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六章 辺境伯の動きとヘルレヴィ家の平穏

3.ジュニア・プロムにおけるマルコ様の事情

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 目くらましの魔法の練習をして午前中の授業は終わった。お茶を飲んでいるとヘルミちゃんが薄茶色の目をくりくりとさせている。

「こんなによくしてもらえるなんて、あたし、贅沢ですね」
「贅沢ではないよ。魔法を使うと体に疲れが来るから授業の最後にはそれを整えるお茶を淹れているんだ」
「メルのお茶は美味しいのですよ。ヘルミちゃんは使用人としてよく働いてくれていますから、お屋敷でも時々お茶に招いてもいいですよね」
「お屋敷でもお茶が飲めるんですか!?」

 お茶とお茶菓子が出るだけでとても贅沢だと思うヘルミちゃんの感覚が、平民として普通のものなのだろう。わたくしは貴族の公爵家の生まれなので、これまでそんなことを考えたこともなく、与えられたエロラ先生のお茶を飲んでいた。これからは今まで以上に感謝しようと思えるから、ヘルミちゃんの存在はわたくしにとってとても貴重だった。
 お昼のお弁当を食べるために空き教室に行くと、ニーナ様とマルコ様が何か真面目な話をしている様子だった。近くの椅子に座ると、二人の視線が私に向く。

「マルコがあたしをジュニア・プロムに誘わないって言うんですよ」
「え!? 誘う、じゃなくて、誘わない、なんですか?」

 ジュニア・プロムとは五年生の終わりに高等学校が主催で行われるダンスや飲み物を飲みながらの談笑をする場で、将来社交界に出る練習の場とも言えた。六年生になると、プロムといって更に本格的なダンスや談笑をする場が開かれる。
 マルコ様はニーナ様のことが好きで、ニーナ様もそれを満更でもない様子で受け止めているイメージがあったのに、マルコ様はニーナ様をジュニア・プロムに誘わないと言っている。どうしてなのかわたくしはマルコ様に聞いてみた。

「他に誘いたい方がいるのですか?」
「ニーナ様の言い方がよくないですね。僕はニーナ様を誘わないと言ったんじゃなくて、ジュニア・プロムには誰とも行かないと言ったんです」
「それって、つまり、あたしを誘わないってことにならない?」
「なるけど、他の相手を誘うわけじゃないし……ニーナ様だって、僕がニーナ様に釣り合わないのは分かってるよね」

 この会話を聞いていると二人はどう考えても両想いなのに、妙なところですれ違ってしまっている気がする。
 わたくしは話を整理していくことにした。

「マルコ様はニーナ様を誘いたかったのではないですか?」
「それは……」
「ニーナ様はマルコ様に誘われたかったのですよね?」
「マルコのことだから、当然誘って来ると思ったんです。それなら受けてもいいかなって」

 素直になれない様子だが、マルコ様とニーナ様がお互いを想い合っているのは確かなようだ。
 どうすれば話が進むのか、わたくしはヘルミちゃんのことを思い出した。ヘルミちゃんは仕事をしないでお茶を飲んでお茶菓子が食べられるだけで、自分のことを贅沢と言っていた。
 わたくしが気付かない平民との感覚のずれがあるのではないだろうか。それにニーナ様も気付いていないのではないだろうか。

「ニーナ様はマルコ様が自分と釣り合わないと考えてますか?」
「あたしは貴族で、マルコは平民だけど、警備兵になればあたしも家との繋がりはなくなるし、平民から志願した警備兵と同じ立場になるから、それほど気にしてないです」
「ニーナ様は、僕がジュニア・プロムに誘ったら、一緒に行ってくれる気だったんですね……」

 とてもいい返事がニーナ様の口から出ているはずなのに、マルコ様の表情は優れない。なんでだろうと考えて、わたくしはお金のことが頭を過った。
 エロラ先生は言っていた。

――アイラちゃんは普段から綺麗なワンピースやカーディガンを着ているだろう? 服装までしっかり隠してしまわないと、使用人や他のひとたちとの違いが際立ってしまう。

 わたくしやニーナ様、貴族は普段から上質な布で作られた服を着ている。高等学校という場所では平等性を出すために制服が無料で支給されているが、そうでない場合にはマルコ様は上質な服は持っていないかもしれない。

「もしかして、衣装、ですか?」

 わたくしの質問は核心を突いたようだった。

「その通りです。お恥ずかしいですが、イーリスの高等学校入学のための資金も溜めなければいけないし、僕にはジュニア・プロムに参加できるような綺麗な服は買えないんです。だから、ジュニア・プロムには参加しないつもりです」

