先妻様――美沙子さん、ごめんなさい

斗有かずお

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乾杯の音頭

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 乾杯の音頭を取ってくださった酒造組合会長さんのおっしゃった通りに、聡一郎さんは常識があって、とても礼儀正しい人です。真面目すぎるくらいに。
 池内酒造株式会社の主力商品である、利根川水系の伏流水を使用した「寒椿」は、とてもまろやかで口当たりがよくて、聡一郎さんや会長であるお義父様の人柄が感じられます。各席のテーブルに誇らしげに置かれている新酒米を使用した「寒椿さけむさし」が、去年の全国新酒鑑評会で金賞に選ばれたのは、私にとっても聡一郎さんとの婚約の次に嬉しい出来事でした。
 聡一郎さんは淳一郎君の卒園後に、父兄と先生の関係でなくなってから、私に交際を申し込んでくれました。本当に嬉しかったなあ。天にも昇る心地でした。三年間ずっと片思いをしていて、していることすらだれにも言えなくて、しかも淳一郎君が小学生になったら、もう聡一郎さんに会えなくなると思っていましたから。
 淳一郎君が年長さんに上がったころから、早朝保育の送りや延長保育の迎えにきた聡一郎さんによく話しかけられるようになって、それだけでも夢心地だったのです。
 まさか、淳一郎君が最後に春休み保育にきた去年の四月七日に、聡一郎さんに会えるのは最後かもしれないと覚悟していたその日の夜の七時半に、幼稚園近くのおしゃれな喫茶店に呼び出されて、「私とお付き合いしていただけないでしょうか」と言ってもらえるなんて。耳を疑ったけど、自分でも笑っちゃうくらいにひっくり返った声で、「はい、喜んで」と即答した拍子に、一杯七百円もするブレンドコーヒーまでひっくり返しちゃいました。
 お互いに忙しくて、なかなか会えなくて、デートは一緒にお茶や食事をするくらいでしたけど、聡一郎さんとお付き合いできているだけで幸せでした。半年が経とうとしていたころ、去年の十月四日のことです。私は二十六歳になったその日に、聡一郎さんからプロポーズされたのです。心臓が止まりそうになるくらいに嬉しいバースデープレゼントでした。おしえてはいないのに、聡一郎さんは私の誕生日を知っていてくれたのです。きっと、記憶力も抜群にいい淳一郎君が覚えていてくれたのでしょう。
 私はその日、なんと淳一郎君からもプロポーズされちゃいました。三人では初めてだった食事をおえて、聡一郎さんは「私と結婚してください」と、淳一郎君は「ぼくの新しいお母さんになってください」と言ってくれたのです。美沙子さん、ごめんさない。どちらもありきたりで短い言葉だけど、夫になる人とその息子さんから同時にプロポーズをしてもらえるなんて、後妻になる身としてこんなに嬉しいことはありません。
 とんとん拍子に事が進んで、私は今年の三月末日をもって幼稚園を寿退職しました。卒園式の謝恩会では、退職する先生は泣かねばなりません。私は年長さんの担任でもあったので、絶対に号泣しなければならなかったのに、翌々月に迫っていた聡一郎さんとの結婚にワクワクする気持ちを抑え切れずに、かろうじて涙ぐむことしかできませんでした。担任としての挨拶で、「卒園生のみなさん、笑ってお別れしましょう」なんて言いましたけど、事情をご存知の先生方やお母さん方に、顰蹙を買ったに違いありません。
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