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7・鬼を宿す
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祠に近づくにつれて、頭の中に声が響く。鬼が目覚めそうになる周期で儀式は行われる。つまりは今、鬼は最も活性化していると言える。そんな鬼に深凪を渡さないためにやれることはひとつだけだ。
祠の前には誰もいなかった。危険なので儀式の間は近付いてはならないことになっているのだ。それは巽にとっては都合のいいことだった。祠の前に立った巽は、手に持った鉈を振り下ろす。その中に封じられているものを外に出すために。
祠が破壊されると同時に、中から黒い煙が漏れ出す。それは巽の前で徐々に姿を変えて巽の背の二倍はありそうな巨大な鬼へと変化した。鬼は赤い目で巽を見下ろしてにたりと嗤う。
『人間よ。俺を目覚めさせるとはどういうつもりだ?』
しかし巽は鬼と対話するつもりなどなかった。鬼に深凪を渡さないためには、巽が鬼を制御下に置く必要があるのだ。
「鬼よ。お前の望みは何だ」
『目的だと? そんなものがあると思うのが人間の愚かさよ』
「――だろうな」
巽は笑みを浮かべた。鬼は人を食らい、破壊の限りを尽くす。しかしそこに何か目的があるわけではない。ただ己の衝動のままに行動しているだけだ。巽は鉈を近くに放り投げ、その白い腕をついと鬼に伸ばした。
「お前には目的はない。だが俺にはある」
だからこそ鬼を御せる。鬼の持つ衝動など、巽のものに比べれば大したことがないのだ。本来ならば簡単にひねり潰せる相手である巽を見て、鬼は何かを感じたように一瞬怯む。
「お前を自由にしてやる。その代わり贄の乙女――深凪は俺のものだ」
愛する者を鬼などに奪われるわけにはいかない。それならば自分が鬼を支配下に置けばいいのだ。鬼は巽を見下ろして嗤う。
『面白い男だ。その思いの強さはもはや邪悪と言える』
鬼はそう言いながらも再び黒い煙に変化し、巽を呑み込んだ。
「うっ……!」
覚悟はしていた。しかしあまりにもどす黒いものが頭に流れ込んで来たがために巽は思わずよろめいた。だがその黒いものが自分の一部になっていくにつれ、頭の中が少しずつ晴れていく。巽は頭を埋め尽くしていく鬼の破壊衝動を自分の感情に取り込んでいった。
『ふむ、人間の体も案外悪くはない。お前のその感情は大変に心地がいいぞ』
巽は鬼の言葉には応えずに小屋へ向かう。儀式がいつから始まったかはわからないが、すでに佳境を迎えているとかんがえていいだろう。
その中で深凪がどんな目に遭っているかを考えるだけで黒いものが自分の中で暴れ出す。
ああ、これは鬼の衝動だ。
ならばそれに身を任せてしまおう。
深凪以外の人間など、どうなったとて構わないのだから。
***
儀式も終盤に近づき、深凪は息も絶え絶えの状態になっていた。それなのに襲いくる快感に終わりはない。村の男たちに磔にされ、半分意識が飛びかけているというのに、体は熱を持っていた。
(お兄様……)
もう何度目かわからない絶頂にぐったりとしながら巽の顔を思い浮かべる。その瞬間、大きな音とともに小屋の扉が破られた。
「誰だ!」
儀式の邪魔は誰にも許されない。しかしその禁を破った男の姿を見て、その場にいた誰もが息を呑んだ。
「巽……おぬしまさか!」
モリゴサマが叫び、腰に差していた刀を抜いて巽に切り掛かる。巽は全く表情を変えないまま、鋭く黒い爪のついた大きな手でモリゴサマの頭を握り潰した。
巽の額には鬼のものであることを示す二本の角が生えており、顔は赤い紋様が描かれた布で隠されていた。その腕は本人のものとは明らかに違う赤黒い色をしていて、歪な筋肉が盛り上がっている。
「まさか封印を解いたのか!?」
「どういうことになるかわかってるのか!?」