 せっかくニーナ様からいい返事がもらえそうなのに、ジュニア・プロムを諦めなければいけないマルコ様は悔しそうだった。どうにかマルコ様がジュニア・プロムに参加することができないか、わたくしは考えを巡らせる。

「衣装を借りることはできないのでしょうか?」
「僕が衣装を借りるのですか? 僕は結構背が高いし、貸衣装でもお金はかかってしまうし、あまり考えたくないのですが」

 貸衣装という単語は初めて聞いたが、正式な場に出る衣装を貸してくれる場所があるようだった。そこを使うのもマルコ様は躊躇っている。
 マルコ様くらいの身長で、衣装を持っている方を考えてみて、わたくしは一人思い当たる人物がいた。マルコ様はひょろりと背が高い。マウリ様とミルヴァ様の家庭教師のサロモン先生もひょろりと背が高かった。

「サロモン先生にお借りしたらいかがでしょう?」
「サロモン先生? 宰相閣下の家系のシルヴェン家の方じゃないですか!?」
「顔は厳めしいけれど、とても優しい方なのです。話をすれば貸してくださると思います」

 まだ五年生は始まったばかりだ。五年生の終わりに開催されるジュニア・プロムまでにサロモン先生に衣装を借りる手はずを整えておけば、マルコ様は参加することができる。

「そこまでして参加しなくても……」
「ニーナ様が別の方と踊ってもいいのですか?」

 わたくしの問いかけにマルコ様は本当に困った顔になっていた。
 これ以上は言わなくてもジュニア・プロムまでにはマルコ様は答えを出すだろう。そう判断してわたくしはお弁当を食べ始めた。
 午後の授業が終わって帰ってくると、マウリ様だけでなくエミリア様も突進して来ていた。肉体強化の魔法を使ってお二人を受け止めると、マウリ様は自分が着ている服をわたくしに見せてくださる。

「父上がくんれんぎを買ってくれたんだ。ろっこつふくは、大事なばめんで使えるように今度あつらえることになったんだよ」
「わたくち、ふく!」

 襟が高くて、紐を結んだ留め具で斜めに前を留めるドラゴンの刺繍の入った服を着ているマウリ様と、同じ服に大鷲の刺繍が入った服を着ているエミリア様。

「わたくしもおそろいなのよ。フローラも買ってもらったの」

 子ども部屋から出てきたミルヴァ様が襟が高くて、紐を結んだ留め具で斜めに前を留めるドラゴンの刺繍の入った服を見せびらかすようにやってくる。ミルヴァ様のドラゴンはマウリ様のドラゴンと左右対称で、マウリ様のドラゴンがグリーン、ミルヴァ様がレッドだった。

「わたくしもみて! かっこういいでしょう?」

 フローラ様もやってきて、マウリ様、ミルヴァ様、エミリア様、フローラ様の四人が揃って並んで服を見せてくれる。襟高の服にフローラ様は虎の模様が刺繍してあった。

「はーにいさまもいるかとおもったんだけど、ほんにんがいないとサイズがわからないからって、かえなかったのよ」
「ハンネス様にも」
「あ、はーにいさま、おかえりなさい! みてみて!」

 馬車でハンネス様が帰ってくると、マウリ様とミルヴァ様とエミリア様とフローラ様に囲まれてしまった。襟高の服にズボンを合わせた格好はとても動きやすそうだ。

「わたくち、ろっこちゅふく、ほちい」
「エミリアには少し早いんじゃないかしら」
「わたくち、ほちい!」

 肋骨服がどのような服かも分かっていないようだが、エミリア様はとにかくマウリ様とミルヴァ様とフローラ様とお揃いがいいようだった。そういう年頃なのだろう。
 肋骨服といえば、前を紐で留めてそれが肋骨のように見える軍服の一種だった気がする。儀礼的な軍服なので、マウリ様とミルヴァ様がそれを着ていてもおかしくはないし、格好いい気はする。

「エミリアはまだおおきくなるから、もったいないわ」
「フローラもね」
「え!? わたくしも!?」

 当然自分も誂えてもらえると思っていたフローラ様が、エミリア様を嗜めるのに、ハンネス様が苦笑しながら言っている。小さい子同士の会話が可愛くてわたくしは思わず笑顔になってしまう。

「訓練着がお揃いだからよいではありませんか」
「くんえんぎ、いっと!」
「そうね、はーにいさまもおそろいにするのよ」

 ハンネス様は訓練をするのかどうかは分からないけれどお揃いの訓練着を買ってもらう流れになりそうだった。
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