空想落下症

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神崎蓮の友だちはおかしい

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 木許優と矢野ひなたの関係性は、一般的に見ておかしい。
 それは彼らの友人を自負する神崎蓮も認めるところであった。それでも友人としてあり続けるのには、蓮なりの理由があったのだが。

「こんな時間に呼び出すとか……いよいよ頭おかしいからね?」
「悪いな、蓮」

 謝罪の言葉を軽く口にする優と蓮が向き合っているのは、真っ暗な公園だ。
 優のとなりにひなたがいるのは、蓮にとってはいつものことなので気にもならないが。

 問題は現在の時刻。
 深夜を超えたころに優からメールが届いたことには気が付いていた。
 眠りについてすぐだったため、蓮は明日確認しよう、と開きもせずに布団にもぐりこむ。

 けれどそのあと数分おきにメールが届き、極めつけには電話までかかって来れば、いらいらの募った蓮が電話口に怒鳴りつけても仕方がないだろう。
 怒鳴りつけ、けれど返ってきた優の言葉に、落ち合う場所を指定したのは優だった。

 木許家と神崎家の中間にある、ちいさな公園。
 遊具は鉄棒と滑り台だけの質素な公園に、深夜一時に集まる人など、蓮たち以外にはいない。

 呼び出されてすぐ、飛び起きた蓮が公園へ向かうと、優とひなたがすでに暗い公園のなか、鉄棒にもたれて待っていた。
 息を切らして駆けこんだ蓮がふたりを非難するのも当然ながら、呼び出した側の優が謝罪をするのも当然だ。

 ようやく息を整えた蓮は、優とひなたの足元にそろって大きな荷物が置かれているのを見てとって、ため息をついた。

「まあでも、何も言わずに行かなかったこと、褒めてあげる」
「家出するって言って、褒められるとはな」

 軽口をたたく優をじろりとにらみ、蓮は取り急ぎ詰めてきたあれやこれやをふたりの手に押し付ける。

 いざというときに包まれるようアルミ防寒シート。肌寒い夜を超すためのホッカイロ。
 どこかで誰かを頼らなければならなくなったときのために、離れて暮らす蓮の父親の連絡先を書いたメモも押し込んだ。

 断られる前にあれこれと渡すなか、現金の詰まった封筒もこっそり紛れ込ませておいたのは、それが蓮にできる精一杯だから。

「僕はいつか君たちが二人きりの世界に行くと思ってたからね。だからむしろ意外だったんだ」
「意外って」

 大きな荷物のすき間を探して押し込みながら言えば、優が苦笑した。
 けれど蓮は笑うことなく答える。

「君たち、いや。優なら、矢野の空想世界にふたりで行こうとすると思ってたから」

 蓮の言葉に、ひなたが驚いたように優を見た。視線を向けられた優は、いたずらがバレたように苦笑する。

 その態度が、蓮の言葉への返事になっていた。

「蓮ってほんとうに、ひとに興味がないみたいなのによく見てるよな。なんでそう思ったんだ?」
「わかるよ。だって矢野がぼうっとしているとき、優はいつも矢野の瞳をのぞきこんでいたから」

 中学一年の入学式の日から何度となく、蓮は遠くを見つめる目でひなたの瞳を覗き込む優の姿を見てきたのだ。
 そこに何が映っているのか、蓮が聞いたことはなかった。
 けれど羨望と恋情の入り混じったような熱い視線で見つめる優の姿を、ひなたを独り占めしようとするような優の振る舞いを幾度となく見ていれば、なんとなくわかってしまった。

 優の瞳宿る熱は、小学校の間、ひなたのことを語る彼の愛おしさに溢れた目と同じだったから。

「行きたかったんでしょ、矢野の空想の世界に。もし優が本気でそうしたいって思ってるなら、僕は止めないよ」

 連が言えば、今度こそ優もひなたもそろって目を丸くする。

「なんで、蓮は……」

 止めないのか。そこまで肩入れするのか。

 優の尋ねる言葉は最後まで音にならなかったけれど、続くだろう質問の意図くらいは蓮にもわかる。
 だから、蓮は肩をすくめて軽く言う。

「別に、深い理由はないよ」

 嘘だった。
 蓮は小学生のころ、優に助けられたのだ。

 蓮は歯に衣着せぬ物言いのせいでクラスに馴染めなかった。
 いや、馴染めなかった程度ではない、明らかに孤立していた。
 
 けれど蓮自身、己を曲げられる性分ではない。
 かわいくないものはかわいくないし、面白くないものは面白くない。
 それでも孤立した状態が心地良いと思えるほど強くもなく、精神的に疲弊していた。

