悪魔に憑かれた男

大松ヨヨギ

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受胎告知

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 白い空間の中、小さな黒い影達がその少年を囲んでクスクスと笑っている。
 
『喋り方変だよね』と彼らは思ったことを言っているだけだ。それに言い返せば彼らはまた『変だ』と笑う。
 
 今にも泣きそうで、可哀想な少年をノエルはただ遠くから見ているだけだ。
 
 何故彼らに従って自分を無理矢理変えなくてはいけないのか!と少年は叫んだ。怒りに震える一方で深く傷ついた心は誰にも解放することなく一人で抱えられていることをノエルはよく知っている。
 
『…出来損ないが。やはり王国の血が混ざっている』
 
 少年を見下ろした藍色の瞳は、追い打ちをかけるようにそう言った。ノエルと同じくらいの背丈の男はその少年が差し伸べた手を振り払い、気に止めることなく消滅する。
 
 少年を助けず傷つけるだけ傷つけて、ある一瞬で散って消滅する。そうすればなんの声も聞こえない無音に取り残されるのだ。
 
『どうしてみんないなくなるの』と膝を抱えて悲しむ彼に、「お前に必要がないからだ」と教えてやる。だがこちらの姿など見えていないのだろう。ただ孤独に涙を零すのだ。
 
 惨めで、弱い、その少年をノエルは見て見ぬ振りをして黒い影と同じように背を向ける。
 しばらく白い空間を彷徨い歩くと、ボロボロのよく見知った扉が目の前に現れた。
 
その扉を開けて一歩中に踏み入ると、急に目線が低くなる。あの泣いていた少年に逆戻りしてしまうのだ。
 
『ノエル、おかえり』
 
 窓辺にいつも番の鳥が遊びに来ていた。暖かな日差しはベッドで横たわる母を優しく照らしているが、その世界は優しくは無い。
 
『学校楽しかった?』と掠れた声で問いかける彼女に、ノエルは(楽しくなんてなかった)といつも言えず、ただ頷くだけだ。
 
 沢山の管に繋がれたその腕をこちらに差し伸べて、優しく笑う。ノエルはその手のひらをぎゅっと握った。まだ暖かく、その夢の中では彼女は生きている。目が覚めたなら、全て無かったことになる温もりが恋しい。
 
『ごめんね、あなたには辛い思いをさせるけれど』
 
 その笑顔は頼りなく、抱きしめられたノエルはただ(目が覚めなければいいのに)と願うばかりであった。
 
 
 
 
 
 
 
 それは子供を抱える母のように優しく、ノエルを包み込んでいる。暖かい腕の中はその目から零れた涙を隠すように守っているのだ。
  
「…………」
「おはよう。」
 
 ウィリアム・ウィルソンはそう言うとノエルの涙を躊躇うことなく拭った。
 
「お前ここで何してる」とノエルはその腕を振りほどいて上体を起こす。確かに寝室に鍵をしていないが、誰が潜り込むと思うのか。
 
「勝手に入ってしまったことは申し訳ない。随分と魘されていたから心配だったんだ」 
「だからといって…」
 
 大の男がそれこそ大の男が寝ているベッドに入るというのはどういう事なのか。ノエルはあからさまに眉を寄せて考え込む。
 
(昨日の発言も意味不明だった。…それに振り回されている俺も俺だが…)
 
「私が魘されている時はそうして貰っているから…嫌だっただろうか?」
「…嫌かどうかの話ではなく、……はぁ…。」
 
 考えるだけ無駄なような気がする。この男を理解しようとしても的外れで、カロリーを無駄に消費するだけだ。
 
 ウィルソンはベッドから立ち上がると腕を突き上げて背伸びをすると、寝癖の付いた白金の髪をぐしゃぐしゃと指で整える。
 
「それに温もりがないと眠れないから。お前のおかげで久しぶりによく眠れた」
「……それは良かったな」
「嫌じゃなければ―」
「俺は周りに人間がいると眠れない。」
 
 男のセリフを遮り、ノエルは心も体もある程度の距離を保つ。ウィルソンは何かと近づきたがるが、その行動は理解から一歩遠ざかる。
 
「勘違いするなよ。俺はお前と馴れ合うつもりは無い。…お前を匿うのはこちらにメリットがあるからで、それ以上でも以下でもない。」
「…ああ、分かってる」
「家族ごっこはうんざりだ」
 
