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5・一度汚れた手は_2
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一人になった天花は、鞄の中から小さな瓶を取り出した。中には白い粉が詰まっている。テーブルの上に置いて眺めていると、白の中に黒い粒が混じっているのがわかった。天花は瓶を人差し指で弄びながら溜息を吐く。昔教えてもらった通りに作ったものだけれど、作ってどうするのかは考えていなかった。作ったと言っても種を乾燥させて粉状にしただけだ。
――実は沢山食べなければ大丈夫よ。でも種には五粒くらいで死んじゃう毒があるの。
名前も顔も思い出せないあの看護師が、どうして天花にそれを教えたのかはわからない。けれど限られた場所にしか生息しないその植物と、その種に毒があるという知識が天花の目の前に揃ってしまったときに、それを作らずにはいられなかった。
瓶の蓋を開けて、小指の先にその白い粉を取る。少量なら人体に大きな影響はない。舌の上に乗せても味らしいものは何もしなかった。唾液で飲み込んでも何も起こらない。量が少なすぎるのだろう。
「……馬鹿馬鹿しいな」
こんなものを持っていても意味なんてないはずだ。天花はそう思ってそれを瓶ごとゴミ箱に投げ入れようとした。けれどその手は途中で止まってしまう。何か見えない糸で釣られているかのように体が動かない。必要のないものだ。捨ててしまえば作る前と同じ、何もない状態に戻る。それはわかっているはずなのに。
再びテーブルの上に瓶を置いた天花の脳裏に、記憶の底からの声が響く。それは男の声でも女の声でもあり、和音のように重なり合いながらも歪んだ音をしていた。
溜息でその声を振り払って、天花は立ち上がる。部屋からは出られないが、橙が画面が少し欠けているけれど見ることはできるテレビを設置してくれたおかげで、時間を潰す手段は前より増えた。特に見たいものはないけれどBGMくらいにはなる。瓶をしまってリモコンを手に取ったそのとき、コンビニの入店音と同じインターフォンが鳴り、空気を弛緩させた。
*
橙のところから戻った恭一は、電気も点けずにソファーでぼんやりしている天花を見つけた。このソファーは橙が粗大ごみに出されていたのを、まだ使えそうだからと持って帰ってきて、簡単に修理してしてもらったものらしい。天花はその上に寝転がって、けれど目を閉じているわけでもなく、どことなく焦点の合わない目で宙を眺めていた。
「天花」
不安に駆られた恭一は天花に近付き、電気を点けながら声をかけた。それでようやく天花は恭一が帰ってきたことに気がついたらしい。少し驚きながらもゆっくりと上半身を起こす。
「体調悪いのか?」
「いや、ちょっと疲れたからか怠いけど別に熱とかは……」
自分の額に手を当てて確認している天花の顔が赤かった。慌てて額に触れてみると、どう考えても熱い。体温計を使う前から熱があることは明らかだった。
「いや熱あるだろこれ」
「寝てれば治るよ。多分疲れてるだけ」
天花はそう言って布団に移動しようとする。けれどその足元はどこか覚束なかった。これは解熱剤か何かを買ってきた方がいいかもしれない。恭一が布団をかぶった天花に声をかけようとすると、いきなり強い力で腕を引かれた。
「天花?」
天花は何も答えずに、力なく笑みを浮かべた。そして握ったままの恭一の手を自分の首に押し当てる。熱があるせいかその肌は熱く、そして指先に強い鼓動を感じた。そのまま上から指を押さえつけられる。
実際に力を加えているのは天花自身の手だ。けれどその首に直接触れているのは恭一の手だった。上手く力を入れられていないせいで実際はそれほど絞まってはいないだろう。それでも天花が意図していることははっきりと読みとれた。
「……駄目だ」
「どうして? こうやって殺したんでしょ? 二回も三回も大して変わらないでしょ」
「何言ってんだ」
回数の問題ではない。そもそも恭一は天花を害することを望んではないのだ。しかも天花が要求しているのは、生死に直結する行為なのだ。
「天花がどう思おうと、俺にはできない」
恭一がその細く白い首筋から手を離そうとすると、天花は再び笑みを浮かべた。
「……だったら」
するりと伸ばされた冷たい手が恭一の首筋を捉える。息を呑む間もなく天花の手には容赦なく力が込められた。何かを言おうとしても喉で堰き止められて音にならない。
