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やつれた二人
2.
しおりを挟む高校最後の冬。
僕は地元の医療大学を志望校にして、毎日勉強に明け暮れていた。
その大学に付属している大学病院では、舞葉の父親が働いている。
彼は医師としして働くかたわらで、大学の教授もつとめていたのだ。
難関校としてよく知られているその大学になんとしても入学したかった僕は、寝る間も惜しんで勉強をしていた。
学校意外では家に篭りきりの僕だったが、だからといって舞葉と会う機会が減った訳では無い。
むしろその逆で、舞葉は毎日のように僕の家に通っていた。
忙しくて家に寄り付かなかった僕の両親にとって変わり、彼女は僕の身の回りの世話を焼いてくれていたのだ。
ある意味幸せな日々を送っていたのだが、当時の僕は受験のことで頭がいっぱいでそれを自覚していなかった。
それでも、いつもより一緒に過ごす時間の増えた僕達の仲は、日に日により深まっていったのだった。
そして十二月。
雪の日が多く、冷え込む毎日が続いていた。
受験勉強も追い込みの時期になり、僕は気持ちに余裕の無い生活を送っている。
そんなある日のことだった。
僕の部屋にやってきた舞葉は、どこか余所余所しい態度で僕に話しかけてくる。
「あの…。景太君…」
「ん? どうしたの舞葉」
目の下に薄くクマを作った僕は、舞葉の様子がおかしいことに気がついて彼女の話を聞く。
「実は…その…。二カ月くらいで帰ってくるんだけど…私、海外の病院に入院することになっちゃった…」
僕はその言葉を聞いて、一瞬何を言っているのか理解ができなかった。
少し間をおいてから、僕は驚いて声を上げる。
「えっ!? どういうこと!? 舞葉、そんなにやばい病気なの!? 聞いてないんだけど!?」
僕は頭が混乱して、捲し立てるように舞葉を問い詰める。
彼女は体が弱く、よく体調を崩していた。
それでも、これまで長期入院などはしたことが無かったため、そんなに深刻な病気になっているとは全く予想もしていなかった。
「一体いつから…」
「こ、今週末…」
そう言った舞葉を、僕がどんな顔をして見ていたのかわからない。
「ごめんね…。急にこんな話。景太君の受験を邪魔したく無かったから、黙っていようと思ってたんだけど…」
彼女は視線を落とし、とても申し訳なさそうな顔をする。
「さすがに二カ月も会えないとなると、伝えない訳にはいかないかなって…。大事な時なのに、驚かせちゃって本当にごめんね…」
「…そんな問題じゃないよ! 僕の受験なんてどうでもいい! そんなことより、舞葉の体のほうが心配だ!」
僕の言葉をきいた舞葉は、嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
「いったいなんの病気なんだよ!」
僕は立ち上がると舞葉の肩を手で掴み、彼女の体を揺さぶる。
焦っている僕を落ち着かせようと、舞葉は僕の手を取って優しく微笑んだ。
「もう! そんな重い病気じゃないわよ! 絶対に治るから大丈夫! …でも、何の病気なのかは…内緒!」
舞葉はそう言って、悪戯っぽくウインクをして見せた。
その仕草は単にふざけているわけでは無く、何かを誤魔化そうとしているのを感じさせる。
重要な事を隠されている気がした僕は、彼女に向かって少しだけ声を荒げる。
「舞葉!」
「だって…、何の病気か教えたら、景太君は今からその病気のことばっかり勉強し始めそうなんだもん。あなたには受験の勉強に専念してもらいたいの!」
舞葉のその言葉を聞いて、確かに彼女の言った通りにしてしまうだろうと自分でも思う。
そうなることが分かっているから、彼女は僕をはぐらかそうとしているのだ。
どこか茶化している様に思える舞葉の言動は、全てが僕のことを考えて行われたものだった。
しかしだからといって、僕は彼女の一大事を放っておく気は更々無かった。
「…僕も一緒に行く」
「えっ!?」
