オーバー・ターン!

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1,不安定な日常

1-2

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 「あのお店のケーキ、美味しかったねぇ」
 マリネルがペダルを漕ぐ俺に話しかけてきた。
 俺達は帰路につき、ちょうど西アーケードを越えた所であった。
 「俺は食ってないから、解らないって・・・」
 「美味しかったんだよーー、また行きたいなぁ」
 「今度は、最後まで平和でありますように・・・・・」
 「・・・・・・・・そうだね・・・」
 マリネルがしみじみと呟いた。
 ホットアイの角を曲がり、暫く進むと正面に奥名瀬フリーウエイに続くコーナーが見えるが、その手前のT字路を左に曲がる。
 暫く行くと、俺達は寮に到着した。
 この寮を初めて見た時、俺は寮だとは思わなかった。地元の長者さんか誰かのお屋敷だと思ったのである。
 道路から一段高い土地に建てられた、白い漆喰の瓦付きの塀に囲まれた日本の旧武家屋敷。
 時代劇などでお侍様の屋敷として時々見かけるか、観光名所などで見ることが出来るあれである。庭などは白い玉砂利が敷かれており、池や灯籠などが置かれていたりもする。
 もちろん大家さんもここに住んでおり、奥名瀬高校の学生に部屋の幾つかを寮として提供しているのである。
 俺達は瓦屋根付きの木の門をくぐると、掃き掃除をしていた顔見知りの女の子に出くわした。
 「あ、お帰りなさい」
 今日もメイド服を身に纏った春日さんである。彼女はここの寮生でありながら、屋敷の手入れなどのバイトをしているのである。
 春日さんは奥名瀬高校普通科の一年であり、同じ様なバイト兼寮生は十名程いるらしい。いるらしいというのは、この寮というか、屋敷には20名ほどの寮生と5名の教師が生活をしており、その他には、大家さん一家が十名ほど住んでいるはずなのだが、未だに全員が一同に介したところを俺は見たことがないためである。
 「ただいまって、またそのコスなのか?」
 半分呆れた俺が聞いた。
 「似合わないかなぁ?」
 春日さんはその場でくるりと廻って見せると、ロングスカートの裾が翻った。
 「・・・・・メイド服の下にジャージって暑くないか?」
 今は七月である。ただでさえ暑いのに、それはないだろうと言うのが俺の感想である。それともスカートの下にはクーラーでも設置されているのだろうか?
 「六時間目が体育だったから、学校でジャージの上に着込んで、そのまま帰って来ちゃった」
 あはははと笑う春日さん。
 「普通科って、絶対に普通じゃないよな・・・・・」
 「ふつーだよー?北門のポールにスパイダーマンみたいに張り付いたりしないし」
 「・・・・・・春日さん、あそこにいた?」
 「うん、いた、特技科って、雑伎科?」
 「それは、雑伎団だ・・・・」
 「似たようなもの?」
 「違うってば・・・・」
 マリネルが俺のシャツの裾を引っ張った。
 「あんまり、普通科の人達と話していると、怒られるよ?」
 俺達は、一年の一学期に限り、特技科の生徒以外と会話をすることが、原則禁止されている。これも理由は明らかにされていないが、俺が春日さんと話をしていても学校側から注意を受けた試しはないので、さほど重要な理由での禁止事項ではないようである。
 「あーーー、そうだったねぇ、特技科一年の一学期はそうなんだってねぇ」
 春日さんが改めて気がついたように言った。
 俺はそんな春日さんにじゃあねと手を振り、屋敷の離れに向かった。
 俺達の寮部屋は春日さん達とは異なり、離れとなっている。
