可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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三章 奏歌くんとの三年目

19.有名監督の闇

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 劇団を退団した後には女優として活躍する先輩もいる。差し入れを持ってきてくれた先代のトップスターの先輩は、女優としての道を歩き始めていた。
 差し入れの一人分ずつ個包装されたスフレチーズケーキが余って奏歌くんの分がないかばかり気にしていたが、先輩は自分が次は映画に出演するようにオファーが来ているという話をしていた。

「有名監督らしいんだけど、ちょっと気になることがあるのよね」

 スフレチーズケーキは残り六個。二つ目を食べようとする百合に私は視線で「奏歌くんの分を残しておいて!」と伝えたつもりだが、こくこくと頷いて百合はもう一個とって先輩に渡していた。
 先輩が食べていなかったことには気付いていたけれど、先輩に上げてというような心遣いができるタイプではないのを百合は忘れているのだろうか。
 これでスフレチーズケーキの残りは四個。

「海瑠ちゃん」
「ふぁい!?」

 急に声をかけられたので先輩への返事がおかしくなってしまった。狼狽える私に先輩が続ける。

「そういうわけだから、海瑠ちゃんのダーリンと海瑠ちゃんで、一度映画撮影を見学しに来てくれないかな?」

 出演の前に今撮っている映画の撮影を見てオファーを受けるか決めたいのだと先輩が言っていたような気がするのは朧気に聞こえていたが、スフレチーズケーキを気にしていてそれ以外のことをあまりよく聞いていなかった。

「私と奏歌くんが見学に、ですか?」
「海瑠ちゃんも退団したら違う劇団に所属するか、映画やテレビに出る女優になるか、決めるでしょう」

 選択肢の一つとして勉強に行くのは構わないのだが、それ以外のことを先輩が考えているような予感がしてならないのだ。
 素直に頷けない私に「お願い」と日程表を渡して先輩は帰って行った。
 スフレチーズケーキの箱を見ると、四つまだ残っている。

「これもらっていい?」

 聞けば誰の反対もなかったのでホクホクと四つもらって行こうとすると、百合がにゅっと顔を出した。もしかしてスフレチーズケーキが欲しいのだろうか。百合はもう二つ食べたではないか。

「海瑠、先輩の話、ちゃんと聞いてた?」
「き、聞いてたと思う」
「本当に? ダーリン連れて行って大丈夫なの?」

 百合の言葉に私は不安になってしまった。
 普段からぼーっとしている私は聞き落としが多い。マネージャーの津島さんの話もあまりよく聞いていないことが多くて、集合場所や時間を間違えそうになって津島さんから連絡が入ることはよくあることなのだ。

「先輩、なんて言ってた?」
「やっぱり聞いてなかったんだ」

 深くため息を吐いて、腰に手を当てて百合は私に説明してくれた。

「その監督、黒い噂があるんだって」
「黒い噂?」

 出演する子役に手を出しているとか。
 子役の方はせっかく手に入れた役を手放したくないから黙っていることしかできない。それを暴きたくて先輩は奏歌くんに目を付けた。

「えぇー!? 嘘! 奏歌くんを囮にするってこと?」

 あまりのことに大声が出てしまった。
 私の可愛い奏歌くんがそんな噂のある監督にセクハラをされたら私は絶対に許せない。

「噂の域を出ないからね……でも、被害者は水面下で相当多いのかもって言われてるし」

 先輩としては正義感で監督の闇を暴こうとしているのだろうが、私の大事な奏歌くんを使うというのはあまり賛成できたことではなかった。百合は先輩の親戚の子役もその監督の映画に出てから妙に口数が少なくなって部屋に閉じこもるようになってしまったのだと言っていたことを教えてくれた。
 何をされたのか分からないけれど、それならば尚更奏歌くんを近付けたくない。
 乗り気ではない私は奏歌くんとマンションに帰ってもそれが顔に出ていたようだ。奏歌くんがミルクに溶かすだけのココアを淹れて、電子レンジで温めて私に持ってきてくれる。

「なやみごとがあるんなら、ぼくに話して」

 なんて男前なんだろう。
 マグカップを両手で包み込むようにして、鳥籠のソファに奏歌くんと二人で座って私は話し始めた。

「先輩からお願いをされちゃったの。奏歌くんを連れて映画撮影の現場を見に来て欲しいって」
「ふぅん。いやだったのかな?」
「うん……その映画の監督が子役に変なことをしているっていう噂があってね、それで奏歌くんを連れて行って反応を見て、監督の罪を暴こうって先輩は考えたみたい」

