一番星を抱いて

秋月真鳥

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2.血の味

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 タクシーに押し込まれて、連れて行かれたのは高級マンションの最上階だった。コンシェルジュのいるマンションは階数のボタンのないエレベーターがあって、そこにカードキーをかざすと目的の階に行くようだった。
 最上階を丸々使った部屋に連れて来られて、美星は自分が何をされるのか分からないまま緊張していた。
 お金がもらえるのならば、童貞でも処女でも差し出そうと思っていたのだ。それに比べればアドリアンとの取り引きは優しいかもしれない。

 リビングのソファに座らされて、アドリアンは美星に聞いてきた。

「コーヒーか紅茶かミルクくらいしかない。他は水だ。何を飲む?」
「水で」
「分かった」

 グラスに水を注ぐと、アドリアンが美星と少し距離を取ってソファに座る。アドリアンからは相変わらずいい香りがしてきて、美星はうっとりしてしまいそうになる。
 グラスの水をちびちびと飲んでいると、アドリアンが苦い表情でため息をついた。

「いくら必要なんだ?」
「えっと……」

 入学金に必要なのは残り数万だが、授業料は奨学金を申請するとしても、家を追い出されたときの家賃や生活費がかかってくる。即答できない美星に、アドリアンは形のいい眉を歪めた。

「本当に身売りするつもりなのか?」
「それ以外に方法はないので」

 ここでアドリアンに断られたら、美星は他の相手を探しに行く。明後日までに入学金を支払えなければ、美星はずっと頑張ってきた受験勉強を無駄にしてしまうのだ。

「家に、憧れているんです」
「家?」
「母は幼いころに亡くなって、父は再婚相手とその子どもにしか興味がなくて、家にはぼくの居場所はなかった。ぼくは、自分の好きなひとと一緒に暮らせる家を建てたいんです。そのためには、大学に行かなければいけない」

 正直に話せば、アドリアンが口元を押さえて難しい顔をしている。
 吸血鬼だというアドリアンに美星が血を提供してお金がもらえるのであれば、献血と同じようなものではないかと美星は思っていた。

「身売りはダメだ。好きな相手と家を持ちたいなら特に。将来後悔する」
「これ以外に方法がないんです」

 何度も繰り返す美星に、アドリアンが苦悩の表情を浮かべているが、ややあって、アドリアンは立ち上がった。急に立ち上がったので、身構えてしまった美星だが、アドリアンは別の部屋に行ってすぐに戻って来た。
 その手には注射器の入ったトレイがあった。

「おれは血の味に拘りがある。飲んでみてダメだったら諦めろ」
「考えてくれるんですか?」
「ここまで話を聞いておいて、放り出せないだろう」

 不機嫌そうでにこりともしないアドリアンだったが、美星に対する同情の念は抱いてくれていたようだった。
 ひやりとするアルコール消毒の後で血液を少しだけ抜かれて、美星はその手際の良さに驚いた。

「痛くなかったです。お上手なんですね」
「吸血鬼は血液の提供者のために採血くらいはできるように訓練されている。首筋に噛み付いて血を啜るなんていうのは、前世紀の野蛮なやり方だ」
「ドラマとかでは、首筋に噛み付いたり、手首に噛み付いたりしてるのをよく見ますが」
「そういうのはフィクションだ。それに、愛し合ってもいない相手とはそういうことはしない。愛し合っていても、噛み付いて啜れば、口腔内の雑菌が入ることもあるし、飲む量を加減できなくなるから相手に危険だ。おれはそういうことはしない」

 どこまでもアドリアンは理性的な吸血鬼のようだった。
 注射針が抜かれた後を絆創膏で押さえてくれて、アドリアンは採血用の注射器から試験管を引き抜き、そこに細い管を入れた。
 管の先端を口に含んで、上品に血を飲むアドリアンに、美星はその仕草に飲んでいるものが血液だとは思えなくなってくる。もっと高級なものを飲んでいるような気がする。

