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三十一、
しおりを挟む「・・・用は済んだのか」
入ってきた沖田を土方が筆を置いて見上げた。
「もう寝てなくていいの」
気遣うような眼になり土方の隣へ座った沖田に、土方は向き直り。
「・・・ああ」
答えながら。
胸内を締め付け続ける痛みに耐えて、沖田を見据えた。
先程の、
短い間、意識を落としていた土方は、
目を覚まして、己の髪を梳かれている感触に、枕の隣に座す沖田を見上げた。
「歳さん、」
目を開けた土方を見下ろし沖田は、土方の髪を梳くその手を止めず、
「黙っていてごめん」
ゆっくりと、聞かせるように。囁き。
「貴方はきっと、それまで以上に苦しむだろうから、・・言えなかった」
「・・本当なのか」
抑えきれぬ悲しみが互いの胸内に鉛を落としていた。
「本当、なのか。・・・あと三年・・・も、しないうちに」
土方は込み上げてくる嗚咽に。
口を噤み、きつく唇を噛み締め。
「三年も、無いかもしれない」
沖田の手が流れて土方の頬を伝う涙を拭った。
「総司、・・」
だから、
「斎藤に・・託すと。言ったのか」
あんたが望むなら喜んで託されてやる
そう言った斎藤の声が、部屋の前の廊下まで来た土方のもとへ、障子越しに聞こえた。
(”託されてやる”・・?)
どういうことかと耳を傾けた、その時、
あと何年生きられるのか問う、斎藤の声が落ち。
病の事を斎藤に打ち明けたのかと、土方が知った刹那に、
三年と。答えた沖田の声を聞いた。・・・・
「おまえは・・っ・・もっと、初期で軽い症状だから、三年の間は」
医者に問題無いと言われたと。
「そう言ったじゃねえか。だから、俺は・・っ」
土方は。
沖田に病を、―――何か予期せぬ事が、病のせいで万一起きた時の為にと前もって――打ち明けられたその時、
医者から療養無しで三年は問題無いと告げられたと、沖田が言ったのを受けて、
ならばその三年の間だけは沖田の望むとおり隊に居ていいと。そういう条件をつけた。
――――沖田がその条件で三年後に江戸に帰り、長い闘病生活に入る時の、近藤や己にとっての無二の支えが無くなるそんな強い不安と、
沖田の病の万が一の悪化への恐怖と、どうしようもない憤りに、苦しみながら。
それなのに、事態はもっと、・・・・
「三年は今の生活をしていても大丈夫なのではなくて、・・今の生活をしていれば三年しか生きれないというほうか。医者が言ったのは」
土方の髪を撫でていた手を止め。沖田が頷いた。
沖田が―――己の肺に巣くう病を知ったのは偶然だった。
池田屋。
二階を一手に引き受けた沖田は、中途で己を襲った吐き気のなか、相手方を一掃するまでは気を保った、
最後の一人を討ち取ったと粗同時に沖田はそれまで張っていた気ごと堕ちるように崩れ。
あのとき二階は相当な熱気に覆われていた。その時期の折からの猛暑と相重なったその異常な熱に、中てられたのだろうと。
翌朝、そう予想したとおり熱中症であったと診断され、
だが同時に沖田はその時に問診していた医者に、肺に病があるようだと、思いもよらぬ病名を告げられたのだった。
池田屋の際にあの極熱の二階に居なければ。今も本道の医者になどかかる機会も無いまま、この労咳の存在を知らぬままでいたのではないか。
「・・・・なんで、嘘をついた」
起き上がった土方の声が震えた。
「なんで医者の告げた事を、俺に偽った」
上半身を起こしてふらつく土方のその背を支え沖田は、痛みに溢れて己を見つめる瞳を見返した。
「俺は、療養の為に先生と貴方の傍を離れるつもりは無い。誰の願いであろうともこれだけは」
譲れぬ事を。
「譲れぬ以上、貴方が真実を知っていて苦しむよりも、知らぬままで居てほしいと思っていた」
吐き出すように、
一語一語、
目の前の悲嘆にくれるその心に突き刺してでも、届くように。答え。
(だが、今は)
「貴方は、・・十中八九、伊東も、」
今回の旅から帰屯し、
