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カレン・アンバー【1】
カレン・アンバー③ ✴︎イラスト有
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綻びは早々にやってきた。
皆の前で取り乱し私と元婚約者を罵倒するはずのニーナ・ウィスタリアは柔らかく微笑み、ゆったりと私の前を去っていく。彼女を捨てたバーニーに至っては、目線ひとつ寄越されない。
それから幾度か彼女を捕まえては、“謝罪”という名目でバーニーと寄り添う姿を見せつけた。
それなのに、曖昧に微笑む淑女の仮面は一向に剥がれない。婚約解消の後、二週間も学園を休むほどショックを受けていたはずなのに、私に憎悪の目を向けることも、かつての婚約者に恨みがましい目を向けることもない。
尤も、バーニーの場合は彼が何を言ってもその存在ごと黙殺されている状態なので、敢えてそうしなければ自分が保てない程に心を残していると思えなくもない。
彼女が逆上して私たちに怒鳴りつけでもすれば、「悲劇のふたり」になれるのに、それはなかなかうまくいかなかった。
彼女の隣に寄り添い目を釣り上げてこちらを睨んでくる、セイジ侯爵令嬢マドリーン・セラドーンならば簡単に煽れそうだ。だが、当人のニーナが私たちを相手にしないので、マドリーンもただ黙って睨むだけという日々が続いている。
「ニーナ!」
バーニーの声に気が付いて学舎の窓から中庭を覗けば、ニーナ・ウィスタリアを追い掛けるバーニーの姿が見えた。
血が煮えた。バーニーの声は責める響きよりも、まるで愛を乞うそれに近い。
愛されている優位性から下に見ていた彼女にすげなくされて、気の迷いでも起こしているのか。私を得ておきながら、他の、それも捨てたはずの婚約者に心を移すなど、あってはならないことだ。
すぐにその場から立ち上がり、中庭へと向かう。
遠ざかるニーナの背を見詰めて立ち尽くすバーニーに声を掛けると、我に返ったように縋り付いてきた。
男の背に手を回しながら、どうやったらあの澄ました侯爵令嬢の顔を歪ませられるのかと、そればかり考えていた。
◆
「それは、何に対する謝罪なのかしら?」
私を問い詰めるニーナ・ウィスタリアの声は凛と響いた。人を従わせる落ち着きと張りのある声の出し方。私は答えに窮して、ひどく無様だった。
立ち回りをよりしおらしく変えて、金に寄ってくる取り巻きたちに泣きついて、貴族への反発心を利用して煽って、噂をそれとなく広め、ニーナを悪役の立ち位置に追い込んだ。
なのに、言葉ひとつで逆に追い込まれる。弱々しい悲劇の女を演じたままで、太刀打ちできる振る舞いではなかった。
物腰は柔らかく、微笑みはたおやかだ。なのに、一歩も引かぬオーラに言葉が詰まる。
これはだめだ。バーニーなど相手にもならない。どうにかこの場の幕引きを繕って、立て直す必要がある。そう判断してバーニーを見て。
ゾッとした。
バーニーはぽろぽろと涙を流していた。舌打ちをして、その場で頬を張らなかった自分を褒めたい。役立たず、腑抜けと罵って、ヒールで踏んでやりたいほどの怒りが足下から頭の先まで走り抜ける。
そのまま逃げ出したバーニーを追いながら、つまらない男の再利用方法を、必死で考えた。
◆
「ウィスタリアから抗議文が届いた」
数日後、父の執務室に呼ばれて告げられた言葉に、唇を噛んだ。
「うまくやれと、言ったはずだが」
「……申し訳ありません」
父はため息を吐いた。
「まあ、どうということはない。それなりの金を積むことは想定内だ。もとより、そのつもりでいたからな。ただ」
ちらりと私を見る父の目に失望めいた影が揺らいでいるのを見て、悔しさで目の裏が熱くなった。
「金の出し方はもっと風向きの良い時であるべきだったな」
そう締め括った父から、下がるように言われて自室に戻る。静かに扉を閉め、一人になった瞬間に、机の上に転がっていた小箱を床に叩きつけた。弾かれるように飛び出てきた華奢なブレスレットを思い切り踏みつける。
以前、二人で密かに会っていた頃にバーニーから貰ったものだった。
シルバーとゴールドを細く繊細に編み上げて、透明なクリスタルとパールが光の妖精のようにあしらわれている。値段の張るものではないが、問題はそこではない。
これが誰に似合うものなのかと、そこが問題だ。
三年寄り添った婚約者。バーニーは贈り物といえば、ニーナ・ウィスタリアに合うものを選んできたことだろう。
私には、この華奢で可憐な飾りは似合わない。鎖にはもっとボリュームがあって、はっきりと存在を主張する石をあしらって、そういうタイプの装飾が、私には似合う。
踵の下で、小ぶりな石と細い鎖が砕けるプツプツとした感触を感じながら、どうにか心を落ち着ける。
「このままで終わるものですか……」
自分を鼓舞するように、呟いた。
✴︎読んでくださりありがとうございます!
感謝を込めて、リクエストを頂いたニーナをかわいがる兄二人のイラストです。
聞かせたくない話から妹を守る過保護長男。
※8/5・カラーバージョンに差し替えました
次回から、ニーナ視点に戻ります。
よろしくお願いします!
