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第一章ーー第3話 『理論上の尋問突破と、現実的な朝食(モンスター)の調理、そして俺たちの胃袋という名のブラックホール』
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暗闇だった。
そこは、光という概念がストライキを起こしたかのような、完全なる漆黒の空間。
湿気と、古い藁(わら)の匂いと、埃っぽさが充満する閉鎖空間。
そう、俺たちが押し込められた村の「倉」である。
異世界転移二日目の夜――正確には未明。
俺たちの現状は、控えめに言っても最悪だった。
ステータス異常:『空腹』『疲労』『不眠』『閉所恐怖』。
そして何より――。
ぐゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――キュルルルルル――ゴゴゴゴゴ……。
静寂なる倉の中に、地獄の底から響く亡者の叫びのような、あるいは地殻変動の前触れのような重低音が木霊(こだま)した。
「……うるさい」
暗闇の向こう側、おそらく数メートル離れた位置から、鷹宮 恒一朗の絶対零度に近い冷徹な声が飛んでくる。
「相馬。お前、さっきから何回鳴らせば気が済むんだ? 俺の【戦術演算】が『騒音公害レベル:中』って判定を出してるぞ」
「……なあ、鷹宮」
俺――相馬 恒一は、チクチクする藁の束の上で寝返りを打ちながら、哲学的な問いを投げかけた。
「理論上、この音は俺の意志では制御不可能な生理現象だ。胃袋という名のブラックホールが、質量を求めて悲鳴を上げているんだよ。これは俺の魂の叫びであり、生命維持装置(ライフサポート)のアラートだ。むしろ、この音が止まることこそが『死』を意味すると思わないか?」
「思わない。ただの騒音だ。あと、そのアラートがうるさすぎて俺の生命維持(睡眠)が脅かされている」
「ひどいよねー。友達の空腹よりも自分の睡眠を優先するなんて。友情の危機だよねー」
「お前との友情より、今は静寂が欲しい」
俺の隣では、真壁 恒一がスマホの画面を顔の下で光らせていた。
下から青白い光に照らされたその顔は、怪談話の語り部か、あるいは呪われた日本人形のようにホラーだ。
「……なあ、これ録音してるからな」
「え、何? 俺の腹の音?」
「そう。『【ASMR】異世界の倉で男子高校生が空腹に悶える音~立体音響~』ってタイトルで保存した。これ、マニアにはたまらない需要があるかもしれない」
「異世界にそんなマニアックな需要はないし、あったとしてもスパチャは投げられないぞ」
「わからんぞ? 異世界の貴族とかが『オホホ、下民の飢える音は風流ですわね』とか言って金貨を投げてくれるかも」
「性格が悪すぎる貴族しかいないのか、この世界は」
倉の隅、一番風通しが悪そうな場所で体育座りをしている**霧島 恒一(ひとえ)**さんが、暗闇の中で眼鏡をキランと光らせた。光源がないはずなのに光る、それが彼女の眼鏡の神秘だ。
「……補足します。相馬くんの腹の音の周波数は、可聴域ギリギリの低周波を含んでいます。長時間聞き続けると、精神不安定、自律神経の乱れ、および吐き気を催す可能性があります。音響兵器としての運用が理論上可能です」
「俺の腹、兵器認定された!? ジュネーブ条約に違反しちゃう!?」
「事実です。鷹宮くんのストレス値が限界突破しています。現在、彼の殺意はおよそ85%」
「高っ! ほぼ殺す気じゃん!」
鷹宮が深いため息をついた。
「わかったら黙って寝ろ。体力温存だ。明日の朝には尋問があるんだぞ。頭をクリアにしておかないと、変なボロが出て処刑ルートだ」
「寝られないよねー。俺、枕が変わると寝られない繊細なタイプだし、そもそも枕がないし、床が硬いし、腹が減ったし、喉乾いたし、未来が暗いし」
「文句の多い死体だな! もう気絶しろ!」
「気絶か……理論上、脳への血流を一時的に遮断すれば……」
「自分で絞めろ!」
こうして、長く、寒く、そして騒がしい夜は、俺の腹の独奏会(ソロリサイタル)と共に更けていった。
◇
翌朝。
ガギッ、ギギギ……という重々しい金属音と共に、倉の扉が開かれた。
一気に射し込む強烈な朝日。
暗闇に慣れきった網膜が悲鳴を上げる。
「ぐわぁっ! 目が、目がぁぁぁ!」
「バルスかお前は」
俺たちは吸血鬼のように顔を覆いながら、よろよろと外へ出た。
新鮮な空気。土の匂い。
そして、俺たちを取り囲む、冷ややかな視線。
「……出てこい、不審者ども」
昨日の無愛想な衛兵(名前はまだない、というか一生ない気がする)が、槍の切っ先を突きつけてきた。
広場には、村長と数人の村人が待ち構えていた。
村人たちのひそひそ話が聞こえてくる。
「おい見ろよ、あの変な服」「髪型が変だ」「顔がアホそう(俺のことか?)」「魔物じゃないのか」「いや、ただの遭難者だろ」
アウェイだ。完全なるアウェイだ。
「……生存確認。全員、意識はあるな」
鷹宮がふらつきながら立ち上がる。目の下のクマが濃い。完全に寝不足だ。犯人は俺の腹だ。申し訳ないとは1ミリくらいしか思っていないが。