 先輩の親戚の子役も被害に遭っているかもしれないが、誰にも言えていないことを告げると、奏歌くんは立ち上がって私をぎゅっと抱き締めた。

「ぼくは、きゅうけつきで、ひとをあやつるのうりょくも持ってる。いざとなったらコウモリになって逃げてもいいし……ぼく、きょうりょくしたい!」
「奏歌くんには危ないことをさせたくないの!」
「海瑠さん、ぼくをしんじて。やっちゃんにもきょうりょくしてもらうから!」

 優しくて正義感の強い奏歌くんに話せばこうなることは分かっていたはずなのに、話してしまった私の落ち度だった。
 その日迎えに来たやっちゃんに部屋に上がってもらって、監督の話と映画撮影の見学の話をする。

「あの監督か……確かに妙な噂が多いんだよな」

 やっちゃんもその監督のことを知っていたようだ。心配そうに眉根を寄せているが奏歌くんはやる気満々だった。

「ぼくがろくがかろくおんできるきかいがないかな?」
「……盗撮に使う小さなペン型のカメラを手に入れられる」
「やっちゃん、これ以上ひがいしゃを出しちゃいけないよ」
「かなくん……こういうことは大人がしないといけないことだよ?」
「でも、そのかんとくがねらうのは、ひがいをうったえられない、子どもでしょう?」

 奏歌くんの言うことは最もでやっちゃんも黙り込んでしまった。
 やっちゃんもその日に同席するという約束で、映画撮影の見学には行くことになった。
 二月の終わりのまだ寒い日に、私と奏歌くんはやっちゃんの車で映画撮影が行われているスタジオに向かった。スタジオに入ると、妖艶な雰囲気の女性の監督が私たちを迎えてくれた。

「劇団の瀬川海瑠さんと、篠田安彦さんと、その甥っ子さんね。来るのを楽しみにしてたわ」
「今日はよろしくお願いします」
「よろしくおねがいします」

 私と奏歌くんが挨拶をしている間もやっちゃんは警戒した素振りを隠さなかった。奏歌くんは監督が女性だということに驚いていた。

「このひとが?」
「そうだよ」

 女性だからますます被害を訴えにくい状態にあったのかもしれない。
 ひそひそとやっちゃんと奏歌くんが話していると、先輩も姿を現した。

「後輩の将来のために勉強させてやってください」
「こんな可愛いお客さんなら大歓迎よ」

 監督の視線が奏歌くんのハーフパンツから伸びる白いすべすべの膝小僧に向いている気がする。いやらしい視線から奏歌くんを守りたかったけれど、今回は奏歌くんは囮になるのだ。
 ワーキャットなので耳が人間よりもいい私は、奏歌くんが別室に連れて行かれても集中すれば奏歌くんの声を聞くことができる。撮影の合間に奏歌くんは監督に可愛く話しかけていた。

「おてあらいはどこですか?」
「分かりにくいから、連れて行ってあげる」

 監督の手が奏歌くんの細い腰に回る。それだけでも私はすぐさま飛びかかって奏歌くんと監督を引き離したかったが、ぐっと我慢した。
 奏歌くんを連れて監督が人気のない控室の方に行くのを、私とやっちゃんでそっと追いかける。

「おてあらいに行きたいんですけど」
「ちょっとだけ、休憩して行かない? 美味しいお菓子もあるよ」
「でも……」

 もじもじとする奏歌くんを控室の中に連れ込んだ監督が鍵を閉めたのが分かった。振り返ると先輩が既に合鍵を準備して、警備員さんを呼んでいる。
 部屋の中からは奏歌くんと監督の声が聞こえる。

「坊や、可愛いわね。映画に出てみたくない?」
「ぼく、おてあらいに行きたいだけなんです」
「困ったわね。それじゃあ、このペットボトルにしたらいいわ」
「え!? そんなこと、できません!」

 何を言っているのか!?
 変態だ!
 間違いなく変態だ!
 8歳の男の子に目の前でお手洗いをペットボトルにして見せろとか普通言わないのは、常識のない私でも分かる。

「やだっ! さわらないで!」
「可愛い小さなお尻ね。直に見てみたいわ」

 奏歌くんの声が響いて、先輩が合鍵で控室のドアを開けた。壁に追い詰められている奏歌くんと、ペットボトルを持った監督。やっちゃんが無言で大股で監督に詰め寄って、奏歌くんから監督を引き剥がした。
 ポケットから奏歌くんがペン型のカメラを出す。

「全部録画されてましたからね」
「警備員さん、連れて行ってください」

 やっちゃんと先輩の声に奏歌くんが私の方に走って来た。抱き留めて奏歌くんを労う。

「怖かったよね、お疲れ様」
「他の子はもっとこわかったと思うんだ」

 これを機に今まで被害に遭った子役たちも声を上げて、有名監督の闇が暴かれることになるのだが、それは奏歌くんの功績に違いなかった。
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