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寂しさが消せなくても
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春はこの道は桜並木なんだと言われながら最後のカーブを抜け、ただっ広い駐車場に車を停める。
残念ながら、三月末くらいにならないとどの花も見頃ではないらしく、入園料も安かった。
ただ、何処か外国のような広々とした農園の中で、放牧されている羊や馬を眺めているだけで何だか癒される気がして、歩きながらはさして会話もなかったが、実も哲朗もそれに違和感もなかった。
柵の傍にある自販機には餌が入っていて、子供向けの玩具が出てくる街中のそれのように、食べられるカップに入った牧草の圧縮したものが売られている。
近寄って来たアルパカは、くれくれ攻撃に遠慮のない羊たちに押し退けられ、平等に与えようと四苦八苦する実を後ろで眺めている哲朗の笑顔は優しかった。
「もうないって」
執拗に手の平を嘗め回され、お返しに触らせてと言いながら、そのふかふかの手触りを楽しんでいる。自然と溢れる心からの笑顔を、眩しそうにいとおしそうに目を細めて見詰めていた。
「わったん、凄いよ、全然感触が違う!」
右手と左手を肩まで柵の中まで差し込み、黒毛のアルパカと元は真っ白な筈なのに茶色く汚れた羊の背に手を載せた実は、目を見開いて振り返った。
ふわりと風をはらんだ細い髪がなびいて、瞳がきらきらと輝いて見えるのはコンタクトレンズのせいだけではないだろう。
「おう。そうらしいな」
ジーンズのポケットに指を引っ掛けて笑っている哲朗が眩しそうに自分を見ているのと視線がかち合い、流石に子供っぽかったかと実は照れ笑いで誤魔化した。
唾液まみれの両手を自販機の傍に設置された水道で洗い、消毒液をプッシュして手を揉んでから、ふうと実は息をついた。
先導することもしないで、哲朗はただ実の興味がある方へと着いてきてくれているようだ。だが、問い掛けの口調にすればすぐに返事をしてくれて、その迷いのなさから、少なくとも一度はここを訪れているのだと感じる。
年にもよるが、四月の二週目くらいが園内の桜も見頃な事など、実の住んでいる南部からは思いも付かないことだった。
誰かと来ている。それは、もしかして元の奥さんと……?
ふと、ちくりと痛んだ胸に戸惑う。
たまに会って、でもそれは夜限定の、場所にすれば殆ど車の中だけと言って過言ではない付き合いだった。
それ以前の哲朗も、それ以降の哲朗も知らない。
仕事のことならばあれこれと話してくれる哲朗も、自分のプライベートの事は口に上らせることは少なかった。
ただ、それは実もそうだった。家族構成すら言っていないかもしれない。遊び仲間なんて、その場のノリさえ合えばそれで良い。ましてや一番気力体力充実していた二十代の頃の夜の遊び仲間の内の一人。
結局、年を重ねた今も、その延長でしかないのかもしれない。
ふと寂寥感に包まれて動きを止めた実を、身を屈めて哲朗が覗き込んだ。
「疲れたか?」
「あ、えーと、お腹空いたかも」
咄嗟に誤魔化して腕時計を見ると、正午をとっくに回っていた。
まだ全体を歩いたわけでもないのにやたらと時間が過ぎていて、自分が動物と戯れているのを眺めているだけの哲朗はつまらなくなかったろうかと、申し訳なく見上げる。
「じゃあピザ食べに行こう。また登ることになるけど、石焼の食べられるんだ」
柵沿いにぐるりと回って、また別の坂道を登るのだと説明されて、少しだけ弱気になりそうになる。
暫くはずっと上り坂で、げんなりした表情が出てしまったのか、すっと哲朗が手を伸ばした。
「引っ張ってってやろうか」
え、と固まっていると、そのまま左手を引いてゆっくりと歩き始め、釣られて足を踏み出す実の歩調を確認するように振り返りながら、哲朗は穏やかな笑顔のまま歩いている。
「わったん、ええと、子供じゃないんだから恥ずかしいよ」
「動物しか見てねえよ」
ぐるりと見渡す限りの牧場で、動いているのは確かに草食動物ばかり。
学校が休みの日なら親子連れで賑わうここも、冬場には閑散としているというのが身に沁みて感じられた。
改善されているとはいえ実の手は哲朗より体温が低く、すっぽりとその中に包み込むように握り締めて少し前を歩く背中は広い。
そこに抱きついて頬を寄せたいという衝動に、自分でも驚いた。
弱っているのだと、自分に言い聞かせる。
十年前、哲朗ともう会えないと確信した時、入れ替わるようにすんなり入り込んできたのは新汰だった。
まめにメールや電話をくれる。一週間と空けず、顔を合わせる機会を作ってくれる。
そして何より、志を同じくしてからの親密度は、一般的な社会人カップルより高かったのだと思う。
そんなにぴったりと寄り添い合っていた人が居ないのだ。少し寂しかったり物足りなかったりするのは当然だろう。
温もりが欲しくて、もう長いこと異性ではなくその相手を同性に求めてきた実にとって、哲朗はとても魅力的な対象であるとも自覚していた。
大学生の時に付き合っていた女性と、漠然とでも結婚を考えていなかったわけじゃない。けれど、実が家庭の事情を話したとき、あっさりと彼女は離れて行った。
それに対して落ち込むこともなく、ただ、そんなものかと納得した自分も、本当の意味で恋愛をしていたわけではなかったのだと思う。
ましてや、見合いから結婚寸前まで行き破談になった相手ならば尚更だった。悔しかったというだけで、殊更ショックを受けたわけでもない。
あっという間に日常が戻ってきたのだった。
