白銀オメガに草原で愛を

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草原

09.鷹のような

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 翌朝、警戒しながらククィツァのユルトに向かったのだが、カガルトゥラードの女はいなかった。隣の小さめのユルトを与え、一人で過ごさせているらしい。

 念のためキアラが関わらずに済むようイェノアに頼み、ユクガはククィツァと、馬で集落の移動先を探しに出ていた。これから寒さが堪える季節になっていくから、比較的暖かな土地へ移らなければいけない。

「お前がああいうタイプだとは知らなかった」
「……何の話だ」

 見繕っていた場所へ案内する道すがら、不意にククィツァが話題を変えて、ユクガは眉を寄せた。掴みどころがないというか唐突というか、ククィツァには風のようにふわふわしたところがある。

「お前のこと鷹みたいなやつって思ってたけどさ、キアラにはひたすら甘いし」
「……俺の目が黄色いというだけで言っているだろう、お前」

 ヨラガンの民の目は様々な色合いをしてはいるが、ユクガの黄色は珍しい部類に入る。小さな子どもの頃はからかわれることもあったが、折に触れてククィツァが鷹のようで格好いいなどと褒めてくれたおかげで、ユクガも引け目に感じることはなくなった。

 いや、そういう話ではなくて、ククィツァが不在の間に集落がどうだったとか、カガルトゥラードとの戦後処理がどうだったとか、真面目な話をするために二人で出かけてきたのだ。ユクガがどうとか、ユクガとキアラの関係がどうとか、話題にするようなものではない、はずだ。
 眉間にしわを刻んだだけで返事をしなかったユクガをまだからかいたいのか、ククィツァが馬の足を速めて並んできた。

「めちゃくちゃマーキングしてるだろ」
「マーキング……?」

 聞き慣れない単語を思わずくり返し、ユクガはようやくククィツァに視線を向けた。
 獣が自分の縄張りを主張するために行うマーキングなら知っているが、人間が人間にするなど、聞いたことはない。

「まあ、俺もこの前知ったばっかだったし、現物は初めて見たけどな」

 アルファが特定のオメガに対して思い入れができたとき、他のアルファに手を出されないよう、オメガに自分のにおいをつけて牽制する行為をマーキングという。
 ククィツァからすると、キアラにはユクガのにおいが濃厚につけられており、下手に近寄るとユクガを刺激しそうだ、と感じられるらしい。

「……お前がキアラに近づくのは面白くない」

 認めるのは癪だが、ククィツァの言う通りではあるので主張しておく。
 キアラにククィツァのにおいがつこうものなら、すぐに上書きしたくなるだろう。

「はいはい、キアラに手出しなんてしませんよ」

 両手をひらひら振っておどけてみせているが、ククィツァは人の大切にしているものを冗談で壊すような人間ではない。
 軽く息をつくと、ユクガはルイドの足を緩め、草原に降り立った。目的地までは、数日かけて移動しなければならない。途中の休息地も下調べしておく必要がある。

「水源は?」
「あちらのほうに川がある」

 広い草原といっても、いつかは誰かが利用した土地であることがほとんどだ。井戸が作られていれば利用できるし、川や池の近くにはほどよく均した場所が作られていることが多い。うまくそういう場所を経由できれば、人も家畜も余裕を持って移動できる。
 また、集落の移動先の候補もそういった土地になることが多く、毎日の水汲みがあるので、水源が近いほうが女たちには喜ばれる。ただ、あまり水源に近いと虫が湧きやすく、川が溢れたときに身を守れないので、ほどほどの場所をうまく選ぶのが集落の長の務めだ。

「一日目はこの辺でよさそうだな」

 二人の馬の手綱を放し、自由に走り回らせる。あまり警戒していないようだから、家畜を狙う獣も少ないのだろう。

「で、キアラとはどこまで進んでるんだ」
「……お前、他に話題はないのか」
「大事な兄弟分の恋愛話だぞ? 一番重要に決まってるだろう」

 面白がっているの間違いではないのか。

 ククィツァには答えず周囲を見回したものの、昼食にできそうな鳥も獣も見当たらなかった。今日は持ってきたパンだけで食事にしなければならない。
 風を避けられそうな窪地を探し、腰を下ろしたユクガの近くにククィツァも座る。