 母屋を垣根越しに左手に見て、東の方向に小径が続いているので自転車を押しながら進むとやがて緩やかに北方向へと向かい、木々の間に俺達の寮となっている離れが見えてくる。
 離れと言いながら、こちらも二階建てながら、母屋に負けず劣らず武家屋敷と呼ぶにふさわしい外観である。小径からは植え込みが邪魔をして離れ全体を見ることは出来ないが、この離れは、東西に長い棟がそれぞれの南西の角と北東の角を接した形で建てられている。東側の奥まった位置に建てられているのが、玄関や居間などの共用空間であり、西側の手前の位置に建てられているのが二階建ての寮部屋となっている。
 俺は玄関脇の納屋に入り、自宅から持ち込んだ自転車のスタンドに自転車を止めた。
 玄関の土間で律儀に待っていたマリネルが、俺が土間に戻ると登り口に上がり居間の障子を開けて、中を覗き込んだ。
 「ただいまー・・・って、あれ、ブラッゲ、かなり黄昏れてない?」
 「うーーーーーむ」
 マリネルの頭越しに覗き込むと、食事用のテーブルの手前、東西南北に置かれた北側のソファーに寝ころんだブラッゲがあからさまに凹んだ顔をして、こちらを見ていた。
 二十畳ほどのかなり広い板張りの居間ではあるが、部屋の中央に通された太い柱とソファーにテーブル、それと薄型のテレビとその音響設備などが置かれている為、さほど広く感じられない。
 「エスターに説教された・・・・・・・」
 「なんで?」
 マリネルが聞き返す。
 「友弥を説教する前に、己の浅はかさに気がつけと言われた」
 「良くわかんないけど、そうなの?」
 ブラッゲがソファーに寝ころんだまま、頭を逆さまにした。
 「今日という今日は、エスターになんと言われようと、真面目にやれと、友弥に説教しようと思ったんだが、今日の池ポチャで、あの程度の突発アクシデントにも対処できない奴が、他人のことをとやかく言えるかと・・・・それから始まって、普段の生活態度がどうの、朝早く起きろだとか、細々とした説教がさっきまで続いてた」
 俺はマリネルを道連れに、今日の実習でアジス先生の言う『やってはならない行動』をやった。
 結果として俺達のチームは今日も成績が最下位であったのだ。それについての文句をブラッゲは言いたかったらしい。まぁ、予想していたことである。
 「あーーーーなるほどぉ」
 マリネルが納得したように頷いた。
 「あいつ、表情を変えずに、淡々と欠点を上げ連ねていくんだぞ。たまに誉めたかと思うと、実は誉めていなくて、次の瞬間、それをネタとした、欠点を突いてくるんだぞ・・・・・だめ、俺、あの説教嫌い・・・・・」
 「そのエスターは部屋か?」
 俺の問いかけにブラッゲは頷いた。
 「んじゃ、ブラッゲの相手はマリネルに任せる」
 「えーーーーーー」
 「いや、ほら、俺とエスターは今日、風呂当番だから」
 それでもと口の中でぶつぶつ呟くマリネルを置いて、俺は部屋に向かった。
 俺達の部屋は一階にある。元々は、七十畳ほどの東西に長い吹き抜けの座敷なのだが、大雑把に、八畳程度の正方形に区切る敷居があり、その敷居を一部屋と換算して、南に面して4部屋、北に4部屋の計8部屋と収納スペースに分けることが出来る。
 居間から見て、一番手前の部屋が俺の座敷である。その南側がブラッゲ、東側がエスター、南西側がマリネルとなっている。
 一番奥となる、西の南北二部屋分を寮母の大西茜さんが使っており、その手前の二部屋分を特技科教師で、俺達のクラスの担任でもあるアジス先生が使用している。
 俺達四人が使用している座敷と、アジス先生が使用している座敷は、板戸で仕切られた小部屋になっており、ここは寝具などの押入として使用されていた。