 そんなとき、小学四年で同じクラスになった優が、蓮とクラスメイトとの間に入ってくれたのだ。
 蓮のとげとげしい言葉を優が持ち前の人当たりの良さでやわらかく変えることで、クラスメイトたちの態度もやわらいだ。

 優にしてみれば、きっとあれも後々ひなたを大衆に受け入れさせる練習のようなものだったのだろうけれど。
 むしろそうと知って、蓮は安心したくらいだ。
 ひなたのために、という下心を持って行動した優に、感謝しているのだ。

 だから、蓮は優が下心を持って動くことを止めようとは思っていなかった。
 むしろ全力で支持することでしかこの恩は返せないと、確信していた。

「理由なんてない」

 連がそれ以上は語らないと察したのだろう。優は足元に目をやりながら軽く笑った。

「まあ、蓮の思ってた通りだ。本当は、いつか離れ離れにされるくらいなら、ひなたと空想の世界に沈みたいって思ってた」
「ユウくん!?」

 そんなことは聞いていない、とばかりにひなたが悲鳴じみた声をあげる。
 繋いだ手を引き寄せられて、優はひなたに目を向けながら穏やかに首を横に振った。

「思ってた、って言ったろ。いまはそんなこと考えてないよ。蓮にも言ったように、引き離されないようふたりで家を出ようと思っただけ」
「なんで気持ちが変わったの?」

 優が語りたがらなければそれでいい。けれど今聞かなければ、家出をすると決めた彼から聞くことはもうできなくなるかもしれない。
 そんな思いが蓮の口を動かす。
 問われて、優はすこし口ごもった。

 暗い公園のなか、遠くにある電灯の明かりにかすかに照らし出された優の顔に浮かぶのは、きまり悪げな不貞腐れたような表情。

「……小野が、言ってたろ」
「小野?」
「千明っちが?」

 思わぬ人物の名前に、蓮とひなたはそろって声をあげた。

 優としては、予想していた反応なのだろう。すこし恥ずかし気に、言葉を続ける。

「ひなたの空想落下症が出るのは、ひなたが暗い気持ちになってるときだって、小野が言ってただろ。それってつまり、ひなたの空想に沈むのはひなたが悲しい気持ちになる世界に行くってことだからさ」

 なるほど、と蓮は笑いたくなった。自分では気づかないまでも、ほんのりと笑いがにじんでいた。
 優という男は、空想の世界にあこがれを抱きつつも、どこまでも幼なじみの彼女のことが大切でたまらないらしい。

 そのことがうれしくて、おかしい。

「君が明るい未来を見せてあげる、って気概はないけど、矢野が嫌な気持ちになるくらいなら、憧れは諦めるわけだ」
「悪いかよ」

 口を尖らせた優は、年相応以上に幼く見えて蓮は笑ってしまった。
 けれどひなたは、深刻な顔をして優の手を引く。

「……優くんが行きたいなら、あたし、悲しい世界だって」
「俺が嫌なんだ」

 ひなたに最後まで言わせず、優はきっぱりと断言した。

「ひなたが笑えないなら、意味がない。そりゃ、ひなたが見てる空想の世界をいっしょに見たい気持ちもあるけどさ」

 照れ臭そうに付け足した優に、蓮はあきれるばかり。

「それでいいんだ? 小野が言った、確定かどうかもわからない仮説を信じるわけ」
「ああ」
「はあ。ほんと、優ってお人よしと言うか、最後の最後で甘いと言うか。別に、それでいいなら良いんだけどさ」

 強引にひなたと落ちていくならば、蓮はそれすらも見守ろうと覚悟していたのに。

「小野に感謝しなきゃいけないなんてね」

 やれやれ、と肩をすくめた蓮に、優が「まあな。ちょっと癪だけど」と笑い、ひなたは「千明っちにお別れ、言いたかったなあ」と眉を下げた。

「小野には言わずに行くんだ?」

 ふたりの様子に、小野は呼ばれていないのだと蓮は察する。
 連絡先の交換は、優と小野の間でなされていたはずだ。
 ならば、小野が寝ていて連絡が取れなかったか、あるいは夜も遅いため家が離れている小野に配慮したのだろうか。