「……キアラはまだ子どもだ。別にどうともしていない」
「はあ? あんだけマーキングしといて?」
「……変な虫がつかなくていいだろう」

 キアラがユクガのおよめさんになるなどと言い出したことは伝える気はないし、毎晩膝の上に乗せて話を聞いていることも教える必要はない。ともに暮らすのが仕事だなどと言ってしまったが、よく考えればプロポーズだと思えなくもないのも胸にしまっておくべきだ。
 黙々と食べ進めるユクガに目を丸くしていたククィツァが、パンを飲み込んでから口を開く。

「……キアラと番になる気、あるんだよな?」
「ツガイ?」

 新たな単語をまた聞き返すと、ククィツァがわざわざ胡坐をかいて座り直した。

 今回カガルトゥラードにしばらく滞在することになって、ついでだからとアルファとオメガの関係についても調べたのだという。

 ヨラガンでは、アルファとベータとオメガという三種類の性があって、アルファは頑強で文武に優れたもの、オメガは華奢で美しいもので、また男であっても子を孕める、という知識は浸透している。
 しかし西方ではもう少し仕組みの解明が進んでいるそうだ。アルファとオメガには番というペアを作る生態があって、アルファがオメガのうなじを噛むことで成立するのだという。うなじを噛まれたオメガは、ヒートの際に発するフェロモンが変質し、誰彼構わずアルファを魅惑していた香りが、番になったアルファにだけ作用するようになる。

「……うなじ……」

 キアラは朝晩問わずいい匂いがするが、うなじからは特に、強い香りがする。あの物々しい首輪がなければ、もしかしたら無意識に噛んでいたかもしれない。

「……オメガが首輪をしていることが多いのは、うなじを守るためなのか」

 だとしたらキアラのあの首輪も、あの細い首を守ってきたのかもしれない。

「物みたいにやりとりされてるせいかと思ってたが、もしかしたらそうだったのかもな」

 ユクガとククィツァの集落には、アルファもオメガもほとんど生まれてこなかった。どちらの二親もベータで、記憶で辿れるような祖先や親戚にも、アルファやオメガがいたという話は聞いたことがない。
 たまたま、それも同時期にアルファが二人も現れたとあって、集落全体がしばらく騒ぎになったのは二人とも記憶している。

「まあ、心配なのはキアラのヒートのときだ。俺もお前もアルファだし、お前まだキアラを番にしてないんだろ?」

 オメガのヒートにあてられたアルファは、同じように発情状態になってしまう。そのラットという状態になると、アルファはラットを引き起こしたオメガを求め、ときには我を忘れて無理やり犯したり番にしたりすることがあるそうだ。
 今のままでは、キアラがヒートを起こしたときに、ユクガとククィツァの二人がラットになる可能性がある。

「俺は、お前とキアラは運命の番ってやつだと思うし、お前たちが番になってほしい」

 どのアルファとオメガにも、どうあっても惹かれ合う運命の番という相手が存在する。特別な印があるわけでも何でもないが、運命の番同士はひと目見ればお互いに気づくという。

「……運命など感じたことはないが」
「でもお前はキアラを連れて帰ったし、もう手放せない。だろ? キアラだってお前を一途に慕ってる」

 番になる、という明確な意識があったわけではない。だが、あの部屋に置いていけないとは思ったし、今はキアラに他のアルファのにおいがつくのが嫌で、正直なところ、自分だけのものにしたいという欲望もある。
 ユクガの沈黙をどうとらえたかわからないが、ククィツァはぐい、と水を飲むと、残りのパンを口に入れた。

「そうそう、あの女カガルトゥラードの姫だからさ、殺すのはなしな」
「……は?」

 話題の変わり方が唐突すぎる。うまくついていけずに聞き返したユクガに、ククィツァが面白そうに笑った。

「戦後処理の話、気にしてただろ?」

 昨晩ユクガがキアラを庇って捻じ伏せたのはカガルトゥラードの姫君で、名はベルリアーナという。王族を人質として差し出して今後の不可侵を約束する、というのは、西方では普通のことらしい。

「……そんなもの、信用できるのか?」
「……さあな。とはいえ、そこまで言い出されたらこっちもある程度譲歩しなきゃいけなくなる。してやられた、って可能性はあるさ」

 ククィツァもユクガも、国政など詳しいわけではないし、そもそも国を大きくしようとしているわけでもない。ただ、自分たちの暮らしを守りたいだけだ。

「……考えることが多すぎる」
「俺だってわかんねえことだらけだぜ? 助けてくれよ、兄弟」

 人懐っこく笑うククィツァの顔を見やって、ユクガはため息を漏らし、残りのパンを口に運んだ。
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