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9.ファビアンの愛で子猫は成長する

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 万里生が出て行ってからファビアンはすぐに追い掛けたのだが、マンションのエントランスで面倒な相手に遭遇してしまった。グスタフが縋り付いてきたのだ。

「やっぱり俺が運命だって分かってくれたんだな。来てくれてありがとう」
「君を運命なんて思ってない。僕は僕の運命を追いかけてきたんだ」
「その運命が俺なんだよ」

 抱き付かれてキスをされそうになって、ファビアンはグスタフを押し退ける。グスタフも長身だがファビアンの方が体格がいいので抵抗することができた。
 グスタフと揉み合っている間に万里生の姿は見えなくなっていた。
 グスタフとの仲を誤解されたのではないだろうか。

 憂鬱な気分になりながらも、心配なのは万里生のことだった。
 万里生は強がってはいるが世間のことをよく知らない。一人で暮らすにしても、ファビアンの助けがなければ難しいだろう。

 万里生がどうしてもファビアンの部屋を出たいのであれば、ファビアンはそれを受け入れるつもりだった。運命だと言われているが、万里生にも意志があって万里生の生き方があるのだとファビアンは理解している。
 一人暮らしをするのが容易ではないと万里生が分かったときに手を貸せるようにファビアンは準備だけはしておいた。

 メッセージを毎日送るのも、万里生が心配だからだった。
 一人でいると万里生は自分を大切にしない。一週間ドイツに行っている間に分かったことだが、万里生は家事もできるはずなのに、ファビアンがいない間一切家事をしていなかった。

 できるのにしないのは、自分を大事にしていないからだ。

 帰って来たくなったらいつでも帰って来ていいこと。
 一人暮らしが難しそうなら手を貸すこと。
 困ったことがあったらいつでも頼っていいこと。

 丁寧に日本語のメッセージを送っていたら、万里生がマンションを出て数日後にファビアンのスマホにメッセージが入った。

『ここにいる』

 短いメッセージと共に送られてきたビジネスホテルの名前と住所。
 これは迎えに来て欲しいという万里生のヘルプに違いない。
 ファビアンは車を出してすぐに万里生のいるビジネスホテルに行った。
 部屋のインターフォンを押すと万里生が飛び出してくる。
 泣いていたのか目は真っ赤で、洟も垂らしていて、抱き着く万里生をファビアンは優しく抱き止めた。

「遅いんだよ! なにしてたんだ!」
「ごめんね、遅くなっちゃって。晩ご飯作るから、一緒に帰ろう」

 憎まれ口を叩いているがファビアンから離れない万里生を抱きしめて、ビジネスホテルのチェックアウトの手続きをして、車の助手席に乗せて、ファビアンはマンションまで帰った。
 お腹を空かせているであろう万里生のために特大のお好み焼きを作ると必死になって食べている。食べている万里生にお茶を入れながら、ファビアンは言い聞かせるように告げた。

「マリオ、僕は誰とも体の関係は持ったことはない。運命の相手としか体の関係は持たないと思っていたんだ。マリオと心を通じ合わせることができたら、一生マリオのことしか愛さないよ」

 運命に憧れていたファビアンは、運命の相手と出会うまでは誰とも体を交わすつもりはなかった。運命の相手と出会えないのならば、一生誰とも愛し合わなくてもいい。それくらいの強い気持ちを持っていた。
 そのことを万里生に伝えると、赤い目を擦りながら万里生が呟く。

「それじゃ、あんた、その顔と体で、初めてなのか?」
「そうだよ。誰でも最初は初めてでしょう。おかしいことじゃないよ」

 マリオも初めてでしょう?
 問いかけると万里生の顔が真っ赤になって、両腕で顔を隠すようにする。

「そ、そんなこと聞くな!」
「初めて同士なら同じで安心だね」

 何気なくファビアンは言ったつもりだったが、万里生の体が強張るのが分かる。

「俺は、あんたに抱かれたりしない! 俺はもっと違う……違う相手と……」
「マリオ、好きなひとがいるの?」

 問いかけに対して、万里生が慌てる。

「す、好きなやつなんて、い、いない」

 顔を真っ赤にして慌てている万里生にファビアンは好きな相手がいてもおかしくないことに気付いた。例えそうであってもファビアンは万里生を追い出す気はないし、無碍に扱う気はない。
 ファビアンは万里生を愛しているのだ。

