白銀オメガに草原で愛を

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草原

10.お姫様よりお姫様らしく

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「……ユクガ様」
「何だ」
「……私も、自分で馬に乗れるようになったほうがよいと思うのです」

 前に乗せたキアラが珍しく主張してきて、ユクガは何度か目を瞬いた。
 冬の集落の移動先に向かうため、ルイドに揺られている最中だ。荷物は複数の家族分をまとめて荷車に載せるので、少し後ろでククィツァの家の馬が山になった荷車を引いてくれている。先頭を進むのがククィツァとイェノア、その後ろをユクガ、あとは羊の群れや、家財道具を積んだ荷車を引く馬を囲みながら、それぞれの家族が三々五々ついてくるような隊列だ。

 無論いつかはキアラ一人で馬を操れるようになったほうがいいとは思うが、まだキアラの馬は買えていないし、乗馬の練習もさせられていない。次の夏あたりから始めようかと思っていたのだが、何かあったのか。

「俺と相乗りは嫌か」
「い、いいえ」

 キアラの体を支えてやっていた腕に、ほっそりした手が添えられる。

「ユクガ様をお傍に感じられるのは、好きです」
「そうか」

 子どもを寝かしつけるときのようにぽんぽんと腹を撫でてやると、そっと体を寄せてくる。キアラの香りがふわりと漂って、ユクガは思わずごくりと喉を鳴らした。
 今は首輪のおかげで、誰もキアラと番になることはできない。ただ、ククィツァに教えられたせいか、ユクガの中で、キアラの白い首筋に自分の噛み跡をつけたい衝動が明確なものになっていた。
 しかしキアラはまだヒートも迎えていない子どもの体で、ようやく感情表現ができるようになってきたところだ。怖がらせるわけにはいかない。

「なら、なぜ一人で乗りたい?」

 自分を落ちつかせるようにキアラの匂いを吸い込んで、ユクガは静かに尋ねた。

「……お姫様よりもお姫様のようだねと、言われてしまったのです」

 カガルトゥラードの姫であるベルリアーナよりも大人しく、あまりものを知らないこともあいまって、お城で大切に育てられた姫君のようだ、と女たちに言われたらしい。

「私は、男なのに」

 キアラ自身は、自分が男性であるという認識を案外しっかり持っている。漏れ聞いた話では、一部の子どもに女みたいとからかわれることもあるようだが、それにも気丈に言い返しているらしい。

 ただ。

「王子様のようだと言われたら許す、という論理になるが、それはいいのか」

 キアラが考え込むように少し首を傾げ、緩く首を振る。

「……よくありません」

 不満げなのが珍しく声色から読み取れて、ユクガはひっそりと肩を震わせた。小さな頭が振り返って、唇を尖らせる。

「……ユクガ様も、私をからかっておいでですか?」
「いいや」

 苦笑しながら答えたのがわかったのか、ぐりぐりと頭を押しつけられた。不満を表しているらしい。宥めようと体を支えている手で撫でても、小さな姫君は少し機嫌が悪そうだ。

「……お前が姫君だと、困るな」
「ユクガ様が、お困りになるのですか」

 きちんと前を向いて座り直すよう促して、形のいい耳元に口を寄せる。

「お前が姫君なら、俺が王子にならなければ娶れなくなる」

 キアラの体に回した腕をぎゅ、と掴まれた。また振り向いた顔が、少し赤い。

「……ユクガ様のお嫁さんに、してくださるのですか」
「ヒートを迎えたときに、お前にその気があったらな」

 キアラの顔が少し曇って、ユクガの胸に頭を寄せてくる。先ほどとは違って、大した力は入っていない。ささやかな不安の訴えが愛らしくて、ユクガは思わずつむじに口づけそうになるのを懸命に耐えた。
 まだ、そういう色めいたことをするのは早すぎる。

「ユクガ様は、とても素敵な方です」
「……そうか?」
「はい」

 正面から自分のことを褒められるのはむず痒い。まっすぐ言いきるキアラに苦笑して、ユクガはわざとルイドの足並みを乱した。驚いたキアラがまたぎゅっとユクガの腕を掴む。

「こうやってお前をからかうような男だぞ」
「……そういう、ことでは、なくて」

 ユクガが唐突に列を乱したので、近くの男が視線で尋ねてきた。それに首を横に振って答え、キアラの頭を軽く撫でてみせる。相手もしたり顔で頷いて、自分の家族のほうへ戻っていった。
 相乗りしている子どもをからかうような話は、遊牧の民なら誰でも経験がある。

