【完結】浮気した婚約者を認識できなくなったら、快適な毎日になりました

丸インコ

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ひとつになる日々

[閑話]ニーナ ✴︎イラスト有

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 私はニーナ。

 かつて、ニーナ・ウィスタリアだった心の欠片だ。今はニーナ・バーミリオンとなった幸せな少女から取り残された、記憶の断片。

 バーニー・スプルースに婚約解消を言い渡されてからの最も痛みに満ちた数日間。そして、バーニー・スプルースに最も強く抱いていた気持ちを、幸福なニーナ・ウィスタリアは忘れている。それが正しいと思う。

 私はここにいて、バーミリオンとなる彼女を見守る、ただのニーナだ。



 ニーナ・ウィスタリアとバーニーが初めて出会ったのは、ウィスタリア邸の応接だ。緊張に頬を染め深緑の瞳を揺らす少年に、彼女はほのかな好意を抱いた。

 初めは、政略結婚の相手として。申し分のない丁寧な対応を好ましく思った。そして婚約者として互いの家を行き来する内に、少年を深く愛するようになった。
 愛するようになった、というのは少し語弊があるかもしれない。

 心の離れた今ならわかるけれど、ニーナ・ウィスタリアはバーニーに愛してほしかったんじゃない。愛してあげたかったのだ。


 
 ある日のスプルース邸で、二人はグリン伯爵領にまつわる歴史やそこに住む人たちの暮らしを学んでいた。

 午後の日差しがサンルームを温めて、鉢植えの緑が伸びやかだった。ニーナ・ウィスタリアはこの温室が好きだった。バーニーの、森のように穏やかな瞳とこの空間は、とても似ているように思えたから。

「そんな歴史があって、伯爵領では鍛治が盛んなんですね」

 運ばれてきたお茶を飲んで、小さく息をついたニーナ・ウィスタリアは言う。彼女は知識と名のつくものをこよなく好んでいる。

「そう。面白いよね、僕もこの領地の始まりの部分が一番好きなんだ。他は──」

 言いかけて、言葉にするのを迷うバーニーに、促すような目線を向ける。目が合うと、少年は困ったように続く言葉を選ぶ。

「他は淡々としているというか……」

「少し覚えにくいですわよね」

「そう! 特に何も起こらないから退屈で……あ」

 二人は顔を見合わせて笑った。

 柔らかな日差し、声変わり前の笑い声、温められた空気、天使のような白いドレス、ささやかな幸福、色とりどりの、緑。



「やあ、ウィスタリア嬢」

 二人の空間にグリン伯爵がやってきて、ふわふわと漂っていた笑いの粒子が収束する。

「お招きありがとうございます、伯爵」

 伯爵に挨拶をしながら、ニーナ・ウィスタリアはバーニーの瞳を見ていた。

 キラキラと光が溢れていた深緑に緊張の色が宿るのを。伯爵がバーニーについての卑下を口にするたびに少しずつ光が曇るのを。



 いびつに歪んだまま肥大した自己評価を持て余していた。誰も、グリン伯爵も、伯爵夫人も、それに気がついていなかった。

 バーニーはちゃんと「いい子」でいたのに、特別な才能がないからと、「もっと価値を示せ」と突き放した。ニーナ・ウィスタリアは、ただ、その膝を抱えている子どもを「いい子」だと抱きしめたかったのだ。

 父親に複雑な感情を抱きながら、父親の背中を追っていた。貴族とは、紳士とは、自尊心とは、賢い立ち回りとは、頭の良い話し方とは、人を値踏みするときに見るべきものとは。

 そこに、誠実さという項目がなかったことが、バーニーの、伯爵家の、不幸だ。



 ニーナ・ウィスタリアからの愛情を、バーニー・スプルースは自ら手放した。

 だから彼女の一番深い傷を、熟れた慈愛が腐り落ちる寸前の、一番甘くて柔らかい部分を切り取って、私は死んだ。



 風に乗って鐘の音がする。小さな村の小さな精霊堂。まだ新しい白壁が晴天の陽光に輝く。

 人々の笑い声がする。バーミリオンと、ウィスタリアと、その二つの家に縁のある人々の笑い声。領民たちが若き領主の結婚を祝福して見守る。

 新しい道を歩き出すニーナ・ウィスタリアの背中を、さらりと揺れる銀色の髪を見送って、私はまた意識の底に沈んでいく。

 彼女は二度と、この恋心を思い出さない。










✴︎読んでくださりありがとうございます!

ちょっと暗くなってしまったので、リクエスト頂いていた「拗ねる陛下」のイラストです。
ここまでお付き合い頂いた感謝を込めて。



次回が最終話になります。よろしくお願いします!
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