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一
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公爵家と失われた加護
この国は、二つの公爵家によって均衡を保ってきた。
東には、ハーベルト公爵家。
そして西には、もう一つの公爵家が存在する。
ハーベルト公爵家は、血と歴史の家だ。
王国建国以前からこの地を治め、武と統治の双方に秀でた名門。
騎士団の要職を代々輩出し、「剣を預かる家」として知られている。
国境防衛、反乱鎮圧、他国との軍事交渉。
国が剣を必要とするとき、必ず名が挙がるのがハーベルト家だった。
一方で、王家と直接血を交わすことは避け、
常に一歩引いた位置から国を支える。
それが、ハーベルト家の矜持だった。
そして――
もう一つの公爵家。
こちらは、力を持つ家だった。
王家の直系ではないにもかかわらず、
宗教・魔法・外交の中枢に深く関わり、
「王家よりも王家に近い」と囁かれてきた家。
理由は一つ。
かつてこの家に、
隣国――魔法大国から、
一人の王女が降嫁してきたからだ。
隣国は、魔力の研究と継承において他国の追随を許さない国。
その王家には、代々「聖魔法」を扱える血筋が存在すると言われている。
その王女は、聖魔法を扱える希少な存在だった。
攻撃でも、支配でもない。
そこに在るだけで土地を癒し、人を整え、争いを鎮める力。
その王女を迎えたことで、
公爵家は「聖女の血を引く家」となり、
この国にとって欠かせない存在となった。
東のハーベルト公爵家が剣なら、
西の公爵家は加護。
二つの家が並び立つことで、
王国は長く安定を保ってきた。
――それが、表向きの歴史。
だが、その均衡は、
一人の王女が亡くなったことで、静かに崩れ始める。
聖魔法は失われたとされた。
加護は消えたとされた。
けれど実際には、
その力は、確かに残っていた。
ただ――
誰にも気づかれぬ形で。
屋敷の離れにある、
小さな小屋に住む少女の中に。
◆
第1話
離れの小屋と、治る痛み
お母様が亡くなってから、
私は屋敷の離れにある、小さな小屋で暮らしている。
お母様が生きていた頃、私は本邸に住んでいた。
広い廊下に、陽の入る部屋。
風が通るだけで、心が落ち着く、不思議な空気。
今思えば、
あれは屋敷そのものが整っていたのではない。
お母様が、そこにいたからだ。
お母様は、隣国の王女だった。
聖魔法を扱える、希少な血筋。
けれど、その力を誇ることはなかった。
「力は、支配するためにあるものではありません」
それが、母の口癖だった。
母が亡くなったのは、私がまだ幼い頃だった。
それを境に、屋敷は静かに、しかし確実に変わっていった。
新しい義母と義妹が迎えられ、
人は増えたはずなのに、空気は重くなった。
些細なことで怒鳴り声が上がり、
理由の分からない苛立ちが、屋敷に満ちていった。
そして私は、本邸を離れ、
屋敷の離れにある小屋へ移された。
元は物置だったというその小屋は、
壁が薄く、床板はところどころ軋む。
冬には隙間風が入り、朝には吐く息が白くなる。
それでも、雨風はしのげる。
古いながらも鍵はついているし、
夜になれば、小さな魔石灯が淡く光る。
だから、不便はない。
――そう思うことにしている。
離れに移ると決まったとき、義母は微笑んだ。
「静かで、いい場所でしょう?」
配慮を装って。
きっと、私のためを思ってのことなのだろう。
私は、少しだけ魔法が使える。
祈ると、擦りむいた膝は塞がり、
打たれた頬の熱は引き、
痛みは、なかったことになる。
母が生きていた頃、言われた。
「誰にも言ってはいけませんよ」
だから今も、誰にも話していない。
だから困らない。
殴られても、
頬を打たれても、
腕に痣が浮かんでも。
夜になれば、祈れば治る。
侍女に叩かれた日も、
義母に平手打ちされた日も、
父が感情のままに手を上げた日も。
すべて、元通りになる。
だから問題はない。
……そう、思っている。
不思議なことに、私のいる場所では植物がよく育つ。
本邸にいた頃、庭師が首を傾げていた。
「お嬢様が通ったあと、花が元気になるんです」
気のせいだと笑っていた。
今、小屋の周りでは、
誰も世話をしないのに草が伸び、
踏まれても、また起き上がる。
私は、それを見ないふりをする。
昼下がり、小屋の扉が小さく叩かれる。
「……お嬢様」
侍女のケリーだった。
彼女は周囲を警戒しながら、小屋に入ってくる。
かごの中には、
固くなりかけたパンと、小さな果実、
そして一冊の本。
「今日の分です。
前の奥様に、頼まれていましたから」
母の名を出されると、胸が少し痛む。
ケリーは本を開き、文字を指でなぞりながら教えてくれる。
母に教わっていた勉強の続き。
止まっていた時間が、
ここでは、まだ流れている。
彼女が帰ったあと、私は小屋の前で土を見つめる。
昨日より、草が伸びている。
何もしていないのに。
夜、祈って温かいスープを作る。
湯気が立ち上り、小屋の空気が柔らぐ。
生きていく分には、足りている。
なのに、胸の奥で、何かが沈んでいる。
「私が、ダメなのよね」
そう呟くと、風もないのに草が揺れた。
否定するように。
その夜、小屋の外で何かが割れる音がした。
胸の奥が、ぎしりと軋む。
懐かしい気配。
思い出せない約束。
私は胸に手を当てる。
大丈夫。
