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一章 セラフィナ誕生
25.二冊の図鑑
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ラファエルお兄様が冬休みに入って、アルベルト様とユリウス様とアンリエット嬢を呼ぼうと計画していたら、それより早くアルベルト様が宮殿に訪問してきた。
基本的に宮殿を訪ねるのは、訪ねるより先に手紙で申し入れなければいけないのだが、アルベルト様は皇弟の息子で、ラファエルお兄様とわたくしの従弟に当たる。皇族なので先に申し入れをしなくても急に訪ねてきていい特例というわけなのだ。
それをアルベルト様は毎回活用している。
熱を出した日から三日目、アルベルト様の訪問を聞いて、わたくしは乳母に着替えさせてもらって、ティールームに連れて行ってもらう。着替えくらい自分でできるようになりたいのだが、二歳の手は上手に動かずに、自分でやりたがっても最終的には乳母に手伝ってもらわないと何もできない。
着替えが終わると仕上げにお母様が前髪を三つ編みにして斜めに編み込んでくれた。
「どのリボンを使いますか?」
わたくしの持っているリボンはかなりの数がある。その中でも特にお気に入りなのは、アルベルト様の琥珀色の瞳に色合いが少し似た、アルベルト様からもらった薄茶色のリボンだ。
「こえ」
薄茶色のリボンを指差すと、お母様はそれでわたくしの髪を結んでくれた。
アルベルト様の待つティールームにはラファエルお兄様も先に来ていた。
「セラフィナが熱を出したことを聞いたの?」
「はい。お見舞いに行きたかったのですが、うつるといけないと止められていて、行けなかったのです。セラフィナ殿下も初めて熱を出して心細かったでしょう」
「わたしも隔離されていたんだよ。セラフィナと会えなくてつらかった」
「そうですよね。ラファエル殿下がつらかったのですから、小さなセラフィナ殿下はもっとつらかったでしょう」
風邪を引いて、熱を出していた間、わたくしがどれだけ寂しかったかについて、アルベルト様が同情してくださっているのが廊下から聞こえる。
ラファエルお兄様も体は大きいがまだ十二歳だし、お母様は妊娠しているので、風邪がうつってはいけないというのは分かっていたけれど、わたくしは寂しかったのだとアルベルト様の言葉で理解する。
前世ではそれが普通だったから思い付かなかったが、わたくしは寂しいと思っていいのだと分かった。
「アルたま、ようことおいでくだたいまちた」
「セラフィナ殿下、熱を出されていたと聞きましたが、すっかりお元気なようでよかったです」
わたくしがティールームに入って挨拶をすると、アルベルト様も挨拶をしてくれる。
乳母がわたくしを幼児用の高い椅子に座らせてくれた。
椅子に座ると、アルベルト様がテーブルの上に包装紙で包まれてリボンをかけられた大きな四角いものを置いてくれる。
わたくしはわたくしの椅子のそばで立っているアルベルト様を見上げた。
「こえは、なぁに? あけていいでつか?」
「開けて差し上げますね」
アルベルト様の白いけれど大きな手がリボンを解き、包装紙を破れないように丁寧にはがしていく。中から出てきたのは分厚い立派な図鑑が二冊だった。
「今、帝都では人気の画家がおりまして、その画家が描く絵が見事だというのです。その画家の描いた絵の図鑑です」
二冊の図鑑は、植物図鑑と動物図鑑と書かれていた。
そっとページをめくってみると、全ページカラーで美しい絵で動物や植物が描かれている。
「写真の図鑑もあるのですが、写真は白黒でしょう? セラフィナ殿下がまた熱を出されたときでも、美しい図鑑を眺めていたら気がまぎれるのではないかと思って、お見舞いのつもりで持ってまいりました」
「きれー……。とってもうれちい。あいがとごじゃまつ」
図鑑のあまりの美しさにわたくしがうっとりとして眺めていると、ラファエルお兄様も覗き込んできている。
「これ、わたしもほしかったやつだ。アルベルトもほしがってたやつじゃないのか?」
「わたしが買って、とても素晴らしかったのでセラフィナ殿下が見ても楽しいだろうと思って持ってまいりました」
「これはいいものをもらったね、セラフィナ。よかったね」
「あい、とってもうれちいでつ」
