紅(くれない)の深染(こそ)めの心、色深く

やしろ

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十三年目の自覚

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 十三年目の幕開けは、戦場だった。 
 東も西も、瑞穂の国の思惑通り、和解しなかったのだ。 
 俺はといえば東の王位継承者が紅緒様に無礼を働いた日から、妙な夢に悩まされる日が多々あった。 
 それは俺の膝にちょんと座った紅緒様が、あの日俺に見せた口づけを受ける時のお顔で俺を見上げてると言う内容で。 
 夢の中の紅緒様は俺を見上げて「しないのか?」とか「出穂ならいいぞ?」とか、その艶やかで張りがあって潤った唇で仰る。 
 普段から綺麗で美しい紅緒様が、頬をバラ色に染めて、上目遣いに見てくる破壊力は、本当に凄まじい。 
 紅緒さまの甘い声にたえかねて、どもりながら「い、いい、いいんですか?」「いいんですね?」と尋ねれば、紅緒様は頬を染めて小さく頷いてくださるから。 
 細い顎をとらえて、その色づく美味しそうな唇に俺のを重ねようとしたところで、いつも夢は終わる。ちくしょう。 
 そんな生殺しな夢を経て、俺は一つ確信した。俺は紅緒様を好いているのだ、と。 
 いや、好いているというのなら人間的にはずっと好きだったし、今だってそれは変わらない。そうではなくて、俺は紅緒様を惚れた腫れたの意味でも好いているってことだ。 
 どおりで紅緒様のうなじで鼻血出すわ、唇ガン見して鼻血出すわだ。たしかに遅れて来た思春期と言われても納得する。 
 だって好きなんだから、相手の全部が欲しいと思うに決まっているし、色んな表情も見たいと思うし、当然触れてもみたいと思うだろう。まして紅緒様は俺を信頼してくれてるから、惜しげもなく無防備なところを見せてくださるのだ。興奮しない訳がない。 
 鼻血を吹くほど昂っても理性が飛ばないのは、やっぱり紅緒様をお慕いしているからで、あの方の信頼を裏切ったりしくないってだけ。 
 で、だ。 
 紅緒様への恋心を自覚した俺がどうするかっていうと、選択肢は二つ。 
 諦めるか、想い続けるか、この二つなんだろう。なら俺は──

「出穂?」 

 呼びかけられて俺はハッとする。 
 顔を上げれば紅緒様が俺の顔を覗き込んでいた。 

「どうした?」 
「いや、城攻めに苦戦してるのかなって?」 
「ああ、動きがないな」 

 紅緒様が敵の城の方角を見た。 
 何かが壊れる音や人間の叫び声、煙は見えるが決定的な知らせや動きはない。 
 東と西に分かれた国の、西の方はすでに陛下と常盤様に滅ぼされた。残りは東の方だけ。 
 こちらは青洲様と紅緒様が王城の攻略に入ったところだ。 
 城は最早城とも言えないくらいバリスタやカタパルトでボロボロ。どうせ使う気がないからと、徹底的に破壊しているようだ。敵兵も士気が高いとは言えず次から次に投降してくる。 
 それでもなお城が落ちないのは東の王を僭称する輩が捕まるなり、討ち死にしていないからか。 

「もう城の外に出てるかも知れませんね」 
「ああ。出穂の知己のご老人も隠し通路があると仰っていたからな」 
「っす。玉座の間から城の外の森の外れ……ここに出るんでしたっけ」 
「らしい。布陣はそのためだからな」 

