白銀オメガに草原で愛を

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宮殿

31.親愛の表現

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「これでは顔がわからんではないか」

 知らない声だ。この声の主が、キアラの腕を掴んでいるらしい。

「お待ちください、その方は神子ですぞ……!」

 こちらは総主だ。焦っている、ようにも聞こえる。
 きつく掴まれた腕を引っ張られて立ち上がらされ、ベールが取られて床に投げ捨てられた。急に明るくなった視界にぱちぱちと瞬きをしていると、顎を掴まれて上向かされる。

「大人しい方だ」

 赤い髪に赤い瞳の、大柄な人だ。力が強くて、掴まれている腕や顎が痛い。

 怖い。

 恐ろしくて声を出すこともできずにいたら、ぐいぐいと顎を動かされて、顔を眺め回される。

「傷はなさそうだな、当然か」
「……ゲラルド殿下、おやめください」

 総主がキアラと大柄な人の間に体を割り込ませてくれて、ようやく手が離れていった。恐ろしくて、総主の体に隠れられるように移動して、掴まれていた顎にそっと手を添える。
 怖い。

「オメガなんだろう?」
「……オメガではいらっしゃいますが、それ以前に神子であらせられます。ご無体はおやめください」

 総主の向こうからぐいと覗き込まれて、思わず小さく悲鳴を漏らしてしまった。ぎゅっと総主の服を掴むと、振り返った総主の手がそっと肩に置かれる。

「神子様……少しお休みください。こちらへ」

 礼拝堂の入り口近くにある小部屋に案内されて、総主が出ていってしまう。あの大柄な人は入ってこなかったが、ここは安全なのだろうか。置いてあった椅子に腰を下ろして、そっと自分の腕を抱く。手が冷たい。
 こんこんと扉が叩かれて、がたりと椅子の音を立ててしまう。

「神子様、ミオです。シアもいます。入ってよろしいですか」
「ミオ……シア……?」

 聞き返した声が自分でも驚くほど弱々しくて、キアラの返事を待たずに開けられた扉からミオとシアが駆け込んできた。

「神子様、いかがなさったのですか」
「ベールはどうされました?」

 口々に尋ねてくる二人になんとか首を横に振って答え、触れてくれる手をぎゅっと握る。

「……怖い、方、が」

 思い出したというのか、記憶が繋がったというのか、名前は知らなかったが、あの大柄な人はキアラも知っている人物だ。ユクガに出会う前、あのカガルトゥラードのどこかの小部屋にいたころ、何度か会ったことがある。
 自分の傷を、キアラの血で治していたうちの、一人だ。

「……礼拝堂には、神子様の他には総主様と第二王子殿下がおいでです」
「……総主様では、ない方が、怖いです」

 キアラの血は、例え一滴でも効果がある。血を飲むといっても、指先を突いてコップの水に垂らしたものを、水と食事を恵んでくれていた人が持っていくことが多かった。

 けれど、あの人がきたときは、キアラは必ずベッドに縛りつけられた。彼が自ら剣を振るってキアラに傷を作り、そこから直に血を飲みたがったからだ。あのころはまだ今ほど大きな体はしていなかったと思うが、すでに力は強かった気がする。

「……神子様、大柄な方が苦手ですか?」

 シアに問われて、キアラは首を横に振った。体格でいうならユクガも同じくらい大きかったはずだし、ルガートやローロだって大きかった。
 あの人は、もっと別のものが、怖い。

「神子様、落ちつかれましたかな」

 こんこん、とまた扉が叩かれて、キアラは体を震わせた。ミオとシアが顔を見合わせて頷き合い、ミオが扉に向かう。

「総主様、神子様はまだご気分が優れないようです」
「おお、そうか……ゲラルド殿下と親睦を深めていただきたいのだがな」

 部屋の中に総主が入ってきて、ミオがさっとキアラの傍に椅子を用意した。シアも離れていこうとするので、慌てて握っていた手にぎゅっと力を込める。傍にいてほしい。総主が近づいてくると傍にいる精霊の気配が少なくなるから、心細いのだ。

「神子様、驚かせてしまい申し訳ありません。ゲラルド殿下は、少々せっかちなお方でしてな」

 大柄な人は、ゲラルドという名前らしい。カガルトゥラードの第二王子で、アルファなのだという。現在カガルトゥラードの王族にいるアルファはゲラルドだけなので、オメガである神子のキアラに挨拶に来た、そうだ。
 総主がお祈りのあとに会わせたい人がいると言っていたのは、彼のことらしい。

「……お話ししなければ、いけませんか」
「そのほうがよろしいでしょう。神子様を蛮族どもからお救いすべしと軍を動かしてくださったのも、ゲラルド殿下ですから」

 キアラはゆっくりと視線を落とした。

 カガルトゥラードの人たちは、ヨラガンのことを蛮族と呼ぶ。詳しい意味は教えてもらえていないが、蛮族というのがよくない言葉なのは、キアラにもなんとなくわかった。
 カガルトゥラードの多くの人は、キアラがここに来ることになった戦を、悪いヨラガンの人たちにさらわれた神子をカガルトゥラード軍が救い出した、と理解しているようなのだ。キアラはヨラガンでひどい目に遭って傷ついていて、必要なことも教えてもらえなかったので何も知らない、ということらしい。