 縁側に面した部屋は、夜になると障子を閉めるが、明かり取りのため、日中に障子が閉まっていることはまれである。また、各個人の座敷を区切る板戸も取り外されており、いわば俺達四人は三十二畳の部屋に同居しているようなものである。
 この四人は、特技科でのチームである。
 特技科では何をやるにしても、この四人単位での行動が評価されるのだ。従って、一人のミスがチーム全体の評価に被害を及ぼす為、ミスばかりを起こす俺にブラッゲが切れたのである。
 まぁブラッゲが切れたのは今回が初めてというわけでも無いのだが・・・・・
 俺は自分に割り当てられた座敷に足を踏み入れた。
 「ただいま・・・って、あれ?」
 エスターの姿を探してぐるりと頭を巡らせると、エスターは左手のブラッゲの座敷にいた。
 「おかえり、思ったより早かったな」
 俺は壁際に手荷物を置き、エスターをしげしげと見た。
 エスターは、小さな卓袱台に向かいきちんと正座をして背筋を伸ばし、手元の本から俺に視線を向けていた。
 「どうした?」
 「いや、なんかお前って、日本人の俺より日本人っぽいな・・・」
 「誉め言葉か?」
 「一応はそのつもり」
 「そうか、それは喜ばしいことだ」
 俺の目を真っ直ぐに見上げながら、エスターは無表情でそう答えた。
 エスターは日本の文化にいたく関心を持ったらしい。そのためか、エスターの座敷には、日本鎧が鎮座しているばかりか、模造刀ではあると思うが、日本刀が飾られている。北側の漆喰の壁には掛け軸も掛けられており、そこには金魚のような鯉が描かれている。
 「今日は、風呂の掃除当番だったろ」
 俺はエスターに割り当てられた座敷の押入を開けて、自分の衣装ケースからTシャツとスエットを取り出した。この押し入れの半分を俺、もう半分をエスターと共用しているのだ。
 制服を脱ぎ、自分の座敷の桟のハンガーに掛ける。元来ずぼらな俺だが、卓袱台と座布団しかない部屋に脱ぎ散らかした服はとても目立つ上に、寮母の茜さんに怒られるのである。
 もともと、大抵の私物は押入に入っており、外に出ている私物はとても少ない。部屋の隅にミニコンポが置かれている程度である。
 「んじゃ、いこか」
 「・・・・・・・」
 着替えた俺は、こちらを見上げるエスターと目があった。
 「どうした?」
 「先に行っててくれ」
 「・・・・もしかして、痺れて立てない?」
 「・・・・・・」
 俺はにやりと笑った。
 「なんだその笑いは・・って待て、近寄るな、こら、こっちに来るな」
 逃げようとして、エスターはこけた。
 「○×□△!」
 声にならない声を上げて、足を抱えて悶えるエスター。
 「な、なんだ?」
 居間からブラッゲとマリネルが、顔を出していた。
 「いや、俺は何もしていないぞ?勝手にこいつが、何か誤解したみたいだが」
 「こ・・・・こいつ・・・・・」
 エスターは足を抱えながら、耳元まで真っ赤にして、俺を睨んできた。
 普段はクールなエスターだが、こういう単純なフェイクにはとても良く引っかかってくれる。
 エスターは悔しそうな顔で、俺を睨み続けた。


 俺の部屋を出て北を見ると、五メートルほど先の突き当たりに扉が見える。その木戸には達筆な字で「厠」と書かれた半紙が張られている。いわゆるトイレである。そのトイレの手前で左手を見ると、そこにも木戸があり、ここには「湯殿」と書かれている。これを開けると、南に向かって長細い脱衣場に入ることになる。
 俺達は、入って左手奥に取り付けられた脱衣場の木戸を引き開けると、風呂場の中に足を踏み入れた。
 最初にこの風呂を目にしたときは、驚いた。
