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三章 マウリ様と過ごす高等学校二年目

23.詩について

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 サロモン先生はヨハンナ様のことが好きだった。
 それを知っているのはわたくしとハンネス様とマウリ様だけで、ヨハンナ様本人には全く通じていない。

「暗い廊下にぬっと突っ立っていらして、わたくし、とても驚きました。抱っこしているフローラは泣き出してしまいました」

 ハンネス様の教育方針で何か話があるのかと緊張していれば、厳しい表情のハンネス様にヨハンナ様は手紙を押し付けられて立ち去られた。

「おばげー! ごあいー!」

 泣いているフローラ様を慰めて寝かせてからヨハンナ様はわたくしの元に相談に来たのだった。全てを見聞きしているマウリ様がどこまで意味が分かっているのかは分からないが、口止めはしておく。

「サロモン先生がヨハンナ様をお好きなことは、内緒にしましょうね」
「おかあさまにも、おとうさまにも、みーにも、ないしょ?」
「お話しするのはもう少しお二人が落ち着いてからにしましょう」

 マウリ様に言い聞かせると、こっくりと頷いて納得してくれた。納得していないのはハンネス様の方だ。

「母上を妾にしようということではないでしょうか」

 オスモ殿が借金を盾にヨハンナ様を妾にしたことがハンネス様の中ではとても気になっているようだ。若いヨハンナ様はオスモ殿の妾にされてハンネス様という子どもを産まれた。
 ハンネス様が生まれたことに関してはヨハンナ様は喜んでいるようなのだが、オスモ殿の妾であったことに関しては忘れたい様子である。今は男性に頼らずにハンネス様とフローラ様を大事にして生きたいと思っているヨハンナ様にとっては、ずっと年下のサロモン先生の恋文は受け入れがたいものなのだろう。

「身分も違い過ぎます。シェルヴェン家は宰相閣下の家系。母がそんな家系に受け入れられるとは思いません」
「ハンネス様、サロモン先生はヨハンナ様を妾になさるような方ではありませんよ」

 そんな器用なことができるのならば、珍妙な詩を書いて告白などしないだろう。全く遊んだことがないからこそ、告白の方向も意味が分からないものになってしまったに違いない。

「おとうさまみたいに、はっきり、すきっていえばいいのにね」
「マウリ様の言う通りですね」
「わたし、アイラさまだいすき! いつもアイラさまがいちばんすき!」

 マウリ様は自分の気持ちをストレートに口に出してくれる。わたくしに魔法の才能があると分かっていなかった時期に、獣の本性がないと悩んだときでもマウリ様の言葉には本当に救われていた。小さなマウリ様にでもできることが、大人のサロモン先生には難しいという事実に驚いてしまう。

「わたくしたちだけでは、どうしようもないですよね……。サロモン先生の真意もまだ分かっておりませんし」

 読み解けない難解な詩ではサロモン先生の気持ちは伝わらない。
 ハンネス様も納得できないし、ヨハンナ様は恋文と分かってもその存在を拒絶しているような気配すらある。
 ハンネス様とヨハンナ様のお気持ちを溶かす方法があるのか。二人はサロモン先生をどう思っているのか、問題はそこからだった。
 気を付けてみていると、サロモン先生がヨハンナ様に話しかけようとしている様子が見て取れる。

「マウリ様とハンネス様の授業には付き添ってくださいますか?」
「その時間はフローラと過ごしますので」

 お屋敷に来たばかりのフローラ様が少しでも慣れるようにヨハンナ様は時間があるとフローラ様の面倒を見ている。授業の間はマウリ様の手も離れるので、フローラ様と触れ合う絶好の機会だった。
 サロモン先生への好意は関係なく自然と言われた言葉にサロモン先生は落ち込んでいる。

「今日の授業です。授業内容は文字の習得ですね」
「けもののほんしょうや、やくそうのおはなしはきょうはしないの?」
「新しい単語が読めるようになると、マウリ様も書庫の本が読めますよ。オルガさんにも教えると約束したのでしょう?」
「しょこのほん、よみたい! オルガさん、じをおしえてあげるね!」

 元気に返事をしてマウリ様とオルガさんが二人で文字の練習をしている間に、サロモン先生はハンネス様の宿題の計算を見ていた。公式が間違っていないか、答えが間違っていないかを確認している。
 わたくしも同じテーブルに座って高等学校の勉強をしていた。古代語を訳すのにも慣れてきたがときどき文法が分からなくて混乱する。

「アイラ様、そこは『全く~ない』という否定の形ですよ」
「そうなのですね。ありがとうございます」

 マウリ様とオルガさんを見つつ、ハンネス様の宿題も見て、わたくしが困っているのにまで気付いて声掛けをしてくれるサロモン先生。家庭教師としては問題なく有能であるために、なんで告白のときだけはあんなにおかしくなってしまうかが不思議でならない。
 勉強を先に終えたわたくしは、カールロ様に密やかに聞きに行くことにした。
 そっと子ども部屋を抜けて来たつもりなのに、わたくしの後ろにはしっかりとマウリ様が付いて来ている。