「さて、詳しい話を聞こうか」
村長が杖をつきながら、厳しい目で俺たちを見据えた。
白い髭を蓄えたその顔は、いかにも「異世界の長老」という威厳がある。だが、その目は疑心暗鬼に満ちていた。
「お前たちは何者だ。どこの国から来た。目的は何だ。正直に答えれば命までは取らん」
メインクエスト発生:『尋問を突破せよ』。
難易度:S(失敗即奴隷、または処刑)。
鷹宮が小声で俺の耳元に囁く。
「相馬、いいか、余計なこと言うなよ。絶対にだぞ。昨日の設定を守れ。『記憶喪失の迷子』だ。それ一点張りでいく」
「任せてよ。俺、小学校の学芸会で『木の役』を完璧に演じた演技派だからねー」
「不安要素しかない!」
俺は一歩前に出た。
そして、昨晩【無限思考】でシミュレーションした「最も好感度が高いと思われる笑顔(営業スマイル)」を村長に向けた。
「おはようございます、村長さん! いやー、昨日はよく眠れました! 藁(わら)って意外と保温性が高くて暖かいんですね! 驚きの発見でした! ところで朝ご飯の予定とか――」
ゴッ。
鈍い音が響いた。
鷹宮の鋭利な肘が、俺の脇腹(レバー)に深く、正確に突き刺さったのだ。
「ぐふっ!」
「申し訳ありません、村長殿。連れがまだ寝ぼけております」
鷹宮が即座にフォロー(という名の隠蔽工作)に入る。彼は俺の横腹を押さえつけながら、深々と頭を下げた。
「私たちは、気がついたらあの森に倒れておりまして……自分の名前以外の記憶が曖昧なのです。故郷の場所も、なぜこの服を着ているのかも思い出せず……混乱しているのです」
「ほう、記憶喪失か」
村長が疑わしそうに目を細める。
「都合の良い病だな。だが、その割には顔色が良すぎる。特にそこのアホ面の男、肌ツヤがいいぞ」
「俺のことだよねー! アホ面ってひどくない!? これは生まれつきの愛嬌顔だよねー!」
「事実だ。黙れ」
村長は次に、霧島さんを見た。
「娘、お前もか?」
霧島さんは表情を崩さず、しかしどこか虚ろな目を演出して答えた。
「……はい。断片的ですが、一般常識や言語知識は残っています。ですが、個人の経歴に関するメモリが物理破損……いえ、思い出せません。アクセス権限がありません」
「メモリ? アクセス? 何を言っておる?」
「あー、頭の中の引き出しのことです! 難しい言葉を使いたがる年頃なんです!」
真壁が横から口を挟む。
「俺は覚えてますよ。俺たちは『記録係』です」
「記録係?」
「ええ。世界のありのままを切り取る旅をしていて――このスマホという魔道具で――」
グシャッ。
鷹宮が真壁の足(新品のローファー)を全力で踏み抜いた。
「痛っ! なんだよ! キャラ設定くらい自由にさせろよ! 俺のクリエイティビティを殺す気か!」
「お前の自由が俺たちの命取りなんだよ! 黙ってろ!」
村長が深いため息をついた。
呆れている。完全に呆れている。
「……やれやれ。嘘をつくなら、もう少し口裏を合わせてから来い。演劇一座の三文芝居でも、もう少しマシだぞ」
バレてる。
完全にバレてるよねー。
俺たちの演技力、異世界じゃ通用しない説。
村長が衛兵に目配せをした。
「怪しいが、悪人には見えん。悪人にしては間抜けすぎる。ただの『世間知らずのバカ』の集団だ」
「バカ認定! 否定できないのが一番辛い!」
「とりあえず、村の畑仕事でも手伝わせるか。働かざる者食うべからずだ。素性はどうあれ、労働力にはなるじゃろう」
労働。
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内メーカーが「拒否」「怠惰」「睡眠」の文字で埋め尽くされた。
「えー、労働ですか? 俺、座って宇宙の真理について考える仕事(ニート)しかしたくないんですけど」
「お前ができるのは『座って腹を鳴らす仕事』だけだろ! 文句言わずに働け!」
その時だった。
コケコッコーーーーーッ!!!!!!
村の外、森の奥から、大気を震わせるような絶叫が響いた。
ニワトリの鳴き声だ。
ただし、音量がジェット機の離陸音並みだ。鼓膜がビリビリと震える。
「な、なんだ今の声!?」
村人たちがざわめき出す。
見張り台にいた衛兵が、顔色を変えて鐘を鳴らした。
「カンカンカンカン! 敵襲! 敵襲! 村長! 『アレ』です! 《グレート・コッカトリス》が出ました!」
「なんじゃと!? またか! この前追い払ったばかりじゃぞ!」
俺たちは顔を見合わせた。
「……グレート・コッカトリス?」
俺が首を傾げると、霧島さんが即座に反応した。眼鏡がサーチモードの光を放つ。
「鑑定。対象:魔獣《グレート・コッカトリス》。推定ランクB。体長4メートル強。石化の邪眼は持ちませんが、鋼鉄をも砕く強靭な脚力と、槍を通さない羽毛、そして凶悪なクチバシを持つ、巨大なニワトリ型の魔獣です」
「巨大なニワトリ……体長4メートル……」
その言葉が、俺の脳内でリフレインする。
巨大な。ニワトリ。
つまり。
「……巨大な、唐揚げ?」
俺の口から、滝のようなヨダレが出た。
思考が加速する。
4メートルのニワトリ。単純計算で、フライドチキン何個分だ? 一万個? いや、もっとか?
モモ肉一本で、俺の身長よりデカいのか?
