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第零章 ―― 哀縁奇淵 ――
第015話 ―― 懸かるほど念う
しおりを挟む【前回のあらすじ――。ノックは好奇心に駆られて森に入り、人の手が入った林に足を運び、突然の旋風と森のざわめきに恐れをなして逃げ去る。そして、ヘイミルはラーフに一晩の宿として一軒の家を貸してもらい、ラーフと一緒に表の道に出て、孫娘メリアを送迎した羊飼いのコムンとその父タロッコと対面し、里や近隣の異変について話しをした。そして、異変の原因に心当たりがあるのかラーフが尋ねる】
表情を曇らせるヘイミルは。
「ええ、おそらく獣脚類の類かと……」
じゅうきゃく、と聞き慣れない言葉を復唱したコムンは眉を顰めた。
ラーフ曰く。
「二足歩行の恐竜っていえば分かるかな……? そうだ、ティラノサウルスは知ってるよね? その姿に近い恐竜の総称だよ」
「ああ……、前に絵を見せてもらったあれか。でもあれは伝説の動物なんじゃ」
タロッコは一瞬、我が子に目を細めるが、話を続けるラーフに注目を戻す。
「違うよ。実際にいる動物。でも、木を倒すってことは相当大きいんじゃ……」
目が合うヘイミルは頷いた。
「ラーフ殿の言う通り。現場を見ましたが木の上のほうを折る程ですから、相当の体高でしょう。正確な種類は断定できませんが……。少なくとも寒冷な気候に適応した種と思われます。あるいは、自然に呪詛の類を獲得したり、精霊の加護を宿して身体能力が高まっている恐れもある。一方で、大きさからして天命の近づいた年長の個体と思われます。そのことについては不幸中の幸いでした」
コムンは疑念に思った。
「え、それは違うんじゃ。大人より、小さい子供のほうがいいような気が」
「巨大な獣脚類であっても、若い個体であれば恐れを知らず足も素早い。そして兄弟で群れを成す。それが人里に近づけば、もっと被害が出たはずです。老齢で巨体であれば足も遅く分別がある。優れた鼻で獣の臭気を探り当て、ほかの肉食獣を威圧し、時に獲物を奪い、死肉を糧にする。わざわざ危険の伴う人里に下りてくることは、少ないかと……。ただし、絶対ではない」
頷いたタロッコは。
「そうか……。いや、恐竜なんぞ草食のやつしか見たことないからなぁ……」
考え込むコムンやタロッコ、心配が顔に出るラーフに対し、ヘイミルは。
「もし、家畜が死んだ場合は放置せず。なるべく里から離れた場所。それも一所に集めたほうがよろしいかと。もっと言えば早々に燃やしてしまったほうが安全です。下手に餌を与えれば、その分長居する可能性もある。高齢なティラノサウルス……、肉食恐竜ならば、餌が見つからないと判断すれば同じくらい鈍重な獣や新鮮な死骸を求めて早々に離れるでしょう。死体を放置せざるを得ないなら、捨て場を一か所に限定し、そこに人が近づかないようにするのです。ただ……」
「家畜を襲った獣は味を占める」
タロッコの言葉に、もとから険しい表情であったヘイミルは特別な反応は示さない。
しかし、ラーフとコムンは年上の2人に視線を絶えず動かし、落ち着かなくなる。
ヘイミルは吟味するようにゆっくり頷いた。
「私が見た足跡の主と近頃家畜を襲った下手人が同じかどうか、まだ判断がつきませんが、もし同一の個体であれば、再び家畜を狙うやもしれません。たしか、放牧していた家畜が狙われたのですよね?」
「ああ、隣の里の話で5日前のことだ。日暮れに森の道を通ってた時、列が延びた群れを襲われたそうだ……。曲がった峠道に羊飼いが居てな。最後尾が隠れてて、羊たちが叫んだと思って駆け付けたら。年食って鈍かった羊が消えてたらしい……。翌日、峠を戻ったら。案の定、羊の体の一部が見つかったそうだ」
「ちなみに、その現場とこの里はどれほど離れていますか?」
「羊が襲われた現場は、距離でいうと3日……人だけなら1日と半日で辿り着く」
「そうですか……。もし、木を折った下手人とその羊を襲った下手人が同じなら」
「山狩りをしなくちゃならん、かもしれん」
ヘイミルの言葉を受け継いだタロッコの結論に、コムンは驚いて言葉にならない声を漏らす。
