蜘蛛の糸の雫

ha-na-ko

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新たな命

3. 社長の遺伝子を持つ命が誕生したんだ……。

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一旦産婦人科病棟から出て、待合室横の喫煙室へ。社長はその中でタバコを吸っていた。
僕は廊下のベンチに腰掛け、ガラス張りの喫煙室を眺め心を落ち着かせていた。

なんと元気な泣き声だったんだろうか……。
あの時の驚きと胸の高鳴りが今も続いていた。
ガラス越しの社長の顔からも嬉しさが込み上げてきているのがわかり、父親になるということを噛みしめているようだった。

タバコを吸い終わると、社長は喫煙室から出てきた。
僕が急いで駆けよると、社長は弾けたようにそんな僕を抱きしめた。

「……社長?」

「早く会いたいなぁ……俺たちの息子に……」

え……

ぼそっと耳元でそんな言葉が聞こえた時、廊下の向こう側に案内してくれた中年の侍女がこちらを見て驚いた顔で立っていた。
僕は慌てて社長の体から離れる。
そんな僕を見て、社長もその侍女に気づいたようだ。

「明美は落ち着いたか?」

何事もなかったように聞く。
でもその侍女は明らかに僕のことを不審がるそぶりを見せていた。

「あっ……はい。
お部屋は大変気に入られた様子で、準備させていただいたものにも満足されていたようです。
もう落ち着いてお休みになられました」

「そうか」

それだけを言うと社長は侍女に背中を向けた。
お辞儀をして、去っていく。
何度か僕をちらちら見ていたが、何も言わなかった。

「……あの、社長……」

「大丈夫だ。
あれは母子家庭で彼女一人で今高校生の息子を二人も育てている。
余計な詮索をし、職を失うような真似はしない」

……気づいていたんだ。
そして、何人もいる家の侍女やメイド、運転手に至るまで、家族構成や家庭環境まで把握しているなんて。

「それにしても、二時間とはこんなに長いものなのか?」

腕時計を見ながら、社長は頭を掻いた。


「ふふっ」

僕はこんなに気が急く社長を見たことがなくて、思わず笑ってしまった。
少し照れ笑いを浮かべ、社長は待合室の窓の外を見た。

大きな満月の夜。

確かに社長の遺伝子を持つ命が誕生したんだ……。




二時間ほど経ち、もう深夜に近い時間。
許可をもらい再び産婦人科の扉をくぐる。
あのガラス張りのスペースは明かりが点いていて、看護師が何個ものケースの中を覗き、常に様子を見ていた。
その中の一つを僕たちの前に持ってくる。

「わあぁぁっっ……」

僕は思わず声をあげてしまった。

かわいい!!
かわいい!!
かわいい!!
小さくて、今にも壊れそう。

白い産着を着せられて、大きな白い清潔なタオルで包まれた赤ちゃん。

まだ何も口にしていないのか、口元を尖らせてちゅぱちゅぱしていた。
目ははっきりしていないのか閉じられ、でも、まつ毛が長いのがわかる。

「……あの……お父さんはどちらで……」

僕は食い気味に覗きこんでしまっていたが、看護師にそう言われてはっとし慌てて後ろへ下がった。
看護師は慣れた手つきで赤ちゃんを抱き、社長に抱き方の手ほどきをしてから手渡す。


「ぷぷっっ」

僕は思わず吹いてしまった。
だって、社長は肩が上がり、緊張しているのか額に汗をかき、潰してはいけないと思ってだろうあまりの優しい手つきでおぼつかない様子。
でも……、自分の息子を初めて見た顔は、もう父親になっていた。

「あの……奥様が初乳を断られたので、初めてのミルクをあげて頂けますか?」

と看護師が小さな小さな哺乳瓶を持ってきた。
社長はすくっと立ち上がり、おもむろに赤ちゃんを僕へと渡してた。

「ええっ! えー!」

慌てたが、赤ちゃんを落としてはいけないと、見よう見まねで社長と同じように抱き、すぐそばの丸椅子に座る。

「手島、あげてやってくれ」

「どうして、僕が……」

「…………」

看護師は僕にその哺乳瓶を渡した。

「口に持って行ってあげてくださいね」

ちゅぱちゅばした口元にそっと哺乳瓶の先をあててやると、ちゅっちゅっと吸い始めた。

はあぁぁぁぁっっ……
かわいい……

「あらっ初めてなのに上手ね」

と助産師はちょっと赤ちゃん言葉のように話しかける。

こんなので、いいのかな……。奥にやり過ぎてないだろうか?

哺乳瓶を持つ手が震える。
そうしていると赤ちゃんの手がそんな震える僕の小指を掴んだ。

「あ……」

小さな手。でも、ちゃんと温かい。
自然と涙があふれ出す。

こんな小さな手が、いつか僕の手を掴み引っ張って行ってくれる社長のような手に育つのだと思うと、命の尊さを感じずにはいられなかった。

僕は思わず社長を見て

「ありがとうございます……
ありがとうございます……」

と腕いっぱいにぬくもりを感じながら、何度もつぶやいた。
社長はそんな僕の肩にそっと手を置いた。




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