 ちょっとした旅館並みの広さの風呂は、洗い場も木の床となっているのだ。そのため、ここでは、夜の十二時になると、寮母の茜さんが風呂の格子窓を全開にして、湿気を逃すために換気を行っていた。朝になると、風呂の南西と北東にある二カ所の外に通じる戸も開けて、風通しを良くしているのだ。
 そして風呂桶には、常に湯が流れ込んでいる。
 風呂桶の周囲に溝が切られており、溢れた湯が湯気を立ち上らせながら、流れていく。
 温泉という訳ではなく、とある施設で冷却用として使用された水をリサイクルとして、引き込んでいるのだそうだ。若干やばめな話にも聞こえるが、十年以上前からのことだから、大丈夫だと茜さんが言っていた。
 なにが大丈夫なのかは、あえて突っ込まなかった俺である。
 「ヘチマ?ブラシ?」
 傍らに置かれていた風呂掃除の道具から、その二つを手に持ちエスターに示した。
 「ヘチマだ」
 予想通りの答えだ。
 「ほい、ヘチマ、んじゃ桶をよろしく」
 俺はデッキブラシを片手に、シャワーをフックから外すと、乾いている床を濡らしていった。
 「お前、今日、呼び出されたろ」
 「ああ、ディッケにね」
 俺がデッキブラシで床を擦っていると、桶を磨いているエスターが問いかけてきた。エスターが言っているのは、今日のマリネルと二人で呼び出された二コマ分の説教のことだ。
 「なんで、アジス先生の授業でのミスを、体育教師の奴が説教してくるんだ?」
 「なぜ俺の言う通りにしないと怒っていた」
 「なんだそれは?」
 「俺の言う通りにすれば、お前のような奴がいても、お前の班はもう少しましになるんだ。俺の言う通りに出来ないクズはさっさとこの学校から出て行け。お前はいても害にしかならない。とか言ってたな・・・」
 「俺って言うのは、ディッケのことだな?」
 「ああ」
 「俺の言う通りって言うのは、どういうことだ?」
 「アジス先生が言う、『やってはいけないこと』を守り、メインはブラッゲに任せて、演算はマリネルに任せて、指揮ポジションのエスターの邪魔をしないようにする・・・・・かな?俗に言われる、ビジターシートに座ってろってことかな?」
 「シミュレータのビジターシートは筐体外になるな」
 「ゆくゆくは、俺を放校にするから、それまで大人しくしていろと言ってた」
 「露骨だな」
 「ついでに俺の前であいつ、自分の計画を呟いてたな」
 「なんて言ってた?」
 「エスター、お前って、権力者の親とかいる?」
 派手な音を立てて桶が崩れる音が聞こえたので、振り向くと桶の山が崩れてエスターが埋まっていた。そのリアクションは、俺の言葉をまさに肯定している。
 「・・・・・・・・・で、なんと言ってた?」
 エスターに手を貸して桶の山を元に戻す。
 「特技科の教師って、二学期以降は個別指導になるんだって?」
 「ああ、一般教養以外はな」
 「で、それの指導員となると、その生徒の恩師になるわけで、権力者の子女だと強力なコネになるらしい。そうすれば、こんなへんぴな国で一介の教師などやらずに済むとか」
 「あーーーー解った、解った」
 こめかみを揉みながら、エスターが忌々しげに遮ってきた。
 「確かにあいつは、書類上の経歴だけで見ると、かなり優秀な教師だがな。ったく、普通は逆だろ・・・・・」
 「逆なのか?」
 「ああ、二学期以降は、学期単位で生徒が教師を指名するんだ、経歴が勝る教師を生徒が選べる様になっている。ここでは誰を恩師としたかで、就職時の有利不利が決定されるからな。誰もが良い経歴を持つ教師を指名したがるが、学年単位で教師は一つのチームしか面倒を見ない。つまり、一年で一つ、二年で一つと言う具合だ」
 「優秀な経歴の持ち主には、各チームからの指名が殺到するんじゃないのか?」