 飲み終えてアドリアンはこの上なく苦々しい表情になっていた。眉間にくっきりと深い皴が刻まれる。

「あの……まずかったですか?」

 口に合わなかったのならば仕方がない。
 アドリアンとの関係はこれで終わりだ。
 この美しい吸血鬼に出会うことができて、家にまで入り込んで、一瞬だけでも検討してもらえた。それだけで美星は十分幸せだった気がする。
 最初にアドリアンの香りを嗅いだときから、美星はアドリアンに惹かれていたのかもしれない。

「非常にまずい……」
「そうですか。分かりました、諦めます」
「いや、そうじゃない。なんというか、こんな甘美な血を飲んだのは初めてだ」
「え?」
「飲むのを止められなくなりそうでまずい」

 口に合わなかったかと思ったが逆だった。
 美星の血はアドリアンの口にものすごく合ったようだった。それならば問題はないのではないだろうか。

「献血だと思えば何の問題もないです。ぼくの血、買ってください」

 口にしてから、大胆だったかもしれないとアドリアンをちらりと見ると、アドリアンはノートパソコンをカバンから取り出して、手早く文書を打っていた。何を打っているのか分からないままに美星が待っていると、アドリアンが美星に聞く。

「住むところはどうするんだ?」
「ど、どこか探します」
「血を提供している間は、不特定多数とは性交はしないでほしい。守れるか?」
「せ、性交!? そんなの、縁がないので、ないです」
「恋人ができたら、その相手に性病の検査を受けてもらうことになるが」
「こ、恋人なんて、できません」

 性交だの恋人だの、まだ高校を卒業していない美星には刺激の強いことを言われているが、美星はあのバーに身を売りに行ったのだ。これくらいのことは想定の範囲内と思わなければいけないのかもしれない。
 真っ赤になって震えている美星に、アドリアンが問いかける。

「住む場所が見付かるまで、うちに来るか?」
「いいんですか?」
「家には居場所がないって言ってただろう。それに、血を飲んだ感じ、君、栄養が足りてない。しばらく、ここで栄養管理させてもらいたい」
「あ、栄養管理ですね」

 アドリアンと一緒に暮らすというので、一瞬期待してしまったが、血のためだと言われれば、美星はそれに従うしかない。
 大学の入学金を支払ったら、次は奨学金の手続きもしなければいけない。そうなると家は追い出されるだろうから、アドリアンの申し出は渡りに船だった。

「ありがとうございます」
「明日、車を出す。今日は泊まっていくといい」

 素っ気ない物言いだが、どこか優しい気がして、美星は素直に頷く。

「あの、アドリアンさん……」
「アドリアンでいい。それで、なんだ?」
「は、はい。あの、すごくいい匂いがするんですけど、香水とか使ってます?」
「いや……あぁ、そういうことか! くそっ!」

 何か分からないが酷く機嫌を損ねたようで舌打ちするアドリアンに、美星はびくりと震えてしまう。体は大きいが美星は自分より小柄な父親にずっと反抗できないくらいに臆病だった。

「この部屋は自由に使っていい。入学金も授業料も生活費も、おれが支払う」
「そ、それは、結構です! 授業料は奨学金を借りられますし、生活費はバイトして貯めます」
「君の血にそれだけの価値があるということだ。自分を安売りするな」

 言葉は厳しく、表情も怖いのだが、アドリアンはどこまでも理性的で理知的で、美星を大事にしてくれている気がする。美星は通された部屋に入って、一人になると、ずるずると床の上に座り込んでしまった。

 身売りをしようと決意してバーに行ったのだが、そんな勇気は全くなかったのだと今になって分かる。アドリアンとレミに会っていなかったら、誰にも声をかけられずにバーから帰っていただろう。
 入学金も授業料も生活費も住む場所も得られないままに。

 アドリアンの優しさの上に美星は誰にも汚されず、暴力も奮われずに安全に夜を越せる。

「着替えはこれを使ってくれ。バスルームは廊下の先だ」

 ドアがノックされてアドリアンが着替えを差し出してきたときも、美星は床に座り込んだままだった。
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