新月の屋敷妖精と呪われた堅物騎士〜お飾り予定の契約婚だったはずが、思っていたのと違い、溺愛されました〜

藤谷 要

文字の大きさ
1 / 14

訳ありな婚約

しおりを挟む
「ハイゼン子爵令嬢、この書類にサインしていただきたい。これが受理されれば、私とあなたの婚約は成立する」

 淡々とした低い事務的な声が、静かな部屋に響いた。

 ここはレセル国の王都にあるサミエル伯爵家のお屋敷。
 この重厚なタウンハウスは見上げるくらい高層で、贅沢なほど広い敷地の中に建てられている。

 十八歳のルーシェ・ハイゼンは、父とともに訪れて、伯爵令息ウィリアムと対面していた。
 
 ソファに座りながら眺めているのは、円卓に置かれた数枚の書類。婚約に関する契約書だ。主に伯爵家からの支援内容と、破談になった場合の慰謝料について書かれている。

 目を通したあと、彼に視線を向ければ、相手は椅子に深く腰かけながら真剣な顔で返事を待っていた。

 二十二才になる彼は端正な顔立ちだ。ところが、目の周りの隈が異様に濃いせいで、顔色が悪く死人のようだ。
 こちらを見つめる彼の暗い目から、何かを堪えるような深い苦しみを感じる。

 本心では彼はルーシェとの婚約を望んでいないのだから当然だ。
 彼には他に想い人がいるのだから。

「了解しましたわ、サミエル卿」

 事前の打ち合わせ通りの内容だったので、用意されていた筆記用具で名前を書いた。

「感謝する。申し訳ないが、私はこのまま王宮へ行き、書類を出してから職場に向かう。お茶を用意させるから、あなたたちはゆっくり過ごしてほしい」
「お忙しいところ、お時間とお気遣い感謝いたします」

 父が丁寧に礼を言い、手を差し出す。

「私にとっても必要なことだ。気にしなくていい」

 彼は快く握手に応じたあと、あっさりと手を放し、書類を手にする。
 立ち上がって足早に部屋から去ろうとして、ドアの前でピタリと足を止める。振り返った顔は、とても気まずそうだった。

「前に私があなたの父君ハイゼン卿に言ったことだが、その……」
「ええ、よく存じ上げております。結婚の条件についてですよね」

 先ほどの契約書に書かれていなかった件だ。

「そう、それなんだが……」
「もちろん承知しております。そのために十分な支援をしていただけるお約束ですから」
「ああ、もちろん約束は守るが……」
「愛のない結婚だと理解しております。どうぞご安心ください」
「……そうか」

 にっこりと満面の笑みで答えたのに、彼は心苦しそうに部屋から出て行った。

 ルーシェは髪と同じ栗色のまつ毛を伏せて、ため息をそっとつく。

 これから彼の正式な婚約者となる。
 彼の実家は由緒ある伯爵家。領地を持ち、投資と事業で多くの収益を上げている裕福な貴族だ。その次男である彼は優秀な騎士として王宮で勤めている。彼の優れた容姿と能力だけでも、ルーシェにとっては身に余るような婚約だ。
 でも、彼からの求婚には事情があった。ルーシェに対して愛情は全くなく、育む予定もない。

 ルーシェに求められているのは、お飾りの妻。
 ただ単に双方にとって都合の良いだけの契約だった。

(そう、私にとっても、この婚約は仮初でないと困るの。だって、彼は私を捕まえようとしているのだから!)

 ルーシェが敵として認定しているウィリアムとの出会いは、一年前まで遡る。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします。

樋口紗夕
恋愛
公爵令嬢ヘレーネは王立魔法学園の卒業パーティーで第三王子ジークベルトから婚約破棄を宣言される。 ジークベルトの真実の愛の相手、男爵令嬢ルーシアへの嫌がらせが原因だ。 国外追放を言い渡したジークベルトに、ヘレーネは眉一つ動かさずに答えた。 「国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします」

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

処理中です...