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第一話

【本日の御予約】 紫乃原みちる 様 終

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 陽が落ちる前に、あたしたちは浦面さんの店を後にした。
 大学からバスと路面電車を乗り継いで三〇分掛かった道のりも、帰宅となればバス一本で済むらしい。十五分くらいで着くよ、と通路側に座る凛介が優しく囁いた。

 適当に頷いて、あたしは窓に視線を向ける。
 等速で流れていく街並み――じゃなくて。窓に映る自分と向き合う。
 何にも興味が無さそうな呆とした瞳が、じっとこちらを見つめてくる。
 言うまでもないけれど、それはあたしの瞳。
 その瞳は……確かに唇とはあまり似ていなかった。


 バスを降りればアパートまでは五分くらい。紳士的に車道側を歩く凛介にぴったり寄り添って歩く。
 手こそ繋がないけれど、指先が太ももに触れるくらいの、そんな距離。

「なんだか妙な事になっちゃったね」

 不意に、凛介がそんな事を言ってきた。

「そうね。でもちゃんと考えて決めたから、大丈夫」
「そっか。みっちゃんがそう言うのなら俺はなにも言わないよ」
「うん。でも、たぶんたくさん迷惑かけると思う。だからこれからも……よろしく」
「うん、任せといて」
「……っ」

 心底嬉しそうに微笑む凛介を見て――なんだかひどく恥ずかしい事を言った気がして、あたしは口を閉じる。

 交差点にさしかかると急に風が冷たくなった。
 街灯に明かりがともる。
 信号待ちの車が溜まっていく。
 まるで街そのものが一日の終わりを告げているようだ。

 緑色のコンビニの脇を抜けるとアパートが見えてきた。
 と、凛介がぴたりと足を止めた。

「しまった。ミネラルウォーター切らしてたんだ。ちょっとスーパー行ってくる」
「そこのコンビニでいいじゃない」
「やだよ。コンビニ割高じゃないか。それに食パンと卵も買い足しておきたいし」
「……あたしが行こうか?」

 なんとなく、言ってみる。
 またしても凛介は驚いたように目を見開いて――それからいつも通りに笑った。

「ううん。今日はみっちゃん疲れただろうから、先に休んでて」
「ん。わかった」

 今度は反射的に頷いてしまった。
 ここでもう一押しできるほど、あたしはまだ、
 でも。、という事は――。


「…………あれ」


 一足先にアパートに戻ると違和感があった。
 ややあって、気付いた。自分の部屋の敷布団の上に――掛布団があったのだ。
 それだけではなく机の上には文房具と髪留めが転がっていた。|
 箪笥《たんす》を開ければ、そこには新品のブラジャーが畳まれていた。


 まるで、なくなった事自体がなかったみたいに――全てがあるべき場所にあった。


 ふと思い立って、あたしは机の奥から小さな箱を取り出した。
 恐る恐る中を確認する。そこには四葉のクローバーをかたどったペンダントが入っていた。
 ……凛介から初めて貰った贈り物。

「………………、」

 なんとなく。本当になんとなく、ペンダントを巻いてみることにした。
 ひんやりとしたチェーンが首を冷やすのに、不思議と胸の奥が熱くなる。
 こんな感覚は、初めて……。でも、悪くない。


「凛介、喜ぶかな……」


 あたしはからっぽだけれど――そんな事を思った。



             ――――了―――― 
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