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溶けていく日々
殿下の背骨が溶けた日
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「ニーナさん、知ってたね?」
温室のベンチで、殿下にじとりとした視線を向けられる。
「ハイ……」
私は気まずさの圧縮された空間で、薄い空気を吸って返事をした。そしてこの数分の出来事を振り返る。今、学園は平和な昼休みである。
今日は殿下に、昼食を一緒にと誘われた。授業を終えたクラスメイト達と分かれて、やって来たのがこの温室だ。
殿下にランチを誘われることはもう珍しいことではないが、人の少ない温室を指定された時から「今日かな」と思っていた。
売店で購入したサンドイッチを食べ終わり、日替わりフレーバーの紅茶で歓談して。そしてついに、それが来た。「今年ももう、彩耀の夜会の季節だね」と、殿下が言い出したのだ。
殿下が私を夜会のパートナーに誘ってくださるつもりだと、すでに父から聞かされてしまっている。しかし知らないふりをしなくてはならない。私はぐっと顔の表情筋に集中した。
「ニーナさん、彩耀の夜会だけど」
「ハイッ」
「もしもパートナーが決まってないなら……」
「ナ、ナイナラ……?」
「私にエスコートさせて欲しい」
「モチロン、ヨロコンデ」
──というやり取りを交わした辺りで、殿下が胡乱な目をし始めたのだ。
「ニーナさん、知ってたね?」
殿下に見透かされてしまっては、もう認めるしかない。私が肯定すると、イーサン殿下は片手で顔を覆って項垂れた。いつもスッと立ち上がっている背中のラインが溶けている。なんだかすごく申し訳ない。
「まあ、ニーナさん相手に格好がつかないのはもう今さらのことかな」
ややあって、殿下は立ち直るといつもの美しい姿勢に戻って苦笑した。
「それで、そう、つまり彩耀の夜会ではパートナーになってくれるということで、良いかな?」
「は、はい。その、私で良いなら……」
殿下の微笑みにはどこか含みがある。先日、この場所で言っていた「もう少し本気を出す」の本気がちょっと出ているような。少しのはずなのだけど、これは少しなんだろうか?
私は少しではなく、すごく心臓がやかましくなってしまうのだが。
ともあれ、夜会。
婚約者だったバーニー以外の男性と、初めて出席する夜会である。正直、不安もあるけれど、それ以上に殿下と過ごせることが楽しみでもある。
ウィスタリアは地味な家門だけれど、たまに着飾って華やかな場所で過ごすことは、父ほど嫌いではない。非日常だから。
「ニーナさん、彩耀の夜会に、豊穣祈願の他にも意味があるのを知ってる?」
「えっ、他にも何かあるんですか?」
殿下に訊ねられ、私は首をふるふると振ってそれを否定した。
「彩耀の夜会に使われる彩灯の色は、大地や水、風や火、この地に宿る様々な精霊を表しているでしょう?」
「そうですね」
「伝説では、火の精霊は水の精霊に恋をしていて、年に一度だけ二人が会えるのが、この彩耀の夜会だと言われている。いつもは触れ合えない火と水だけど、この日だけは人々の灯す彩灯の光に宿って共に過ごすことができると」
「ふふ、子どもの頃は二人の恋が悲しくて、彩耀の夜会が終わっても彩灯を消したくないと泣きましたわ」
殿下が語ったのは、この国の子どもも知っている御伽噺だ。年に一度しか触れ合えない二人の恋の物語。
「そこから転じて、彩耀の夜は恋人にとって特別な日なんだ。この夜にパートナーから申し込まれた婚姻は、愛し合う精霊の加護を受けて、決して離れることが無いように結ばれると」
殿下の語る伝承に、私は目を丸くした。知らなかった。豊穣以外にも、恋人たちの祈りが込められているなんて。
語り終えた殿下が、真っ直ぐに見てくるので、私の心臓の鼓動がまた早くなる。イーサン殿下がゆったりと微笑んだ。
「私も、それにあやかりたいと思って」
よもやの宣言に、私は固まった。
デートプランやチケットの準備や、夜会の誘いに至るまで、様々な演出の事前開示をされてきた殿下だけど。
「それは当日、聞きたかったような……」
「だってどうせ、バレる気がしたから」
まさかの事態に、私の背骨も溶けた。両手で顔を覆って、膝に顔を埋める。
プロポーズ予定の開示はやり過ぎなのでは? イーサン殿下。
✴︎読んでくださりありがとうございます!
以前に描かせて頂いたニーナをかわいがる兄二人のイラストを、モノクロからカラーバージョンに差し替えましたので、見て頂けたら嬉しいです。
次回いよいよ夜会が始まります。
よろしくお願いします!