「早くしないとお兄ちゃんの方が殺されちゃうよ?」
おそらく本気なのだろう。手加減というものは一切感じられなかった。それでも天花が望むことを叶えることはできなかった。天花自身がどう思っていようと、恭一は天花を失いたくはなかったのだ。天花は容赦なく力を込めながら、どこか歪な表情を浮かべていた。笑っているようにも見えるその顔に背筋が寒くなる。
「ねぇ、本気で言ってるんだよ? 私が人殺しなのも知ってるでしょ?」
首を横に振ることすらできない。意思表示の手段を奪っておいて、天花は更に恭一を追い詰めていく。恭一はどうにか天花の手を掴んで、僅かにそれを引き剥がした。
「……殺すくらいなら、殺された方がマシだ」
「っ……私、本気だよ」
「嘘じゃないのはわかってる」
理由はわからないけれど、少なくとも遊びでやっているわけではないのは十分に理解できる力だった。だからこそ、その裏にあるもう一つの意思も容易に透けて見える。
「俺を殺したいならそうすればいい。でも俺は、天花が死ぬのは嫌なんだ」
「……後悔するよ、いつか」
「それを決めるのは俺自身だ」
「っ……!」
再び指先に力が込められる。頭に血が回っていないのか、目のあたりが熱くなり、頭が痛み出す。本当にこのまま殺されてしまうかもしれない。けれど、それでも本気でその手を止めようとは思えなかった。
「……優しくしないで」
消え入りそうな天花の声は、先程までと違って弱々しく震えていた。
「私なんて、生きる価値もないんだから……」
「……本気で言ってるのか?」
恭一は強引に天花の手を引き剥がし、それを床に押し付けた。元より、男と女の力の差がある。恭一が本気で抵抗すれば押さえ込むことは難しくなかった。
「冗談でこんなこと言う人いる?」
「仮に冗談だったら怒るところだけど、本気ならもっと始末が悪いだろ」
「お兄ちゃんは何も知らないからそんなことが言えるんだよ」
「知ってても知らなくても、結論は変わらない」
天花が何を隠していたとしても、どんな罪を犯していても、失いたくない存在であることは少しも揺るがない。けれど真剣に天花を見つめる恭一から、天花はゆっくりと目を逸らした。
「……私がまた人を殺したって言っても、同じことが言える?」
一人になった天花は、鞄の中から小さな瓶を取り出した。中には白い粉が詰まっている。テーブルの上に置いて眺めていると、白の中に黒い粒が混じっているのがわかった。天花は瓶を人差し指で弄びながら溜息を吐く。昔教えてもらった通りに作ったものだけれど、作ってどうするのかは考えていなかった。作ったと言っても種を乾燥させて粉状にしただけだ。
――実は沢山食べなければ大丈夫よ。でも種には五粒くらいで死んじゃう毒があるの。
名前も顔も思い出せないあの看護師が、どうして天花にそれを教えたのかはわからない。けれど限られた場所にしか生息しないその植物と、その種に毒があるという知識が天花の目の前に揃ってしまったときに、それを作らずにはいられなかった。
瓶の蓋を開けて、小指の先にその白い粉を取る。少量なら人体に大きな影響はない。舌の上に乗せても味らしいものは何もしなかった。唾液で飲み込んでも何も起こらない。量が少なすぎるのだろう。
「……馬鹿馬鹿しいな」
こんなものを持っていても意味なんてないはずだ。天花はそう思ってそれを瓶ごとゴミ箱に投げ入れようとした。けれどその手は途中で止まってしまう。何か見えない糸で釣られているかのように体が動かない。必要のないものだ。捨ててしまえば作る前と同じ、何もない状態に戻る。それはわかっているはずなのに。
再びテーブルの上に瓶を置いた天花の脳裏に、記憶の底からの声が響く。それは男の声でも女の声でもあり、和音のように重なり合いながらも歪んだ音をしていた。
溜息でその声を振り払って、天花は立ち上がる。部屋からは出られないが、橙が画面が少し欠けているけれど見ることはできるテレビを設置してくれたおかげで、時間を潰す手段は前より増えた。特に見たいものはないけれどBGMくらいにはなる。瓶をしまってリモコンを手に取ったそのとき、コンビニの入店音と同じインターフォンが鳴り、空気を弛緩させた。
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橙のところから戻った恭一は、電気も点けずにソファーでぼんやりしている天花を見つけた。このソファーは橙が粗大ごみに出されていたのを、まだ使えそうだからと持って帰ってきて、簡単に修理してしてもらったものらしい。天花はその上に寝転がって、けれど目を閉じているわけでもなく、どことなく焦点の合わない目で宙を眺めていた。
