クールなパイロットはウブな新妻を溢れる独占愛で身籠らせる

小田恒子

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1巻

1-1

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    プロローグ


梢子しょうこ、俺と結婚してほしい」

 デートで訪れた、今治いまばり市内にある高層ホテルのレストラン。ディナーを楽しんだ後、宿泊するホテルの部屋で、突然千早ちはやさんこと藤川ふじかわ千早からプロポーズされた。
 思いがけない言葉に、私は聞き間違いじゃないかとおうむ返しで千早さんに確認する。

「あの……、千早さん、今、『結婚してほしい』って言いました?」

 千早さんは、付き合い始めてまだ数ヵ月の彼で、大手航空会社の操縦士をしている。三十三歳の若さで飛行機の操縦桿そうじゅうかんを握る彼は、女性たちの憧れの的だ。
 スペックだけではなく、見た目もモデルや俳優みたいに格好よく、操縦士の制服を脱いでも女性たちの視線を釘付けにしている。
 そんな彼からのプロポーズに、私は嬉しくて舞い上がりそうになるのを必死でこらえた。
 千早さんは私の問いに頷いて、改めて私に向き合うと、ポケットの中から小さな箱を取り出した。

「俺は、毎日どこかの空を飛び回っているし、すぐに連絡を取れる環境にない。加えて遠距離恋愛だ。いつも梢子に不安を抱かせてしまっているのは重々承知しているけれど、その不安を解消したいのは俺も同じなんだ。だから……、花澤はなざわ梢子さん。俺と、結婚してください」

 その言葉を聞いた途端、私の視界はじわじわとぼやけ始めた。そして頬には、涙が伝う。
 嘘みたいだ。千早さんからの告白で交際が始まっただけでも信じられないくらいだったのに、まさか、プロポーズまでしてくれるなんて。
 私、もしかして明日死んじゃうの……?
 感極まって返事ができない私の顔を、千早さんが心配そうに覗き込む。

「梢子……?」
「……ます。千早さんと結婚します」

 涙でぐちゃぐちゃになった顔を見られたくなくて、俯いたまま返事をすると、千早さんが私を優しく抱きしめた。

「ありがとう、必ず幸せにする。二人で幸せになろう」

 私は涙と鼻水のせいで息ができなくて、ただひたすら頷くだけだったけれど、こうして高層階からの夜景を見るたびに、きっと今日のことを思い出すだろう。
 千早さんが気遣って、ベッドサイドにあるティッシュを取ってくれたので、私は涙を拭い、改めてお互いの顔を見つめ合う。

「恥ずかしいから見ないでください。化粧が取れてる……」
「結婚したら、もっといろんな梢子の顔を見ることになるんだから。それに、化粧が取れた顔も素敵だよ」

 千早さんはそう言うと、箱を開けて、中から指輪を取り出した。
 部屋の間接照明に照らされて、ダイヤモンドがキラキラと光っている。
 遠くに来島海峡くるしまかいきょうが見えるこの部屋からは、橋の塔頂部分と塔の真ん中辺りの高さに美しい光が見える。航空法で定められている航空障害灯というものらしく、地表又は水面から六十メートル以上の高さの物件に設置しなければならないのだそうだ。
 上空を通過する飛行機などに橋の存在を示し注意喚起することで航行の安全を守っているのだと、昼間に千早さんから教わった。塔頂部分はピカピカと点滅していて、都会の夜景には敵わないけれど、そのフラッシュにも負けない輝きに、私は目を奪われる。
 千早さんが私の左手を取って薬指にそっと指輪をはめると、金属特有のひんやりとした感覚は、すぐに肌の温度に馴染んだ。

「まずは、最高に色っぽい梢子が見たい」

 そう言って千早さんは私を抱きかかえると、ベッドの上にそっと下ろす。

「梢子、愛してる」

 耳元で囁く声に、私は何度も頷いた。

「私も、千早さんのことを愛してます――」

 深い口づけから、身体と心が繋がっていく。
 二人で甘く蕩ける甘美な時間がこれからずっと続いていく。千早さんは優しく、時に激しく私の身体を求め、私もそれに応えようと必死でしがみついた。