「斎藤が有能かつ、信の置ける男だと。十分すぎるほど分かったはずだ」
伊東はどうとして、土方は、すでに斎藤が有能であることならば十分察していた。
「斎藤が、」
信の置ける存在か。
近藤土方沖田の、中枢の壁内に引き入れていい存在か。
有能かどうか、旅の前から分かりきっていたその事ではない。
沖田が、今回斎藤を土方に同行させた、真の目的は、
「信頼に足る、」
土方自身の目に。
その判断を、させるが為。
「腕も申し分ない、唯一の」
「つまり」
沖田を遮り、土方が呻くような声を出した。
「・・おまえの代わりに成り得る男だと、言いたいのか。・・だから今日になっておまえは、・・・」
斎藤を中枢に引き入れ、いつか沖田の代わりに成るよう仕立ててゆく、
土方に、
そのつもりでいるようにと。己の命の期限を、
旅から戻り、斎藤への信頼を自身で確信した土方に今、ついに伝えたのだ。
「俺は・・っ」
土方の拳が、身の下の布団を殴りつけた。
「・・おまえに生きていてほしい・・!」
「俺は、貴方と先生に、生きていてほしい」
土方が、
身をこわばらせた。
「おまえ・・」
射竦められたように、
「近藤先生と、貴方を」
土方は沖田の目を見た。
「この手で護れるうちは、ここに居る」
「総司、」
「剣をとれなくなるまで」
土方の、
「・・っ言うな、そんなことを・・!」
声が、震え。
「総司。頼む。もう今から療養してくれ、三年なんかで、死ぬな・・」
「ごめん。歳さん、」
土方の崩れかける身を、沖田は今一度腕を伸ばして支えた。
「貴方の願いであろうと。俺は貴方と先生を残し一人療養なんざできない」
「っ・・ならば、せめて・・」
おまえを一番隊の激務から外す
咄嗟に言いかけた土方は、
だが、
声に詰まり。
――――この男を隊務から外すことは、組にとって最大の損失になる。
沖田以外の誰に。一番隊の組頭が勤まることがあろうか。
(・・・・だが・・っ)
「・・おまえが何をおいても望むのは、近藤さんと俺の身辺警護だろう。だから・・せめて、これからはそれだけを頼む。それなら、おまえはもう少し休ま・・」
「土方さん」
己の呼び方の変化に土方は、
目を瞠った。
「・・・隊務も、また近藤先生と貴方を助けることになっている以上、抜けるつもりはない」
沖田が、嶮しい面で、土方を見て返した。
「俺が隊務から抜けたら組の戦力が落ちる。先生の、」
常、王城の地を護り、そして事あらば一軍として先駆けとなり公に仕える、
「その本懐への、道が遠くなる。」
謀反の浪士達が命を賭してまで京に集まってくるのは、ここに朝廷があるが故に。
昔より王城の地が激流の中心となるは、時の変化をになう存在、天子を、担ぐことが少勢対多勢において最短にして最大の効果を発すが為、
すでにこれまでにも幾多の西国藩士、浪士達が謀反事を成そうと企て、新選組に阻止されている。そのうちの大掛かりな惨劇が先の池田屋そして禁門の変であり。
奪回を望み朝廷工作に及ぼうとする長州の藩士、その下で働く浪士達をまず京の地に踏み込ませぬ、網を潜り踏み込んだ者は徹底的に見つけ出し捕らえる、
その日々の巡察が、現段階で最も必要とされている。
その隊務から筆頭組頭の沖田が外れることは、近藤土方、ひいては公儀にとっての重い損失に他ならず。
土方の吐き出した息が震えた。
「おまえは・・、どうしても、療養する気は無いというんだな」
沖田が頷き。
「どのみち、病で死ぬ気は無い。先生の命とひきかえて死ぬ」
その言葉に土方が、
雫に溢れた瞳をもたげた。
土方の長い睫の下で、濡れるその瞳を見返し、
「それまでの一生、」
沖田は、
「・・・貴方を。援け、守り続けると、」
土方の細い背に添えた手へ力をこめ。
「言ったでしょう」
「っ・・おまえは、」
土方が弾けるように声を上げた。
「まだ・・覚えて・・いたのか・・?」
眼下に広がる静かな海と、
「まさか」
松の、
「忘れるわけがない」
――――誓いを。
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