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第三章

夏祭り 8

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 夏祭り終了の時間も残すところ十分となったところで、ようやくもう一人の当番である亜沙子あさこちゃん親子が顔を出す。

「ごめんなさい。私、当番だったのすっかり忘れてて……」

 亜沙子ちゃんは、さっきまで輪投げをしていたのか、その手には輪投げの景品が握られており、まだ遊びたそうな表情だ。

 亜沙子ちゃんのお母さんは謝罪の言葉を口にしたけれど、亜沙子ちゃんは、何でママが謝るの? と納得いかないようだ。

 当番の二人は、この親子に今さら何を言っても無駄だと諦めているようで、謝罪の言葉を聞いてもスルーしている。

 実は亜沙子ちゃん親子は毎回このような当番ごとを、さっきみたいに『忘れていた』で済ませることがあると、里佳先生や昨年度担任だった沙織先生から事前に話を聞いており、正直やっぱりかという思いだった。恐らくみんなもそう思っている。

 これはお母さんに何を言っても無駄な気がするけれど、亜沙子ちゃんに関しては、集団生活をする中で当番制度は大切なことだ。

 私は亜沙子ちゃんの目線に合わせて腰を屈めると、できるだけ穏やかな口調で話を始めた。

「亜沙子ちゃん。あのね、幼稚園の夏祭りはね、みんなの協力がないとできないことなんだ」

 亜沙子ちゃんが私に目を合わせてくれたので、言葉を続ける。

「お祭りは、みんなに楽しんでもらえるよう、亜沙子ちゃんも事前にいっぱい準備を手伝ってくれたよね? そのおかげで、今日はみんな、楽しんでくれたと思うよ。亜沙子ちゃんも楽しかったよね?」

 私の問いに、亜沙子ちゃんは頷いた。その頷きを確認して、私はさらに言葉を続ける。

「でもね、幼稚園のお祭りは、みんなが楽しむために順番で当番を決めたよね? 当番さんは、その時間遊べないからつまらないよね。でも、その当番さんのおかげで、他の人もお祭りを楽しむことができるんだよ」

 私の言葉に、亜沙子ちゃんは黙ったまま下を向いた。

 ここでようやく、今日の行動がみんなに迷惑をかけていたことに亜沙子ちゃん自身も気付いたようだ。

 私の背後に立つ亜沙子ちゃんのお母さんが、この時どのような表情をしていたかわからない。けれど、亜沙子ちゃんのお母さんも私の言葉を聞いて、当番の保護者たちに心のこもった謝罪をした。

 その声を聞いた亜沙子ちゃんも、俯いたままだけど小さな声で「ごめんなさい」と呟いた。

 私たちの思いが伝わったのだから、これ以上、追い打ちをかけることは言わないほうがいいだろう。

「次からは、みんなと一緒に当番さんできるかな?」

 私の問いに、亜沙子ちゃんが頷いた。そのやり取りを智樹くんとひまりちゃんも見ていたので、これで二人が亜沙子ちゃんを責めることはないだろう。

「よし! じゃあ、残り少ない時間、みんなで仲良く当番しようね」

 私は元気よくみんなに声をかけて、その場の空気を変えた。当番をサボっていたことは、見ている人がいるから言い訳したところで余計に心象悪くなる。それを挽回するには、この後の行動で示すしかないのだ。

 と言っても、もうこの時間はみんな揚げ物の引き換えが終わっており、後は片付けをするだけだ。先ほどフライヤーと鉄板のスイッチを切って、使用した油やプレートを冷ましている。

 高熱の状態で放置するのは危ないので、智樹くんのお母さんにそれらの番をしてもらい、子どもたちは回収したバザー券の枚数を数え始めた。
 ひまりちゃんと亜沙子ちゃんのお母さんは、三人が数えたバザー券を再度数えて間違いがないかを確認する。

 他の教室でもすでに片付けが始まっており、ここと同じよう子どもたちがバザー券の枚数を数え、大人たちが後片付けをしている。

 園長先生が見回りに来たので回収したバザー券を渡し、私も後片付けを手伝うことにした。

 PTAの役員さんが智樹くんのお母さんに、フライヤーと鉄板を移動させるよう指示を出したので、私はそれの手伝いをしようと近付いたその時――

「危ない!!」

 背後から大きな声が聞こえたと同時に、背後に激痛が走った。
 園児たちが作った提灯を飾った支柱が、私たちの方向に倒れてきたのだ。その衝撃で、私が倒れた先に先ほどまでフランクフルトを焼いていた鉄板があり、左腕がその鉄板に触れてしまった。