    第一章 出会い


 十月某日、日曜日。時刻はもうすぐ十八時三十分を指そうとしていた。
 私は今、空の上にいる。
 正確に言えば、高校時代から仲が良かった友人の結婚式に参列し、帰宅の途につくため羽田発松山行きの飛行機に乗っているのだ。
 エアラインジャパン、通称ALJは日本の三大航空会社のひとつで、羽田空港を拠点としたほぼ全国の空港に就航している航空会社だ。
 今日の関東地方は、朝から曇り空で昼から雨がぱらついていた。
 横浜で行われる友人の結婚式のために、金曜日の最終便で東京へやってきた。土曜日は早朝にホテル周辺を観光し、午後からは結婚式、披露宴が執り行われた。そして今日は、朝から横浜市内の観光を満喫していたのだけど、ひとつだけ気がかりなことがあった。
 明日の仕事に備えて夕方の便を予約していたけれど、上京する前から発生し、日本列島を目掛けて北上する台風二十一号の動向だ。
 上京前は、ちょうど沖縄地方に上陸との情報で、私が松山へ戻る頃にちょうど台風の影響を受けるのではという不安もあった。
 それが見事に的中し、台風二十一号は松山行きの航路を遮るかのように、本州を覆っているとアナウンスが流れている。
 搭乗前も台風の動向が気になり、テレビでも夕方辺りから空だけではなく陸路にも影響を及ぼすのではとの報道に、今日中に松山へ帰ることができるのか内心ヒヤヒヤしていた。
 台風接近のため、通常の航路とは違うルートで飛行しているとアナウンスされていたけれど、やはり強風の影響で、機体は行きの飛行機に比べて揺れもある。この先も激しい揺れが予想されるとのことだった。
 機長のアナウンスが終わっても、シートベルト着用サインが解除されることはない。トイレに行く時以外はずっとこのままなんだろうと諦めた私は、機内に持ち込んだ手荷物の中から雑誌を取り出した。
 機内での暇つぶしになればと、東京へ旅立つ前日にコンビニで購入したローカル版のタウン情報誌には、私が勤務する洋菓子店『シェ・フルール』のスイーツが取り上げられている。
 今月号に、ハロウィン期間限定スイーツが掲載されているのだ。
 ハロウィン特集が組まれた今月号は、様々なお店のハロウィン限定商品や、愛媛県内のハロウィンイベントの情報がたくさん掲載されていて、目を楽しませてくれる。
 パラパラとページを捲ると、お店の期間限定パンプキンパイのページが目に飛び込んできた。
 地元の契約農家さんから仕入れた野菜で作るパンプキンパイやスイートポテトは、毎年好評で、どれも売り切れ続出の人気商品だ。
 松山市内にあるほかのお店も同じページに掲載されており、時間的にお腹が空いている私は、無性にケーキが食べたくなった。松山に到着したら、帰りにどこか寄ってみようかな。
 ページを捲っていると、強風に煽られたのか、突然機体が大きく右に傾いた。
 その拍子に、隣に座る親子――おそらく未就学児であろう女の子が驚いて「ママー!」と、私の反対側の席に座る女性に泣きながらしがみついた。
 女の子の母親は、娘を安心させようと女の子に声を掛けているけれど、座席のあちらこちらから、同じように搭乗している小さな子たちが悲鳴を上げている。
 乗務員たちも、動揺する乗客全員の対応は難しいようで、一向にこちらへやってくる気配はない。
 母親は周囲の目を気にして、必死になって子どもをなだめているけれど、機体は乱気流に突入しているため、なかなか揺れは治まらない。
 私は手にしていた雑誌を座席前のポケットに差し込むと、自分のバッグの中から、ある物を取り出した。それは、姪の桜子さくらこと遊んでいた時に、彼女が間違えて私のバッグの中に入れてしまったシール帳だ。その裏にはひらがなで『しのざきさくらこ』と書いてある、彼女のお気に入りだ。
 東京へ行く前日、姉たちが実家へ遊びに来た時、桜子が姉のものと間違えて私のバッグの中に入れてしまったらしく、飛行機の中にいる時に姉から連絡があったのだ。
 私は旅行用の別のバッグに貴重品を移し替えることをせず、普段使いのバッグをそのまま持って来てしまった。ここで桜子の宝物をなくしてしまったら大変だ。今度の休日、東京土産を渡すのと一緒にシール帳を返しに行かなければと思っていたけれど……
 私は、そのシール帳を取り出すと、その親子にそれを差し出した。