「相馬、お前ブレないな! 今、完全に『食材』として見たろ!」
鷹宮が呆れるが、俺の【無限思考】はすでに「いかにして食べるか」にシフトしていた。
恐怖? ない。あるのは食欲のみ。
「村長! そのニワトリ、倒したら食べていいですか!?」
「は? 何を言って……今はそれどころでは! 全員避難だ! 畑が荒らされる! 家が壊される!」
ズドォォォォォン!
村の入り口の柵が、紙細工のように吹き飛んだ。
土煙の中から、巨大な影が侵入してくる。
デカい。
マジでデカい。俺の家の二階建てより高い。
真っ赤なトサカが王冠のように輝き、凶悪な鉤爪のついた足が地面をえぐる。
その瞳は、爬虫類のように冷たく、そして貪欲だ。
「コケーッ!」
一鳴きで、近くの物置小屋の屋根が吹き飛んだ。ソニックブームだ。
「うわ、マジでデカい! 怪獣映画かよ! 特撮セットじゃないよな!?」
真壁がスマホを構える。手は震えているが、しっかりと録画ボタンを押している。
「これ、特ダネだ! 『【衝撃映像】巨大ニワトリ、村を襲撃! 人類終了のお知らせ』で再生数ミリオン確定!」
「撮ってる場合か! 逃げるぞ!」
鷹宮が俺の腕を引く。
だが、俺は動かなかった。
足が竦んでいるのではない。釘付けなのだ。あの、プリプリとした太ももに。
「……逃げない」
「は? 死ぬぞ! あんなの勝てるわけないだろ!」
「逃げたら、朝飯が逃げる」
「お前の命より朝飯が大事なのか! 優先順位がバグってる!」
「理論上、空腹死と戦死なら、戦死の方が尊い。それに、ここで逃げたら一生『世間知らずのバカ』扱いだ。名誉挽回(と肉)のチャンスだよねー!」
「お前……!」
鷹宮が葛藤する顔をした。
逃げたいという本能と、俺を見捨てられないという良心(あるいは俺が死んだら困るという打算)が戦っている。
そして、クソッと吐き捨てる。
「わかったよ! やればいいんだろ! どうせ逃げても足の遅いお前から食われる! ただし勝算はあるのか!」
「ない!」
「即答かよ!」
俺は一歩前に出た。
【無限思考】、フルドライブ。
ターゲット:グレート・コッカトリス。
目的:解体、調理、実食。
「霧島さん、弱点は!」
「解析完了。全身の筋肉密度が高く、通常攻撃は通りません。唯一、首の下にある『肉垂(にくすい)』と呼ばれる赤い部分。そこだけ皮膚が薄く、動脈が通っています。そこが急所です」
「難易度高いな! あんな高いところ、どうやって狙うんだ!」
「しかも、動きが速く、的が小さい。命中率は鷹宮くんの腕でも5%未満です」
「詰んだ!」
「いや、詰んでない」
俺はニカっと笑った。
「動きが速いなら、止めればいい。的が小さいなら、隙を作ればいい。真壁、お前の出番だ」
「俺? 俺は戦力外だぞ。カメラマンだぞ」
「昨日保存した『うさぎ』のデータ、まだあるか?」
「あるけど……ニワトリにうさぎが効くか? 種族違うぞ」
「効く。鳥は動く小動物が好きだ。食欲を刺激しろ! あいつは今、腹が減ってる。俺たちと一緒だ!」
「なるほど! お前と同じ思考回路ってことだな! 『食いしん坊』には『飯テロ』が効く!」
「失礼な! でも正解!」
コッカトリスがこちらに気づいた。
巨大な瞳が、俺たちを「エサ」としてロックオンする。
殺気ではない。食欲の圧だ。
「来るぞ! 鷹宮、指示を!」
「チッ……やるしかねえか! 【戦術演算】起動! ルート構築! 相馬、お前が囮だ!」
「やっぱり!? なんで俺だけリスクが高いの!? リーダー(仮)だよねー!?」
「お前が一番『美味そう』に見えるからだ! 動きがトロくて、油断してて、高カロリーそうだ!」
「悪口のオンパレード! でも行く!」
背中を蹴飛ばされた。
俺は、巨大なニワトリの前に飛び出した。
風圧がすごい。生臭い息がかかる。
「やあ、ニワトリさん! こっちだよー! 高タンパク低脂肪、ストレスフリー育ちの相馬くんだよー! 噛みごたえあるよー!」
「コケッ?」
コッカトリスが首を傾げる。
「なんだこの弱そうな生き物は?」と思っているのがわかる。
そして、獲物を見つけた猛禽類の目で、襲いかかってきた。
「速っ!」
クチバシが槍のように突き出される。
俺は【無限思考】で計算された「無様だけどギリギリ当たらない回避ルート(通称:ゴキブリムーブ)」で地面を転がり回った。
「うわあああ! 土の味がする! 死ぬ! いや死なない!」
俺が泥だらけになりながら逃げ回ることで、コッカトリスの注意が完全に下に向いた。
今だ。
「真壁、展開しろ!」
「おう! 保存データ、フル展開! ――再生(プレイ)!」
真壁が両手を掲げる。
コッカトリスの目の前、顔の高さの空中に、大量の「うさぎの群れ」の幻影が出現した。
ぴょんぴょん跳ねる、数千匹のうさぎたち。
音と匂い付きの、最高のご馳走の幻影。
「コケ!? コココ!?」
コッカトリスが混乱する。
足元の俺(一匹)と、目の前のうさぎ(大量)。
質より量。奴の鳥頭(バードブレイン)が処理落ちを起こした。
動きが止まる。首が上を向く。
「今だ! 霧島さん!」
「はい。計算通りです」
霧島さんが、落ちていた手頃な石を拾い上げた。野球ボールくらいの石だ。
彼女の腕力は女子高生平均以下。ダメージは期待できない。
だが、彼女には【解析】がある。
「投擲(スローイング)。角度修正32度、風速補正マイナス2。コッカトリスの予測挙動データ入力完了。……必中」
ヒュン!
