一番星を抱いて

秋月真鳥

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3.卒業式

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 美星が家を出て行くと告げたとき、父親は何も聞かなかった。
 ずっと邪魔で出て行ってほしいと思っていたのだろう。美星も十八歳で成人していたので、一人で家を出ることに何の問題もなかった。
 荷物はボストンバック一つ分しかなかったので、アドリアンの手を煩わせることはなかった。
 桜並木の川沿いの道を選んで歩いて、美星はアドリアンのマンションに同居することになった。
 同居に当たって、アドリアンは細かな契約書を作っていた。

 美星がアドリアンに血を提供するのは一週間に一度、五十ミリリットル。
 アドリアンは美星の大学の入学金と授業料、生活費を全額負担する。それ以外にも被服費や外食費なども支給される。
 美星は暮らす場所が見付かるまではアドリアンのマンションで暮らしていい。必要ならば大学の四年間、ずっと暮らしてもいい。
 美星は性行為をする場合には、相手に性病の検査を受けてもらう。
 アドリアンも美星も、マンションに他人を連れ込まない。

 などなど。
 細かく決められた条件が、美星にとってあまりにもよすぎるので、本当にこれでいいのかと確認したが、アドリアンは構わないと言ってサインしてしまった。
 美星もサインして、控えを受け取った。
 高校に入学してから、ずっと入れていたバイトはしなくてよくなったが、美星は大学の近くのコーヒーショップで働けるようにしておいた。

 アドリアンだが、態度は冷たいのに美星の世話をよく焼いてくれる。

 基本的に朝食は美星が起きてきたら作ってくれるし、風呂上がりに濡れた髪でリビングにいたらドライヤーを持って来て髪を乾かしてくれる。
 これは恋人以上の待遇なのではないかと思っているが、アドリアン曰く「栄養失調になられたら血がまずくなる」「風邪を引かれたら困る」とのことだった。
 風呂も真夜中に家が寝静まってからこそこそと短時間でシャワーを浴びていただけで、髪を乾かすなどということを考えたこともなかった美星は、ドライヤーで丁寧に髪を乾かしてくれるアドリアンの手にうっとりしてしまう。

 それだけではない。
 アドリアンは常に甘すぎない爽やかないい香りがしているのだ。
 その香りを嗅ぐと、アドリアンに抱き着いて思い切り吸い込みたくなるのだが、美星はそんなことをすればアドリアンに絶対零度の視線を向けられそうで必死に我慢していた。

 今日の朝食は、バタートーストに目玉焼きが二つ、厚切りのベーコン、新鮮な野菜のサラダ、スープととても豪華だ。体が大きいので、ずっと食べるものが足りなくてお腹を空かせていた美星は、たっぷりと用意される朝食をありがたくいただいていた。
 アドリアンは血を摂取する以外に食事は必要ないらしく、自分の分は作らない。美星のためだけに作られた朝食を食べて、美星は高校の制服を着た。

 今日は卒業式なので、この制服を着るのも最後になる。

 大学は地元なので電車で二駅行ったところにある。アドリアンのマンションから通うのは楽だろう。

 制服を着ている美星を見て、アドリアンはちょいちょいと指で美星を呼び寄せた。アドリアンの前に立つと、ネクタイを解かれて、結び直される。
 ヘロヘロだったネクタイが、結び目が少し高くなって格好よくなったのに、美星は内心で拍手をしていた。
 アドリアンはこんなところまでよく気が付く。

「ありがとうございます」
「その服、小さくないか? 買い替えるか?」
「いえ、今日でもう終わりなので」
「終わり?」
「これは高校の制服で、今日で卒業なんです」

 美星が説明すると、アドリアンは少し考えた後に、「あぁ」と言って納得していた。
 高校入学のときに買った制服は、美星がにょきにょきと育ってしまったので、袖も裾も短くなっている。胸もパツパツなのだが、それはもう仕方がない。

「高校を卒業するのか。おめでとう」
「ありがとうございます」

 自分の高校の卒業に当たってお祝いを言われるなんて考えてもいなくて、美星は上手に笑えたか自信がない。
 高校ではバイトがあったので部活に入ることもできなかったし、忙しくて友達も作れなかった。
 大学では友達くらい作りたいと思うと共に、できれば恋人もなんて考えてしまう。

 自分の性嗜好がどちらかも分からないのだが、恋人にするならアドリアンのようなひとがいいと考えてから、高望みしすぎだろうと美星は頭を振ってその考えを追い払った。
 高校の卒業式は担任の教師だけが美星に声をかけてくれた。

「大学に進学できるようになったみたいだね。よかったね」
「はい、なんとか」
「大学時代にたくさん遊んでおくといいよ。人生最後の自由だからね」

 人生最後の自由。
 これからの四年間、美星は自由に生きられるのだろうか。
 アドリアンと契約を結んでしまったから完全な自由ではないかもしれない。
 それでも、家で縮こまって生きて来た十年以上の年月に比べれば、ずっと自由に思えた。