「これ、よかったらお貸ししますよ。姪のものなので、後で返していただきたいんですけど……」

 私の言葉に、女の子が反応した。

「シールちょう……?」
「うん、お姉ちゃんの姪っ子ちゃんのものなんだ。これ、知ってる? 人気あるんだよね?」

 そう言って、シール帳のボタンを外し、中のシールを見せた。
 桜子の家の近所に住む年の近い子が通う幼稚園では、シール集めが流行っているらしい。
 私も幼少時代、姉とシール帳のコレクションをしていたことを思い出す。
 桜子から「しょうこちゃんもシールあつめてこうかんしよう」とお誘いを受け、購入を悩んでいたところだ。
 桜子のシール帳には、小児科の通院時にご褒美でもらうテレビアニメのシールに始まり、スーパーやドラッグストアで販売している大きなラインストーンのキラキラしたシール、お人形の形のシールなどがたくさん貼られている。
 お友達とシール交換をしているとも聞いているので、シール帳から剥がれないよう、目が離せない。
 ざっと見る限り、シールの粘着部分はしっかりしているので、突然ポロッと剥がれたりはしないようだ。
 私はシール帳を女の子に手渡すと、女の子は泣き止んだ。

「すみません、ありがとうございます。娘もシールを集めているので、助かります」

 奥側に座る母親が、私に声を掛け、二人でシール帳を一緒に見てくれた。
 よかった、これで少しは恐怖心が削がれたかな……
 女の子の名前はみゆきちゃんといい、みゆきちゃんはシール帳を捲っては「これとおなじシールもってる」「これかわいい」などと口にして、終始目を輝かせている。
 みゆきちゃんの母親も、一緒にシール帳を覗き込んで、「今度、これ見つけたら買おうか」などと話をしていた。
 飛行機は相変わらず小刻みに揺れている。けれど、先ほどのように大きな衝撃はなく、少し安定してきたようだ。
 しばらくして機内アナウンスが流れ、強風のエリアから抜け出したことが知らされた。
 アナウンスの後、機内に搭乗している客室乗務員が座席に飲料を配りにやって来た。飲み物を受け取る際、みゆきちゃんに「さっきはすぐに来られなくてごめんね」と、ぬりえセットを手渡した。
 みゆきちゃんは一瞬何が起こったのかわからず固まっていたけれど、ぬりえセットを見て嬉しそうな表情を浮かべている。
 私たちはお茶をもらい、みゆきちゃんがぬりえを使って早速遊んでいるのを眺めていた。
 操縦室からのアナウンスが流れた後は機体が揺れることはなく、快適な空の旅が楽しめたけれど、念のためシートベルトサインは着陸まで点灯したままだった。
 松山への到着予定時刻は、定刻だと十八時二十分を予定していたけれど、乱気流の影響で十八時五十分――当初より三十分ほど遅れると再度アナウンスが流れた。
 機内は多少ざわついたけれど、混乱はない。
 ブーイングのざわつきではなく、定刻時間より多少遅れても、無事に目的地へ到着することへの安堵のざわめきだった。
 この悪天候の中、飛んでくれただけでもありがたい。近隣の空港へ緊急着陸、下手すれば飛行不能で羽田に逆戻りする可能性すらあったのだから、通常の航路を変更しても飛行を判断してくれた航空関係者には感謝しかない。
 そして案の定、松山から折り返しで運行予定だった東京行きの最終便が、悪天候の影響で欠航が決まったと知るのは、松山空港に到着を知らせるアナウンス時だった。
 飛行機の高度がだんだんと下がってきて、着陸態勢に入った。窓はシェードが下ろされて外の景色は見えないけれど、正面の大画面には、操縦席から見える滑走路の様子が映し出されていた。それに気付いた私は、画面を食い入るように見つめていた。
 着陸はとても丁寧で、車輪が滑走路に着地した瞬間の衝撃は思っていたよりも少なく、それまでのひどい揺れだった飛行に比べればとても安心できるものだった。
 飛行機がブレーキをかけながら滑走路を減速する。
 操縦席は視界を遮るものがないだけに、さっきの悪天候の中の操縦も大変だっただろうな……
 そう思っていると、機内アナウンスが聞こえた。