力のないフォームから放たれた石は、しかし吸い込まれるようにコッカトリスの「目」に当たった。
「コケーーーッ!!!」
視界を奪われ、コッカトリスがのけぞる。
痛みと驚きで、首が大きく上に反り返った。
その瞬間、首の下にある赤い「肉垂」が、無防備に露出する。
「鷹宮! トドメだ! 美味しいところ持ってけ!」
「人使いが荒いんだよ! 計算外の労働だ!」
鷹宮が衛兵から奪い取った鉄の槍を構え、走り出した。
瓦礫を足場にしてジャンプする。
普段は文系もやしっ子だが、今の彼の視界には「勝利への確定ルート」という名の光るラインが見えているはずだ。
「うおおおおッ! これで……今夜は焼き鳥だァァァッ!」
「動機が不純! でも同意!」
鷹宮の槍が、正確無比に急所を貫いた。
ズドン!
肉を裂き、骨を断つ感触。
「コ、コゲェェ……ッ!」
コッカトリスが断末魔を上げる。
巨体が揺れ、膝をつき、そしてゆっくりと――倒れた。
ズズズズズ……ドォォォォン!
地響きと共に、もうもうと土煙が舞う。
静寂。
俺は泥まみれで起き上がった。
「……やったか?」
「フラグを立てるな」
霧島さんが近づき、動かなくなった巨体の目を指で開いて確認した。
「……瞳孔散大。生体反応消失。完全沈黙。私たちの勝利です」
村人たちからの歓声が、爆発するように上がった。
「す、すげえ! あのコッカトリスを倒したぞ!」
「あいつら、何者だ!?」
「英雄だ! 救世主だ!」
村長が震える声で近づいてくる。
「お、お前たち……まさか、これほどの腕前とは……。見くびっておった。迷子など嘘じゃったな。高名な魔獣ハンターか何かか?」
俺は泥だらけの顔で、ニカっと笑った。
「いいってことですよ、村長さん! 困った時はお互い様だよねー! 僕たち、通りすがりの高校生なんで!」
「コウコウセイ……なんと偉大な響きじゃ……。何でも礼をしよう。金か? それとも名誉か? 村一番の美女を紹介しようか?」
俺と鷹宮と真壁は、顔を見合わせた。
そして、全員の腹が、示し合わせたように同時に鳴った。
ぐゥゥゥゥ――キュルルル――。
「「「肉をください」」」
ハモった。
完璧な三部合唱(ユニゾン)だった。
◇
数時間後。
俺たちは広場で、山盛りの唐揚げ(っぽいもの)を囲んでいた。
村人たちが総出で解体し、大鍋で揚げてくれたのだ。
部位はモモ肉、ムネ肉、手羽先、なんでもござれ。
「……うめぇ」
俺は泣きながら肉を頬張った。
熱々の肉汁が口の中に溢れる。
「なんだこれ。弾力が違う。噛めば噛むほど野性の味がする。これぞ命の味だよねー。生きててよかったー!」
「味付けが塩だけなのに、なんでこんなに美味いんだ……」
鷹宮も涙目だ。
「労働の後の飯が美味いって、こういうことか……」
「俺たち、労働っていうか、命のやり取りしたけどな。対価としては妥当すぎる」
真壁は片手で骨付き肉を持ち、もう片手で自撮りをしていた。
「『巨大チキン実食! 味は意外とあっさり!? コラーゲンたっぷり!』……よし、サムネ確保。電波繋がったら絶対バズる」
「お前、いつかモンスターに食われても『消化液なう』とか配信しそうだな」
霧島さんも、無言でもぐもぐと食べている。
リスみたいに頬を膨らませて、幸せそうだ。眼鏡が曇っている。
「……タンパク質、脂質、炭水化物。栄養バランスは偏っていますが、ドーパミンの分泌量が異常値を記録しています。幸福度は計測不能レベルです」
「霧島さん、それ『美味しい』ってことですよね。素直に言いましょうよ」
村長が、俺たちの食べっぷりを呆れた顔で見ている。
「まったく、変な連中じゃ……。底なしの胃袋を持っておる。だが、村を救ってくれたのは事実。しばらくここに置いてやろう」
「マジですか! やったー! 住居確保! 衣食住コンプリート!」
「ただし!」
村長が釘を刺す。
「ニートではないぞ。コッカトリスの解体はまだ終わっておらん。羽むしりと、余った肉の塩漬け作業を手伝え」
「え、羽むしり? あのでかいやつの?」
俺は、広場の端に積まれた、山のような羽毛を見た。
数万枚。いや、数十万枚あるかもしれない。
「……理論上、手作業だと一週間はかかるよねー?」
「計算する前に手を動かせ、バカ」
鷹宮に頭を叩かれながら、俺は笑った。
まあ、いいか。
とりあえず腹は膨れた。寝床も確保した。
そして何より、この肉は最高に美味い。
俺たちの異世界サバイバル。
壁はまだまだ高い。
言葉の壁。文化の壁。そしてこれから待ち受けるであろう、さらなる理不尽なトラブルの壁。
でも、まあ。
「おかわり!」
俺が皿を差し出すと、鷹宮も真壁も、そして霧島さんまでもが皿を差し出した。
理論上、食欲があるうちは、俺たちは無敵だ。
たぶん。きっと。
……さて、明日は何が食えるかな。
そこは、光という概念がストライキを起こしたかのような、完全なる漆黒の空間。
湿気と、古い藁(わら)の匂いと、埃っぽさが充満する閉鎖空間。
そう、俺たちが押し込められた村の「倉」である。
異世界転移二日目の夜――正確には未明。