ラファエルお兄様もほしかったような素晴らしい図鑑だと聞いて、わたくしがもらっていいのか悩んでしまうが、アルベルト様とお揃いだと思うと嬉しいのでいいことにする。
図鑑の絵はとても美しく、書いてある説明は大人向けの難しい表記だったが、アルベルト様はわたくしが字を読めることを知らないので、絵を楽しんでもらうためにくださったのだろう。
「だいじにしまつ」
「わたしも父上に同じものを買ってもらおう」
「ラファエル殿下ともお揃いになりますね」
「セラフィナのものを奪うわけにはいかないからね」
てっきりわたくしがもらったので、ラファエルお兄様も一緒に使うのかと思っていたが、さすが皇族は違う。一人に一冊ずつ買うもののようだ。
「にぃに、こえ、ダリア。こえ、ガーベラ」
「セラフィナ、分かるの?」
「アルたま、くえた」
アルベルト様が二歳の誕生日に下さったダリアの花、その後にラファエルお兄様に宮殿に招かれたときに下さったガーベラの花を指差して言えば、ラファエルお兄様が「セラフィナは天才じゃない!?」と驚いている。
「わたしが差し上げた花を覚えていてくださるのですね」
「タンポポ! わたくち、アルたま、あげた!」
「はい、秋に咲く白いタンポポをいただきました。そのお礼にガーベラを持って行きましたね」
植物図鑑を見ているだけで、アルベルト様との思い出がよみがえって、わたくしは図鑑とはなんて素敵なものだろうと感激した。
動物図鑑に至っては、わたくしの知らない動物がたくさん描かれていた。
「こえ、なぁに?」
「ゾウですよ。鼻が長くて、鼻を手のように器用に使うのです」
「こえは?」
「キリンです。首が長くて、高いところにある葉っぱを食べられるそうです」
見たこともない動物がたくさん描かれていて、この世にはこんなにも動物がいるのかと感動してしまう。
わたくしが知っているのは、犬と猫とぬいぐるみで見たことがあるクマくらいだった。帝都の外れに行くと、狼が出るところもあると聞いていたが、狼が犬に似ているということくらいしか知らない。
狼も調べてみると、犬に似ていたが大きさが全然違うようだった。
「しゅごーい!」
あまりのことに感動して図鑑に拍手を送ってしまうわたくしを、アルベルト様もラファエルお兄様も微笑ましそうに見守ってくれていた。
図鑑を見るのに夢中になってしまっていたが、侍女がお茶を入れようと控えているし、テーブルの上にはお茶の準備が整いつつある。もっと図鑑を見ていたかったが、わたくしはぐっと我慢して、図鑑を閉じて乳母に下げてもらった。
お茶菓子には、艶々の苺のたっぷり乗ったタルトが出て来て、わたくしはアルベルト様を見る。
「いちご! アルたま、くえたの?」
「はい、今日も領地で採れた苺を届けさせていただきました」
「あいがとごじゃまつ。わたくち、いちご、だいすち!」
「たくさん食べてくださいね」
「あい」
アルベルト様は苺も持ってきてくれていた。
わたくしが苺のタルトを乳母に切ってもらって食べさせてもらっていると、ラファエルお兄様がため息をついている。
「アルベルトはセラフィナのことが好きすぎじゃない?」
「そうですね。セラフィナ殿下のことはとても愛らしいと思っています」
「認めたよ!? セラフィナと婚約したいとか言っても許さないからね!?」
ラファエルお兄様に言われて、アルベルト様の表情が僅かに曇る。その陰りの中にクラリッサの姿を見た気がして、わたくしははっと息を飲んだ。
「わたしは生涯結婚も婚約もしません」
「ベルンハルト公爵家はどうするつもり?」
「親戚から養子をもらうでしょう」
セラフィナとしてのわたくしと触れ合ううちにアルベルト様の心の傷は治ったと思っていたが、まだ根深い部分は変わっていないようだ。クラリッサの死を受け入れたのかもしれないが、自分の未来を見るまで心が追い付いていないのだろう。
「アルたま、ちあわてになって」
「わたしは幸せですよ。セラフィナ殿下にお会いできますし」
微笑んでアルベルト様がわたくしの結んだ髪にそっと触れる。
「このリボン、わたしが差し上げたものですね。使ってくれていて嬉しいです」
「こえ、だいすちなの。アルたま、あいがとごじゃまつ」
「こちらこそ、使ってくださってありがとうございます」
穏やかに微笑んでいるが、アルベルト様の心の中には、まだクラリッサのことが残っている。
