紅(くれない)の深染(こそ)めの心、色深く

やしろ

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温泉旅行 壱

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 晴天。 
 旅行には良い日和で俺は心が躍っていた。 
 紅緒様も俺も休みだから当然私服だけど、俺はあんまり服に興味がないから黒のシャツと同じ色のスラックスで、いつもの軍服とそう変わらない。
 紅緒様はジャケットこそ赤いけど、他は黒で、やっぱりいつもと同じで足が長い。ただ、お顔は隠されたいのか、眼鏡をかけていらっしゃった。 

「結局いつもとそう変わった格好じゃないな」 
「まぁ、紅緒様はいつもお綺麗だしカッコいいから」 
「そんな事をいうのは出穂くらいだよ。変わったやつだなぁ」 
「俺は通常運転です」 

 着替えとかの衣服は、紅緒様の護衛が乗る魔導戦車で先に積んでもらって、俺と紅緒様は斑鳩に乗って、用意された保養地に向かう。 
 調べた限り、そこは紅緒様の母君である萌黄様の生まれ故郷の近くの温泉街で、大きくなった瑞穂の国の地図でいえば奥まった田舎だった。名産は温泉で茹でた卵や野菜で、食い物は旨いらしい。 
 飛ぶように景色が行き去って、段々と山奥の様相を呈していく。 
 そしてついたそこは、立派な武家屋敷で。 
 斑鳩を駐車場に止めて、紅緒様と屋敷の門の前に立てば、先に来ていた護衛連中と世話人が俺達を出迎えた。 
 早速案内された紅緒様の部屋は、その屋敷の中でも一番上等で広い部屋で、俺はその隣になるらしい。 
 荷物はすでに世話人の手である程度片付けられていて、きちんと使いやすく整えられていた。 
 湯もちゃんと沸かしたてを魔術で保温する水筒に準備されているようで、俺はお茶を入れると紅緒様に茶菓子と一緒に差し出す。 

「ありがとう」 
「どういたしまして」 

 久々に座った畳の上、座布団の柔らかさが心地いい。 
 緩やかに時間が流れるままに茶を楽しんでいると、不意に紅緒様が口を開いた。 

「……私はここで本を読んで過ごすつもりでいるが、出穂はどうする?」 
「俺っすか? 俺も紅緒様からお借りした本を読もうかと。後は普段と一緒で鍛錬したり?」 
「基地にいる時と変わらないじゃないか。お前への記念でもあるんだから、もっと自由にすればいいのに」 
「十分自由っすよ。紅緒様がいて、温泉に入れて、飯は旨いとか、最高っすね」 

 にかっと笑いながら言えば、紅緒様が頷く。俺はいつだってこの方がいて、見える・手の届く場所で楽しそうにしていてくださったらいいんだ。 
 そう思っていると、紅緒様が何かを思いついたのか、急に立ち上がられて押入れの方に行く。俺もその後に続くと、そこには浴衣と帯と羽織がおいてあって。 

「来る前に資料を読んだらルームウェアとして置いてあるって書いてあった」 
「へぇ」 
「着られるだろう?」 
「勿論す。ガキの頃は寝間着にしてましたから」 
「うん、私も」 

 紅緒様から浴衣と帯とを受け取ると、俺も紅緒様も男同士の気安さでさっさと着替えてしまう。 
 揃いの藍地の浴衣は、どうやらきちんとそれぞれの頭身に合ったものがきちんと用意されていたようで、何となく驚いていると「ふふ」と紅緒様が笑う。 

「いや、布地の幅を見たら、お前用と私用、随分と長さに差があったものだから。長いほうを渡したんだが、間違っていなかったな」 
「ああ、そうなんすね」 
「うん。お前の大きさのに袖を通してみるのも楽しいかとちょっと思ったけど」 
「ええ? じゃあ俺のシャツ着てみます? デカいですよ」 

 そう言って俺は脱いだばかりのシャツを紅緒様に渡す。 
 すると少し考えて、紅緒様は途中まで袖を通した浴衣を脱いで、俺の渡したシャツに袖を通した。 
 素肌の上に俺の黒いシャツの布地が滑って眩しくて、俺は何だかイケないものを見ている気がしたけど、紅緒様は気にしていないのか、すっかり着てボタン迄全部留めてしまうと俺に見せてくる。 
 なんと俺のシャツは、袖はすっぽりと紅緒さまの指先まで隠し、足はというと浴衣を着るためにスラックスを脱いでいた裸の腿の中頃まで届いてしまって。 
 紅緒様が無邪気に「大きい」と笑うと、俺の心臓がなぜかしら飛び跳ねた。 

「……想像以上にでけぇっすね」 
「そうだな。大人と子供みたいだ」 
「俺、巨人みたいっすね」 
「そこまでは大げさだな」 

 くすくすと笑うと、腕を持ち上げて袖の長さを確認したり、裾をめくったり。一頻り満足するまで俺のシャツで遊んでから、紅緒様は浴衣に着替えらえる。 
 それから仄かに笑うと、紅緒様は「行くぞ」と仰った。 