 「だから、成績順に、希望が割り振られるって訳だ。さて、今の俺達の成績は?一年は十二チームあるが?」
 「十二位じゃないのか?よく知らんが、ディッケの言うことから想像すると」
 あっさりと答えた俺にエスターはあきれ顔であった。
 「今のところ、俺達は八位だ・・・・・・・」
 俺は驚いた。毎回実習で盛大な花火が上がると、有名な俺達の班が、まさか中堅近くにいるとは思いもしなかった。
 「なんだ、そのあからさまに意外そうな顔は・・・・」
 「あーーーもしかして、お前達がかなり優秀なのか?」
 「それは確かにある、特にマリネルの数学的、物理的な事柄に対する優秀さは流石に、史上最年少で国立大学院の試験を論文だけで突破した世紀の大天才と言われるだけある」
 「んじゃ、ブラッゲもエスターもマリネルと同じように、世紀の大天才って訳か?」
 「俺はともかく、ブラッゲも天才と呼ばれている。しかし、お前が一般教養で中堅以上の成績を収めているのも一因だ。それがなければいくら他の者達が頑張ったとしても、八位の位置に留まることは困難だ」
 俺はどちらかと言えば、体育会系の人間で、ご多分に漏れず、知識系の勉強は不得意とするところなのだが、マリネルやエスターが勉強の面倒を見てくれているおかげで赤点を逃れている様なものである。
 ちなみに、ブラッゲも体育会系であり、俺と一緒にマリネルとエスターにこってりと絞られている言わば同士である。
 「実習さえ並なら、もっと上位にいるって言うことか」
 「三位に届くかもな」
 「へぇ、そりゃすごいな」
 「人ごとみたいに言うな、ブラッゲを誤魔化すのも大変なんだからな」
 「まぁ、エスターには感謝していますって・・・」
 毎度実習の度に盛大な花火をぶちかます俺だが、それは俺なりのポリシーを持って行動した結果である。決して、花火をぶち上げるのがポリシーという訳ではなく、結果として花火が打ち上がってしまうのである。
 そのポリシーにエスターが気が付いたのだ。
 入寮して一週間目、朝のジョギング中に、エスターが併走しながら、実習で俺がやっている事を確認してきたので、俺はそれにイエスと答えたのである。
 俺の答えにエスターは薄く笑い、一口乗せろと言ってきた。
 それ以来、エスターと俺は共犯になったのだ。
 「まぁ、今ではお前の失敗をかなり楽しんでいるしな」
 エスターが笑った。
 「楽しむなって・・・・」
 俺は、床の清掃を終えたので、デッキブラシを所定の位置に戻す。
 エスターが投げてきたヘチマを受け取り、戻しておく。
 エスターが西の戸を閉め、俺が北の扉を閉めて清掃完了である。
 「ところで、どうする?風呂には入っていくか?」
 エスターが聞いてきた。風呂の掃除当番には、一番風呂の権利が与えられているのだ。
 「もちろん」
 俺達は一度部屋に戻り着替えを手にして戻り、脱衣所で服を脱ぐと風呂に戻った。
 何かと用意に手間取るエスターを尻目に、俺は先に体を洗い湯につかる。足を伸ばして入る風呂は格別である。俺は伸びをした。
 その頃になってようやくエスターが洗い場に入ってきた。
 「なぁ、ちょっと聞いて良いか?」
 俺は湯気にけぶる天井を見つめながら、ぼんやりとエスターに問いかけた。
 「なんだ?」
 「事象空間のゼロG訓練ってなんだ?」
 「今日の実習だな・・・・・なんだってなんだ?」
 「いや、なんて言ったらいいのかな・・・事象空間とか、ループ空間とか、そういうのって、普通の高校生が学校で習うことか?」
 「小学生でも常識として知っている事柄だと思うが・・・・・」
 「俺は知らなかったが・・・それって変か?」
 「気にするな、自分の常識は、他人の非常識だ」
 「逆に言うと、自分の非常識が他人の常識か?」
