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1章
1-3 初めての夜は歌とともにいだかれて
しおりを挟む式を終えたリリアナは、静かに初夜の準備を整えていた。
面倒見の良さそうな侍女のソフィは、繊細なブロンドにブラシを通す。
「陛下のお母様も、それはお綺麗でしたけどね。王妃様はそれ以上かもしれません」
オスカー王は幼い頃に母親を亡くしたと聞いている。リリアナは不謹慎ながら、共通点を見つけたような気持ちになった。
「あの、オスカー様は一体どのような方なのですか」
ソフィはびくっと肩を震わせて、ブラシを落とした。
「あ、の……オスカー様は……少し。少し感情が表に出にくいだけなんです。それだけですわ」
(嘘だわ……)
リリアナは、カンタレア国でのオスカーの噂を思い出す。
氷冠の王、無慈悲、残忍――他にもあったが、どれも王の冷たさを表すものばかりだった。
具体的には、王に逆らうものは即処分。
美しい側室にも一切心を動かさずに、名前も呼ばず女性を物として扱う。彼に心を壊された妃たちは数知れず――
そして、そのオスカー自身は泣きも笑いもせず、氷の仮面をかぶったように、全く表情が読めないというものだった。
誇張もあるだろうが、今のソフィの様子と、結婚式の彼の態度からも、オスカーは少なくとも"わかりやすく優しい人"ではなさそうだ。
リリアナは力なくほほ笑んだ。
どんなに美しく着飾ったところで、王が自分をどう扱うかは想像できる。
噂が本当なら乱暴に抱かれるか、放置されるか。
もしかしたら、寝室に姿を見せないかも知れない。
「さぁ、お時間ですよ。きっと、うまく行きます」
ソフィははげますと、部屋を出て行ってしまった。
一人、ベッドに腰掛ける。
室内には、時計の音と自分の呼吸だけが聞こえる。
王は本当に来るのだろうか。
寂しさを紛らわすように、リリアナは歌う。
静かに、夜に溶けるように――
バタンッ
はっと顔を上げると、乱暴に開いたドアの前にオスカーが立っていた。
リリアナはすぐにベッドから立ち上がり、お辞儀をした。
(来てくださった……)
そのことに、ほっとしている自分がいた。
「いつまで、そうしている」
氷の刃で喉元をなぞられるような声だった。
背筋がぞくりと粟立つ。
——違う。
安心している場合ではない。
ここは寝室で、相手は“冷酷王”。
自分は今から、彼の気まぐれな慰みものにされるのかもしれなかった。
足音が近づくたび、身体が言うことをきかなくなり、リリアナは一歩も動けずにいた。
(あ――)
シトラスの香りが、間近で弾ける。
次の瞬間、不意に視界が反転し、背中に柔らかな感触が伝わった。
気づいたときには、ベッドに押し倒されていた。
初めて、まじまじと彼の顔を見た。
陶器のような肌。肩にかかる、美しい黒髪。
そして、吸い込まれそうな瞳――
魔力の国エルジアの王は、人間というより、人形と呼ぶほうがふさわしい。
そこには、血の通った温度が感じられなかった。
遅れて、リリアナは自分の身体が小刻みに震えていることに気づいた。
——来る。
そう思った瞬間、心臓が嫌な音を立てて跳ね上がる。
(怖い……)
目を強く閉じた、そのとき。
掴まれていた腕から、ふっと力が抜けた。
(——え?)
そっとまぶたを開けると、オスカーと視線が絡む。彼のスチールグレーの瞳が、一瞬だけ揺らいだように見えた。
「……体裁のためだ。誤解するな」
それだけ告げると、オスカーは背を向け、ソファーに仰向けにもたれた。
リリアナはうるさい鼓動を感じながら、ベッドから立ち上がった。まだ身体が震えている。
(体裁のため……)
分かってはいたが、はっきり言われ傷ついた。
初夜に王妃の部屋に行かなかったことを、周りにとやかく言わせないため。そのためだけにオスカーはここへ来たのだ。
(でも、それなら……どうして、結婚式で“誓いの言葉”まで省いたの……)
胸の奥が痛んだ。
周囲から向けられた、あの視線。くすくすと忍ばせた嘲笑。哀れみと好奇心が混じった、無数の目。
——王にすら愛されない王妃。
あの場にいた誰もが、そう思ったはずだ。
オスカーの一言は、不要な憶測を生み、そしてそれを否定する言葉も、与えられなかった。
それともオスカーは、愛の言葉を口にすること自体が、——たとえ儀式であっても耐え難いのだろうか。
そこまで拒絶されているのだろうか。
(……私は、いつもそうだ)
スキル名がないから。
価値がないから。
役に立たないから。
何ひとつ選ばれず、何ひとつ守られない。
オスカーは、ソファーで目を閉じたまま言った。
「一晩中そこに立っているのか」
そう言われても、王を差し置いてベッドで眠る王妃はいない。
リリアナは仕方なく、ソファーから対角線上にある椅子に腰掛けた。
オスカーは寝ているのか。ここからではよく見えなかった。
視線を戻した左手の薬指には、シンプルな結婚指輪がはまっている。
少し大きいそれを、指でくるくると回すと、愛の証は光を受けてきらめいた。
(本当に……結婚したんだ)
抱擁もキスも、初夜もない――
「うるさい」
急に彼の声がして、リリアナは はっ、と手で口を押さえた。
気づかぬ間に歌を口ずさんでいたようだ。
「申し訳ございません……」
再び部屋に静寂が満ちる。
もうオスカーから返事はないと思った時、
「……俺が来る前も、歌っていたな」
聞こえていたのか。
リリアナは小さな声で「はい」と答えたが、今度こそオスカーから返事はなかった。
明日は成婚パレードがある。
オスカーのことだけでなく、それを思うとリリアナは落ち着かなかった。
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