タロッコは動揺する息子に情けなさを咎める視線を向ける。
「少しは考えてみろ。もし今後も家畜が襲われたら、いずれ小屋だって狙われて、最悪、人に累が及ぶ。犬たちの餌の干し肉を作るのも、燻製もやめたほうがいいな」
ヘイミルは付け加えた。
「一方で、熊と違い。肉食の獣脚類は純粋に肉しか食べませんから、野菜などは軒先に下げて乾燥させるなどしても問題ないかと。幸い、熊などの出現は確認されていないようですし」
「山狩りするなら僕とシャフルが……」
と提案するラーフに、タロッコが反応した。
「いや……、ああ……、そうだな。もし山狩りとなったら、どうしてもヒースには出てもらうことになる。お前も参加するかは、親子2人で話し合って決めてくれ。お前さんが出てくれれば百人力だが。子供に無茶をさせるのは大人の一人として恥ずかしくもある。それに、呪いをつけてるからって死なないわけじゃないんだろ?」
紋章な……、と息子に指摘されてタロッコは、どっちも同じだろ……、と言い返す。
コムンは呆れるが真剣な顔に戻して言う。
「でも親父の言うとおりだ。もし山狩りになっても、無理に参加することはない」
うん……、とラーフはらしくもない精悍な、それでいて緊張を窺わせる顔で頷いた。
それがタロッコとコムンを不安にさせる。
ヘイミルは。
「もし、山狩りをなされるなら、猟師を方々から呼び集めるのもいいでしょう。獣脚類……今回はティラノサウルスと仮定しますが……。やつの行動範囲は広く、様々な環境に適応している。海を跨いだ向こうの西の大陸にすらいると聞くほどに。いや、もとよりそこが故郷。話を聞く限り、この大陸には昔からいるわけではなく、最近来た流れ者。行動が読めぬので、討伐するにせよ追い払うにせよ、より多くの人員と注意警戒が必要になるでしょう」
タロッコは難しい顔のまま深く頷いた。
「そうだなぁ……。勉強になったよ。そんじゃもう夜も深い。このままじゃ朝を迎えちまう。そのせいで昼に寝ぼけようものなら烏に化かされて身ぐるみを剥がされかねない」
習俗を交えた軽口に対し、微笑んだヘイミルは軽く叩頭する。
「貴重な時間を頂き感謝いたします」
「いやいや、こっちこそ。お孫さんには助けてもらった。今後も良しなに」
「ええ……、そうだ。もしよろしければ、チーズをあともう少しばかり買わせてもらえないでしょうか? 何分、旅には日持ちするものが欲しいのです。味も美味であれば旅の疲れも和らぐ」
今まで、それこそ皆が獣の脅威に言い知れぬ不安を顔に浮かべていた時でさえ、抱えるチーズを見つめていたメリアが、やっと顔を上げて目を大きくして、畏敬の眼差しを祖父に注ぐ。
目の端でそれを感じ取ったタロッコは緩く頷いた。
「ああ構わんさ。ただ、うちの奴は少し塩気が多い。使っているのはシュバルトゲンセの塩だ」
「ああシュバルトゲンセ……確か山の奥にある岩塩窟の……。ここからですと南西の方角ですな?」
「よく知ってらっしゃる。いや、旅慣れていたら知ってて当然か? だから味は保証する」
タロッコの得意気な視線に射抜かれたメリアは、今すぐにでも食らいつきそうな熱視線を懐のチーズに注いだ。
皆、その子供っぽい様子に胸のわだかまりも軽くなる。
腕に隠れそうな麻袋は、内容の小ささを物語るが、少女から窺える美食への期待は包み隠せぬほど大きい。
タロッコはいよいよ背中を向けた。
「それじゃあ、貴殿の夢にホォルネスティー様の訪れがあらんことを」
「あなたにも、そして心地よき目覚めをお祈りします」
「ありがとうございました。よい夢を」
祖父に続いてメリアも祈りを述べて深く頭を下げ、顔を上げて目の合った2人の若者にも叩頭してから、さっそく宿の中に入る。
ヘイミルは孫の可愛らしい一面を見て顔を綻ばせるが、礼節を忘れない。
「こらこら、メリア。入る前にその藁敷で靴裏を拭いなさい」
2人が入った屋敷の戸口が閉まると、タロッコは我が子の首を腕で手繰り寄せた。
「いやしかし、いい人たちだったなコムンよ」
いきなり何を言い出すんだこの男は、と言わんばかりの顔で親を睨んだコムン。
ラーフもやってきて、親子の会話に聞き入った。