 ノエルは冷たくそう言い放って直ぐに後悔した。男が寂しそうにしていたからではなく、なりたくない自分になっていたのだ。狡く、怠惰で、傲慢な…気を抜いたらその腐った性根が顔を出す。
 
(…クソ)
 
 ノエルはベッドから立ち上がる。暇な男に構っている時間はないのでさっさと洗面所に行き身支度を済ませ、本日も一日解決に向かわない事件と向き合わなければならない。
 
「もう出るのか?気をつけろよ。」
 
 正直今日は職場に足が進まない。それは後ろで見送る"原因"を隠していたノエルのせいで、嵐がやってくるのだから当然だ。
「おかしな真似はするなよ」と釘を刺して、ノエルは振り返ることなく扉の向こう側へ足を踏み出した。
 
 
 
 
 
 
『オイ、主ガオ前ノセイデ怒ッテタゾ。ハハハ、ザマーミロ』
 
 床を掃除しながらそいつは悪態をつく。ウィルソンの足にガンガンとぶつかって馬鹿にしているのだ。どうやら人格の設定が不十分で、可愛げのないキャラクターになってしまったようだ。
 
「そこのクソロボット、お前は黙って床を掃除していろな」とそれを軽く蹴りつけて、誰もいない部屋をゆっくり見渡した。
 
 ウィルソンはとりあえずそのソファーに腰を下ろし、ぼんやりと天井を眺める。
 
「家族ごっこね、…そんな言い方ないと思わないか?」とソファーの下までモーター音をギュルギュル鳴らしながらやってきたそいつに話しかける。
 
『知ルカ!オ前ガ主ニトッテ家族ジャナイダケダロ!』
 
 ロボットは辛辣な言葉を並べて煽るようにその丸いボディをクルクルと回すのだ。その動作でゴミが吸い取れる訳もなく、むしろ埃を空中に舞わせている。それでも男がそれに話しかけるのは不安が重なっていたからだろう。
 
「あいつが昨日飯を一緒に食べようと提案したんだ。どちらかと言うとごっこ遊びがしたかったのかと思ったんだ」
『勘違イダ。俺ハ掃除デ忙シイ、暇人二構ッテル暇ハナイ!』
「…このクソロボット」

 再びそれを蹴って、左のズボンのポケットに入れた薬ケースの蓋を開ける。残念ながら一粒たりともそこに錠剤は入っていない。
 
「うーん、……困った。自由に動けないのはこんなにも不便なのだと自覚したよ…」
 
 いつ王国打倒委員会とかいう連中と鉢合わせるか分からない以上、薬を貰いに行くことも難しい。せめて自分の身を守る武器があれば話は別だが、元々持っていた拳銃はノエルがどこかに隠して手元にない。
 
(仕方ない、先に面倒事を片付けるか…)

「おい、クソロボット。ちょっとここにゴミが残ってるぞ」
『ドコダ?』 
 
 男は近づいてきた掃除ロボットを両手で抱き上げると、パワー調節のボタンを長押しした。
 
『オイ!ヤメロ!下ロセ!』
 
数秒後、ギャーギャーとうるさい機械音は止まり、掃除モードから通信モードに切り替わった。ぽん、と現れた小さなスクリーンはそこから『ダミー四』宛に連絡を入れる。
 
 接続中の文字が三秒ほど映し出され、それは直ぐに応答した。
 
『ウィリアム!?なんで連絡してくれなかったの!』とその女は金切り声を上げて騒ぎ出した。金が有り余っているのだろう、その背後には豪華絢爛で趣味の悪い家具がチラついて見える。
 
「実は色々と困っていてね。」
『何かあったの?貴方に会えなくてずっとずっと寂しかったんだから!』 
「私だって寂しい。だけれど今君に会いに行ける状況じゃないんだ」
 
 甘い声色は自分で聞いていて吐きそうになった。だが彼女はその言葉を真に受けて「私に何でも話して!貴方のためなら何だってしてあげる」と身を乗り出すのだ。
 
「……実は――」
 
 
 