「好きな相手がいてもいいよ。僕はマリオを口説き落とせるように頑張るだけだからね」
「俺があんた以外を好きになってもいいのかよ?」
「ひとの気持ちは止められないからね。でも、僕もマリオに好かれるように頑張るよ」

 今は好きな相手がいても、その相手に振られれば万里生はファビアンの元に戻ってくる。好きな相手と一緒になっても、万里生が振り向いてくれるまで努力するつもりがファビアンにはあった。

「俺に好きな相手がいてもいいとか、俺のこと好きなんじゃないんじゃないか?」
「いや、愛してるよ?」

 冷やかすような万里生の言葉に、ごく真剣にファビアンが答えると、万里生の顔が茹で蛸のように赤くなる。

「な、なに恥ずかしいこと言ってるんだよ」

 食べ終えた食器をシンクに持って行った万里生が、珍しく食器を洗っている。
 シンクで水が流れる音を聞きながら、ファビアンは万里生が帰って来たのだとホッとしていた。

 家出して帰って来てから、万里生は積極的に家事を手伝うようになった。
 シャワーを浴びた後にはバスルームを掃除してくれているし、トイレも使った後には掃除している。食事を食べ終わった後には食器を食洗機に入れてくれるようになったし、リビングや共有部分に掃除機もかけるようになった。

「僕がするからいいのに」
「一緒に暮らしてるのに、一方的に世話になってるってのはよくないからな」
「マリオ、本当にありがとう」

 心からファビアンが感謝を述べると万里生は恥ずかしそうにしていた。
 万里生の表情も前よりも柔らかくなった気がする。
 ずっと爪を出して威嚇していた子猫のようではなくて、懐いてきた子猫のようになっている。
 その姿がファビアンには可愛くてならなかった。

「ふぁ、ファビアン……」

 ずっと万里生はファビアンのことを「あんた」と呼んで頑なに名前で呼ばなかった。
 夏休みも終わりかけの頃にファビアンは万里生から名前で呼ばれて、少し驚きつつも、特に反応は見せなかった。

「どうしたの?」
「今日は俺がご飯を作る」
「え? マリオが作ってくれるの?」
「俺の料理は食べられないっていうのか?」
「ううん、すごく嬉しいよ」

 微笑みながら答えると万里生は得意げな顔でキッチンに入っていく。ファビアンも手伝おうとしたが、万里生に止められた。

「俺が作るから、ファビアンは座ってろ」
「悪いなぁ」
「いいんだよ! 作りたい気分なんだよ!」

 キッチンで細々と作業をして出てきた万里生の手には丼が二つ乗っていた。
 丼の中身は、炒り卵とそぼろにサヤインゲンの三色ご飯で、炒り卵はふっくらとして、そぼろはぽろぽろで上手にできている。

「俺だって料理くらいできるんだ」
「すごく美味しいよ。マリオが三色ご飯を作ってくれたから、僕がお茶を淹れるね」

 三色ご飯を食べながら、ファビアンは自分と万里生の分のお茶を入れた。
 三色ご飯はとても美味しくて、ファビアンも万里生もお代わりをして食べた。

 その日から万里生が料理を担当する日も増えて、家事の割合はほとんど半々になった。
 甘やかして万里生の世話を焼いていたかったが、万里生が自分でできるようになるのも大事なことだろう。
 何より、自分のことを自分でするということは自分を大事にする一歩でもある。
 ファビアンは万里生の成長を喜んでいた。
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