 「そうだ、ってそうか、お前はこの国の出身だったな、だったら知らないのもやむ得ないのかもしれないな」
 「今日、マリネルに言われて、知ったんだが、今年の一年で、日本人って俺だけなんだって?」
 エスターが笑った。
 「お前らしいな」
 「誉めてないだろ」
 「そうだ、誉めてない」
 後頭部を縁に当てて、俺は天井を見上げた。
 何かがおかしいと、ここに来てからずっと思っていた。
 目に映る物以外にも全ての事柄に対して、フィルターが掛かったような違和感。
 何か自分が今まで生きてきた常識が通用しない、そんな世界にいきなり飛び込んでしまったという感覚がつきまとって離れないが、それが何なのか、具体的に言葉に出来ない。そんなもどかしさが日々募っていく。
 特技科目の【事象空間のゼロG訓練】に始まり、【ループ空間のゼロG訓練】、【救難実習】、【通常空間航法】、【通常サバイバル実技】、【事象空間動体基礎】、【ループ空間動体基礎】、【牽引基礎】、など。
 一般科目の【事象物理学】、【ヘクタ論理学】、【ゲート学】、【生存医学】、【人型言語基礎論理】、【人型史学基礎論理】・・・・・
 聞いたことがある【国語】や、【社会】などという教科名は無く、美術や音楽はあるが俺が中学まで習っていた内容とは随分とかけ離れている。
 今までなぜか深く考えなかったが、人類は火星にも降り立ってはいないはずだ。なのになんで俺は、当たり前のように、宇宙空間を飛ばす船の航法などを習っているんだろう・・・
 特技科。
 特別専門技術養成科であり、俺達が所属しているのは、私立奥名瀬高校ノーラステイン機動装甲特科救助部隊員養成というクラスである。
 このクラスでは、主に宇宙空間で遭難した船の人命救助を専門とするレスキュー要員の育成を行っている。
 銀河系を脱出していない人類、それなのに空間を歪ませて航行する宇宙船の操船方法。当たり前のことが当たり前に感じることが出来ない俺がここにいる。
 何かがおかしい・・・・・・・
 しかし、一体何が?
 「・・・・・・・ぉぃ・・・・」
 軽く頬を叩かれる。
 意識が少しずつ覚醒していく。
 いつの間にか眠っていたらしく、俺はぼやけた頭でうっすらと目を開けた。
 目の前に美少女がいた。
 濡れた黒髪は後ろで頭に巻かれている。
 ほんのりと朱に染まった頬、吸い込まれそうな意思が強そうな瞳、すっきりとした鼻梁、形の良い唇、白い喉に巻かれた黒いチョーカー、鎖骨、そして柔らかなラインを描く胸元・・・・・・
 「!」
 驚いた俺は、風呂の中に沈んでしまった。しこたま風呂のお湯を飲み込み、両手でお湯をかき分け体勢を戻そうと躍起になる。
 「なにをやっている?」
 俺が湯の中から慌てて顔を出すと。いつものエスターが冷ややかに俺を見下ろしていた。
 さっきの裸の美少女はと辺りを見回すが、当然ながら影も形もない。
 エスターの後ろには見慣れた洗い場があるだけである。
 「ね、寝てた?俺・・・・」
 「ぐっすりとな、俺はそろそろ出るぞ」
 エスターに続いて俺も頭を振り、先程の幻覚を打ち消しながら風呂から出た。
 今の幻覚の美少女には見覚えがあった。夜中に目を覚ました時に見かける幻覚の少女である。まさか風呂の中で見かけるとは思ってもいなかったので、俺はかなり狼狽えていた。しかも今回は裸である。そろそろマジでやばそうなので、この週末に医者に行った方が良いかもしれないなどと真剣に悩みながら、脱衣場の大きな扇風機の前で仁王立ちしていた俺は、エスターにいつまで素っ裸でそこで涼んでいる気だ、と怒られた。
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