 だから、キアラがヨラガンの話をしたいと思っても、ヨラガンに帰りたいと思っても、誰にも話すことはできなかった。

「……ミオと、シアと……総主様が一緒にいてくださるなら、お会いいたします」
「おお、そうですか。では場所を移しましょう。ああ、ベールも新しいものが必要ですな」

 総主がてきぱきと指示を出し始めて、ミオが動きだす。キアラが手を握ったままなので、シアはキアラの傍だ。シアが落ちつかせるように背中を撫でてくれて、キアラはほっと息をついた。

 あのころははっきりわかっていなかったとしても、今はキアラにも少し知識はある。恐ろしいという気持ちに呑まれると、動けなくなってしまうものなのだろう。
 けれど、どうしたら恐ろしいものに立ち向かえるのか、わからない。

 キアラとシアはそのまま小部屋で、総主とミオがいろいろ整えてくれるのを待った。ミオが新しく持ってきてくれたベールをかぶせてもらい、今度はシアに手を引かれて移動する。まだ行ったことのない方向だ。段がありますから気をつけて、と言われて降り立った地面に、草の感触がある。

「我らしるべ灯火ともしびに与えられた、王宮内の庭でございます。美しいところですよ」

 しるべ灯火ともしび、というのは、総主をおさとした火の精霊を大事にする人たちの集まりだ。キアラが祝福を受けているのは火の精霊だけではないが、火の精霊の祝福も受けている神子として、キアラ自身も、彼らが大切にしたり祈ったりする対象になっているらしい。
 カガルトゥラードでは、王族も漏れなくしるべ灯火ともしびの一員として火の精霊を大切にしていて、総主は王族と同じくらい身分が高い人のようだった。そしてキアラも、王族と同じくらい、身分が高い、らしい。

「神子様、どうぞこちらへ」

 勧められた椅子にキアラが腰を下ろすと、そっとベールが外された。目を丸くして瞬きをするキアラに、ベールを小さくたたみながらシアが教えてくれる。

「ここはしるべ灯火ともしびの庭なので、神子様がご尊顔をあらわになさっていても大丈夫です」

 ごそんがん、という言葉は初めて聞いたが、ひとまず、ここではベールをかぶっていなくてもいいのだろう。こくり、とキアラが頷くと、ざわざわと人の近づいてくる音がして、向かいの椅子に先ほどの大柄な人が座った。
 総主が軽く眉をひそめたのが視界の端にちらりと見えたものの、キアラは大人しく前を向いていた。

「お招きに預かり感謝する、総主殿」
「……ゲラルド殿下においでいただき、この庭も喜んでおります」

 どうだろう、とキアラは内心で首を傾げた。総主だけなら多少は傍に残っていた精霊が、ゲラルドが現れた途端、さあっと逃げていってしまったのだ。少なくとも、精霊はゲラルドの訪れを喜んでいないと思う。
 総主とゲラルドの会話をぼんやり聞き流して庭というものを眺めていたら、視線を感じてはっと顔を戻す。

「神子様、先ほどは失礼いたしました。蛮族に捕らわれていたとお聞きし、この目でご無事を確認したかったのです」

 何と返せばいいのだろう。キアラがけがをしてもすぐに治ることはゲラルドも知っているはずだし、先ほどのあれは、心配していた人の行動とはとても思えない。
 言葉に困って総主に顔を向けると、にこにこと頷かれた。

「神子様もお許しになるそうです、ゲラルド殿下」

 そんなことは言っていない。
 が、総主のほうを向くと都合のいいように解釈されるらしかった。王子に対してどういう態度が正解なのかわからないから、確認したかっただけなのだが。

「……さすがは神子様、寛大なお心に感謝いたします」

 慌ててゲラルドのほうに向き直り、ふるふると首を振る。一瞬ゲラルドの表情が変わったように見えたが、すぐに元のよくわからない笑顔に戻ってしまった。

「カガルトゥラードの王家でアルファは私一人だけです。それゆえ神子様とぜひお近づきにと思い、少々気がはやり礼拝堂まで押しかけてしまった。申し訳ありません」

 アルファが一人だからキアラと近づきたい、というのもよくわからない。謝罪をどう扱うべきか首を傾げ、両手をそっと重ねて声が震えないよう力を入れる。

「……私は、カガルトゥラードの方々を、よく存じ上げません。ゲラルド様が……いろいろ、教えてくだされば、心強い、です」

 問題なかったか総主の様子を確認する前に、勢いよくゲラルドが立ち上がった。目を丸くしているキアラの前に遠慮なく近寄ってきて、片膝をつく。

「ぜひとも。また機会をいただきたい」

 手を取られて唇を押し当てられ、キアラがあっけにとられているうちにさっさと庭から出ていってしまった。慌てて総主に顔を向けて、口づけられた手を見せる。

「こ、これは、どうしたら、よいのですか」
「神子様、手の甲へのキスは親愛の表現です」

 ゲラルドからの好意の表れと説明されて、キアラはおずおずと口づけられた手を見つめた。
 ユクガからされたのなら、嬉しくて笑みがこぼれていたかもしれない。ただ、今はなんというか、失礼かもしれないが、手を洗いたい。

「ただし……神子様からは、してはなりません」
「……いたしません」

 唇で触れてほしいのも、触れたいのも、ただ一人の番のことしか思い浮かばなくて、キアラはきっぱりと首を横に振った。
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