「……私は拝見したことがありませんが、ユクガ様はこの集落で一番弓がお上手だと伺いました」

 ヨラガンの男は、騎乗したまま弓を撃てるよう子どものころから練習を始める。得手不得手はあるが、馬を走らせながら弓を射るというのは当たり前の動作だ。
 ユクガにとっては、馬を全力で走らせていても的を外さないというのも当たり前のことに入るのだが、誰もが同じことをできるわけでもない。おかげで弓の腕前ならユクガが集落一だ、という評判を得ている。

「それにお顔立ちも素敵ですし、とてもお優しいです。ですから……」

 言い淀んだキアラが、顔を伏せてもそもそと前に向き直ってしまった。

「……私が大人になる前に、ユクガ様はどなたかと結ばれてしまうのではないかと……不安、です」

 小さな呟きは風に溶けるようだったが、ユクガは細い体を抱く腕に力を込めた。

 キアラの将来を縛りたくはないと思う。ただ、ひたむきに思いを向けてくれるいじらしさは愛しい。キアラがきちんと大人になるまで手を出すまいと決めたのは己だが、この一途な子どもが自分以外に目を向けるのはあまりに不快で、ずいぶん身勝手だなという思いもある。

「……キアラ」
「はい、ユクガ様」

 呼べば答える素直なところも好ましくて、ユクガは小さく、息をついた。
 なるべくキアラを怖がらせないようにしておくつもりだった。だが、穏やかで優しいというのは、ユクガの本質ではない。

「……俺は優しい人間ではない」
「そうなのですか?」

 ちょうど次の休息地に差しかかって、ククィツァとイェノアが速度を緩めた。ユクガもルイドを止め、先に降りてからキアラを降ろしてやる。

「お前が思っているより、もっと乱暴な男だ」
「……そうでしょうか……」
「そうだ。ほら、先に仕事だ」
「はい」

 それぞれ適当なところで馬を降り、協力してユルトを手早く組み立てていく。この数日の移動でキアラもずいぶんと慣れてきて、あちこちで道具を手渡したりユルトの幕を引いてぴんと張るようにしたり、集落の皆と馴染んでいるのがわかって微笑ましい。
 他の男たちが、やたらとキアラに話しかけたり体に触れたりしているように見えるのは腹立たしいが。

 それから女たちは集まって食事の支度を始め、男たちは水汲みと狩りに向かう。移動の間は個々の家ではなく、集落全体で一つの生活を営むことになるのだ。

「キアラ」
「はい、ユクガ様」

 弓と矢を用意してルイドを待たせておき、ベルリアーナと仲良く話していたキアラを呼び寄せる。ユクガには近づいてこないが、なぜかベルリアーナはキアラと日中仲良く過ごしているらしい。イェノアとも良好な関係のようだし、キアラを傷つける相手でなければ、ユクガがキアラの交友関係に口を出す気はない。
 信頼だけを乗せた薄氷の瞳で見上げてくる頬に触れ、何度か指の背で撫でてから、髪をかき上げてやる。

「行ってくる」
「はい、いってらっしゃいませ、ユクガ様」

 頬にも少し丸みがついて、赤みが差してきたように思う。そのうち背も伸びてきて、一人でいろいろなことができるようになってくるはずだ。

 今のうちから、虫よけをしておかなければならない。

 キアラが胸元に差していた簪を取って耳にかけてやり、膝をついて、頬に口づける。唇で触れた肌は、思った通り滑らかだ。

「行ってくる」

 立ち上がって髪を撫でると、キアラの顔がみるみる桃色に染まって、頬を押さえて座り込んでしまった。

「キアラ……?」
「っ、だ、め、です、だめ、だめ……っ」

 何がだめなのか。

 聞こうとしたものの肝心のキアラがイェノアたちのところに逃げていってしまい、残されたユクガは一人で首を捻ることになった。大笑いしているククィツァに肩を叩かれたのも、理解しがたかった。
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