クラリッサを忘れさせることは無理だろうが、自分の幸せのために前向きになってくれるようにするにはどうすればいいのだろう。
わたくしは苺のタルトを食べながら考えていた。
基本的に宮殿を訪ねるのは、訪ねるより先に手紙で申し入れなければいけないのだが、アルベルト様は皇弟の息子で、ラファエルお兄様とわたくしの従弟に当たる。皇族なので先に申し入れをしなくても急に訪ねてきていい特例というわけなのだ。
それをアルベルト様は毎回活用している。
熱を出した日から三日目、アルベルト様の訪問を聞いて、わたくしは乳母に着替えさせてもらって、ティールームに連れて行ってもらう。着替えくらい自分でできるようになりたいのだが、二歳の手は上手に動かずに、自分でやりたがっても最終的には乳母に手伝ってもらわないと何もできない。
着替えが終わると仕上げにお母様が前髪を三つ編みにして斜めに編み込んでくれた。
「どのリボンを使いますか?」
わたくしの持っているリボンはかなりの数がある。その中でも特にお気に入りなのは、アルベルト様の琥珀色の瞳に色合いが少し似た、アルベルト様からもらった薄茶色のリボンだ。
「こえ」
薄茶色のリボンを指差すと、お母様はそれでわたくしの髪を結んでくれた。
アルベルト様の待つティールームにはラファエルお兄様も先に来ていた。
「セラフィナが熱を出したことを聞いたの?」
「はい。お見舞いに行きたかったのですが、うつるといけないと止められていて、行けなかったのです。セラフィナ殿下も初めて熱を出して心細かったでしょう」
「わたしも隔離されていたんだよ。セラフィナと会えなくてつらかった」
「そうですよね。ラファエル殿下がつらかったのですから、小さなセラフィナ殿下はもっとつらかったでしょう」
風邪を引いて、熱を出していた間、わたくしがどれだけ寂しかったかについて、アルベルト様が同情してくださっているのが廊下から聞こえる。
ラファエルお兄様も体は大きいがまだ十二歳だし、お母様は妊娠しているので、風邪がうつってはいけないというのは分かっていたけれど、わたくしは寂しかったのだとアルベルト様の言葉で理解する。
前世ではそれが普通だったから思い付かなかったが、わたくしは寂しいと思っていいのだと分かった。
「アルたま、ようことおいでくだたいまちた」
「セラフィナ殿下、熱を出されていたと聞きましたが、すっかりお元気なようでよかったです」
わたくしがティールームに入って挨拶をすると、アルベルト様も挨拶をしてくれる。
乳母がわたくしを幼児用の高い椅子に座らせてくれた。
椅子に座ると、アルベルト様がテーブルの上に包装紙で包まれてリボンをかけられた大きな四角いものを置いてくれる。
わたくしはわたくしの椅子のそばで立っているアルベルト様を見上げた。
「こえは、なぁに? あけていいでつか?」
「開けて差し上げますね」
アルベルト様の白いけれど大きな手がリボンを解き、包装紙を破れないように丁寧にはがしていく。中から出てきたのは分厚い立派な図鑑が二冊だった。
「今、帝都では人気の画家がおりまして、その画家が描く絵が見事だというのです。その画家の描いた絵の図鑑です」
二冊の図鑑は、植物図鑑と動物図鑑と書かれていた。
そっとページをめくってみると、全ページカラーで美しい絵で動物や植物が描かれている。
「写真の図鑑もあるのですが、写真は白黒でしょう? セラフィナ殿下がまた熱を出されたときでも、美しい図鑑を眺めていたら気がまぎれるのではないかと思って、お見舞いのつもりで持ってまいりました」
「きれー……。とってもうれちい。あいがとごじゃまつ」
図鑑のあまりの美しさにわたくしがうっとりとして眺めていると、ラファエルお兄様も覗き込んできている。
「これ、わたしもほしかったやつだ。アルベルトもほしがってたやつじゃないのか?」
「わたしが買って、とても素晴らしかったのでセラフィナ殿下が見ても楽しいだろうと思って持ってまいりました」
「これはいいものをもらったね、セラフィナ。よかったね」
「あい、とってもうれちいでつ」
ラファエルお兄様もほしかったような素晴らしい図鑑だと聞いて、わたくしがもらっていいのか悩んでしまうが、アルベルト様とお揃いだと思うと嬉しいのでいいことにする。
図鑑の絵はとても美しく、書いてある説明は大人向けの難しい表記だったが、アルベルト様はわたくしが字を読めることを知らないので、絵を楽しんでもらうためにくださったのだろう。
