【完結】浮気した婚約者を認識できなくなったら、快適な毎日になりました

丸インコ

文字の大きさ
32 / 53
溶けていく日々

父の眉間のシワが溶けた日

しおりを挟む
「相談してくれなかったことについては、寂しく思っているんだよ、ニーナ」

 腕を組んでため息をつく父。執務室には重々しい空気が漂う。父が言う相談とは、もちろん、学園での噂のことだ。

「心配をお掛けして、ごめんなさい」

 父、フジーロ侯爵の正面で身を縮こませる私の隣には、同じく、背を丸めて小さくなるデューク兄さま。兄さまは先程、私に勝手に制限魔法を掛けたことや別荘の湖を魔力まみれにしたことを叱られたばかりだ。

「娘が悩んでいることを、王弟殿下の手紙で知らされた父の気持ちも考えてほしい」

「えっ!?」

 お父様の言葉に、思わず声をあげて身を乗り出す。

「イーサン殿下の手紙って、どういうことですか?」

 父はしまった、という顔で頬を掻いた後、ゴホンと咳払いをして話し始めた。

「ニーナが妙な噂を立てられていると、殿下が便りをくださったんだ。スプルースとの因縁を断ち切るために王家の名を出しても良いと」

「そんな、殿下にそこまでしてもらうわけには……」

「いや、ニーナのことを気にかけてくれたのはもちろんだが、ウィスタリアの名が落ちることは王国の秩序のためにもよくないとの判断だろう」

「あ……」

 名は、象徴だ。

 民を想い、民とともに生きる。カーラー王国のあり方を体現するウィスタリア家の名が軽く扱われることは、王国の掲げる理想も軽く扱われることになる。

 わかっていたつもりで、自分のことばかりになっていた。

「だから、今日ニーナが名を守るためにアンバーとスプルースに毅然と対応したことが誇らしいよ」

 しかめられていた父の眉間がふっと弛む。

「お父様……」

 張り詰めていた部屋の空気が、溶けていく。

「それに、ウィスタリアが軽視されているのはニーナの責任じゃない。私は社交が苦手でな、家風を盾に夜会などの集まりからすっかり足が遠のいていた。それも原因かもしれな……」

「聞きましたよ、父上」

「ディーン兄さま」
「ディーン……!」

 開かれていた扉から、上の兄がにゅっと顔を出す。途端、父が目に見えて狼狽え始めた。
 兄は「話は終わりましたね?」と言うや、ツカツカと部屋を横切って、父の前の机に5、6通の手紙をばさばさと並べた。

「招待状?」

 美しく装飾された封筒を見るに、舞踏会や晩餐会、狩猟会、乗馬クラブ、絵画サロン……社交の招待だとわかる。
 ディーン兄さま、お父様の言質取れた瞬間を狙ってましたね?

「父上、最低でも3つは出てください」

「ディーン、3つは……多いのでは、ないのか……?」

 社交を避けてきたことを反省していると言った傍から父が泣きを入れる。そしてその願いは即座に却下された。

「これでも、私が代われるものや断れるものは抜いてるんです」

 兄にぴしゃりと断じられたお父様から「ぐっ」という音が鳴り、そのまま、無言になった。何というか、すごく可哀想な気分になる。

「あと少しの辛抱ですから」

 ディーン兄さまも父を哀れに思ったのか、ため息をついて宥めるようにそう言った。

 あと少し?

「ニーナ、ニーナ」

 トントンと肩を叩かれて振り返ると、背を丸めたままのデューク兄さまが、ちょいちょいと扉を指差している。

 この隙に逃亡しようという兄に便乗して、私もそっと父の前から離れた。ディーン兄さまの言葉が気にはなったけれど、今日はもうすぐマドリーン様が訪ねてくる予定なのだ。

「あ、ニーナ、デューク」

 しかし、そろりそろりと離れていく私たちをディーン兄さまが呼び止める。

彩耀さいようの夜会にはお前たちも出ろよ?」

「無理」

 間髪入れず、デューク兄さまが断った。次兄は父に輪を掛けた社交嫌いなのだ。私はデューク兄さまの正装というものを、王宮魔法師の式典礼装以外に見たことがない。

 彩耀さいようの夜会。

 それは農耕に根ざした祝祭で、その年の秋の豊作を願って、毎年、夏至に開催される夜会だ。各地の中心都市や大聖堂前、開けた盆地を会場にして、王国全土で祈願を込めた宴が開かれるのだ。

 夜会は彩灯の行列から始まる。参加者が運ぶ彩灯と呼ばれるランタンが、会場までの道に幻想的な光の帯を作るのだ。
 色とりどりの灯りが夜道を照らし、参加者たちは祈りをこめて静かに進む。
 地域によって名称や儀礼の順序に若干の違いはあるものの、基本的な内容は共通している。

 そして、王宮の庭園で開かれる彩耀の夜会は、カーラー王国では新年の祝いに次いで重要と言ってもいい行事だ。騎士の階級まで含めたすべての貴族が参加する。

 過去に幾度か、災害や戦争で彩耀の夜会が開かれなかったこともあるそうだが、その年は大幅に収穫が減少しているらしい。祖父の代にもそういう年があり、王家も貴族も、そしてウィスタリアも大きく資産を減らしたと聞く。