俺たちの現状は、控えめに言っても最悪だった。
ステータス異常:『空腹』『疲労』『不眠』『閉所恐怖』。
そして何より――。
ぐゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――キュルルルルル――ゴゴゴゴゴ……。
静寂なる倉の中に、地獄の底から響く亡者の叫びのような、あるいは地殻変動の前触れのような重低音が木霊(こだま)した。
「……うるさい」
暗闇の向こう側、おそらく数メートル離れた位置から、鷹宮 恒一朗の絶対零度に近い冷徹な声が飛んでくる。
「相馬。お前、さっきから何回鳴らせば気が済むんだ? 俺の【戦術演算】が『騒音公害レベル:中』って判定を出してるぞ」
「……なあ、鷹宮」
俺――相馬 恒一は、チクチクする藁の束の上で寝返りを打ちながら、哲学的な問いを投げかけた。
「理論上、この音は俺の意志では制御不可能な生理現象だ。胃袋という名のブラックホールが、質量を求めて悲鳴を上げているんだよ。これは俺の魂の叫びであり、生命維持装置(ライフサポート)のアラートだ。むしろ、この音が止まることこそが『死』を意味すると思わないか?」
「思わない。ただの騒音だ。あと、そのアラートがうるさすぎて俺の生命維持(睡眠)が脅かされている」
「ひどいよねー。友達の空腹よりも自分の睡眠を優先するなんて。友情の危機だよねー」
「お前との友情より、今は静寂が欲しい」
俺の隣では、真壁 恒一がスマホの画面を顔の下で光らせていた。
下から青白い光に照らされたその顔は、怪談話の語り部か、あるいは呪われた日本人形のようにホラーだ。
「……なあ、これ録音してるからな」
「え、何? 俺の腹の音?」
「そう。『【ASMR】異世界の倉で男子高校生が空腹に悶える音~立体音響~』ってタイトルで保存した。これ、マニアにはたまらない需要があるかもしれない」
「異世界にそんなマニアックな需要はないし、あったとしてもスパチャは投げられないぞ」
「わからんぞ? 異世界の貴族とかが『オホホ、下民の飢える音は風流ですわね』とか言って金貨を投げてくれるかも」
「性格が悪すぎる貴族しかいないのか、この世界は」
倉の隅、一番風通しが悪そうな場所で体育座りをしている**霧島 恒一(ひとえ)**さんが、暗闇の中で眼鏡をキランと光らせた。光源がないはずなのに光る、それが彼女の眼鏡の神秘だ。
「……補足します。相馬くんの腹の音の周波数は、可聴域ギリギリの低周波を含んでいます。長時間聞き続けると、精神不安定、自律神経の乱れ、および吐き気を催す可能性があります。音響兵器としての運用が理論上可能です」
「俺の腹、兵器認定された!? ジュネーブ条約に違反しちゃう!?」
「事実です。鷹宮くんのストレス値が限界突破しています。現在、彼の殺意はおよそ85%」
「高っ! ほぼ殺す気じゃん!」
鷹宮が深いため息をついた。
「わかったら黙って寝ろ。体力温存だ。明日の朝には尋問があるんだぞ。頭をクリアにしておかないと、変なボロが出て処刑ルートだ」
「寝られないよねー。俺、枕が変わると寝られない繊細なタイプだし、そもそも枕がないし、床が硬いし、腹が減ったし、喉乾いたし、未来が暗いし」
「文句の多い死体だな! もう気絶しろ!」
「気絶か……理論上、脳への血流を一時的に遮断すれば……」
「自分で絞めろ!」
こうして、長く、寒く、そして騒がしい夜は、俺の腹の独奏会(ソロリサイタル)と共に更けていった。
◇
翌朝。
ガギッ、ギギギ……という重々しい金属音と共に、倉の扉が開かれた。
一気に射し込む強烈な朝日。
暗闇に慣れきった網膜が悲鳴を上げる。
「ぐわぁっ! 目が、目がぁぁぁ!」
「バルスかお前は」
俺たちは吸血鬼のように顔を覆いながら、よろよろと外へ出た。
新鮮な空気。土の匂い。
そして、俺たちを取り囲む、冷ややかな視線。
「……出てこい、不審者ども」
昨日の無愛想な衛兵(名前はまだない、というか一生ない気がする)が、槍の切っ先を突きつけてきた。
広場には、村長と数人の村人が待ち構えていた。
村人たちのひそひそ話が聞こえてくる。
「おい見ろよ、あの変な服」「髪型が変だ」「顔がアホそう(俺のことか?)」「魔物じゃないのか」「いや、ただの遭難者だろ」
アウェイだ。完全なるアウェイだ。
「……生存確認。全員、意識はあるな」
鷹宮がふらつきながら立ち上がる。目の下のクマが濃い。完全に寝不足だ。犯人は俺の腹だ。申し訳ないとは1ミリくらいしか思っていないが。
「さて、詳しい話を聞こうか」
村長が杖をつきながら、厳しい目で俺たちを見据えた。
白い髭を蓄えたその顔は、いかにも「異世界の長老」という威厳がある。だが、その目は疑心暗鬼に満ちていた。
「お前たちは何者だ。どこの国から来た。目的は何だ。正直に答えれば命までは取らん」
メインクエスト発生:『尋問を突破せよ』。
難易度:S(失敗即奴隷、または処刑)。
鷹宮が小声で俺の耳元に囁く。
「相馬、いいか、余計なこと言うなよ。絶対にだぞ。昨日の設定を守れ。『記憶喪失の迷子』だ。それ一点張りでいく」