温室のベンチで、殿下にじとりとした視線を向けられる。
「ハイ……」
私は気まずさの圧縮された空間で、薄い空気を吸って返事をした。そしてこの数分の出来事を振り返る。今、学園は平和な昼休みである。
今日は殿下に、昼食を一緒にと誘われた。授業を終えたクラスメイト達と分かれて、やって来たのがこの温室だ。
殿下にランチを誘われることはもう珍しいことではないが、人の少ない温室を指定された時から「今日かな」と思っていた。
売店で購入したサンドイッチを食べ終わり、日替わりフレーバーの紅茶で歓談して。そしてついに、それが来た。「今年ももう、彩耀の夜会の季節だね」と、殿下が言い出したのだ。
殿下が私を夜会のパートナーに誘ってくださるつもりだと、すでに父から聞かされてしまっている。しかし知らないふりをしなくてはならない。私はぐっと顔の表情筋に集中した。
「ニーナさん、彩耀の夜会だけど」
「ハイッ」
「もしもパートナーが決まってないなら……」
「ナ、ナイナラ……?」
「私にエスコートさせて欲しい」
「モチロン、ヨロコンデ」
──というやり取りを交わした辺りで、殿下が胡乱な目をし始めたのだ。
「ニーナさん、知ってたね?」
殿下に見透かされてしまっては、もう認めるしかない。私が肯定すると、イーサン殿下は片手で顔を覆って項垂れた。いつもスッと立ち上がっている背中のラインが溶けている。なんだかすごく申し訳ない。
「まあ、ニーナさん相手に格好がつかないのはもう今さらのことかな」
ややあって、殿下は立ち直るといつもの美しい姿勢に戻って苦笑した。
「それで、そう、つまり彩耀の夜会ではパートナーになってくれるということで、良いかな?」
「は、はい。その、私で良いなら……」
殿下の微笑みにはどこか含みがある。先日、この場所で言っていた「もう少し本気を出す」の本気がちょっと出ているような。少しのはずなのだけど、これは少しなんだろうか?
私は少しではなく、すごく心臓がやかましくなってしまうのだが。
ともあれ、夜会。
婚約者だったバーニー以外の男性と、初めて出席する夜会である。正直、不安もあるけれど、それ以上に殿下と過ごせることが楽しみでもある。
ウィスタリアは地味な家門だけれど、たまに着飾って華やかな場所で過ごすことは、父ほど嫌いではない。非日常だから。
「ニーナさん、彩耀の夜会に、豊穣祈願の他にも意味があるのを知ってる?」
「えっ、他にも何かあるんですか?」
殿下に訊ねられ、私は首をふるふると振ってそれを否定した。
「彩耀の夜会に使われる彩灯の色は、大地や水、風や火、この地に宿る様々な精霊を表しているでしょう?」
「そうですね」
「伝説では、火の精霊は水の精霊に恋をしていて、年に一度だけ二人が会えるのが、この彩耀の夜会だと言われている。いつもは触れ合えない火と水だけど、この日だけは人々の灯す彩灯の光に宿って共に過ごすことができると」
「ふふ、子どもの頃は二人の恋が悲しくて、彩耀の夜会が終わっても彩灯を消したくないと泣きましたわ」
殿下が語ったのは、この国の子どもも知っている御伽噺だ。年に一度しか触れ合えない二人の恋の物語。
「そこから転じて、彩耀の夜は恋人にとって特別な日なんだ。この夜にパートナーから申し込まれた婚姻は、愛し合う精霊の加護を受けて、決して離れることが無いように結ばれると」
殿下の語る伝承に、私は目を丸くした。知らなかった。豊穣以外にも、恋人たちの祈りが込められているなんて。
語り終えた殿下が、真っ直ぐに見てくるので、私の心臓の鼓動がまた早くなる。イーサン殿下がゆったりと微笑んだ。
「私も、それにあやかりたいと思って」
よもやの宣言に、私は固まった。
デートプランやチケットの準備や、夜会の誘いに至るまで、様々な演出の事前開示をされてきた殿下だけど。
「それは当日、聞きたかったような……」
「だってどうせ、バレる気がしたから」
まさかの事態に、私の背骨も溶けた。両手で顔を覆って、膝に顔を埋める。
プロポーズ予定の開示はやり過ぎなのでは? イーサン殿下。
✴︎読んでくださりありがとうございます!
以前に描かせて頂いたニーナをかわいがる兄二人のイラストを、モノクロからカラーバージョンに差し替えましたので、見て頂けたら嬉しいです。
次回いよいよ夜会が始まります。
よろしくお願いします!
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