「熱っ……!!」

「愛美先生っ!!」

 私の声に、目の前にいた智樹くんのお母さんが大声で叫び、みんなの手が止まる。

 そこにいち早く駆け寄る大きな影があった。

「愛美先生!」

 誠司さんが私の背中に当たった支柱をどかし、私を抱き上げると、大きな声でみんなに指示を出す。

「水! そこどいて!!」

 誠司さんはそう言って周囲を見渡すと、園児たちが使う手洗い場へと運び、蛇口を捻るとそこに私の腕を突っ込んだ。
 冷水ではないけれど、水をかけることで痛みが少しだけ引いた。

 視線の先には、まだ水の抜かれていないビニールプールがある。冷水のほうが肌もひんやりとするのに、敢えて流水を選んだのには理由があるようだ。

「ビニールプールの水は、今は冷たくてもすぐにぬるく感じるから、火傷の時は水道水で洗い流してやるのが一番いい。それからそこの先生は救急車を呼んで!」

 誠司さんの声に反応したのは、沙織先生と園長先生だ。二人は急いで職員室へと走っていく。

 誠司さんは私の腕を流水へ浸したままにすると、ジュースを冷やしていたビニールプールに向かった。
 ビニールプールの中に手を突っ込むと、ペットボトルを全て取り出し中身を確認した。ペットボトルの氷も、この時間になると氷はさすがに溶けて液状化している。

「うん、氷は溶けてるけど、水道水より冷たいだろう」

 そう言うと手に持てるだけのペットボトルを持ち、私の側へと駆け寄り、蓋を外すと私の腕にその水を流し掛けた。水道水より冷たい水が、心地よい。

 少しして、沙織先生がビニール袋の中にありったけの氷を入れて持って来てくれた。

「愛美先生、救急車すぐ来ますからね!」

 誠司さんは沙織先生から氷を受け取った。
 左手は、救急車が到着するまで水道水で洗い流すように指示されて、私はその言いつけを守りじっとしている。氷は、救急車内での保冷用に作ってくれたようだ。

「さっき、支柱が倒れて愛美先生の背中に当たってたから、それも病院で一緒に診てもらいましょう」

 私は言われた通りに頷くしかない。
 今は火傷の痛みのほうに気を取られているけれど、倒れた支柱がまともに背中を直撃したものだから、どうしても痛みが走る。

 骨にひびが入ってなければいいけど、これ、診察を受ける時に浴衣を脱いだら、自分で着付けなんてできないけどどうしよう……

「浴衣、濡れちゃいましたね……すみません」

 誠司さんは濡れた浴衣の裾を絞りながら、謝罪の言葉を口にする。

「そんな……っ、私だけだったら、ここまで迅速に処置できてないです。むしろ大塚さんがそばにいてくれて助かりました」

 私の浴衣の左側は、袖や身頃も水道水で濡れてしまっている。

「救急車が到着するまで、腕はこの状態で。氷を長時間患部に当てていると凍傷になる恐れもあるから、これは救急車内での処置に使います。肌に負担をかけないよう、浴衣の上から当てて肌に触れさせないよう気を付けて。じゃないと痕が残るかも知れないです」

 誠司さんの冷静な言葉に、私は頷いて火傷で痛む左腕をひたすら冷やすことに集中した。

 私と誠司さんの周りには私の怪我を心配する人だかりができている。

 救急車が到着する少し前に、園長先生がバスタオルと私の荷物をまとめて持って来てくれた。

「今日は病院が終わったら、愛美先生はそのまま帰宅していいからね」

 園長先生の声に、私が頷くと、誠司さんも同調した。

 誠司さんがバスタオルと荷物を受け取り、バスタオルを広げると、濡れた私の浴衣の上に被せた。そこで初めて、浴衣が水に濡れて、下着が透けていることに気付く。
 園長先生もそれに気付いたからこそ、バスタオルを用意してくれたのだ。

 紙袋の中には、私が今日幼稚園に着用してきた服とバッグ、バザーで引き換えた食べ物が入れられているという。

 夏だし濡れた浴衣もすぐに乾くとはいえ、救急隊員は男性が多くを占める。これは異性の視線を避けるためにも賢明な考えだ。

「火傷が治るまでこの腕では、幼稚園の仕事は難しいと思います。背中も支柱が当たって怪我をしているので、医師の診断書を取って、今週いっぱいは静養に充てたほうがいいかと……」

 誠司さんの言葉に、保護者や園児たちがざわついている。

「そうですね、まずは病院で先生によく診てもらって。愛美先生、労災申請の手続きをするので、受診したら必ず診断書を取ってください」

 園長先生がそう言うと、誠司さんが代わりに返事をしてくれた。すると少しして、救急車のサイレンが耳に届いた。
 沙織先生が通報してまだそんなに時間はかかっていないのに、随分早いんだなと呑気に考えていると、誠司さんがボソッと呟いた。

「来るのが遅い」
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