 
 
 
 大切な人が誰かに命を奪われたなら、きっと我を失って怒りと憎しみに支配されてしまうのだ。リク・サコダはまだそれを経験していないので、目の前の男の感情についていけない。
 
「お前のせいで二人は死んだようなもんだ!」
 
 胸ぐらを掴まれ怒鳴られるサコダは、ガクガクと首を揺さぶられ今にも朝食のポテトサラダが胃から上ってきそうだ。そのドスの効いた声にバクバクと心臓が騒ぎ出す。
 
「何とか言ってみろ!!」
「…そ、そんなつもりなかったんす!」
 
 ケイシー・ケンドルは「ふざけるな!!」と怯えるサコダを突き飛ばした。会議室の椅子を薙ぎ倒してドスンと尻もちをつく。痛みを感じる間もなくその強面が距離を詰めるのだ。
 
「立て!!」と再び胸ぐらを捕まれ、血走った目はぎっと睨みを効かせる。
 怒りの感情を殺すことなく罵詈雑言を浴びせられ、怒られ慣れていないサコダはすっかり萎縮してしまう。
 
 
 王国打倒委員会に不死身の男が拘束されているという情報を信じて捜査部隊員二人は殺された、それが誤情報だとしたなら彼らの死は必要のないものだった。確かにそれはサコダがお気に入りの娼婦から得た情報だ。
 
(なんで今日に限ってローレン部隊長遅刻すんすか~)と嘆く。捜査部の隊員らも自分達の隊長の暴挙を見て見ぬふりをする。
 
 とりあえずダメ元で棒立ちの男に(助けてー!)と視線を送った。ノエルに助けを求めてもどうにもならないとは思うが。
 
「そもそも帝国警察に王国の人間がいること自体気に食わねぇ!国に帰れ!」
 
 それは悲しい事に聞き慣れた言葉だ。だからサコダは切り抜け方を知っている。
 
「やだなあ~、帰る国なんて無いっすよ~。それに俺クォーターっすよ~」
「んな事知るか!ヘラヘラしてんじゃねぇ!」

 何を言われようと"真に受けない"、だ。一々差別的な発言に気を取られていては身が持たない。
 
「三十年前、…王国民お前達が帝国民にした事、忘れてねぇからな」
 
 ケイシーは過去に取り憑かれたように王国民を一括りにして非難する。サコダという個人を攻撃する事は間違っているが、王国民の血が混じるサコダが何を言っても一緒だろう。
 
(うーん、またセンシティブな問題を…言葉を間違えると殴られそうだしなあ…)
 
「確かに戦争は悲惨だったぽいすけど、俺産まれてな―」
 
 ぐい、っと体を後ろに引かれ、やっと間を取り持ってくれる人間が現れた。それが普段非協力的なノエルだったのは意外だった。
 
「落ち着いてください」
「汚らわしい王国民のくせに俺に指図するな!」
 
 その背中に隠れたサコダは(た、助かった)とホッとした。正直助けてくれるとは思っていなかったので男を見直した。そう思ったのも束の間、彼は抑揚の無い声で爆弾を投下する。
 
「今回の件は情報の精査をする前に行動したそちら側にも問題がある。」
「ちょ、先輩その言い方は…」
 
 死人が出ているというのにその発言は、デリカシーがないやら空気が読めない、と言われるサコダですらしようと思わない。
 
「………てめぇ今なんつった」
 
 見える、その岩のようなこめかみにビキビキと青筋が浮き出る光景が。
 
「帝国だの王国だのくだらない事を言っている暇があるなら情報の精査をしろ、と申しただけですが?」
 
 差別的な人間の言葉は"真に受けない"方がいい。だがノエルはどうやら真に受ける人間のようだ。
 
「ッこの!―」
「ケンドル捜査官、その辺にしておいたらどうだろう」
 
 一悶着が起こる直前、それらを制止したのは胸元に輝く三星の階級章を輝かせる初老の男だ。その後ろでローレンが頭を抱えてこちらを見ている。
 
「か、課長…どうしてここに」
 
 みるみるケイシーの怒りが萎んでいく。振り上げようとしていた拳を静かに下ろして、どう言い訳するか考えているのだ。
 
 
「ん?様子を見に来ただけだよ。…今の時代パワハラは厳しく罰せられるから気をつけてね」
 
 フェルトマイアー・GFジークフリートはひっくり返った椅子を一つ一つ正しい形に戻すと気が済んだのか咳払いをして穏やかな笑顔を浮かべる。
 
そして「実は隊員殺しとデリカロッド殺人事件の犯人が自首してきた」と世間話をするように隊員らに伝えるのだった。
 

 
 