「任せてよ。俺、小学校の学芸会で『木の役』を完璧に演じた演技派だからねー」
「不安要素しかない!」
俺は一歩前に出た。
そして、昨晩【無限思考】でシミュレーションした「最も好感度が高いと思われる笑顔(営業スマイル)」を村長に向けた。
「おはようございます、村長さん! いやー、昨日はよく眠れました! 藁(わら)って意外と保温性が高くて暖かいんですね! 驚きの発見でした! ところで朝ご飯の予定とか――」
ゴッ。
鈍い音が響いた。
鷹宮の鋭利な肘が、俺の脇腹(レバー)に深く、正確に突き刺さったのだ。
「ぐふっ!」
「申し訳ありません、村長殿。連れがまだ寝ぼけております」
鷹宮が即座にフォロー(という名の隠蔽工作)に入る。彼は俺の横腹を押さえつけながら、深々と頭を下げた。
「私たちは、気がついたらあの森に倒れておりまして……自分の名前以外の記憶が曖昧なのです。故郷の場所も、なぜこの服を着ているのかも思い出せず……混乱しているのです」
「ほう、記憶喪失か」
村長が疑わしそうに目を細める。
「都合の良い病だな。だが、その割には顔色が良すぎる。特にそこのアホ面の男、肌ツヤがいいぞ」
「俺のことだよねー! アホ面ってひどくない!? これは生まれつきの愛嬌顔だよねー!」
「事実だ。黙れ」
村長は次に、霧島さんを見た。
「娘、お前もか?」
霧島さんは表情を崩さず、しかしどこか虚ろな目を演出して答えた。
「……はい。断片的ですが、一般常識や言語知識は残っています。ですが、個人の経歴に関するメモリが物理破損……いえ、思い出せません。アクセス権限がありません」
「メモリ? アクセス? 何を言っておる?」
「あー、頭の中の引き出しのことです! 難しい言葉を使いたがる年頃なんです!」
真壁が横から口を挟む。
「俺は覚えてますよ。俺たちは『記録係』です」
「記録係?」
「ええ。世界のありのままを切り取る旅をしていて――このスマホという魔道具で――」
グシャッ。
鷹宮が真壁の足(新品のローファー)を全力で踏み抜いた。
「痛っ! なんだよ! キャラ設定くらい自由にさせろよ! 俺のクリエイティビティを殺す気か!」
「お前の自由が俺たちの命取りなんだよ! 黙ってろ!」
村長が深いため息をついた。
呆れている。完全に呆れている。
「……やれやれ。嘘をつくなら、もう少し口裏を合わせてから来い。演劇一座の三文芝居でも、もう少しマシだぞ」
バレてる。
完全にバレてるよねー。
俺たちの演技力、異世界じゃ通用しない説。
村長が衛兵に目配せをした。
「怪しいが、悪人には見えん。悪人にしては間抜けすぎる。ただの『世間知らずのバカ』の集団だ」
「バカ認定! 否定できないのが一番辛い!」
「とりあえず、村の畑仕事でも手伝わせるか。働かざる者食うべからずだ。素性はどうあれ、労働力にはなるじゃろう」
労働。
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内メーカーが「拒否」「怠惰」「睡眠」の文字で埋め尽くされた。
「えー、労働ですか? 俺、座って宇宙の真理について考える仕事(ニート)しかしたくないんですけど」
「お前ができるのは『座って腹を鳴らす仕事』だけだろ! 文句言わずに働け!」
その時だった。
コケコッコーーーーーッ!!!!!!
村の外、森の奥から、大気を震わせるような絶叫が響いた。
ニワトリの鳴き声だ。
ただし、音量がジェット機の離陸音並みだ。鼓膜がビリビリと震える。
「な、なんだ今の声!?」
村人たちがざわめき出す。
見張り台にいた衛兵が、顔色を変えて鐘を鳴らした。
「カンカンカンカン! 敵襲! 敵襲! 村長! 『アレ』です! 《グレート・コッカトリス》が出ました!」
「なんじゃと!? またか! この前追い払ったばかりじゃぞ!」
俺たちは顔を見合わせた。
「……グレート・コッカトリス?」
俺が首を傾げると、霧島さんが即座に反応した。眼鏡がサーチモードの光を放つ。
「鑑定。対象:魔獣《グレート・コッカトリス》。推定ランクB。体長4メートル強。石化の邪眼は持ちませんが、鋼鉄をも砕く強靭な脚力と、槍を通さない羽毛、そして凶悪なクチバシを持つ、巨大なニワトリ型の魔獣です」
「巨大なニワトリ……体長4メートル……」
その言葉が、俺の脳内でリフレインする。
巨大な。ニワトリ。
つまり。
「……巨大な、唐揚げ?」
俺の口から、滝のようなヨダレが出た。
思考が加速する。
4メートルのニワトリ。単純計算で、フライドチキン何個分だ? 一万個? いや、もっとか?
モモ肉一本で、俺の身長よりデカいのか?
「相馬、お前ブレないな! 今、完全に『食材』として見たろ!」
鷹宮が呆れるが、俺の【無限思考】はすでに「いかにして食べるか」にシフトしていた。
恐怖? ない。あるのは食欲のみ。
「村長! そのニワトリ、倒したら食べていいですか!?」
「は? 何を言って……今はそれどころでは! 全員避難だ! 畑が荒らされる! 家が壊される!」
ズドォォォォォン!