『本日は、エアラインジャパン685便、羽田発松山行きにご搭乗いただき、誠にありがとうございます。機長の藤川です。途中、台風二十一号による乱気流の影響で、皆さまにご心配をおかけいたしましたことをお詫び申し上げます。当機は定刻より三十分遅れましたが、無事に目的地である松山へ到着しましたことを、ご報告いたします』

 飛行機が無事に松山へ到着したことで、機内の乗客は棚上に載せていた荷物を下ろしたり、シートベルトを外して通路に並んだりと、みんな飛行機から降りる準備に余念がない。
 機長アナウンスは、乗客のざわめきに掻き消されてところどころ聞き取りづらかったけれど、事故もなく無事に松山へ戻ってこれたことをようやく実感できた。
 私はみゆきちゃんからシール帳を返してもらうと、バッグの中へしまい、席を立つ。
 続いてみゆきちゃん親子が席を立ち、私の後ろに続いた。
 飛行機の出口で、客室乗務員さんが乗客を一人ひとりお見送りしている姿が見えた。私もお世話になったお礼を伝えようと口を開いたその時だった。

「お客さま、先ほどはお隣の座席のお客さまのご対応、ありがとうございました」

 客室乗務員の一人に声をかけられ、お礼が書かれたカードを手渡された。その乗務員の胸元には名札があり、桜田さくらだと読めた。
 手渡されたカードは空を飛ぶ飛行機の図案で、そこにはお礼とともに、この便名と客室乗務員一同と書かれている。
 こんなこと、飛行機に乗って初めてのことだ。時々こうしたメッセージのサプライズがあることをSNSなどで知ってはいたけれど、まさかそれを自分が体験することになるとは思ってもみなかった。驚いた私は、お礼を伝えるどころか何も言えず、会釈をして飛行機を降りた。
 ボーディングブリッジを渡って手荷物受取所へと向かった私は、まだ荷物は出てこないだろうと、先にトイレを済ませることにした。
 トイレの後、洗面台で手を洗い、バッグの中からハンカチを取り出した。
 ああ、飛行機の到着が遅れたこと、連絡してないや。
 家に帰っても、両親は仕事に出ていて誰もいないけれど、連絡だけは入れておこう。
 私はトイレを出ると、邪魔にならない場所でバッグの中からスマホを取り出そうとしてふと気付いた。
 ――あれ? 家の鍵がない。
 いつもだと、家の鍵と車の鍵を一緒にくっつけていて、バッグの中でその存在感があるからすぐに気が付くけれど、今回は空港まで電車やバスを利用したため、車を使わないから鍵を別々にしていたのだ。
 車の鍵は家に置いてきたからいいとして、家の鍵がないと、大変なことになる。
 いったいどこに落とした……?
 私はその場にしゃがみ込むと、バッグの中を一つひとつ探していく。バッグの内ポケットやポーチの中、ありとあらゆるところを見るけれど、それらしきものは見つからない。
 もしかして、飛行機の中で落とした……?
 思い当たるのは、みゆきちゃんにシール帳を貸してあげようとバッグを触った時だ。
 あの時機体も揺れていたし、もし仮にあの時鍵を落としていたとしても、気付かない可能性は高い。
 私は近くにいた空港職員に事情を説明して飛行機へ戻る許可をもらうと、急いで先ほど通った通路を逆戻りし、ボーディングブリッジを渡って飛行機の中へ駆け込もうとしたところ、飛行機の入口で再び客室乗務員に声を掛けられた。事情を説明すると、その客室乗務員は座席を確認してくると言ってその場を離れる。私はハッチの入口で彼女が戻ってくるのを待っていた。
 すると……