 そこに座る中年の男は、ちんまりと椅子に腰掛けキョロキョロと視線を動かした。外を出歩けば彼のような人間はごまんといるだろう。
 
『えー、…ベン・カインさん、あなたは警察官二人と、デリカロッドの社長であるドミニク・モネとそこで働く従業員を殺害した、間違いありませんか?』
 
 捜査官に促され、男は頷くと説明を始める。それをローレンとケイシーは鏡越しに観察するのだ。
 
『…はい。間違いありません。』
『何故殺害したのですか?』
『私は王打会の人間に脅されて…』
『もっと詳しく話してください。』
『警察官の方は、王打会の事を嗅ぎ回っていたからと聞いています。…デリカロッドに関しましてはみかじめ料の未納でトラブルになっていまして…』
 
 へこへこと頭を下げながら男は丁寧な口調で対応する。今までに見てきた王国打倒委員会の人間とは思えない新しいタイプだ。それは隣で歯ぎしりをするケイシーも、腕組みをして仁王立ちするローレンもそう思っている。
 
『では、どうやって彼らを殺害したのですか。』
『薬です。…中身は分からないけれど、王打会からその薬で殺すよう言われました。』
『薬とは?飲ませたのですか?それとも注射?』
『警察官に関しましては…マーリンという酒場の酒に貰った錠剤を砕いて混ぜました。デリカロッドでは、注射器を預かりましたのでそちらを…他の方々は銃で…』
 
 この男が犯人で間違いは無いはずだ。何せ捜査部隊員の殺人は外部に漏れぬよう情報を制限している。…しかし、それを聞いている二人はどうにも腑に落ちない。
 
『―凶器は全て処分するよう指示されました。今頃ゴミ処理場で粉々になっていると思います』
『自首しようと思ったきっかけは何でしょう』
『王打会は私を切り捨てました。…殺される前に全てぶちまけてやろうと…。』
 
 
 
 「おい、どう思う?」とケイシーはちらりと視線をローレンに向けた。その違和感を共有したいと思ったのだ。
 
「そうね、…彼が恐らく犯人なのだろうけど…まだ決まった訳では無い。」
 
 その回答に、彼は片眉を上げて再び鏡の向こう側に視線を戻した。怒りも憎しみも今は落ち着いて、冷静に犯人の男を観察している。
 
「人間がブヨブヨになって死ぬ薬なんてあると思うか?」
「…分からない。王打会は最近勢力を増している。化学兵器を開発していないとも言えないわ。」 
「化学兵器ねぇ、…不死身の男といい、分からねぇ事ばっかりだ」
「科学班のDNA鑑定を待ちましょう。…話はそれから」
 
 ローレンはくるりと踵を返し、カツカツとヒールを鳴らしながら退室した。ケイシーはまだじっと観察を続けるつもりである。
 
(…きな臭い。何者かに覗かれているような…"不死身の男"の都合の良いように……いや、勘違いか)
 
 彼女はその唇をガリっと噛み、言い知れぬ不安を抱きながら書類を作成するためオフィスに戻ることにした。
 
 
 
 
 仕事帰りの人々は、足早に夜の街を駆け抜ける。サコダおすすめの酒場のテラス席で彼らをぼんやり眺め、ノエルは運ばれてきた酒の量の多さに眉をひそめた。麦酒の大ジョッキが四つドン、とテーブルに置かれる。
 