村人たちが口々に騒ぐが、巽は赤い瞳を光らせながらも無表情のままで村人たちをその腕で蹂躙した。勇敢にも飛びかかっていった男は首と胴体を引きちぎられて地面に転がされる。
「どうなってもいいだろう。――全員ここで死ぬのだから」
巽の一言から始まったのは一方的な殺戮だった。逃げようとする村人まで追いかけてその腕で体を貫く。深凪は何かを言おうと口を開くが、喉が凍りついてどんな音も漏れてこない。
そうしているうちに、あたりは痛いほどの静寂に包まれた。血にまみれた姿で、巽は深凪に柔らかな笑みを浮かべた顔を向ける。
「迎えに来たよ、深凪」
その声の優しさとは裏腹な目の前の光景の凄惨さに、深凪は茫然自失とした。
「お兄様、どうして……」
助けてほしいと願ったのは事実だった。縋る相手は巽しかいなかった。しかしこんな形になるとは全く予想できていなかったのだ。
「どうして封印を解いたの……?」
深凪が尋ねると、巽は僅かに怒りを滲ませた声で答える。
「……どうして、だと?」
その声に深凪は体を硬くする。深凪の体は柱に磔にされ、自由に動かすことはできない状態だ。体力ももう残っていない。巽がその気になればいつでも深凪を殺せるのだ。
「お前は殺されるところだった。この村の、くだらない人間たちのために」
「それは……」
「お前が死ぬくらいなら、お前以外の全てが死んだ方がいい」
その瞳は赤色に染まっている。その奥に異様な何かがあるのを深凪は感じ取っていた。それでも惹かれてしまう。深凪は心臓が高鳴るのを確かに感じていた。
「村人全員を捧げてもお前の命に釣り合うとは思わない。けれど鬼はこうして力を貸してくれた」
これまで誰もが封印することしかできなかった鬼を巽は制御しているように見えた。現に、巽は目の前の深凪を殺さずにいることができている。そんな兄を怖いと思う反面、自分に向けられる優しさを信じてしまいたくもなる。
「これでもう邪魔者は全て消えた。――愛しているよ、深凪」
その笑顔の陰にあるものが恐ろしい。獰猛な獣のような目に射られ、深凪の体は巽に翻弄され始めた。
そして――体力が尽きた深凪が目覚めたとき、村の人間は深凪と巽を除いて死に絶え、しかし何事もなかったかのようにその痕跡を消されていたのだった。
祠の前には誰もいなかった。危険なので儀式の間は近付いてはならないことになっているのだ。それは巽にとっては都合のいいことだった。祠の前に立った巽は、手に持った鉈を振り下ろす。その中に封じられているものを外に出すために。
祠が破壊されると同時に、中から黒い煙が漏れ出す。それは巽の前で徐々に姿を変えて巽の背の二倍はありそうな巨大な鬼へと変化した。鬼は赤い目で巽を見下ろしてにたりと嗤う。
『人間よ。俺を目覚めさせるとはどういうつもりだ?』
しかし巽は鬼と対話するつもりなどなかった。鬼に深凪を渡さないためには、巽が鬼を制御下に置く必要があるのだ。
「鬼よ。お前の望みは何だ」
『目的だと? そんなものがあると思うのが人間の愚かさよ』
「――だろうな」
巽は笑みを浮かべた。鬼は人を食らい、破壊の限りを尽くす。しかしそこに何か目的があるわけではない。ただ己の衝動のままに行動しているだけだ。巽は鉈を近くに放り投げ、その白い腕をついと鬼に伸ばした。
「お前には目的はない。だが俺にはある」
だからこそ鬼を御せる。鬼の持つ衝動など、巽のものに比べれば大したことがないのだ。本来ならば簡単にひねり潰せる相手である巽を見て、鬼は何かを感じたように一瞬怯む。
「お前を自由にしてやる。その代わり贄の乙女――深凪は俺のものだ」
愛する者を鬼などに奪われるわけにはいかない。それならば自分が鬼を支配下に置けばいいのだ。鬼は巽を見下ろして嗤う。
『面白い男だ。その思いの強さはもはや邪悪と言える』
鬼はそう言いながらも再び黒い煙に変化し、巽を呑み込んだ。
「うっ……!」