なんだよ唐突に? とコムンは強い口調で父に問う。
「脈があるなら、ぜひうちに来てもらいたいと思ってな」
若者2人は頭を直撃した発言と気管に入った唾に不完全な咳を誘発させられた。
「何言ってんだクソ爺!」
コムンは赤面し、肩に回された父親の腕を取っ払う。
相手の反応などお構いなしのタロッコは顎を撫でて思案した。
「爺さんもしゃきっとしてるし、メリアちゃん本人も……。最初、お前が連れて来たときは不愛想で愛嬌のない娘だと思ったが。いざ手伝ってもらうと熱心だし、心優しいし。もの怖じもしないし。丁寧だし。まあ、羊たちが娘さんを見たまま草を食べなかったり、犬が吠え続けるのはちょっと気になったが。けど初めて顔合わせしたんだ警戒するのも無理はない。長く居りゃあ、お互い慣れるだろう」
ふざけるなよ……、と音量を気にして怒鳴るコムン。
その後ろでラーフも青年と同調し、首を縦に執拗に振る。
だが年の功なのかタロッコは気にせず淡々と宣う。
「お前だって、そのつもりで誘ったんだろ? 今更恥ずかしがりやがって」
「待ってコムン兄さん。本当なの? どこまで進展したの?」
コムンは目の前の父のみならず横から少年が迫ってきて精神的な逃げ場を失う。
「いや、そうじゃないよ。ただね。ほら、気前のいいところを見せないと男が廃るってもんで」
父親は熱心且つ親身になる。
「男が廃るっていうんなら最後まできちっと筋を通せ。何ならうちのチーズも羊もあの娘さんに半分くれてやる」
そこまで言うなら頑張ろうかなぁ……、などとコムンは満更でもございません、といった表情になる。
事態が急速に進展してると悟りラーフは食いついた。
「そんなこと言って、エカはどうするのさ?」
コムンは頭に宿した火山が噴火したみたいに反応する。眼球がこぼれそうなほど目を見開き、頬が膨らみ閉ざした口から息が漏れる。
「ばばば! 馬鹿野郎! なんでいきなりキノコ女の名前が出るんだよ!」
「ああ、あの娘っ子か。あの子もいいぞぉ。きっと元気な子供を……」
オ・ヤ・ジ、の一音一音を逆に聞き取り難いくらいはっきり発音したコムン。
ラーフは詰め寄る。
「エカが今の兄さんを見たらきっと、節操がないってそっぽ向くと思うな」
そんな……、とコムンが目を元気に泳がせているのを尻目に、タロッコはもう1人の若者に視線を定めた。
「さてはラーフ坊もあの娘さんを狙ってたのか?」
嗜虐の笑みを浮かべる男の言葉が若い心臓を貫く。
体内の奥で精神がバレてはならぬと警鐘を鳴らすラーフは、違うよ! と断言する。
しかし、うら若い少年の顔は夜の闇に隠れても燈明の放つ緋色に塗られても区別できるほど自然に紅潮していた。
親子は結束した。
「見ろよ親父……。かわいい顔しちゃってまるでお姫様みたいだなぁ……」
「本当だ。いや、お前さんが女だったらいい嫁さんに……。見た目はいい嫁さんになっただろうなぁ……」
無礼千万だよ! 怒鳴り声を夜間仕様に制御したラーフだが、夜の里は囁き声もよく響いた。
宛がわれた仮住まいは、暖炉に火を入れたばかりなのに、心遣いだけで温かく思えた。
ヘイミルは、窓の鎧戸から微かに聞こえる言い争いに微笑んでしまう。
一方でその思慮深い眼差しは、今まさに暖炉の火を熾す孫娘に注がれる。
小さな火種を少し育てたメリアは、もらったチーズの切れ端を枝に刺し熱に近づける。少し齧った跡がある切れ端は、指先に乗せて支えられるほどの大きさ。すぐに熱が伝わるだろうが、しかし、チーズより先にメリアの表情のほうが蕩ける。
「タロッコ殿のおっしゃる通り。少し塩気が強調されておりますが。塩味がすぐに舌の上で溶けると、チーズ本来の濃厚な味わいと香りが引き立ちます。ああ……パンが欲しいです。軽く表面を焼いたパンに乗せて穀物の香りと一体となったら……ああぁぁ」
孫娘の幸せそうな表情と口ぶりに、いよいよヘイミルは笑みが終わらない。引いた椅子に座り、テーブルを肘掛けにした。
それを契機に、メリアが落ち着いた顔で口を開く。
「よいのですか? 彼らに本当のことを言わなくて……」
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