 店は混みあっているのにノエルたちの周りのテーブルは空白だ。皆帝国警察の、しかもバッジ付きの近くには座りたがらない。
 
「…おい、誰がこんなに飲む」
「何言ってんすかー、俺と先輩で飲むんでしょ!」
 
 サコダに飲みに誘われノエルは珍しくその誘いに乗った。普段ならば絶対断るが、今日は何だか家に帰り辛い。それは今朝ウィルソンに多少キツい言葉を吐いたせいだ。
 
(…もう少し言い方を変えるべきだった?いやあいつの距離の詰め方がおかしいから仕方がない)
 
「俺ら何にもしてないけど事件解決?にかんぱーーい」
 
 ジョッキを掲げるサコダに、ノエルは控えめに応じた。彼は酒をごくごくと飲み下し、その大ジョッキの半分まで腹の中に入れる。
 
「にしても先輩~、よくケンドル捜査部隊長にあんな風に言えますよね~!俺びびったすよ!ある意味そんけ~」
 
 ケラケラと笑う彼は追加のフライドチキンをパッドで注文しながら落ち着きなく足をブラブラさせた。その足がテーブルを蹴って相変わらず行儀が悪い。
 
「そいや先輩ってハーフでしたよね。お父さんが帝国の人?」
「……ああ。勘当されているがな」
 
 ノエルは酒を一口飲んで、あまり美味しくないと感じ眉を顰める。それはサコダが持ち出した話題のせいだ。
 
「これ聞いちゃ不味い話題…?あ、そういやあの不死身の男って結局今回の事件に関係なかったんすかね。」
「…さあな。」
「つーかよく考えるとほんとに存在してるのかな?確かに映像は…アレだったけれども、普通に考えてフェイクとかも有り得そうすよ。」

 彼の言う通り、普通ならば偽物だと思うはずだ。特に頭の硬い上層部の人間なら尚のことそう思うだろう。しかし、ノエル達に態々探すように指示するということは"絶対に存在する"という確証があるはずだ。
 
(それもおかしな話だ。)
 
 ノエルは急に家に残してきた男が心配になって落ち着かない。
 不安で泳いだ視線が捉えたのは、道端でリンチにあっている可哀想な浮浪者の老人だ。
 
「くっせ~!金が欲しかったらこれ食えよ!」と若者が地面にこびり付いたガムを指さした。それを拒むと腹を足で蹴り、仲間内でギャーギャーと喚いている。親の金で遊び呆けて自分が強くなった気でいるのだろう。
 
 ノエルの眉間に太いシワが寄った。どこの街でもこのような不快な連中が蔓延っているのだ。
 
「やだー、芋虫みたい~」と笑う女、その肩を抱き全て手に入れた気になっている男。煽てるように笑う壊れたロボットのような取り巻きの連中。
 
 行き交う人間誰一人、見て見ぬふりを決め込んでいる。
 
 ノエルが席を立とうとした時、サコダは「やめといた方がいいっすよ」とすかさずそれを制止した。
 

「大人数だし、タチ悪い組織の連中だったら―」 
 
 サコダが説得している間にも、老人は酷い暴行を加えられている。嗄れた声で助けを求めるが、誰にも届いていない。
 
(胸糞悪い…)
  
 ノエルはこの仕事に誇り持っていなかった。上の命令を遵守するただの命あるロボット。血は通っているのに温もりのない傲慢なバッジ付き。
 
「それに、言いがかり付けられるかもしれないっすよ。…俺ら国民から嫌われてるし…。暴漢から助けるために割って入ったバッジ付きが"不当な暴力を国民に振るった"って処分された前例もあるし……」
 
 その言葉でノエルは踏みとどまった。ここは人通りの多い場所で、今トラブルに巻き込まれる訳にはいかない。何せ爆弾を抱えているのだから。
 
「んだテメェ!!」
 
 藍色の瞳が迷いに揺れた時、バキッという打撃音とどよめきが喧騒の中の何よりも際立って聞こえる。
 
 二つの視線がその集団の方へ向けられると、先程までゲラゲラ笑っていた集団が各々散っていった。すると、帽子を深く被った…見覚えのある男が、どこかの店の鉄看板を何度も何度も振り下ろしている。
 老人を虐めていた男は芋虫のように地面に転がり、腰を抜かし這うように逃げる女も容赦なく男は殴るのだ。
 
 
(何してんだ!?)
 