「もうちょっと頑張って」
手を引かれているうちに、動物の居るエリアを抜けて、レンガ造りの町並みに入り、開けた場所にある丸太作りのテーブルセットに誘われた。
残念ながら、三月末くらいにならないとどの花も見頃ではないらしく、入園料も安かった。
ただ、何処か外国のような広々とした農園の中で、放牧されている羊や馬を眺めているだけで何だか癒される気がして、歩きながらはさして会話もなかったが、実も哲朗もそれに違和感もなかった。
柵の傍にある自販機には餌が入っていて、子供向けの玩具が出てくる街中のそれのように、食べられるカップに入った牧草の圧縮したものが売られている。
近寄って来たアルパカは、くれくれ攻撃に遠慮のない羊たちに押し退けられ、平等に与えようと四苦八苦する実を後ろで眺めている哲朗の笑顔は優しかった。
「もうないって」
執拗に手の平を嘗め回され、お返しに触らせてと言いながら、そのふかふかの手触りを楽しんでいる。自然と溢れる心からの笑顔を、眩しそうにいとおしそうに目を細めて見詰めていた。
「わったん、凄いよ、全然感触が違う!」
右手と左手を肩まで柵の中まで差し込み、黒毛のアルパカと元は真っ白な筈なのに茶色く汚れた羊の背に手を載せた実は、目を見開いて振り返った。
ふわりと風をはらんだ細い髪がなびいて、瞳がきらきらと輝いて見えるのはコンタクトレンズのせいだけではないだろう。
「おう。そうらしいな」
ジーンズのポケットに指を引っ掛けて笑っている哲朗が眩しそうに自分を見ているのと視線がかち合い、流石に子供っぽかったかと実は照れ笑いで誤魔化した。
唾液まみれの両手を自販機の傍に設置された水道で洗い、消毒液をプッシュして手を揉んでから、ふうと実は息をついた。
先導することもしないで、哲朗はただ実の興味がある方へと着いてきてくれているようだ。だが、問い掛けの口調にすればすぐに返事をしてくれて、その迷いのなさから、少なくとも一度はここを訪れているのだと感じる。
年にもよるが、四月の二週目くらいが園内の桜も見頃な事など、実の住んでいる南部からは思いも付かないことだった。
誰かと来ている。それは、もしかして元の奥さんと……?
ふと、ちくりと痛んだ胸に戸惑う。
たまに会って、でもそれは夜限定の、場所にすれば殆ど車の中だけと言って過言ではない付き合いだった。
それ以前の哲朗も、それ以降の哲朗も知らない。
仕事のことならばあれこれと話してくれる哲朗も、自分のプライベートの事は口に上らせることは少なかった。
ただ、それは実もそうだった。家族構成すら言っていないかもしれない。遊び仲間なんて、その場のノリさえ合えばそれで良い。ましてや一番気力体力充実していた二十代の頃の夜の遊び仲間の内の一人。
結局、年を重ねた今も、その延長でしかないのかもしれない。
ふと寂寥感に包まれて動きを止めた実を、身を屈めて哲朗が覗き込んだ。
「疲れたか?」
「あ、えーと、お腹空いたかも」
咄嗟に誤魔化して腕時計を見ると、正午をとっくに回っていた。
まだ全体を歩いたわけでもないのにやたらと時間が過ぎていて、自分が動物と戯れているのを眺めているだけの哲朗はつまらなくなかったろうかと、申し訳なく見上げる。
「じゃあピザ食べに行こう。また登ることになるけど、石焼の食べられるんだ」
柵沿いにぐるりと回って、また別の坂道を登るのだと説明されて、少しだけ弱気になりそうになる。
暫くはずっと上り坂で、げんなりした表情が出てしまったのか、すっと哲朗が手を伸ばした。
「引っ張ってってやろうか」
え、と固まっていると、そのまま左手を引いてゆっくりと歩き始め、釣られて足を踏み出す実の歩調を確認するように振り返りながら、哲朗は穏やかな笑顔のまま歩いている。
「わったん、ええと、子供じゃないんだから恥ずかしいよ」
「動物しか見てねえよ」
ぐるりと見渡す限りの牧場で、動いているのは確かに草食動物ばかり。
学校が休みの日なら親子連れで賑わうここも、冬場には閑散としているというのが身に沁みて感じられた。
改善されているとはいえ実の手は哲朗より体温が低く、すっぽりとその中に包み込むように握り締めて少し前を歩く背中は広い。
そこに抱きついて頬を寄せたいという衝動に、自分でも驚いた。
弱っているのだと、自分に言い聞かせる。
十年前、哲朗ともう会えないと確信した時、入れ替わるようにすんなり入り込んできたのは新汰だった。
まめにメールや電話をくれる。一週間と空けず、顔を合わせる機会を作ってくれる。
そして何より、志を同じくしてからの親密度は、一般的な社会人カップルより高かったのだと思う。
そんなにぴったりと寄り添い合っていた人が居ないのだ。少し寂しかったり物足りなかったりするのは当然だろう。
温もりが欲しくて、もう長いこと異性ではなくその相手を同性に求めてきた実にとって、哲朗はとても魅力的な対象であるとも自覚していた。
大学生の時に付き合っていた女性と、漠然とでも結婚を考えていなかったわけじゃない。けれど、実が家庭の事情を話したとき、あっさりと彼女は離れて行った。
それに対して落ち込むこともなく、ただ、そんなものかと納得した自分も、本当の意味で恋愛をしていたわけではなかったのだと思う。
ましてや、見合いから結婚寸前まで行き破談になった相手ならば尚更だった。悔しかったというだけで、殊更ショックを受けたわけでもない。
あっという間に日常が戻ってきたのだった。
「もうちょっと頑張って」
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