「天花」
不安に駆られた恭一は天花に近付き、電気を点けながら声をかけた。それでようやく天花は恭一が帰ってきたことに気がついたらしい。少し驚きながらもゆっくりと上半身を起こす。
「体調悪いのか?」
「いや、ちょっと疲れたからか怠いけど別に熱とかは……」
自分の額に手を当てて確認している天花の顔が赤かった。慌てて額に触れてみると、どう考えても熱い。体温計を使う前から熱があることは明らかだった。
「いや熱あるだろこれ」
「寝てれば治るよ。多分疲れてるだけ」
天花はそう言って布団に移動しようとする。けれどその足元はどこか覚束なかった。これは解熱剤か何かを買ってきた方がいいかもしれない。恭一が布団をかぶった天花に声をかけようとすると、いきなり強い力で腕を引かれた。
「天花?」
天花は何も答えずに、力なく笑みを浮かべた。そして握ったままの恭一の手を自分の首に押し当てる。熱があるせいかその肌は熱く、そして指先に強い鼓動を感じた。そのまま上から指を押さえつけられる。
実際に力を加えているのは天花自身の手だ。けれどその首に直接触れているのは恭一の手だった。上手く力を入れられていないせいで実際はそれほど絞まってはいないだろう。それでも天花が意図していることははっきりと読みとれた。
「……駄目だ」
「どうして? こうやって殺したんでしょ? 二回も三回も大して変わらないでしょ」
「何言ってんだ」
回数の問題ではない。そもそも恭一は天花を害することを望んではないのだ。しかも天花が要求しているのは、生死に直結する行為なのだ。
「天花がどう思おうと、俺にはできない」
恭一がその細く白い首筋から手を離そうとすると、天花は再び笑みを浮かべた。
「……だったら」
するりと伸ばされた冷たい手が恭一の首筋を捉える。息を呑む間もなく天花の手には容赦なく力が込められた。何かを言おうとしても喉で堰き止められて音にならない。
「早くしないとお兄ちゃんの方が殺されちゃうよ?」
おそらく本気なのだろう。手加減というものは一切感じられなかった。それでも天花が望むことを叶えることはできなかった。天花自身がどう思っていようと、恭一は天花を失いたくはなかったのだ。天花は容赦なく力を込めながら、どこか歪な表情を浮かべていた。笑っているようにも見えるその顔に背筋が寒くなる。
「ねぇ、本気で言ってるんだよ? 私が人殺しなのも知ってるでしょ?」
首を横に振ることすらできない。意思表示の手段を奪っておいて、天花は更に恭一を追い詰めていく。恭一はどうにか天花の手を掴んで、僅かにそれを引き剥がした。
「……殺すくらいなら、殺された方がマシだ」
「っ……私、本気だよ」
「嘘じゃないのはわかってる」
理由はわからないけれど、少なくとも遊びでやっているわけではないのは十分に理解できる力だった。だからこそ、その裏にあるもう一つの意思も容易に透けて見える。
「俺を殺したいならそうすればいい。でも俺は、天花が死ぬのは嫌なんだ」
「……後悔するよ、いつか」
「それを決めるのは俺自身だ」
「っ……!」
再び指先に力が込められる。頭に血が回っていないのか、目のあたりが熱くなり、頭が痛み出す。本当にこのまま殺されてしまうかもしれない。けれど、それでも本気でその手を止めようとは思えなかった。
「……優しくしないで」
消え入りそうな天花の声は、先程までと違って弱々しく震えていた。
「私なんて、生きる価値もないんだから……」
「……本気で言ってるのか?」
恭一は強引に天花の手を引き剥がし、それを床に押し付けた。元より、男と女の力の差がある。恭一が本気で抵抗すれば押さえ込むことは難しくなかった。
「冗談でこんなこと言う人いる?」
「仮に冗談だったら怒るところだけど、本気ならもっと始末が悪いだろ」
「お兄ちゃんは何も知らないからそんなことが言えるんだよ」
「知ってても知らなくても、結論は変わらない」
天花が何を隠していたとしても、どんな罪を犯していても、失いたくない存在であることは少しも揺るがない。けれど真剣に天花を見つめる恭一から、天花はゆっくりと目を逸らした。
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