「だいじにしまつ」
「わたしも父上に同じものを買ってもらおう」
「ラファエル殿下ともお揃いになりますね」
「セラフィナのものを奪うわけにはいかないからね」
てっきりわたくしがもらったので、ラファエルお兄様も一緒に使うのかと思っていたが、さすが皇族は違う。一人に一冊ずつ買うもののようだ。
「にぃに、こえ、ダリア。こえ、ガーベラ」
「セラフィナ、分かるの?」
「アルたま、くえた」
アルベルト様が二歳の誕生日に下さったダリアの花、その後にラファエルお兄様に宮殿に招かれたときに下さったガーベラの花を指差して言えば、ラファエルお兄様が「セラフィナは天才じゃない!?」と驚いている。
「わたしが差し上げた花を覚えていてくださるのですね」
「タンポポ! わたくち、アルたま、あげた!」
「はい、秋に咲く白いタンポポをいただきました。そのお礼にガーベラを持って行きましたね」
植物図鑑を見ているだけで、アルベルト様との思い出がよみがえって、わたくしは図鑑とはなんて素敵なものだろうと感激した。
動物図鑑に至っては、わたくしの知らない動物がたくさん描かれていた。
「こえ、なぁに?」
「ゾウですよ。鼻が長くて、鼻を手のように器用に使うのです」
「こえは?」
「キリンです。首が長くて、高いところにある葉っぱを食べられるそうです」
見たこともない動物がたくさん描かれていて、この世にはこんなにも動物がいるのかと感動してしまう。
わたくしが知っているのは、犬と猫とぬいぐるみで見たことがあるクマくらいだった。帝都の外れに行くと、狼が出るところもあると聞いていたが、狼が犬に似ているということくらいしか知らない。
狼も調べてみると、犬に似ていたが大きさが全然違うようだった。
「しゅごーい!」
あまりのことに感動して図鑑に拍手を送ってしまうわたくしを、アルベルト様もラファエルお兄様も微笑ましそうに見守ってくれていた。
図鑑を見るのに夢中になってしまっていたが、侍女がお茶を入れようと控えているし、テーブルの上にはお茶の準備が整いつつある。もっと図鑑を見ていたかったが、わたくしはぐっと我慢して、図鑑を閉じて乳母に下げてもらった。
お茶菓子には、艶々の苺のたっぷり乗ったタルトが出て来て、わたくしはアルベルト様を見る。
「いちご! アルたま、くえたの?」
「はい、今日も領地で採れた苺を届けさせていただきました」
「あいがとごじゃまつ。わたくち、いちご、だいすち!」
「たくさん食べてくださいね」
「あい」
アルベルト様は苺も持ってきてくれていた。
わたくしが苺のタルトを乳母に切ってもらって食べさせてもらっていると、ラファエルお兄様がため息をついている。
「アルベルトはセラフィナのことが好きすぎじゃない?」
「そうですね。セラフィナ殿下のことはとても愛らしいと思っています」
「認めたよ!? セラフィナと婚約したいとか言っても許さないからね!?」
ラファエルお兄様に言われて、アルベルト様の表情が僅かに曇る。その陰りの中にクラリッサの姿を見た気がして、わたくしははっと息を飲んだ。
「わたしは生涯結婚も婚約もしません」
「ベルンハルト公爵家はどうするつもり?」
「親戚から養子をもらうでしょう」
セラフィナとしてのわたくしと触れ合ううちにアルベルト様の心の傷は治ったと思っていたが、まだ根深い部分は変わっていないようだ。クラリッサの死を受け入れたのかもしれないが、自分の未来を見るまで心が追い付いていないのだろう。
「アルたま、ちあわてになって」
「わたしは幸せですよ。セラフィナ殿下にお会いできますし」
微笑んでアルベルト様がわたくしの結んだ髪にそっと触れる。
「このリボン、わたしが差し上げたものですね。使ってくれていて嬉しいです」
「こえ、だいすちなの。アルたま、あいがとごじゃまつ」
「こちらこそ、使ってくださってありがとうございます」
穏やかに微笑んでいるが、アルベルト様の心の中には、まだクラリッサのことが残っている。
クラリッサを忘れさせることは無理だろうが、自分の幸せのために前向きになってくれるようにするにはどうすればいいのだろう。
わたくしは苺のタルトを食べながら考えていた。
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