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百章 パラレルワールド
4-19 訊きたかった
しおりを挟む炎辰は、残り僅かな意識が自分の手から離れるのを感じていた。
勝手なのは承知の上だが、これで終われると思うとどこかほっとしている自分がいる。
歌が聞こえる。
狂おしいほど欲しくて仕方なかった声――
声が弱々しく震えている。
あまりにも悲しそうで、どうにかしてやりたくなる。
"何を今さら"と別の自分の声が聞こえる。
"彼女を苦しめているのはお前だろう"
一方、歌声は張り裂けんばかりに炎辰の心を揺さぶる。
このまま眠ることは赦してくれなさそうだった。
――炎辰がぼんやり開けた目に飛び込んで来たのは翠蓮だった。
泣いていたのだろうか。真っ赤になった目、血と涙の跡でぐしょぐしょになった顔は、炎辰を見ると声ならぬ声をあげる。
「……よかっ……た」
翠蓮は震えながら炎辰の手を掴んでいたが、堪えていたものが決壊したようにわっと泣き出した。
手を離さぬまま泣き、炎辰の手で自分の涙を拭くようになっていた。
ぼろぼろととめどなく溢れてくる涙を見てどこか他人事のように、きれいだな、と思った。
一体どれほど辛い思いをさせてきたのか。
後悔、懺悔、贖罪どんな言葉をもっても足りない。そう思いながらもようやく出た言葉は、
「悪かった」
たったそれだけだった。
それを聞くと翠蓮は大きく首を横に振り、ますます酷く泣き始める。
自分に翠蓮を慰める資格はない。ゆっくり視線を巡らすと、今度は劉剣と目が合う。
いつも通り、に見えた。
目で訴えると劉剣は肩をすくめる。自分で始末をつけろ、と言うことらしい。
それはもっともだが、炎辰は翠蓮を見ていられず今度は口に出して彼に頼んだ。
「おい、どうにかしてくれ」
「どうにかって……俺も泣いてる女の子は苦手なんだよ。
お前が泣かせてるんだろう」
憎まれ口を聞くが、その顔は安堵に満ちている。
劉剣にも心配をかけた。
「すまなかった。独断で……」
炎辰の声がわずかに揺れたのを聞き、軍医が厳しく言う。
「あまり興奮させないでください――」
翠蓮はばっと軍医に向く。
縋るように瞳が揺れている。
「まだ危ないのですか」
「いえ、命に別状はありません。静かに会話するのは構いません」
それを聞いて、翠蓮はやっと安心したようだった。
不覚にも、彼女が自分をこんなに心配してくれることに心が動く。
(俺も大概だな)
一体自分は何がしたかったのか。
ふと、思い出す。
「肩の傷はどうした」
翠蓮がぴくっと反応する。
代わりに軍医が答えた。
「これから消毒ですよ。薬を貼り替えます」
劉剣がおもむろに立ち上がる。
「じゃ、俺は出てるわ」
劉剣が出ていくと、翠蓮はちらっと炎辰に目を向けた。
炎辰はようやくその意味に気付く。
しかし出ていこうにも、まだ身体が動かない。
翠蓮は、炎辰の視線逃れるように隅の方で背を向けた。
軍医が壁になるような形で処置を行う。
炎辰は顔を背け、目を閉じた。
衣擦れの音が聞こえる。劉剣が余計な気を回したせいでかえって意識してしまう。
しばらくすると翠蓮の悲鳴が聞こえてきた。
「いたいいたいいたい! 痛いです!」
「もう終わりますから」
炎辰は笑いを噛み殺す。
今まで彼女の我慢強いところしか見ていなかった。痛みを素直に口に出せるというのは健全だ。
翠蓮は左肩を押さえながら隣に戻ってくる。軍医は長老たちを呼びに出て行ってしまった。
二人きり――
何を言えばいいか分からない。
今さら言い訳も見苦しい。かと言ってこの正体不明の気持ちを認めることは出来ない。
先に翠蓮が口を開いた。
「あの……
守ってくださってありがとうございました」
「いや……」
再び沈黙。
どんなに見苦しくても、言うなら今なのではないか――
「翠蓮、俺は……」
翠蓮は続きを手で制した。その顔は分かりやすく怒っていた。
「聞きたくありません。私、赦すつもりはありません」
当然だった。赦されると思うほうがどうかしている。だが、続く言葉は意外なものだった。
「……ずるいです」
「は?」
「一人で逝こうとしましたよね? 自分だけ、俺はわかってるみたいな態度で――」
なんの話なのか。
今度は炎辰が話を遮る。
「いや、俺が言ってるのはその……」
「あぁ、今までの策略のことですか? 不正受験から始まって毒殺未遂まで、ですよね」
「…………」
「もうそれはいいです。
いえ、赦しはしませんけど……」
翠蓮はふいと視線を逸らす。火鉢に炭を山盛り焚べている。
「……肩、痛かったんです。少し切られただけなのに……」
入るすき間のない炭をぐいぐい押し込み、翠蓮は炎辰の矢の傷跡を見て眉を寄せる。
「……だから、もういいです」
拗ねたような声だった。
「それに……毒殺未遂はあなたじゃありませんよね?」
炎辰は言葉が出てこなかった。
やっと問いを返す。
「どうして……そう思う」
翠蓮は天を仰ぎ見る。
「……勘です」
「……性格変わってないか?」
「元々です」
確かに、そうかもしれない。
自分が彼女と話したのなんてほんの数回だ。それも、威圧的に支配しようと近づいた。
そのせいで炎辰が見る翠蓮は、いつも怯えているか感情を隠していた。
一次試験で、泥に塗れながら宮女たちに食ってかかっていた姿が思い出される。
炎辰はふっと口元が緩んだ。
「確かに、初めから負けん気は強かったな」
翠蓮はじっと炎辰の目を見つめる。なぜかこちらが逸らしかける。
「私は初め……優しい人だと思いましたけど」
照れたような小さな声だった。
炎辰は目を閉じた。
「見る目がないな」
自分で驚くほど穏やかな声だった。
いつからこんな想いでいたのかは分からない。今思えば、揺りかごの歌が危険信号だったのか。いや、もっと前からなのだろうか――
「翠蓮、いつか後宮で俺が言ったことを覚えているか?」
「……はい」
彼女の目に警戒心が宿る。弟を裏切り自分につけといったあの日――
今炎辰は、まったく違うことを口にしようとしていた。
「俺と――」
劉剣が勢いよく扉を開けて入ってくる。
二人を交互に見ると彼は頭を掻いた。
「あ……悪ぃ……」
もう一度出ていこうとする劉剣を、炎辰は慌てて引き止めた。
「もう手当は終わっている。ここにいろ」
劉剣はそんな炎辰をにやにや見ながら腰を下ろした。
――――――――――――――――
あとがき
お約束ですねー、劉剣よ……。
にしても今読み返すと、翠蓮って、炎辰といるときのほうが、蒼瑛といるときより自然体なのではと見えますね🤔
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