僕の言葉に、今度は舞葉が声を上げる。
「前に言ったじゃないか。ずっと舞葉の側にいるって!」
「景太君…」
「勉強なんてどこにいたって出来るだろ! だから、僕も舞葉についていくよ!」
そう言われた舞葉は、嬉しさと悩ましさを表情に浮かべながら顔を歪める。
「…駄目だよ。二カ月も学校を休んだら、卒業出来なくなっちゃうよ。そしたら受験もなにもないでしょう?」
「でも…」
何も言えなくなる僕に、舞葉は笑いかけてくる。
無理をしているのがはっきりと分かる笑顔だった。
「心配性ね…。安心してよ、入院するのはお父さんが選んでくれた病院なんだから、絶対に大丈夫よ!」
「夜霧さんが…」
「そうよ。ね、安心でしょ?」
確かに舞葉の父は優秀な医者で、彼が推薦してくれる病院ならば信頼できるだろう。
それでも、僕は完全には納得が出来ず、顔をしかめた。
そんな僕の心情を悟ったのか、舞葉は僕の手を強く握りしめて、視線を真っ直ぐ合わせてくる。
「二カ月も顔を合わせられないのは寂しいけど、メールも電話も出来るんだから。毎日連絡するわよ」
「本当かよ…」
「もちろん! 私だってあなたと会えないのは寂しいんだから!」
いじけたように口から漏らす僕に、舞葉は言う。
「そのかわり、君は死ぬ気で勉強するのよ! 私の事が気がかりで受験に失敗したなんてことになったら、絶対に許さないんだからね!」
舞葉は僕を指差して、言い聞かせる様ににじり寄って来る。
彼女のその仕草を見た僕は、深いため息をついてから拳を握りしめた。
「…分かったよ。僕は絶対に合格する! 死ぬ気でやってやるよ!」
「そうそう! その調子!」
舞葉は僕の決意を聞いて、満足そうにうなずいていた。
「でも…私がいない間、景太君の生活が心配だな…自炊できる? ちゃんとご飯食べなきゃだめだよ?」
僕の顔に手を添えた舞葉は、親指で目元のクマを優しく撫でて来た。
「う、うるさいな! 舞葉は自分のことを心配しなよ!」
僕は舞葉の手を掴む。
少しの沈黙の後、僕達は視線交わして二人で笑い合った。
数日後、彼女は日本を離れた。
約束通り、僕たちは毎日メールや電話でやりとりをする。
今まで舞葉と長期間離れたことの無かった僕にとって、その二カ月間は彼女からの連絡だけが楽しみだった。
それ意外の時間は、学校でも家でも、ただひたすらに勉強の日々だ。
しかし、実際には舞葉のことが心配で、その勉強にどれくらい集中出来ていたかわからない。
大学の入学試験が終わった後は更に辛かった。
連絡が取れるとはいえ、舞葉と顔を合わせない期間が続いたせいで僕は悶々とした日々を送る。
その時僕は、舞葉が自分にとってどれほど大切な存在なのかを、改めて思い知らされたのだった。
二ヶ月が過ぎ、舞葉が日本に戻ってくる。
迎えに行った空港で、彼女は僕を見た時に最初にこう言った。
「少しやつれたんじゃない?」
力無く笑う舞葉を、僕は強く抱きしめた。
その行動に最初は驚いていた舞葉だったが、すぐに彼女も涙を流して僕を抱きしめ返して来る。
彼女は見送った時と比べて少し痩せていた。
その姿を見て、僕は彼女の体を酷く心配する。
「…結局、舞葉は何の病気だったのさ」
受験を終えた僕は彼女を問いただした。
しかし、彼女は弱々しい笑顔を浮かべながら、答えをはぐらかすのだった。
「いいじゃない、何でも。もう完全に治って、私は元気になって帰ってこれたんだがら」
空元気に感じるその言葉を聞き、やつれた彼女を目の前にした僕は、それ以上詮索することが出来なかった。
僕は舞葉の体が心配で、しばらくの間は彼女の家に通い詰めた。
それから二週間も経った頃には、舞葉の体調は良くなっていた。
むしろ彼女は、旅立つ前よりもふくよかになっていたくらいだ。
その姿を見て、やっと僕の中から不安が薄れていく。
そうして僕達は、再び二人一緒の日々を送り、次第に元の生活を取り戻していったのだった。
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