 実際俺は別の事を考えていた訳だけど、それを紅緒様に言ってもこの場では不謹慎なだけだ。 
 それよりも今は戦場の行方を気にしなくてはいけない。 
 今回の戦の目的は東の輩を生け捕りにするか、討ち取るかどちらでもいいから決着をというもの。 
 瑞穂の国にとって最上は生け捕りだろうが、東のにとってはきっと討ち取られた方がいいだろう。だって生け捕られた所で、この戦乱の責任を取らされて惨く死ぬだけだ。 
 同じ死ぬなら、討ち取られた方が強大な敵として語り継いでは貰える。人は死して名を遺すというから、討ち取った人間の英雄譚の敵役と言うのは悪くないはずだ。強大な敵と言うのは時に主人公より印象に残るもので、崇められる事もあるわけだし。 
 が、うちの紅緒様はそういう滅びのロマンとやらにこれっぽちも興味がない。 
 合理的に相手の道筋を潰すために、森に静かに兵を伏せさせ、自らも伏せている。 
 俺も紅緒様に従って伏せている訳だが、思った通り偽の本陣に奇襲があった。もう相手も逆転の余地はない事は解っているから、この際玉砕覚悟で紅緒様を討ちに来たのだろう。なにせ奴らは紅緒様に弄ばれたと声高に叫んでいたのだから。思い込みで変態行為をしておいてどんな言いぐさだ。 
 偽本陣は壊滅に追い込まれているように見せて、その実敵を俺達が伏せている場所へと誘き寄せる。 
 血気に逸った輩が森の奥に踏み込んだ途端に仕掛けておいた罠が次々発動して、敵兵の足をからめとり、動きを封じ、その間に我が兵達が敵を無効化したり討ち取ったり。 
 彼方側の兵士に混乱が伝播し、阿鼻叫喚。 
 そんな中、俺はその混乱に乗じて逃げようとする、目深にフードを被った男を見つけたのだ。背や体格が以前脅した変態と似ている。 
 紅緒様にそれを指差してから、俺はその男に向かって駆け出した。同時に紅緒様の雷上動から射られた魔術を纏った矢が、男の影を地面に縫い留める。 
 そして俺は腰からナイフを引き抜くと、男の首へと突き出した。それは避けられたものの、足を払って転ばせて、馬乗りになるとナイフを男の首すれすれへに突き立てた。 

「終わりだ」 

 戦も、この変態男も。 
 ぎりぎりと歯ぎしりする男は、口惜し気に俺を睨む。それから唇を歪めると、俺にしか聞こえない声で「あの阿婆擦れめ!」と呻いた。そして俺にも「そんなにあれは具合がいいのか?」なんてほざきやがる。 
 だがその挑発に乗る気はなかった。逆に俺はハッと鼻で笑う。 

「知らねぇな。俺はあのお方に、欲を持って触れたことなんざねぇよ」 
「なん……?」 
「でも、これからは違う」 
「?」 

 男は怪訝な顔をした。そりゃ解らんだろうな、解るような奴なら、痴情に任せて突撃なんかしないで何とか逃げ延びようとするだろう。 
 俺は男に下卑た笑みを向けた。 

「アンタを捕まえた手柄で身分が手にはいりゃ、俺は紅緒様に求愛出来る立場を貰える。アンタのお蔭だ、ありがとよ」 

 男の目が驚愕に歪んで、ジタバタと暴れるから俺は男の身体に体重をかける。カエルが潰れたように呻いていたが、知った事か。 
 俺には結局のところ、紅緒様を諦めるなんて選択肢は最初から存在しないのだ。 
 都合のいいことに、外紅緒様自らが政略結婚避けに俺を恋人だと周りに思わせるように行動されていたから、外堀はもう埋まっているも同然。 
 人と接触することが苦手なのに、紅緒様は俺なら大丈夫って常々言ってくれてるし、紅緒様の人生や日常には俺がいて当然とも仰ってくださった。 
 その上、終戦後も傍に置いてくださる約束もある。 
 大丈夫、俺はやればできる男だ。 
 時間をかけて紅緒様に俺を好きになってもらって、ゆっくり両想いになればいい。そしてそうなったら……。 
 きっとあの親兄弟の存在が障壁になるだろうが、あの人達は紅緒様が俺を好きだと言ったら確実に折れる。俺との仲を反対して紅緒様と拗れるよりは、まだ俺を認める方がいいと判断する筈だ。 
 あと必要なものは身分だろうが、この手柄で何とかなるだろう。  
 にやけていた口元を引き締めると、俺は男を改めて捕えなおす。すると紅緒様が近くまで来ていたようで「よくやった」と俺に笑いかけた。 
 けれどもそれも一瞬、紅緒様は男に視線を移したが、その目にはもう興味も何もなく。 

「王を僭称する不逞の輩は捕えた! 無駄な抵抗は止めて武器を捨てよ。しからざれば全員根切と心得よ!」 

 紅緒様の唇から通りの良い声での勝利が宣言される。 
 ここに瑞穂の国による秋津豊島統一はなり、約四十年に渡る戦乱が終結したのだった。
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