村の入り口の柵が、紙細工のように吹き飛んだ。
土煙の中から、巨大な影が侵入してくる。
デカい。
マジでデカい。俺の家の二階建てより高い。
真っ赤なトサカが王冠のように輝き、凶悪な鉤爪のついた足が地面をえぐる。
その瞳は、爬虫類のように冷たく、そして貪欲だ。
「コケーッ!」
一鳴きで、近くの物置小屋の屋根が吹き飛んだ。ソニックブームだ。
「うわ、マジでデカい! 怪獣映画かよ! 特撮セットじゃないよな!?」
真壁がスマホを構える。手は震えているが、しっかりと録画ボタンを押している。
「これ、特ダネだ! 『【衝撃映像】巨大ニワトリ、村を襲撃! 人類終了のお知らせ』で再生数ミリオン確定!」
「撮ってる場合か! 逃げるぞ!」
鷹宮が俺の腕を引く。
だが、俺は動かなかった。
足が竦んでいるのではない。釘付けなのだ。あの、プリプリとした太ももに。
「……逃げない」
「は? 死ぬぞ! あんなの勝てるわけないだろ!」
「逃げたら、朝飯が逃げる」
「お前の命より朝飯が大事なのか! 優先順位がバグってる!」
「理論上、空腹死と戦死なら、戦死の方が尊い。それに、ここで逃げたら一生『世間知らずのバカ』扱いだ。名誉挽回(と肉)のチャンスだよねー!」
「お前……!」
鷹宮が葛藤する顔をした。
逃げたいという本能と、俺を見捨てられないという良心(あるいは俺が死んだら困るという打算)が戦っている。
そして、クソッと吐き捨てる。
「わかったよ! やればいいんだろ! どうせ逃げても足の遅いお前から食われる! ただし勝算はあるのか!」
「ない!」
「即答かよ!」
俺は一歩前に出た。
【無限思考】、フルドライブ。
ターゲット:グレート・コッカトリス。
目的:解体、調理、実食。
「霧島さん、弱点は!」
「解析完了。全身の筋肉密度が高く、通常攻撃は通りません。唯一、首の下にある『肉垂(にくすい)』と呼ばれる赤い部分。そこだけ皮膚が薄く、動脈が通っています。そこが急所です」
「難易度高いな! あんな高いところ、どうやって狙うんだ!」
「しかも、動きが速く、的が小さい。命中率は鷹宮くんの腕でも5%未満です」
「詰んだ!」
「いや、詰んでない」
俺はニカっと笑った。
「動きが速いなら、止めればいい。的が小さいなら、隙を作ればいい。真壁、お前の出番だ」
「俺? 俺は戦力外だぞ。カメラマンだぞ」
「昨日保存した『うさぎ』のデータ、まだあるか?」
「あるけど……ニワトリにうさぎが効くか? 種族違うぞ」
「効く。鳥は動く小動物が好きだ。食欲を刺激しろ! あいつは今、腹が減ってる。俺たちと一緒だ!」
「なるほど! お前と同じ思考回路ってことだな! 『食いしん坊』には『飯テロ』が効く!」
「失礼な! でも正解!」
コッカトリスがこちらに気づいた。
巨大な瞳が、俺たちを「エサ」としてロックオンする。
殺気ではない。食欲の圧だ。
「来るぞ! 鷹宮、指示を!」
「チッ……やるしかねえか! 【戦術演算】起動! ルート構築! 相馬、お前が囮だ!」
「やっぱり!? なんで俺だけリスクが高いの!? リーダー(仮)だよねー!?」
「お前が一番『美味そう』に見えるからだ! 動きがトロくて、油断してて、高カロリーそうだ!」
「悪口のオンパレード! でも行く!」
背中を蹴飛ばされた。
俺は、巨大なニワトリの前に飛び出した。
風圧がすごい。生臭い息がかかる。
「やあ、ニワトリさん! こっちだよー! 高タンパク低脂肪、ストレスフリー育ちの相馬くんだよー! 噛みごたえあるよー!」
「コケッ?」
コッカトリスが首を傾げる。
「なんだこの弱そうな生き物は?」と思っているのがわかる。
そして、獲物を見つけた猛禽類の目で、襲いかかってきた。
「速っ!」
クチバシが槍のように突き出される。
俺は【無限思考】で計算された「無様だけどギリギリ当たらない回避ルート(通称:ゴキブリムーブ)」で地面を転がり回った。
「うわあああ! 土の味がする! 死ぬ! いや死なない!」
俺が泥だらけになりながら逃げ回ることで、コッカトリスの注意が完全に下に向いた。
今だ。
「真壁、展開しろ!」
「おう! 保存データ、フル展開! ――再生(プレイ)!」
真壁が両手を掲げる。
コッカトリスの目の前、顔の高さの空中に、大量の「うさぎの群れ」の幻影が出現した。
ぴょんぴょん跳ねる、数千匹のうさぎたち。
音と匂い付きの、最高のご馳走の幻影。
「コケ!? コココ!?」
コッカトリスが混乱する。
足元の俺(一匹)と、目の前のうさぎ(大量)。
質より量。奴の鳥頭(バードブレイン)が処理落ちを起こした。
動きが止まる。首が上を向く。
「今だ! 霧島さん!」
「はい。計算通りです」
霧島さんが、落ちていた手頃な石を拾い上げた。野球ボールくらいの石だ。
彼女の腕力は女子高生平均以下。ダメージは期待できない。
だが、彼女には【解析】がある。
「投擲(スローイング)。角度修正32度、風速補正マイナス2。コッカトリスの予測挙動データ入力完了。……必中」
ヒュン!