「マウリ様、お勉強は?」
「おてあらいっていって、ぬけてきたよ!」
「嘘はいけませんよ?」
「おてあらいにもいくもん!」

 わたくしがいない場所ではマウリ様は集中できないようだから仕方がないと諦めて、お手洗いに連れて行ってから執務室を訪ねる。スティーナ様は長椅子で休みながら書類を見ていて、カールロ様がデスクについていた。

「カールロ様お聞きしたいことがあるのです」
「何かな? 俺で役に立つことならなんでも聞いてくれ」
「おとうさま、し、ってなぁに?」

 気安く請け負ってくれたカールロ様に問いかけたのはマウリ様だった。カールロ様の顔色が変わる。

「『死』……マウリ、そんなことを考えるようになったのか?」
「あ、違います。『詩』です。王宮では愛を伝えるときに詩を書くのだと聞いた覚えがありまして」

 5歳の男の子が『死』について真剣に考え始めたら、父親としては心配だし答えに困るだろう。すれ違ってしまいそうなカールロ様とマウリ様の軌道修正をして、わたくしはそれとなく聞いてみた。

「なんだ、『詩』か。宮廷の奴らは気取ってるからな。百年以上昔の風習を今も残しているところがある」
「古い風習なのですか?」
「今ではほとんど使われてないよ」

 カールロ様の答えにわたくしは拍子抜けしてしまった。
 真剣に詩を書いてヨハンナ様に贈ったサロモン先生は、それが時代外れだなんて思いもしていないのだろう。わたくしたち地方の貴族や今のひとたちには、詩で告白なんて想像もつかなかった。
 時代遅れだと気付かずにサロモン先生はヨハンナ様に詩を書いて捧げた。

「サロモン先生ってどんな方ですか?」
「シェルヴェン家の長男だが、姉が一人いる。将来は王族の家庭教師になって宰相の座を継ぐと言われているから、基本的に女性関係は綺麗なもんだな。遊ぶタイプじゃないよ。詩……サロモン様なら書きそうだな」

 苦笑しながら言うカールロ様にスティーナ様から注意が入る。

「マウリもいるのですよ。もう少し言葉を選んでください」
「悪かったよ。とにかく、真面目過ぎるような男だな」

 真面目過ぎるサロモン先生にとって、マウリ様のことで怖じずに声をかけて来たヨハンナ様は新鮮な相手だったのかもしれない。もしかすると初恋だったのかもしれないと気付いて、それでこれだけ不器用な立ち回りになっているのかとわたくしは思い至った。

「マウリ様、勉強を抜け出してどうしたのですか?」
「あ、サロモンせんせい! ごめんなさい、アイラさまが……じゃなくて、まー、さびしくなって、おとうさまとおかあさまのおかおがみたかったの!」

 わたくしがサロモン先生のことについて相談に来たことは内緒だとマウリ様は気付いたのだろう。すぐに言い直してカールロ様とスティーナ様に飛び付いて抱き締めてもらう。

「なんだ、そうだったのか。話がしたかったのは口実か」
「マウリは甘えん坊ですね。まだ5歳なのだから、いつでも甘えていいのですよ」

 甘えられて嬉しそうにカールロ様もスティーナ様もマウリ様を抱き締めている。抱きしめられてマウリ様は二人に頬ずりしていた。

「寂しかったのならば仕方がないですね。もう大丈夫ですか?」
「はい! サロモンせんせい、つぎからは、ちゃんと、おとうさまとおかあさまにあいにいきますって、いって、いくね!」

 元気に返事をしてわたくしの手を引いて歩き出すマウリ様。
 サロモン先生が今後もヨハンナ様に詩を渡し続けるのかどうかは分からないが、そうであるならばまたハンネス様と話し合いをしなければいけない。
 ヨハンナ様のお気持ちも聞かなければいけない。

「ぱっぱ!」
「フローラ!?」

 執務室に飛び込んで来たフローラ様が問答無用でカールロ様の膝の上によじ登って座っている。座られてカールロ様は嫌ではなさそうだ。

「ヨハンナ様は?」
「まっま、ねんね」

 二人で遊んでいる間にヨハンナ様は疲れて眠ってしまったようだ。フローラ様はヨハンナ様を寝かせておいてあげて、カールロ様に甘えに来たようだった。

「そろそろ昼ご飯だな。ヨハンナ様には休んでいてもらって、食事にしよう」

 カールロ様の言葉にスティーナ様も立ち上がる。
 ヨハンナ様も昨日は寝付けなかったのだろうかとわたくしの胸を過った。
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