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エゴイストとピアニスト

夜、安藤さんの店 その3

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「え、あ、うん。ピアノ弾くのは楽しいし……」
話を振られるとは思っても居なかったので僕は慌てながら応えた。
本来なら『オヤジがどれほどピアノを弾いていたかは知らないが、僕自身ピアノを弾くのを苦痛と感じた事はない』ぐらいの台詞は返したかったところではある。

「同じや。お前ら親子はよう似てるわ」
と安藤さんは感心したように頷くと笑って話を続けた。

「あの当時。ある意味真剣に一平はエゴイストしとったわ」

「なんかエラい言われようやな」
とオヤジは呆れたように言った。

「だからや。周りの同級生や友人はこのエゴイストが放っておけなくて、こいつの代わりに考えて動きよるや……というか気が付いたら勝手に色々やってたって感じかな」

「そうなんですねえ……」
呟くように安藤さんの話に応えながら僕は考え込んでいた。
僕にはオヤジの言う『一周回ったエゴイスト』がどういうものか想像もつかなかった。でもこの二人の会話を聞いていると、それはいつものセンスのないオヤジギャグではないという事だけは理解できた。

――確信的なエゴイスト? という事なのか? もしそうだとしてそれが普通のエゴイストと何が違うんだ? さらに悪化してないか?――

 全く想像ができなかった。でもこのオッサン二人には分かる何かがあるようだ。

「言うとくけど、一平は今では三周ほど回ったエゴイストやからな」
と安藤さんは笑って付け足すように言った。

「なんや? 俺が自分の事しか考えてないどうしようもない奴みたいな言い方やな」
とオヤジが即座に反論した。

「そう聞こえなんだか?」
と安藤さんはひとことでオヤジをいなしていた。

「どうせならエゴイストの最終形として進化したと言わんかい!」
とオヤジが更に言い返すと
「さり気にボスキャラ感を醸し出そうとすんな。せこいぞ!」
と切り返されて更にあしらわれていた。

「ふん!」
とオヤジは鼻を鳴らすと僕に向かって
「まあ、お前はこれから色々と考えていったらええ。どうやら周りの状況や人の感情や機微が敏感に分かるような人間らしいからな。それをちゃんと消化して自分で考えたらええんや」
と言った。
どうやら安藤さんの指摘は的を得ていたようだ。これ以上の反論は無駄だと察したようだ。

 オヤジの言葉は明らかにその場しのぎの言葉だったが、
「そうなんかな?」
と応えながら僕は、まだオヤジの言葉の意味を考えていた。

 オヤジの言いたかった事は『自分で考えろ』という事なんだろうか? それともこのままで良いという事なんだろうか? 『一周回ったエゴイスト』になるのにはこれから色々考えなくてはならんのか?……いや何も考えずにピアノの事だけを考えていればいいのか?。
自問自答したが結局答えは出せなかった。

 話をはぐらかされたような気がしないでもなかったが、かといってどういう風にオヤジに聞き返して良いのかも分からずに僕は黙って考えるしかなかった。

「多分な。まあ、何も感じん鈍感な息子でなくて良かったわ。これからそういうのも判っていく歳になるわ」
そういうとオヤジはロックグラスを口元に運んで一気に飲み干した。

「ほい。お代わり」
とオヤジはカウンターにグラスを置くと、立ち上がって僕の頭に軽く手を置いてからトイレに向かった。

 安藤さんはそれを黙って受け取り、オヤジがトイレに消えると
「なんか、あいつ……嬉しそうやな」
とひとこと言った。
「え? 何がですか?」
僕は思わず声を上げて聞き返した。

「いや、多分亮平……お前があいつの若い頃と同じことを感じているからとちゃうかな?」

「そうなんですか?」

「そう……もっともあいつの場合は強制的にピアノを辞めさせられて『どうやってこれから生きていけばいいのか?』というところまで追い込まれてから、やっと周りを見だしたからな。それまではピアノしか見えてなかったし他を見る必要もなかったしなぁ……」
と過去を懐かしむような言いまわしで安藤さんは言った。

「それ……なんとなく分かります」
お嬢と出会ったおかげで、今まで何度となく見せられたオヤジの残像。そのたびにオヤジのピアノに対する想いを感じてきた。

「もっともあの当時の一平は自分がエゴイストであることも、ピアノに関してはストイックであったことも全然自覚なかったんやけどな。好きな事をただ単にやっているだけやったからなぁ……よくここまで持ち直したと思うわ」
と安藤さんのその言葉は僕に語るというよりも独り言のように聞こえた。

 一瞬の間が空いて

「ま、あいつの場合は隣にユノがおったからなぁ……」
と安藤さんは言った。

「母がですか?」
僕は思わず聞き返してしまった。

「そうやで。その時の……あの一平を見捨てずにずっと一緒におったのはお前の母親や」
そういうと安藤さんは煙草を一本咥えて火をつけた。
そして吸い込んだ煙草の煙を天井に向けて吐いた。

 僕はその煙を目で追いかけながら
――オフクロはそん時どんな事を思っていたんやろう――
と考えていた。

「兎に角、ホンマもんのエゴイストは人を感動させる力があるっていう事や。一平が言いたかったのは『亮平ならそれぐらいの音を出せるはずや』って事やろうな。ただそれは色々と経験して悩んで迷った先にあるんやろうなぁ……」
と安藤さんがしみじみと言った。

――オヤジや安藤さんには、そんな経験があったんだろうか?――

 と素朴な疑問も湧いたが

「みんなから許されるエゴイストかぁ……先は長そうですね」
と僕は乾いた笑いで呟く事しかできなかった。

安藤さんはそれには応えずに何度か頷いた。


 しばらくしてオヤジが戻て来た。
安藤さんとの会話はそれで途切れた。

 
「もうすぐな、ダニーが来んで」
と言ったオヤジの手には携帯電話が握られていた。
オヤジは携帯電話をカウンターに置くと椅子に座った。

「え? そうなん」
僕は驚いて聞き返した。

「ああ。それにしてもこれはダニーからの贈り物やな」
とオヤジは新しいグラスに口を付けると、そうひとこと言った。
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