上 下
6 / 24
第一話

【本日の御予約】 紫乃原みちる 様 ⑤

しおりを挟む
 人が消えることを蒸発と呼ぶ。
 でもそれは、あくまでという意味であって、という意味じゃない。
 なんて、知識とも呼べない常識はどうでもよくて。



「――――――は?」



 しばらく、何を言われたのか、わからなかった。

「あたしが、凛介を消す……?」

 敢えて声に出して再確認してみるけれど、今度は理解が追い付かない。
 ましてや納得なんて、できるはずがなかった。

「いや。そんな……待ってくださいっ。そんなこと、ある訳ないじゃないですか!」

 どうして、だろう。
 当然の事を言い返しているだけなのに声が大きくなってしまう。なぜかあたしはムキになってしまう。
 知っている名前を出されたから……? それとも……、凛介だから?

「そんなことある訳ない、ね。そう言いたくなる気持ちはわかるけど、根拠はあるのかな?」
「根拠って……、そんなの」

 そんなモノあるはずがない。
 きっと浦面さんもわかった上で言っているのだ。あたしを試すような口調が、そう思わせる。

「でもっ、に考えれば――」
「常識的に考えたら、そもそも掛布団は消えないよ」
「――っ」

 
 ことごとく。一切合切。あたしの反論は浦面さんに、届かない。
 その事実が逆説的に浦面さんの言葉を強くする。
 本当に、、と思わされてしまう。


 でも、だからって……っ。


 こめかみが熱を帯びるのを感じる。どうやらあたしは冷静さを欠いているらしい。
 けれどそれも仕方ない事だ。
 こんな話を簡単に納得できるわけがない。
 自分の意思が存在しないあたしでも、そうそう認められる話じゃないのだ。

「そ、それなら! あたしが凛介を消すっていう根拠を教えてくださいっ。あやかしが人に危害を加えるっていう根拠を!」

 子供みたいに――あたしはわめく。
 反論が届かないのなら、もはや揚げ足を取るしかない、と。
 すると浦面さんは再びあたしに視線を合わせて――唇を薄く歪めながら、すいっと右腕を伸ばしてきた。
 それからゆっくりと袖をまくる。

「これが、根拠だよ」

 あたしの目に映ったのは、雪のように白くて細い腕……とは程遠い、あざだらけの腕だった。
 痣。厳密には傷痕と表現するべきだろうか。見るからに痛々しい、波を思わせる模様が手首から肘にかけて絶え間なく伸びている。
 その光景は、あたしに捻り鉢巻きを連想させた。
 腕の肉が裂けるまで全力で雑巾絞りしたような――そんな傷痕だったから。
 
「あやかしの仕業だよ。
「……えっ」

 平然と。さも当然のごとく、浦面さんは言う。


 それが私の個性であり、性格であり――あやかしでね。

 まぁ、かいつまんで説明すると、みちるちゃんと同じような事があった訳だよ。
 私は中学二年生の時だったかな。
 ある日、アイスを食べるために握っていたスプーンが突然曲がった。
 ぐるりと一回転ほど捻れた。それが、私のあやかしが初めて表側に顔を出した瞬間だった訳だけど……私はその捻れたスプーンでそのままアイスを食べた。

 要は、受け入れた。

 喜んで受け入れた。嬉しかったよ。なんたって中学二年生といえば思春期の真っ盛りだからね、ついに私にも特別なチカラが身に宿ったんだと歓喜した。だからそれ以降、スプーン以外のモノが捻れても――ひねくれても全く気にしなかった。むしろ、そうなる事を望んでさえいた。

 だからまぁ、必然だったんだろうね。ある日とうとう右腕が――」

 
 そこまで言って、浦面さんは右腕を引っ込めた。
 醜いモノを見せてごめんね、と。そう言いたげな弱弱しい視線をあたしに向けながら。

「ここまでの話で察しているかもしれないけど、あやかしは受け入れれば受け入れるほどチカラを増す存在だ。みちるちゃんは掛布団が消えたという事実を受け入れた訳だからね。
 次はもっと大きなモノ。あるいは大切なモノが消えたとしても、何もおかしくないんだよ」

 ……確かに、あたしは掛布団が消えた事を受け入れた。諦めるという歪な形ではあったけれど、受け入れた。
 だからそれによって更に大きなモノ――大切なモノが消えるという理屈は、まあ理解できる。
 でも、どうしてここで凛介が出てくる……?