「ああ、先ほどのお客さまですね」

 飛行機の奥から桜田さんが、私のほうへ近付いてくる。
 彼女の手には、一本の鍵と私が座席ポケットに差し込んだ雑誌があった。

「鍵は、座席下に落ちておりました。こちらでお間違いないですか? それからこちらの雑誌も一緒にお預かりしております」

 そういえば、雑誌も座席ポケットに差し込んだままだった。

「ああ、これです! よかったぁ……。これがないと、家に帰っても入れないところでした。重ね重ねご迷惑をお掛けしてすみません、本当にありがとうございます!」

 私は雑誌と鍵を受け取ると、今度こそ失くさないよう鍵をポーチの中にしまい、バッグの中に入れた。

「よかったらこれ、どうぞ。地方のタウン情報誌なのでつまらないかもですけど……」

 そう言って、私は一旦受け取った雑誌を桜田さんに差し出した。

「え、いただいてもいいんですか? 嬉しい。私たち、乗務でよく地方へ行くんですけど、食べ歩きとか楽しんでいて、こういうタウン情報誌ってすごくありがたいです」

 意外にも桜田さんが喜んでくれたので、私は自分が勤務するお店の宣伝をした。

「実はハロウィン特集で、私が勤務するお店のスイーツがこれに掲載されているんです。もしお立ち寄りがあれば、よろしくお願いしますね」

 そう言って、お店の写真が掲載されているページを開いて宣伝すると、桜田さんが「素敵!」と、感嘆の声を上げる。

「そうなんですね! それはぜひ、お店に立ち寄らせてくださいね」

 社交辞令的な会話が済み、私は再び飛行機の外に出ようと身体の向きを変えると、飛行機前方の扉が開いた。目の前に、テレビなどでよく見る操縦士の制服を着用した男性が二名、出てきた。
 先頭に立つ男性は、背の高い、顔立ちの整ったいわゆるイケメンだ。
 そういえば副操縦士との見分け方は、制服の袖口のラインの本数だと聞いたことがある。
 目の前にいるイケメンは、袖口に四本ラインが入ったジャケットを着用していた。
 この人が、この飛行機を操縦していたんだ……
 パイロットになるのって、かなり難しいって聞いたことがある。
 身体的な検査も、一般的な健康診断よりも条件が厳しいとか何とかテレビで放送していたような。
 思わずまじまじと見つめてしまいそうになるところをグッとこらえた。
 でも本当にイケメンだなぁ……
 私、車の運転はできるけど、車と飛行機では次元が違いすぎるもんなぁ……
 私は尊敬の念を抱きながら彼に会釈して再びボーディングブリッジを渡ると、手荷物受取所へ向かった。
 手荷物受取所では、飛行機から降ろされた荷物がターンテーブルの上に載せられて、ゆっくりと回っている。
 乗客が一人、また一人と自分の荷物を手に取り、到着ロビーへと向かっていく。
 私はターンテーブルの荷物に目を向けた。
 私の荷物は、オレンジ色のスーツケースだ。ビタミンカラーのそれは、高校時代に修学旅行へ行くために購入したもので、こうして使うのも実は今回で二回目だ。
 ほかの人の荷物は割と地味な色の鞄が多いので、オレンジ色のスーツケースはよく目立つ。
 ターンテーブルの上の荷物は一周目でほぼなくなり、最後のほうに出てきた私のスーツケースがその存在感を放っている。
 スーツケースを手に取ると、ちょうど先ほどの乗務員たちが通路を通って手荷物受取所に現れた。私は一瞬そちらに視線が向いたけれど、早く家に帰ろうと到着ロビーへ向かおうとしたその時だった。