 ノエルは先程の迷いなど一切消え失せ、すぐさま騒動の原因を止めに入った。
 
 鉄看板が折り曲がり、ぐにゃぐにゃになっても無心に振り下ろし続ける男の腕を力ずくで抑え込む。すると、彼は生気のない、虚ろで暗い眼差しでこちらを捉えた。その隙にボコボコになった顔の男はひーひー言いながら人混みに紛れ逃げる。
 
「…お前何やってる!」
 
 声を潜めて問いかけると、「あ、ああ…買い出しだよ」とウィリアム・ウィルソンは右腕に引っ掛けられた袋を掲げて見せた。
  
「自分で目立つようなことをして何がしたい!」
「誰も見ていないさ。この老人が殴られて蹴られていても誰も見えていなかったんだから。」
 
 ガコン、と看板をその場に捨てて帽子の位置を調整し、ウィルソンはふっと微笑むのだ。化け物でも見るように怯える老人は、礼も言わず縮こまっている。
 
「先輩!」
 
 後ろから駆け寄ったサコダは麦酒の泡を上唇に付けたままやって来た。そして二人をじっと見やると訝しげに目を細める。
 
「……その人、知り合いすか?」
「……………いや…知らない。」
「ふーん、そうは見えないっすけどね」
 
 咄嗟についた嘘に、ウィルソンは片眉を上げる。そしてサコダの服装を見て直ぐに察したのか(まいったな…)と俯くのだ。
  
(くそ、厄介なことばかり…)
 
 どう誤魔化すべきか頭を悩ませるノエルには隙があったのだろう。彼の爪先がウィルソンに向いていることに気が付かない。
 
「ちょっとそこの人!さっきのはやり過ぎっすよ。下手したら死んじゃうかもしれないのに」
「…」
「もしもーし、聞いてる?一応俺ら帝国警察っすよ、悪いこと…とは言えないけどやり過ぎたら捕まえなくちゃいけないんですけど」
「……」
「…あんたも無口キャラ?」
  
 サコダはずん、と大股で一歩男の方へ近づく。そしてその帽子のツバを人差し指でツンと指すように持ち上げたのだ。

 
「うわぁ、おにーさんめっちゃ美人!」と素直な感想を述べるサコダに、ウィルソンはムッと口を結んだ。
 「…男に美人とは失礼だとは思わないか」とつい反応を示してしまう男にノエルは静かに首を横に振る。
 
"余計な事を言うなよ"とぎっと睨みつけながら。
  
 それが通じたのかウィルソンは直ぐに帽子を深く被り直し、一歩後退して距離を取った。

 
「なーんだ、喋れるんすね!おにーさんはノエル先輩と知り合いすか?」と質問のターゲットを切り替える。
 
「…いや今会ったばかりだ」と言った男はちらりとノエルに視線を寄越してどうするか問う。
 
(このままここにこの男と留まるのはリスクがある。)
  
 それに答えるようノエルはウィルソンの腕をグッと引き寄せ、手錠をガチャンと掛けるのだ。
 
 「お前は飲んでろ。…俺はこいつから話を聞く。」
  
 
 

 
 
 スキープカーに揺られながら、男は手首の手錠を外してくれた。ほんの少し赤く蚯蚓脹れした手首をノエルは無意識に撫でる。
 
 
(…よく分からん男だな。距離を取りたがっている癖に自分は良いのだろうか。それとも無意識?)とウィルソンはノエルの行動に疑問を抱きながら座席にゆったりと凭れ掛かった。
 
窓の外はエレモアシティーのようにギラついた光も無く、天然の星と新月が浮かんでいる。流れる雲に時々隠れまた顔を出して、…いつか"あいつ"と平穏に暮らしたいとぼんやり考え、平穏などあるのか?と不安になるのだ。
 
(私など捨ててしまえば、…あいつにとっては平穏だろうな)と何百、何千と同じ事を考え息苦しい。
 
「何を買った?…足りないものがあったなら予め言ってもらえれば注文したんだが」
 
 悪い思考を断ち切るようにその藍色の瞳はじっとウィルソンの持っている袋に注目している。
 
「大したものじゃない。生活に必要な細々としたものだ。」
「…そうか」
 
 ノエルはそれ以上何も聞かない。ウィルソンにとって都合が良いが、どういった感情なのか分からず対応に困る。
 「それはそうと…怒らないのか?」と彼の感情を探るため問いかけてみるが、反応は期待できないだろう。
 