 蓮があれこれと考えた理由を消し飛ばしたのは、優の苦い顔。

「ああ。あいつに少し話したら、俺たちの行先も全部バレそうでさ」
「千明っち、名探偵みたいだからね。超推理でぱぱっと見つけられて、連れ戻されちゃう!」

 おどけるひなたも、優の行動に反対する気は無いようだ。
 小野とは良い関係を築き上げそうに見えたが、味方になってくれるとは断言できなかったのだろう。
 いや、この場合は小野のほうが常識的な考え方をすると判断された結果か。

「そう、それじゃ」

 特別な言葉はなく、あっさりと見送るつもりだった。

 ひなたを交えた歪な友人関係がはじまったときから、蓮はきっと短い付き合いになるだろうと感じていたのだ。
 その予感はひよりが現れたことで確信に代わり、ひなたの症状が学校側にバレたことで終わりの時が近いと知れていた。
 きっと最後は唐突で、満足な別れも告げられないだろうと思っていた。
 そして、その時が来たらすっぱりと過去の思い出にしてやろうと、連は決めていた。
 だというのに、覚悟していた別れが丁寧に差し出されたことで、蓮の気持ちに迷いが生じる。

「……じゃあ、どうして僕には知らせたの?」

 多くは聞かずにいよう。あっさりと見送ろう。
 そう決めていたのに、うっかり訊ねた蓮を前に優とひなたは顔を見合わせた。

 不思議そうな顔で互いを見つめ、ふたりは蓮を向いて言う。

「「どうしてって、蓮は一番の友だちだから」」

 示し合わせたわけでもなくそろったふたりの声に、蓮は不覚にも涙腺が緩む。
 じわりとにじんだ熱いものをまぶたの裏に押し隠して、さらに両手でふたをした。

「はあ!? ふざけてるわけ?」

 なじる声がいつもより落ち着きのないものになった自覚は、蓮にもあった。
 ふたりぶんの笑い声を耳で拾いながら、蓮は熱くなった目元を拳でぬぐって気持ちを無理やり落ち着かせる。

 笑い合うふたりの姿をじっと見つめた蓮が、ごそりと探ったポケットから出したのは、スマホだ。

「優、スマホ持ってきてるでしょ」
「ああ、あるけど」
「交換して」
 
 ずい、とスマホ本体を差し出されて、優は目を瞬かせる。

「連絡先ならとっくに……」
「ちがう、スマホを交換するの」
「スマホを?」
「そう」

 言いながら、蓮は優のポケットからスマホを抜き取り、自身の手にあったそれを彼のポケットに押し込んだ。

「小野が、言ってたでしょ。この世の未練」

 こんなときになぞるのが誰かの言葉だなんて、すこし情けない思いを抱きながら蓮は続ける。

「矢野だけじゃないと思う。優も、もって矢野以外にも執着したほうが良いと思うんだ。だから、僕のスマホを持ってって。ロックは解除しておいたし、君たちが知らない相手の連絡先は登録していないから」

 言って、もう受け取らないという意思を見せるため後ずさった。
 それは同時に、彼らの別れが近いことを知らせる動作でもあった。

「もしも、僕の助けが必要になったらいつでも連絡ちょうだい。僕ができる精一杯で君たちの力になるから」

 ちっぽけな自分になにができるのか。蓮自身もわからないけれど、言わずにいられない。

 くしゃ、とひなたの顔が泣きそうに歪んだ。
 けれど彼女は泣きはしない。
 きっと、ひなたが涙を見せるのは優とふたりきりのときだけだろう。

「蓮……ありがとう」

 優の静かな声は、震えていた。

「レンレンも元気でね。千明っちにも、ごめんって」

 ひなたは笑いながら、声だけが泣きそうに揺れている。
 春の夜の肌寒さのせいだ、なんて自分を誤魔化しながら、蓮もまた震える声で返す。

「こっちこそ、ありがとう。元気で」

 別れの言葉は多くはなかった。
 互いに公園に背を向け蓮は自宅へ、優とひなたはどことも知らない場所へ。

 暗がりへと進む足取りに迷いはなかった。
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