 卒業式を終えてマンションに帰ると、アドリアンが三つ揃いのスーツを着てリビングにいた。仕事はなかったのかと思っていると、声をかけられる。

「着替えて来い」
「はい」

 命令されたので大人しく着替えてくると、アドリアンにホテルのレストランに連れて行かれた。
 レストランではレミが金髪で長身の女性と一緒に待っていた。

「久しぶり、美星。元気そうだね」
「その子がアドリアンの恋人なの?」
「恋人じゃない。血液提供者だ」
「アドリアンは恋人以外の血液は吸わない主義じゃなかったの?」
「ちょっとした慈善事業だ」

 気軽に声をかけてくるレミと、興味津々の金髪の女性に、美星は体を硬くする。
 アドリアンが恋人以外の血液は吸わない主義だというのも知らなかったし、アドリアンが美星に対してしていることが慈善事業だと思っているのも知らなかった。
 アドリアンの優しさに美星は絆されているのに、アドリアンにとってはかわいそうな子どもを助ける慈善事業でしかなかったのかと思うと気分が沈む。

「わたしはマルスリーヌよ。あなたは?」
「高槻美星です」
「美星ね。よろしく」

 美しいマルスリーヌもイブニングドレスを着ていて、レミもスーツを着ている。アドリアンは三つ揃いのスーツだし、美星は自分だけが普通のシャツにスラックスにカーディガンで場違いではないかと思ってしまう。
 レストランは予約されていたようで、個室席に通された。

「日本のフランス料理はフランス本場よりも美味しいからね」
「レミの好みに合うだけでしょう」
「卒業式だったんだって? おめでとう、美星」

 おめでとうとレミに言われて、美星はこの集まりが何なのか理解する。
 アドリアンは美星が高校の卒業式だと聞いて、レストランを予約して、レミとマルスリーヌを呼んでくれたのだ。

「美星がわたしの勤める大学に入学するなんて嬉しいわ。四月からよろしくね」
「え!? マルスリーヌさんって、マルスリーヌ・ラロンド教授?」
「そうよ。わたしの生徒になる子がいるからって今日は呼ばれたの」

 まさかマルスリーヌが美星の憧れていた建築デザイナーだということに気付いていなくて、美星はものすごく驚いた。アドリアンは美星の入学する大学の教授だということでマルスリーヌと食事の場を設けてくれたのだろう。

「ぼく、マルスリーヌさんの大ファンで……あの温かみのあるデザイン、使うひとの気持ちを考えたキッチンにリビング……マルスリーヌさんのような建築家になりたいんです」

 マルスリーヌのよさを熱く語って思わず身を乗り出す美星に、マルスリーヌが美しく微笑む。

「あら、かわいい。アドリアンにはもったいないわね。あなた、わたしのところに来ない?」

 マルスリーヌが美星を誘ってくるが、美星はそれを冗談だととらえた。

「そんな、ぼくなんか……」
「マルスリーヌのファンなら、マルスリーヌのところにいた方がいいかもしれないな」

 さらりとアドリアンの口から提案されて、美星はアドリアンを凝視してしまう。
 アドリアンはいつものように何も感じていないような表情をしている。
 どくりと美星の心臓が脈打ち、冷や汗が滲む。

「ぼく、邪魔ですか?」

 家ではずっと邪魔だと思われてきた。存在がないものとして扱われて、声もかけられず、食卓に料理が並ぶこともなかった。
 冷蔵庫から勝手にものを取り出し、炊飯器に残っていたご飯と一緒に食べて、何とか生き延びてきた。
 邪魔だと言われたら、アドリアンとの関係も終わらせなければいけないのかもしれない。

「マルスリーヌ、今のは君が悪いよ。アドリアンの血液提供者に声をかけるのは、マナー違反だ」
「そうね。ごめんなさい。美星、アドリアンはなかなか血を吸おうとしないの。血を吸う相手にとても拘りがあって。見捨てないであげてね」

 レミに注意されてマルスリーヌが謝るが、美星は胸の底に重く圧し掛かる感情を持て余していた。

 フランス料理はおいしかった。高級なコースなのだろうというのも予測できたが、いくらくらいかまでは分からなかった。初めて食べたフランス料理に胃がびっくりしている気がする。
 デザートまで全部食べ終わると、美星は紅茶を、アドリアンとレミとマルスリーヌはワインを飲んだ。

「アドリアンが人間を相手にするのは珍しいよね。これまで、獣人や鬼族が多かったのに」
「人間はすぐに貧血になる」
「美星は人間にしては大きい方だし、貧血にもなりにくいんじゃないかな?」
「そんなの分かるか。最初に飲んだときに、血がかなり薄かったぞ」
「栄養失調だったの!?」

 不機嫌そうなアドリアンに、レミがにこにこと話しかけているが、美星はショックを受けてしまう。
 貧血になるかもしれないと心配されているだけでなく、アドリアンは人間の血を吸うのがそれほど好みではないようだ。

「あの……一週間に五十ミリリットルって、少ないですか?」
「はぁ!?」
「そんな量しかもらってないの!?」

 密やかに問いかけてみると、レミとマルスリーヌが声を上げる。

「その話はしなくていい」
「干からびるよ、アドリアン?」
「やっぱり、数人の血液提供者を募った方がいいんじゃない?」
「必要ない」

 素っ気なく答えるアドリアンの顔色が悪い気がして、美星は落ち着かない気分になった。
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