「…まあ確かにお前が出歩く事で何らかのトラブルに見舞われないとも限らない。だが俺も外に出るなとは言わなかった。」
 
 ノエルは無表情のまま冷房のスイッチを切って、制服の第一ボタンを外した。

「それもあるが…私が彼らに乱暴した事だ。やり過ぎたと自分でも思っている…」
 
  あの気持ちの悪い連中をボコボコにしたことに一切後悔はない。だが体裁を保つには反省したフリも必要だ。多少の説教は仕方が無いが、早く終わらせるために出来ることはするつもりだ。
 
「帝国警察として有るまじきことだが、…正直スッキリした。」

 その声色は初めてちゃんと抑揚が付いている。穏やかで聴き心地の良い、…ウィルソンは隣の男に人間味を感じた。
 
「俺が行動に移せなかったことをお前は出来る。俺は世間体を気にしてしまった。」
 
 恐らく彼には『正義感の元、老人を助けた』と思われている。実際はそのような大それたものでは無いが、彼自身はあの可哀想な老人を助けたかったのだ。
 
 中途半端な正義感としがらみに苦しんでいる、放って置けばその純粋な気持ちは腐り落ちてしまうだろう。
 
「ノエル、お前は真面目で…生きづらそうだ。」
 
 人には安心が必要で、不安な時は信頼出来る家族に触れられると安心する。その経験からウィルソンは心から同情してその男の頬にそっと触れた。
 
「…レールから外れることが出来なかっただけだ。」
 
 馴れ馴れしい手のひらをやんわりと退かして、困ったように顔を逸らす。ウィルソンはまた距離の詰め方を間違えてしまったと自覚してポリポリと頭を掻いた。
 
「悪い、調子に乗ってしまった。」
「…お前はそうやって色んな奴を転がしてるのか?」
 
 戸惑いと軽蔑が混じりあった瞳は否定を求めている。だがきっと彼の望む通りに否定しても信じないだろうが。
 
「そんなつもりはない。…不思議な話だがお前に触れると私が安心するんだ。次からは気を付ける。」
 
 答えが正解だったのかどうかは分からない。だが嘘は言っていないので不正解だったとしても問題は無いはずである。
 
「…今朝は俺も言い過ぎた。」
 
 ノエルの言葉に、ウィルソンは自分の回答に赤マルを付けた。一緒に住む以上、良好な関係を築きたい。
 
(それに、こいつとは気が合いそうだ)
 
『アバナンドール中央駅に到着致しました。』
 
 丁度のタイミングでアナウンスが到着を知らせる。照れ隠しなのかさっさと下車して一人歩いていく男の後を追うことにする。
 
 
 
 
 
  ポン、ポン、ポンと不気味な音で目が覚める。ぼやけた視界はその天井をしばらく眺めた。天井のボードの繋ぎ目を一つ、二つ…と数えていくうちに脳みそに血流が巡ったのだろう、そこが病院だということに気がつく。不気味な音は隣の心電図から鳴っていたようだ。
 
「ゔぅ…」
 
 体には沢山の管が通り、気分も非常に悪い。記憶がツギハギで何があったのか思い出そうとすると酷い頭痛に襲われる。
 
 「ぅ、ウィリアムに…連絡しないと……」
 
 重たい体をグッと持ち上げ、どうにか上体を起こすと自分以外誰もいない。目がグルグル回って、これ以上動けば恐らく吐く。再び意識が混濁し、起きていることは無理だと断念しゆっくりベッドに横になった。
 
(どうしよう…職場にも迷惑かかってるよな…。と言うより俺はなんで入院してるんだ?…)
 
  ぐちゃぐちゃの思考の中で、不安に怯える背中だけ鮮明に見えて、彼は心配事を抱えながら眠りにつく。
 
 遠くでまだポン、ポン、ポンと聞こえ続けていた。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
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ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。 自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。 食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。

【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?

キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。 知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。 今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど—— 「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」 幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。 しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。 これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。 全8話。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

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