく土方の手は性急に下って、斎藤の下帯へと辿り。
「おやめください・・っ」
「・・・綺麗な肌、だな」
「っ!」
ぽつり、僅かに歪んだ微笑を浮かべて呟いた土方の、手を斎藤は慌てて掴んだ。
「疲れてらっしゃるんですか」
迸るような、土方の艶やかなさまに。己の身を蹂躙する強引な気配を前に。それでも土方を救うような言葉を探して斎藤は、掴んだ手を放るように離した。
土方の眼の奥に、苦しげな色が堕ちて。
「・・・ああ、悪い、・・確かに疲れているのかもしれない、・・どうかしていたようだ」
忘れてくれ、と。
悲鳴のような囁きを残し、土方はさっと立ち上がった。
出てゆく背が消えた先を、斎藤は暫く見つめていた。
その身を斎藤に抱かせて、斎藤の中の何を取り戻させようとしたのか、・・いや、何を奪おうとしたのか。
その答えが。やがて幾ばくもしないうち、斎藤の胸中を深い衝撃をもって侵食しはじめた。
(沖田・・)
むしろ土方があのように誘ってきたことで気づいてしまった、それが。
斎藤の内に、溢れだして止まらないままに。
斎藤はそっと、畳に転がった矢立を手にとった。
(沖田)
「おきた・・」
己の口から掠れて零れた声に、斎藤はびくりと肩を震わせた。
泣きたいような、叫び出したいような、どうしようもない感情に。斎藤は駆られながら矢立を握り締めていた。
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