「だから、、だよ」

 言われて、あたしは反射的に唇に手を当てた。
 ……声に出ていたのだろうか?
 思った事を思ったまま口にしてしまう悪癖はあれど、心の声が漏れたことなど一度もない。
 一度もないといえば、ここまで掛布団という単語が飛び交う会話もそうそう無いだろう。
 さして大したモノでもないのに……。

「もし掛布団を文房具や髪留めと同列として扱っているのなら――みちるちゃん、それは大きな間違いだ。大間違いで、勘違いで、見当違いだよ」

 心の内を見抜かれたような言葉に、両膝がわずかに跳ねた。

「それは、どういう……?」
「掛布団は、でありでもあるって事さ。
 掛布団は冷気から身を守るためのモノだけど、決してそれだけが役目じゃない。それだけの役目に

 みちるちゃんも、一度くらい経験あるんじゃないかな?
 時に、雷の轟音から身を隠す先として。時に、嫌な記憶や思い出から逃げ込む先として。人はなぜか掛布団に潜り込む。少し厚みがあるだけで、実際の防御力なんてたかが知れている布の塊でしかないのに――人は潜在的に掛布団を盾や鎧として活用してきた事実がある。

 つまりみちるちゃんは、結果的に自分を守ってくれる存在の消失を受け入れてしまったのさ。だから次は掛布団以上にみちるちゃんを守ってくれる存在や、心配してくれる存在を消してしまうだろう。だから次は――」


「凛介を、消してしまう……」


 耐えきれなくなって、あたしは自分の言葉で締めくくった。
 浦面さんが深く頷く。

 ……ダメだ。もう否定できる気がしない。

 浦面さんが言うように、いつかあたしは凛介を消してしまうのだろう。
 ほんのついさっきまで戯言ざれごとだと思っていたのに、いまや確信に変わりつつある。
 ちらりと、凛介が居るはずの厨房に目を向ける。
 さっきからほのかに漂ってくる美味しそうな匂いが、いまも凛介が消えていない証拠になる……はずだ。


 けれど、もし――?


 ほんの少し想像しただけで胸の奥がきゅっと狭くなった……気がした。
 息をするのが辛くなって身体のあちらこちらから力が抜けていく。
 きっとこれを『嫌』と呼ぶんだろう。
 小さな蟲が体中を駆け回っていくような言い様のない気持ち悪さが背中から這い上がってくる。

 どうすればいいのかわからなくて――その感覚にただただ身を任せる。
 全身を掻きむしりたい衝動に。何かを蹴り飛ばしたくなる激情に。込み上がってくる吐き気に。

 そうして最後に――驚いた。
 自分の意思を持たないはずのあたしが、明確に『嫌』だと思えていることに。

「ふふん――まだ大丈夫みたいだね。それじゃ次のステップに進もうか」

 不意に。
 いや、あたしがそう思っただけで、会話としてはごくごく自然な流れで浦面さんの声がした。
 思考停止に陥っていた意識が連れ戻される。

「……次の、ステップ?」
「うちは民宿だからね。をしてあげようって話だよ」


 座り尽くすあたしに、浦面さんはと笑った。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

好きだから傍に居たい

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:484pt お気に入り:56

婚約者の義妹に結婚を大反対されています

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:57,039pt お気に入り:4,993

さて、このたびの離縁につきましては。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:17,636pt お気に入り:243

彼女を悪役だと宣うのなら、彼女に何をされたか言ってみろ!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:6,794pt お気に入り:106

愛しい人、妹が好きなら私は身を引きます。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:174,867pt お気に入り:4,142

【完結】攻略対象は、モブ婚約者を愛している

恋愛 / 完結 24h.ポイント:49,515pt お気に入り:493

ごきげんよう、旦那さま。離縁してください。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:3,602pt お気に入り:7

天使志望の麻衣ちゃん

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

処理中です...