諦めたモノ

冬生羚那

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それぞれの想い

間違えたモノ

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 何を間違えたのか……。

 わたしの心に沈む黒いモノに深く溜め息が零れる。
 いや、『何を』だなんてわかりきっている。
 間違えたのはわたしだ……。
 わたしが間違えたことでこんなことになっているのだ……。


 あれが生まれた時は暗く重かった我が家にも漸く春のような暖かさが訪れると、素直に喜んだものだった。
 前領主であり、わたしの父でもあるランベルク前伯爵……。
 あの人はいい領主であった。
 能力も高く領民に愛されていた。
 ただ、わたしには敬遠したくなる人物であった。
 周囲の人間はこぞってわたしに聞かせたものだ。

 貴方のお父様は素晴らしい、と。

 いつからわたしは父に対して卑屈になり、劣等感を抱くようになったのだろう。
 ただ、気付いた時には周りからの期待の視線の中に、明らかな落胆の色が見えていた。

 わたしは父に劣る。

 頑張った。
 父に、領民に、他の貴族に認められるように。
 必死に学び考え少しでも己を高めようと努力した。

 ――やはり伯爵様程では……。
 ――伯爵様は何でもお出来になられるのに……。

 それでもわたしは『普通』で非凡な父には及ばなかった。
 父への尊敬がいつの間にか劣等感に塗り替えられていった。

 自信を失い落ち込む日々……。
 そんな中、妻に出逢った。
 結婚の報告をした時父は少し逡巡したものの、頷いた。
 父は無闇にわたしに何かを押し付けることはなかった。
 あの頃は父に劣るわたしに期待をしていなかったのだと、思っていた。
 だからわたしが選ぶ物事に父はむやみやたらに口を出さないのだと……思っていた。
 妻は貴族の娘らしく一歩後ろから付き従い私を立ててくれた。
 男として自信がついたものだ。
 父への劣等感に塗れる経営や、社交界での疲れを癒してくれたのは妻だけだった。
 そんな中、妻が身篭りアルメリアが産まれた。
 父も妻も、領民も喜びわたしも喜んだ。
 アルメリアの存在がわたしと父を繋ぐ細い糸になっていた。

 だがアルメリアは……父以上にわたしの劣等心を刺激した。
 物心つかないうちからその非凡さは発揮され、わたしは父とアルメリアに挟まれて……苦しかった。
 その内父は緩やかに衰えを見せ、寝台に篭った。
 わたしはそんな父の元にも顔を見せず、アルメリアがいつも父の傍にいた。
 苦しむこともなく、天寿を全うした父の表情は安らかで……、心の何処かで安堵した。

 これで、もう……比べられずに済む。

 だがアルメリアがいる。
 おずおずと顔を見せるアルメリアは、その目がどことなく父に似ている。
 教師の課題を見せて来たこともあったが……中身を読んで愕然とした。
 歳に似合わない内容の課題を、正確にこなしていたからだ。

 また、比べられるのか。

 そう頭を過ぎった。
 その瞬間、わたしの手にあった紙はアルメリアに叩きつけるように返していて……傷付いたという顔に、わたしは逃げ出した。

 そう、わたしはまた、逃げたのだ。

 妻と、『普通』の息子と、『貴族令嬢』らしい娘に。
 何もしたくなかった。
 何も気付きたくなかった。
 非凡なアルメリアならば出来るだろうと、沢山のモノを押し付けた。
 出来ないはずがない、と。
 父も言っていたではないか。
 アルメリアは賢いと。
 非凡な父に認められた、非凡なアルメリアならば出来て当たり前だろう。

 我が息子は言う。
 アルメリアの様になりたい、と。
 そんなことは出来なくて良い。
 非凡な者に追いつくなど出来はしないのだから。
 息子が出来たと見せて来る課題に、頭を撫でて褒めてやる。