「あの、先ほどはありがとうございました」

 背後から、みゆきちゃんのお母さんが私に声を掛けた。
 みゆきちゃんは長旅で疲れたのか、お母さんに抱っこされている。
 お母さんの荷物に目をやると、私のスーツケースよりも少し大きめなスーツケースが一つと、そこに買い物で使うエコバッグがいくつか括りつけられている。

「いえいえ、そんなお気になさらずです。それより、荷物は大丈夫ですか? 空港からはどうやってお帰りですか?」
「JR松山駅行きのリムジンバスに乗るつもりなんです。JRで帰る予定なんですけど……」

 お母さんはそう言うけれど、みゆきちゃんを抱っこした状態で荷物を運ぶのは大変そうだ。

「じゃあ、よろしければバス停までご一緒しますよ。荷物、私が運びますので、そのままみゆきちゃんを抱っこしてあげてください」

 私も休日に桜子とよく遊ぶので、小さい子がこうして途中で電池が切れたように、突然動かなくなることは想定内だ。
 私の声に、みゆきちゃんのお母さんは驚いた表情を浮かべるも、きっとバスの時間が迫っていたのだろう。「じゃあ、お願いします」と、素直に私の提案を受け入れてくれた。
 私たちはそのまま到着ロビーから、バス停へと向かう。
 松山も雨が降っていたのか、路面が濡れている。
 バス停には、みゆきちゃんたちが乗る予定のリムジンバスがちょうど到着したところだった。
 バスの昇降口まで一緒に歩いていくと、バスの乗務員さんが荷物をバスのトランクに載せると言うので、預かっていた荷物を乗務員さんに託すと、改めてお母さんからお礼の言葉を告げられた。

「本当に、何から何までお世話になりました。ありがとうございます」

 抱っこされているみゆきちゃんは、眠ってしまったようだ。

「いえいえ、そんな。大したことじゃないので気になさらないでください。それじゃ、お気を付けて」

 私は二人を乗せたバスが発車するのを見送ると、今度は路線バス乗り場へと移動する。
 自宅への交通機関は、道後温泉方面へのバスが乗り換えなしで最短距離だ。けれど、時刻表を見るとバスの発車時刻は今から二十分後で、まだバスも到着していない。
 それまで何して時間を潰そうかな。
 今は十九時二十分、飛行機の到着が遅れたことに加え、乗る予定だったバスも一本ずらさなければならない。
 時間を潰そうにも、タウン情報誌はさっき桜田さんにあげてしまったし、空港内の飲食店もそろそろ閉店する時間だろうし……
 ロビー内にあるお土産屋さんも、閉店しているところが多い。
 こんな大荷物を抱えて移動するのは面倒だ。ロビーにある椅子に腰を下ろして時間までスマホでも見ていようかな。
 そう思っていたところに、先ほどの飛行機の乗務員たちが数台に分かれてタクシーに乗り込む姿が目に入った。
 タクシーもなぁ……
 お財布に余裕があれば、市内電車の乗り場がある辺りまでタクシーを使ってもいいんだけど、今月は友人の結婚式でいろいろと出費が重なり、それどころではない。
 私はスーツケースを引きながら再び空港のロビーへと向かい、時間までロビー内の椅子に腰を下ろして時間を潰すことにした。
 路線バスが空港にやってくると、私は荷物が邪魔にならないよう後部座席へ座り、最寄りのバス停まで車窓の景色を眺めていた。
 ぼんやりしていると、うっかり最寄りのバス停を通り過ぎてしまい、道後温泉駅前までやってきてしまった。私は出口でバス代を支払うと、バスを降りて商店街入口を仰いだ。
 どうしようかな……、市内電車に乗って家に帰ろうか。
 けれど道後商店街の中に、母が切り盛りする小料理店がある。上京する時に、母からお店の常連さんへお土産を買って帰るように言われていて、それを届けに行くのもアリかな。一度家に帰って荷物を置いてからと思っていたけれど、帰宅してしまうと、多分家を出るのが億劫になりそうだ。
 私は一度深呼吸をして、スーツケースを片手に道後商店街のアーケードをくぐった。

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