「え? 行く?」 
「ああ。この辺りは外湯めぐりが出来るんだ。ここに来る前に調べて連絡を入れたから、風呂屋が開いてる時間ならどこの風呂にも入れるぞ」 
「おお、そりゃすげぇ」 

 そんな訳で財布だけを持つと、世話人に声をかけて俺と紅緒様は外湯巡りに繰り出した。 
 田舎とはいえそこそこ流行っているのか、街には食い物屋もあれば土産屋もある。 
 縁日の遊興の屋台の延長線にあるような、的当て屋やら金魚すくいなんてのもあって、紅緒様は物珍しいのか、見るもの見るものに足を止めた。 

「あのふわふわした菓子は?」 
「綿あめっす。リンゴを溶かした飴に漬けて固めたりんご飴ってのもるっす」 
「りんご飴!?」 
「同じようにみかんを固めたみかん飴や、イチゴを固めたいちご飴もあるっす」 
「みかんにいちご……!」 

 俺の説明に、紅緒様の白い頬が少し上気する。 
 眼を輝かせて屋台を除く紅緒様は、とても百年を一人で飛び越えられるほどの方には見えないくらい無邪気で可愛い。 
 口元はふにゃふにゃと柔らかく笑み、目元だって普段は気を張って吊り上げてるけど、今は穏やかで柔らかい。 
 そうやってはしゃぐ紅緒様を見られただけでも、俺は旅行に来て良かったとさえ思う。 
 俺がそんな感慨に浸っていると、紅緒様が急に立ち止まる。そして俺の名を呼んで、何やら屋台を指差した。 

「どうしたんすか?」 
「あれ、見て」 

 指差された所には的当て屋があって、紅緒様の目線の先には大きなクジラのぬいぐるみが鎮座している。 

「あれは売り物か?」 
「や、景品っすね。的の真ん中に当てって該当する点数を出したら貰えるっす」 
「的当て? 弓矢なら得意だ」 
「っすね。じゃあ二人でやりましょう。二人なら確率は倍っす」 
「ああ、やる」 

 そんな訳で、俺と紅緒様は的当てをすることに。 
 まあ、当然雷上動を普段扱ってる紅緒様が、的を外すなんてことはあり得ない。俺にしたって紅緒様ほどじゃないが弓の扱いは心得てるんだから、結果は推して知るべし。 
 デカいクジラのぬいぐるみを担ぎ上げて、紅緒様はご満悦だ。 
 すると店主が俺にこっそり耳打ちしてきた。曰く「もう二回り小さいものがあるが、それを持っていくか?」と。 
 どういうことか小声で聞くと、どうやら俺達は勝ち過ぎたらしい。根こそぎ景品を持っていかれたら商売あがったりだから、「彼女の好きそうなぬいぐるみをやるから勘弁してくれ」ってことだった。 
 紅緒様は女じゃない。そういう意味で「彼女じゃない」と言えば、「それなら猶更ぬいぐるみを渡してやれ」と押し付けられて。 

「どうした、出穂?」 
「や、景品すけど、なんかもう一個、紅緒様が持ってるより小さいけどクジラのぬいぐるみがあるっていうから、それにしてくれって交渉してたっす」 
「え?」 
「紅緒様、お好きなんですしょ? クジラ」 
「でも……」 
「紅緒様が喜んでくれるなら、俺はそれが何より嬉しいっす。旅行記念に受け取ってください」 

 店主からクジラのぬいぐるみを受け取ると、それを紅緒様にお渡しして、代りに大きいほうを俺が担ぐ。 

「ありがとう」 
「どういたしまして」 

 紅緒様が囁くのに返す。 
 大きな荷物は近くに潜んでいた護衛の一人が、気を利かせて引き取りに来てくれて、俺と紅緒様の散策は続く。 
 紅緒様が、ふと眉を八の字に曲げた。 

「紅緒様?」 
「……昔からクジラが……魚が好きで、母上にお願いして大きなクジラのぬいぐるみを買っていただいたんだ」 
「そうなんすか」 
「うん。毎日一緒に寝てたけど、母上が亡くなって……暫くしたら家庭教師と乳母に捨てられた」 
「は!?」 
「王家に生まれたんだから、クジラだの魚だのの研究をする暇があるなら、陛下の覇業に役立つことをするべきだって。それが義務なのに、ぬいぐるみなんかを後生大事に抱えているから、そんな事も理解できないんだ。甘えている、と。でもお前はそんな事は言わないと思ったから……」 

 耳まで赤く染めて、紅緒様が俯く。 
 俺は紅緒様の言葉を咀嚼して、そのお手を取った。 

「当たり前じゃねぇですか。紅緒様が好きなものの事を話すのが甘えなら、俺はそれが嬉しいっす。だって俺は紅緒様にとって甘えてもいい人間だし、それを嬉しく思う奴だって紅緒様が解ってくださってるってことでしょ? 俺の事を紅緒様が受け入れてくれてるのが何より幸せだ」 
「私も……出穂だけが私を解ってくれると思っているし、出穂を一番解ってるのも私だと思ってる」 
「っす! 俺も自信あるっす!」 

 拳を握って力説すれば、へにゃりと笑った紅緒様が「変わったやつだなぁ」と甘く囁いた。
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