「デューク、返事は少しは考えてからだな……」

「無理。てか、彩耀の夜会なんて王宮魔法師にとって最大に忙しい期間だから。キラキラ作んなきゃいけないし」

「ウィスタリアにとっても一番忙しい時期なんだが。当日はキラキラ作る必要ないだろう」

 兄たちがキラキラと呼んでるのは、夜会に来る貴族たちが馬車につける彩灯や、夜会で王宮を飾る特別な魔導灯のことだ。

 王都の食糧番とも言えるウィスタリアにとって、彩耀の夜会はとても重要だ。領地での祝宴の準備はもちろんのこと、当日参加する王宮の夜会においても何かと協力が求められる。

「出席するなら、別荘の水草は撤去せずにおいてもいい」

「ちょっとだけ顔出そうかな」

 ディーン兄さまの出した条件にデューク兄さまが即座に意見を変えた。水草……そんなに大事なの? あと、もう少し思慮を持った方が良いのでは。あやしい商人から要らないものをたくさん買わされそう。

「ニーナは?」

「私は構わないですが、相手が……」

 そうなのだ。バーニーと婚約解消してしまった今、夜会でエスコートしてくれる相手が居ない。デューク兄さまをあてにしてはいけないし、ディーン兄さまは主催側で忙しいだろう。父も、さすがに彩耀の夜会には必ず出席するが、もちろん侯爵夫人である母を伴っての参加だ。

「あれ? 父上から聞いてないのか。イーサン殿下から……」

「ディーン!」

 父が慌てたように兄を止める。

「父上?」
「お父様?」

「いや、そのな……殿下から、自分で誘いたいからニーナには内緒にして欲しいと……ディーンにも伝えておけば良かったな」

「ああ……」

 その場に、「やっちゃったな」というぬるい空気が流れる。どうして殿下のデートプランは、いつも事前に開示されてしまうのか。

「あの、知らなかったことに……します」

 また、殿下を前に表情筋を試されることになるのかと遠い目をすれば、父とディーン兄さまが深々と頷いた。

 その間にデューク兄さまは逃亡に成功した。








 
しおりを挟む
感想 222

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました

由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。 彼女は何も言わずにその場を去った。 ――それが、王太子の終わりだった。 翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。 裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。 王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。 「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」 ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。

婚約破棄された公爵令嬢ですが、王太子を破滅させたあと静かに幸せになります

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エレナは、 誕生日の舞踏会で突然、婚約破棄を宣言される。 「地味で役に立たない」と嘲笑され、 平民の少女を新たな婚約者に選ぶ王太子。 家族にも見放され、エレナは王都を追われることに――。 しかし彼女は、ただの“癒しの令嬢”ではなかった。 静かに力を蓄え、事実と証拠だけで王太子の虚飾を暴き、 自らの手で破滅へと導いていく。 復讐の果てに選んだのは、 誰かに与えられる地位でも、名誉でもない。 自分で選び取る、穏やかな幸せ。 これは、 婚約破棄された公爵令嬢が 王太子を終わらせたあと、 本当の人生を歩き出す物語。 -

妹の方が大事だとおっしゃる旦那様。なら妹と婚約すればいいのでは??

睡蓮
恋愛
ロンベル伯爵とセレシアは婚約関係にあったものの、ロンベルには3人の妹がおり、彼はそちらの方にばかり気をかけていた。そんなある日の事、ロンベルは一方的な理由をつけてセレシアの事を婚約破棄してしまう。そこには妹に対するゆがんだ思いがあったのであろうが、彼は後にその感情によって自らを滅ぼすことになるのだった…。

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

愚かな者たちは国を滅ぼす【完結】

春の小径
ファンタジー
婚約破棄から始まる国の崩壊 『知らなかったから許される』なんて思わないでください。 それ自体、罪ですよ。 ⭐︎他社でも公開します

もう私、好きなようにさせていただきますね? 〜とりあえず、元婚約者はコテンパン〜

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「婚約破棄ですね、はいどうぞ」 婚約者から、婚約破棄を言い渡されたので、そういう対応を致しました。 もう面倒だし、食い下がる事も辞めたのですが、まぁ家族が許してくれたから全ては大団円ですね。 ……え? いまさら何ですか? 殿下。 そんな虫のいいお話に、まさか私が「はい分かりました」と頷くとは思っていませんよね? もう私の、使い潰されるだけの生活からは解放されたのです。 だって私はもう貴方の婚約者ではありませんから。 これはそうやって、自らが得た自由の為に戦う令嬢の物語。 ※本作はそれぞれ違うタイプのざまぁをお届けする、『野菜の夏休みざまぁ』作品、4作の内の1作です。    他作品は検索画面で『野菜の夏休みざまぁ』と打つとヒット致します。

「婚約破棄だ」と笑った元婚約者、今さら跪いても遅いですわ

ゆっこ
恋愛
 その日、私は王宮の大広間で、堂々たる声で婚約破棄を宣言された。 「リディア=フォルステイル。お前との婚約は――今日をもって破棄する!」  声の主は、よりにもよって私の婚約者であるはずの王太子・エルネスト。  いつもは威厳ある声音の彼が、今日に限って妙に勝ち誇った笑みを浮かべている。  けれど――。 (……ふふ。そう来ましたのね)  私は笑みすら浮かべず、王太子をただ静かに見つめ返した。  大広間の視線が一斉に私へと向けられる。  王族、貴族、外交客……さまざまな人々が、まるで処刑でも始まるかのように期待の眼差しを向けている。

処理中です...