力のないフォームから放たれた石は、しかし吸い込まれるようにコッカトリスの「目」に当たった。
「コケーーーッ!!!」
視界を奪われ、コッカトリスがのけぞる。
痛みと驚きで、首が大きく上に反り返った。
その瞬間、首の下にある赤い「肉垂」が、無防備に露出する。
「鷹宮! トドメだ! 美味しいところ持ってけ!」
「人使いが荒いんだよ! 計算外の労働だ!」
鷹宮が衛兵から奪い取った鉄の槍を構え、走り出した。
瓦礫を足場にしてジャンプする。
普段は文系もやしっ子だが、今の彼の視界には「勝利への確定ルート」という名の光るラインが見えているはずだ。
「うおおおおッ! これで……今夜は焼き鳥だァァァッ!」
「動機が不純! でも同意!」
鷹宮の槍が、正確無比に急所を貫いた。
ズドン!
肉を裂き、骨を断つ感触。
「コ、コゲェェ……ッ!」
コッカトリスが断末魔を上げる。
巨体が揺れ、膝をつき、そしてゆっくりと――倒れた。
ズズズズズ……ドォォォォン!
地響きと共に、もうもうと土煙が舞う。
静寂。
俺は泥まみれで起き上がった。
「……やったか?」
「フラグを立てるな」
霧島さんが近づき、動かなくなった巨体の目を指で開いて確認した。
「……瞳孔散大。生体反応消失。完全沈黙。私たちの勝利です」
村人たちからの歓声が、爆発するように上がった。
「す、すげえ! あのコッカトリスを倒したぞ!」
「あいつら、何者だ!?」
「英雄だ! 救世主だ!」
村長が震える声で近づいてくる。
「お、お前たち……まさか、これほどの腕前とは……。見くびっておった。迷子など嘘じゃったな。高名な魔獣ハンターか何かか?」
俺は泥だらけの顔で、ニカっと笑った。
「いいってことですよ、村長さん! 困った時はお互い様だよねー! 僕たち、通りすがりの高校生なんで!」
「コウコウセイ……なんと偉大な響きじゃ……。何でも礼をしよう。金か? それとも名誉か? 村一番の美女を紹介しようか?」
俺と鷹宮と真壁は、顔を見合わせた。
そして、全員の腹が、示し合わせたように同時に鳴った。
ぐゥゥゥゥ――キュルルル――。
「「「肉をください」」」
ハモった。
完璧な三部合唱(ユニゾン)だった。
◇
数時間後。
俺たちは広場で、山盛りの唐揚げ(っぽいもの)を囲んでいた。
村人たちが総出で解体し、大鍋で揚げてくれたのだ。
部位はモモ肉、ムネ肉、手羽先、なんでもござれ。
「……うめぇ」
俺は泣きながら肉を頬張った。
熱々の肉汁が口の中に溢れる。
「なんだこれ。弾力が違う。噛めば噛むほど野性の味がする。これぞ命の味だよねー。生きててよかったー!」
「味付けが塩だけなのに、なんでこんなに美味いんだ……」
鷹宮も涙目だ。
「労働の後の飯が美味いって、こういうことか……」
「俺たち、労働っていうか、命のやり取りしたけどな。対価としては妥当すぎる」
真壁は片手で骨付き肉を持ち、もう片手で自撮りをしていた。
「『巨大チキン実食! 味は意外とあっさり!? コラーゲンたっぷり!』……よし、サムネ確保。電波繋がったら絶対バズる」
「お前、いつかモンスターに食われても『消化液なう』とか配信しそうだな」
霧島さんも、無言でもぐもぐと食べている。
リスみたいに頬を膨らませて、幸せそうだ。眼鏡が曇っている。
「……タンパク質、脂質、炭水化物。栄養バランスは偏っていますが、ドーパミンの分泌量が異常値を記録しています。幸福度は計測不能レベルです」
「霧島さん、それ『美味しい』ってことですよね。素直に言いましょうよ」
村長が、俺たちの食べっぷりを呆れた顔で見ている。
「まったく、変な連中じゃ……。底なしの胃袋を持っておる。だが、村を救ってくれたのは事実。しばらくここに置いてやろう」
「マジですか! やったー! 住居確保! 衣食住コンプリート!」
「ただし!」
村長が釘を刺す。
「ニートではないぞ。コッカトリスの解体はまだ終わっておらん。羽むしりと、余った肉の塩漬け作業を手伝え」
「え、羽むしり? あのでかいやつの?」
俺は、広場の端に積まれた、山のような羽毛を見た。
数万枚。いや、数十万枚あるかもしれない。
「……理論上、手作業だと一週間はかかるよねー?」
「計算する前に手を動かせ、バカ」
鷹宮に頭を叩かれながら、俺は笑った。
まあ、いいか。
とりあえず腹は膨れた。寝床も確保した。
そして何より、この肉は最高に美味い。
俺たちの異世界サバイバル。
壁はまだまだ高い。
言葉の壁。文化の壁。そしてこれから待ち受けるであろう、さらなる理不尽なトラブルの壁。
でも、まあ。
「おかわり!」
俺が皿を差し出すと、鷹宮も真壁も、そして霧島さんまでもが皿を差し出した。
理論上、食欲があるうちは、俺たちは無敵だ。
たぶん。きっと。
……さて、明日は何が食えるかな。
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