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三章 後宮編
3-18 手当
しおりを挟む「翠蓮――」
倒れた翠蓮の名を口にし、真っ先に駆け寄ったのは、意外にも炎辰だった。
蒼瑛は皇后を疑い、彼女の表情を盗み見るが、涙が頬を伝うだけで他には何も読み取れない。
炎辰は翠蓮の状態を確認すると、短く言葉を発する。
「毒だな」
その言葉に場は騒然とする。周りの妃たちは青ざめ、悲鳴が聞こえる。
炎辰はわずかに上ずった声で、宦官へ指示をした。
「御医《ぎょい》を呼んでこい」
御医は本来皇族に仕える官医だ。
それを歌人に呼ぶというのは、炎辰はよほど焦っているのだろうか。
蒼瑛は一歩遅れ、翠蓮の横に片膝を着く。脈を取る自分の手が震えていた。
(確かに……手足に痺れがあるな)
いつか書物で読んだ毒の中に、思い当たるものがある。蒼瑛は声を絞り出した。
「水と……毛布を持ってきてくれ」
呼吸を楽にしようと、帯に手をかける。
(いや、冷静になれ……)
ここでは皇后や周りの目が、常に蒼瑛を監視している。
翠蓮が自分を遠ざけた覚悟を踏み越えるわけにはいかない。
「迷っている場合か」
炎辰が、蒼瑛の手を払いのけるように帯を緩め、襟元を開く。つと、動きを止めた。
遅れて蒼瑛の目に飛び込んで来たのは、揺れる蒼い石の首飾り――
その石がなんであるかを知るのは、二人の皇子だけだった。
「蒼瑛殿下! 水と毛布をお持ちしました!」
声に応じ、蒼瑛は毛布で翠蓮をくるみ水を飲ませる。
焦りから嫌な汗が額に滲む。
翠蓮が小さく唇を動かし、かすかな声を漏らす。
「ん……」
蒼瑛は咄嗟に手を取る。
「翠蓮、話さなくて良い……苦しいだろうが、もう少しだ」
握った手は力なく、驚くほど冷たい。
呼吸が弱々しくなっているように感じる。
(このままでは……)
「御医はまだか!!」
翠蓮を永遠に失うかもしれない――蒼瑛は恐怖から思わず叫んでいた。
御花園の後方から駆ける足音が聞こえ、周囲の緊張がわずかに解ける。
「いらっしゃいました!!」
御医はさっと翠蓮のもとに駆け寄る。
「蒼瑛殿下、状況は?」
「遅効性の毒だ。すぐに処置を頼む」
その言葉を受け、御医は素早く器具を広げる。蒼瑛はそっと翠蓮から手を離した。
どれくらい時が経っただろうか。その場にいる者には永遠とも思える時間だった。
「ひとまず応急処置は済みましたが……」
御医の言葉尻は暗い。
そのまま内医局に運び込まれた翠蓮は、待ち構えていた太医と助手に引き渡された。
扉の前では、付き添った蒼瑛が深刻な表情で立っている。
引継ぎを終え、処置室を出た御医が口を開いた。
「……歌唱で声を張ったことが、毒の巡りを早めています。本人も歌唱前に、身体の異変に気づいていたでしょうに…」
「助かるのか?」
「この毒は夜半にもっとも気を乱します。彼女は線が細いのでなんとも……」
良くない状態であることがひしひしと伝わってくる。蒼瑛は御医に頭を下げる。
「御医、突然の対応礼を言う。もう十分だ。皇族以外を診たとなれば、後で問題になる可能性もある」
御医は一瞬驚いた顔をしたが、承知の上だというように頷いた。
「命を預かったのですから、今宵は殿下にお仕えしましょう」
「すまない……」
御医は処置室に戻って行った。
一人になった廊下で蒼瑛は腰を下ろす。
(舞台で彼女がふらついたように見えた時に、止めるべきだった)
自責の念が絶え間なく湧いてくる。
「命より、尊重すべき覚悟など……どこにもないと言うのに――」
頭を抱え、ぼんやりと扉を見つめる。
静まり返った内医局の薄暗い廊下は、これからの長い夜を示すようだった。
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