皆の前で取り乱し私と元婚約者を罵倒するはずのニーナ・ウィスタリアは柔らかく微笑み、ゆったりと私の前を去っていく。彼女を捨てたバーニーに至っては、目線ひとつ寄越されない。
それから幾度か彼女を捕まえては、“謝罪”という名目でバーニーと寄り添う姿を見せつけた。
それなのに、曖昧に微笑む淑女の仮面は一向に剥がれない。婚約解消の後、二週間も学園を休むほどショックを受けていたはずなのに、私に憎悪の目を向けることも、かつての婚約者に恨みがましい目を向けることもない。
尤も、バーニーの場合は彼が何を言ってもその存在ごと黙殺されている状態なので、敢えてそうしなければ自分が保てない程に心を残していると思えなくもない。
彼女が逆上して私たちに怒鳴りつけでもすれば、「悲劇のふたり」になれるのに、それはなかなかうまくいかなかった。
彼女の隣に寄り添い目を釣り上げてこちらを睨んでくる、セイジ侯爵令嬢マドリーン・セラドーンならば簡単に煽れそうだ。だが、当人のニーナが私たちを相手にしないので、マドリーンもただ黙って睨むだけという日々が続いている。
「ニーナ!」
バーニーの声に気が付いて学舎の窓から中庭を覗けば、ニーナ・ウィスタリアを追い掛けるバーニーの姿が見えた。
血が煮えた。バーニーの声は責める響きよりも、まるで愛を乞うそれに近い。
愛されている優位性から下に見ていた彼女にすげなくされて、気の迷いでも起こしているのか。私を得ておきながら、他の、それも捨てたはずの婚約者に心を移すなど、あってはならないことだ。
すぐにその場から立ち上がり、中庭へと向かう。
遠ざかるニーナの背を見詰めて立ち尽くすバーニーに声を掛けると、我に返ったように縋り付いてきた。
男の背に手を回しながら、どうやったらあの澄ました侯爵令嬢の顔を歪ませられるのかと、そればかり考えていた。
◆
「それは、何に対する謝罪なのかしら?」
私を問い詰めるニーナ・ウィスタリアの声は凛と響いた。人を従わせる落ち着きと張りのある声の出し方。私は答えに窮して、ひどく無様だった。
立ち回りをよりしおらしく変えて、金に寄ってくる取り巻きたちに泣きついて、貴族への反発心を利用して煽って、噂をそれとなく広め、ニーナを悪役の立ち位置に追い込んだ。
なのに、言葉ひとつで逆に追い込まれる。弱々しい悲劇の女を演じたままで、太刀打ちできる振る舞いではなかった。
物腰は柔らかく、微笑みはたおやかだ。なのに、一歩も引かぬオーラに言葉が詰まる。
これはだめだ。バーニーなど相手にもならない。どうにかこの場の幕引きを繕って、立て直す必要がある。そう判断してバーニーを見て。
ゾッとした。
バーニーはぽろぽろと涙を流していた。舌打ちをして、その場で頬を張らなかった自分を褒めたい。役立たず、腑抜けと罵って、ヒールで踏んでやりたいほどの怒りが足下から頭の先まで走り抜ける。
そのまま逃げ出したバーニーを追いながら、つまらない男の再利用方法を、必死で考えた。
◆
「ウィスタリアから抗議文が届いた」
数日後、父の執務室に呼ばれて告げられた言葉に、唇を噛んだ。
「うまくやれと、言ったはずだが」
「……申し訳ありません」
父はため息を吐いた。
「まあ、どうということはない。それなりの金を積むことは想定内だ。もとより、そのつもりでいたからな。ただ」
ちらりと私を見る父の目に失望めいた影が揺らいでいるのを見て、悔しさで目の裏が熱くなった。
「金の出し方はもっと風向きの良い時であるべきだったな」
そう締め括った父から、下がるように言われて自室に戻る。静かに扉を閉め、一人になった瞬間に、机の上に転がっていた小箱を床に叩きつけた。弾かれるように飛び出てきた華奢なブレスレットを思い切り踏みつける。
以前、二人で密かに会っていた頃にバーニーから貰ったものだった。
シルバーとゴールドを細く繊細に編み上げて、透明なクリスタルとパールが光の妖精のようにあしらわれている。値段の張るものではないが、問題はそこではない。
これが誰に似合うものなのかと、そこが問題だ。
三年寄り添った婚約者。バーニーは贈り物といえば、ニーナ・ウィスタリアに合うものを選んできたことだろう。
私には、この華奢で可憐な飾りは似合わない。鎖にはもっとボリュームがあって、はっきりと存在を主張する石をあしらって、そういうタイプの装飾が、私には似合う。
踵の下で、小ぶりな石と細い鎖が砕けるプツプツとした感触を感じながら、どうにか心を落ち着ける。
「このままで終わるものですか……」
自分を鼓舞するように、呟いた。
✴︎読んでくださりありがとうございます!
感謝を込めて、リクエストを頂いたニーナをかわいがる兄二人のイラストです。
聞かせたくない話から妹を守る過保護長男。
※8/5・カラーバージョンに差し替えました
次回から、ニーナ視点に戻ります。
よろしくお願いします!
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