 ああ、わたしもこれぐらいだった。
 父も、褒めてくれていた……ような、気がする。

 アルメリアを意識の外に追いやって……気が付けばアルメリアも15だと言う。
 アルメリアへの縁談話が来て、あの子ももうそんな年かと、気付いた。
 なんと侯爵家の1つからだ。
 しかも王家縁の、侯爵家の中でも最上位のグルカンディア家からだった。
 何故そんな所から、と首を傾げていれば、どうやらアルメリアはデビュタントで侯爵夫人に認められたらしい。
 そうして少ないながらも集めた情報から、息子の嫁に欲しいと言われた。

 ……わたしは、エスコートしていない。

 一瞬罪悪感が胸を過ったが、今さらだろうとむりやり蓋をして忘れることにする。
 他人から褒めそやされるのは、ほんの少しの高揚と、それを一瞬で覆い隠してしまう黒い感情。
 もやもやしながらもそれは表面に出さないようにして、申し出を受ける。

 こうして認められているのだ、否やは言うまい。
 それよりも、娘が欲しがっていた服をどうにか買ってやらなくては。
 ああそれに、息子のデビュタント用の衣装を妻と話し合わなくては。

 息子が時折、何か言いたそうにしているがそれを気付かないフリをして。
 娘の花が咲いたような笑顔に癒されて。
 妻が寄り添ってくれる穏やかな日々に、どっぷりと浸かり。

 久しぶりに顔を合わせたアルメリアから告げられたのは、婚約破棄だった。
 あのグルカンディア家との婚約を破棄するなど、何を考えているのか。
 きっとアルメリアが向こうの不興を買ったのだろう。

 アルメリアの言葉も聞かず、ただただ鬱憤を晴らすかのように言葉をぶつけた。
 横に居た妻も、わたしと同じようにアルメリアに言葉のナイフを投げていた。

 そうして、わたしは……我が家は『アルメリア』を失った。

 飛び込むように家に帰ってきた息子が、アルメリアを探していた。
 何故この子はアルメリアを気にするのだろうか、と前から思っていたが……逆に何故親であるわたし達が娘を気にしないのかと、怒りを露わにした。

 そうして突きつけられたのは、右肩上がりになった領地の経営状況で。
 アルメリアならば出来て当たり前だろうと言えば、息子の怒りは更に増した。

 寝る間も惜しみ、分厚い書類と毎日のように顔を突き合わせ、領地に居る執事たちと密に手紙をやり取りし……そうして努力していたのに、と。

 アルメリアが努力していたなど……それよりも何故息子はそこまでアルメリアのことを知っているのか。

 首を傾げ疑問を口にするよりも前に、息子は執事を捕まえて何事か言い合っていた。
『アルメリア』がいなくとも、息子が居るではないか。
 そう思って身体が強張った。
 今まで息子に領地に関する話はしてこなかった。
 わたしとて、アルメリアに経営を任せて既に何年経つだろうか。

 今さらわたしに出来るのか?

 そうして思い出したのは、いくつもの落胆の後ろ姿と……父の真剣な眼差しだった。
 毎日机に噛り付き、書類を睨み付けていた父の姿。

 ――この部分のもっと詳しい話が聞きたい。
 ――他の所では、前例がないか調べたい。

 何かあると、いつもそう言っていた気がする。
 父の執務机にはいつも何かの書類が積まれていた。
 そうだ、父とて、いつも努力していた。

 ――お前はお前らしくあれば良い。
 ――私と同じにはなれないよ。
 ――周りがなんと言おうと、お前はお前だ。私ではない。

 父がわたしに落胆していたのではない。
 父の言葉は、わたしを認めていないのではなく、むしろ『わたし』を認めていてくれたのだ。

 ――なるほど、こういった視点もあるのか。
 ――お前ならばこういう時どうする。
 ――ほう、それは気付かなかった。そうか、なるほど。

 ああ……本当に今さら気付いた所で、どうすればいいのか。

 ――私は私で、お前はお前だ。同じである必要はない。
 ――お前がそうと決めたのならば、良い。

 周囲の言葉に惑わされて、父の言葉を穿った受け取り方をしていたのは、わたしだ。
 そうして卑屈になり、『アルメリア』に全て、押し付けたのだ。

 ……父よ、偉大な我が父よ……。
 やはりわたしは、愚かな男でした。
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