覚悟はしていた。しかしあまりにもどす黒いものが頭に流れ込んで来たがために巽は思わずよろめいた。だがその黒いものが自分の一部になっていくにつれ、頭の中が少しずつ晴れていく。巽は頭を埋め尽くしていく鬼の破壊衝動を自分の感情に取り込んでいった。
『ふむ、人間の体も案外悪くはない。お前のその感情は大変に心地がいいぞ』
巽は鬼の言葉には応えずに小屋へ向かう。儀式がいつから始まったかはわからないが、すでに佳境を迎えているとかんがえていいだろう。
その中で深凪がどんな目に遭っているかを考えるだけで黒いものが自分の中で暴れ出す。
ああ、これは鬼の衝動だ。
ならばそれに身を任せてしまおう。
深凪以外の人間など、どうなったとて構わないのだから。
***
儀式も終盤に近づき、深凪は息も絶え絶えの状態になっていた。それなのに襲いくる快感に終わりはない。村の男たちに磔にされ、半分意識が飛びかけているというのに、体は熱を持っていた。
(お兄様……)
もう何度目かわからない絶頂にぐったりとしながら巽の顔を思い浮かべる。その瞬間、大きな音とともに小屋の扉が破られた。
「誰だ!」
儀式の邪魔は誰にも許されない。しかしその禁を破った男の姿を見て、その場にいた誰もが息を呑んだ。
「巽……おぬしまさか!」
モリゴサマが叫び、腰に差していた刀を抜いて巽に切り掛かる。巽は全く表情を変えないまま、鋭く黒い爪のついた大きな手でモリゴサマの頭を握り潰した。
巽の額には鬼のものであることを示す二本の角が生えており、顔は赤い紋様が描かれた布で隠されていた。その腕は本人のものとは明らかに違う赤黒い色をしていて、歪な筋肉が盛り上がっている。
「まさか封印を解いたのか!?」
「どういうことになるかわかってるのか!?」
村人たちが口々に騒ぐが、巽は赤い瞳を光らせながらも無表情のままで村人たちをその腕で蹂躙した。勇敢にも飛びかかっていった男は首と胴体を引きちぎられて地面に転がされる。
「どうなってもいいだろう。――全員ここで死ぬのだから」
巽の一言から始まったのは一方的な殺戮だった。逃げようとする村人まで追いかけてその腕で体を貫く。深凪は何かを言おうと口を開くが、喉が凍りついてどんな音も漏れてこない。
そうしているうちに、あたりは痛いほどの静寂に包まれた。血にまみれた姿で、巽は深凪に柔らかな笑みを浮かべた顔を向ける。
「迎えに来たよ、深凪」
その声の優しさとは裏腹な目の前の光景の凄惨さに、深凪は茫然自失とした。
「お兄様、どうして……」
助けてほしいと願ったのは事実だった。縋る相手は巽しかいなかった。しかしこんな形になるとは全く予想できていなかったのだ。
「どうして封印を解いたの……?」
深凪が尋ねると、巽は僅かに怒りを滲ませた声で答える。
「……どうして、だと?」
その声に深凪は体を硬くする。深凪の体は柱に磔にされ、自由に動かすことはできない状態だ。体力ももう残っていない。巽がその気になればいつでも深凪を殺せるのだ。
「お前は殺されるところだった。この村の、くだらない人間たちのために」
「それは……」
「お前が死ぬくらいなら、お前以外の全てが死んだ方がいい」
その瞳は赤色に染まっている。その奥に異様な何かがあるのを深凪は感じ取っていた。それでも惹かれてしまう。深凪は心臓が高鳴るのを確かに感じていた。
「村人全員を捧げてもお前の命に釣り合うとは思わない。けれど鬼はこうして力を貸してくれた」
これまで誰もが封印することしかできなかった鬼を巽は制御しているように見えた。現に、巽は目の前の深凪を殺さずにいることができている。そんな兄を怖いと思う反面、自分に向けられる優しさを信じてしまいたくもなる。
「これでもう邪魔者は全て消えた。――愛しているよ、深凪」
その笑顔の陰にあるものが恐ろしい。獰猛な獣のような目に射られ、深凪の体は巽に翻弄され始めた。
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