治る。
いつも、そうしてきた。
――この日々が、終わるとも知らずに。
この国は、二つの公爵家によって均衡を保ってきた。
東には、ハーベルト公爵家。
そして西には、もう一つの公爵家が存在する。
ハーベルト公爵家は、血と歴史の家だ。
王国建国以前からこの地を治め、武と統治の双方に秀でた名門。
騎士団の要職を代々輩出し、「剣を預かる家」として知られている。
国境防衛、反乱鎮圧、他国との軍事交渉。
国が剣を必要とするとき、必ず名が挙がるのがハーベルト家だった。
一方で、王家と直接血を交わすことは避け、
常に一歩引いた位置から国を支える。
それが、ハーベルト家の矜持だった。
そして――
もう一つの公爵家。
こちらは、力を持つ家だった。
王家の直系ではないにもかかわらず、
宗教・魔法・外交の中枢に深く関わり、
「王家よりも王家に近い」と囁かれてきた家。
理由は一つ。
かつてこの家に、
隣国――魔法大国から、
一人の王女が降嫁してきたからだ。
隣国は、魔力の研究と継承において他国の追随を許さない国。
その王家には、代々「聖魔法」を扱える血筋が存在すると言われている。
その王女は、聖魔法を扱える希少な存在だった。
攻撃でも、支配でもない。
そこに在るだけで土地を癒し、人を整え、争いを鎮める力。
その王女を迎えたことで、
公爵家は「聖女の血を引く家」となり、
この国にとって欠かせない存在となった。
東のハーベルト公爵家が剣なら、
西の公爵家は加護。
二つの家が並び立つことで、
王国は長く安定を保ってきた。
――それが、表向きの歴史。
だが、その均衡は、
一人の王女が亡くなったことで、静かに崩れ始める。
聖魔法は失われたとされた。
加護は消えたとされた。
けれど実際には、
その力は、確かに残っていた。
ただ――
誰にも気づかれぬ形で。
屋敷の離れにある、
小さな小屋に住む少女の中に。
◆
第1話
離れの小屋と、治る痛み
お母様が亡くなってから、
私は屋敷の離れにある、小さな小屋で暮らしている。
お母様が生きていた頃、私は本邸に住んでいた。
広い廊下に、陽の入る部屋。
風が通るだけで、心が落ち着く、不思議な空気。
今思えば、
あれは屋敷そのものが整っていたのではない。
お母様が、そこにいたからだ。
お母様は、隣国の王女だった。
聖魔法を扱える、希少な血筋。
けれど、その力を誇ることはなかった。
「力は、支配するためにあるものではありません」
それが、母の口癖だった。
母が亡くなったのは、私がまだ幼い頃だった。
それを境に、屋敷は静かに、しかし確実に変わっていった。
新しい義母と義妹が迎えられ、
人は増えたはずなのに、空気は重くなった。
些細なことで怒鳴り声が上がり、
理由の分からない苛立ちが、屋敷に満ちていった。
そして私は、本邸を離れ、
屋敷の離れにある小屋へ移された。
元は物置だったというその小屋は、
壁が薄く、床板はところどころ軋む。
冬には隙間風が入り、朝には吐く息が白くなる。
それでも、雨風はしのげる。
古いながらも鍵はついているし、
夜になれば、小さな魔石灯が淡く光る。
だから、不便はない。
――そう思うことにしている。
離れに移ると決まったとき、義母は微笑んだ。
「静かで、いい場所でしょう?」
配慮を装って。
きっと、私のためを思ってのことなのだろう。
私は、少しだけ魔法が使える。
祈ると、擦りむいた膝は塞がり、
打たれた頬の熱は引き、
痛みは、なかったことになる。
母が生きていた頃、言われた。
「誰にも言ってはいけませんよ」
だから今も、誰にも話していない。
だから困らない。
殴られても、
頬を打たれても、
腕に痣が浮かんでも。
夜になれば、祈れば治る。
侍女に叩かれた日も、
義母に平手打ちされた日も、
父が感情のままに手を上げた日も。
すべて、元通りになる。
だから問題はない。
……そう、思っている。
不思議なことに、私のいる場所では植物がよく育つ。
本邸にいた頃、庭師が首を傾げていた。
「お嬢様が通ったあと、花が元気になるんです」
気のせいだと笑っていた。
今、小屋の周りでは、
誰も世話をしないのに草が伸び、
踏まれても、また起き上がる。
私は、それを見ないふりをする。
昼下がり、小屋の扉が小さく叩かれる。
「……お嬢様」
侍女のケリーだった。
彼女は周囲を警戒しながら、小屋に入ってくる。
かごの中には、
固くなりかけたパンと、小さな果実、
そして一冊の本。
「今日の分です。
前の奥様に、頼まれていましたから」
母の名を出されると、胸が少し痛む。
ケリーは本を開き、文字を指でなぞりながら教えてくれる。
母に教わっていた勉強の続き。
止まっていた時間が、
ここでは、まだ流れている。
彼女が帰ったあと、私は小屋の前で土を見つめる。
昨日より、草が伸びている。
何もしていないのに。
夜、祈って温かいスープを作る。
湯気が立ち上り、小屋の空気が柔らぐ。
生きていく分には、足りている。
なのに、胸の奥で、何かが沈んでいる。
「私が、ダメなのよね」
そう呟くと、風もないのに草が揺れた。
否定するように。
その夜、小屋の外で何かが割れる音がした。
胸の奥が、ぎしりと軋む。
懐かしい気配。
思い出せない約束。
私は胸に手を当てる。
大丈夫。
治る。
いつも、そうしてきた。
――この日々が、終わるとも知らずに。
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